エピローグ:近所の小川にて
デイスの新人冒険者、魔王の眷属『ヤゴメ』を打ち滅ぼす!
そんな号外が大陸を駆け巡った。
俺とミコトには各地の自警団、旅団、貴族、商会、さらには都の騎士学校などから次々にスカウトがかかったが、全て突っぱねた。
そんな組織に所属してしまったら、今の自由気ままなフィッシングライフが送れなくなってしまう。
俺がこの世界に求めるのは美味しい魚、デカい魚、そして未知の魚との出会いだけだ。
いや……。ミコトとの幸せで平穏な暮らしもか。
ギルドのメンバーからは「もったいねぇ」だの「頭おかしい」だのと野次られた。
まあ、否定はしない。
多くの冒険者が求めるのは安定した暮らし、地位と名声、そして何より金である。
今回俺が挙げた大金星はそれらを得て余りある、上手くいけば都のギルドナイト候補生くらいまでなら一気に駆け上がれるレベルのものだったのだ。
ちなみに、エドワーズ達にも同じようなスカウトが多数来たようだが、彼らも俺達と同じく、辞退したらしい。
それどころか「オレは何の役にも立ってない。すげえのはユウイチだ」と触れ回り、ホッツ先輩やシャウト先輩を始めとする凄腕の先輩らを訪ねては、基礎訓練や組手を申し込んで基本的な部分から鍛えなおしてもらっているそうだ。
真面目で熱血なアイツらしい……。
エドワーズ以外の同期、同い年、そして若干年下の冒険者たちの中にも俺の一件から刺激を受けた連中がいるようで、今デイスのギルドは随分な熱気に包まれているそうだ。
なぜ伝聞調かというと、俺はここ最近ギルドに顔を出していないので、たまに来るハーピイの配達屋さんから聞いた情報しか知らないのである。
「あっ! ピクピクきてるっス!」
「あいつら無茶してないだろうなぁ……?」などと物思いにふけっていると、俺の隣に座るミコトが嬉しそうな声を上げた。
見れば水面に浮かぶ小さな玉ウキがポコポコと揺れている。
「おっ! それアタリだぞ。ウキが完全に沈み切るまで待ってごらん」
「了解っス! お……沈んでるっス。沈んでるっスよ!」
「ほい、アワセてみ」
「せいっ!! わっ! ビクビク引いてるっス! なんか気持ちいいっスね! えいっ!」
ミコトの握る延べ竿を小気味よくしならせて上がってきたのは、30㎝はあろうかという長大な腕を持つ川エビだった。
傾き始めたオレンジ色の日差しに、半透明の体が美しく映える。
ボニート川に広く分布する「ボニートナガウデエビ」である。
冬~春の間は広大な下流域の深みに潜んでいるのだが、水温の上昇と共に中流域まで遡上して繁殖活動を行うのだ。
このエビが釣れだしたということは、いよいよ春が終わろうとしているということだ。
「去年の今頃もこうやって並んでエビ釣りしたっスよね~」
釣れたエビをバケツに入れながら、ミコトがしみじみと言う。
「そうだなあ……。あの頃はまだ不安とかホームシックとか抱えてたけど、結構適応できるもんなんだな」
「今でも時々そういうの感じてるじゃないっスか~。バーナクルで雄一さんちょっと涙ぐんでたっスよ」
「やっぱミコトには分かっちゃうよな~。でもお前がいてくれるだけで俄然気が楽だったよ。ありがとうな」
俺がそう言うと、ミコトはチョコチョコと距離を詰め、俺の体にぴったりと寄り添ってきた。
俺の肩に乗る彼女の頬は、夕日を受けて茜色に染まっていた。
「良かったっス。そろそろ私の役目も終わりっスかね……」
「え? 何言って……」
「今まで内緒だったんスけど、そろそろ帰って来いって言われてるんスよね」
「!?」
頭を金づちで殴られたような衝撃が俺を襲った。
ミコトは俺の肩にゆっくりと頬擦りし、川が流れ去る地平線を遠い目で見つめている。
心なしか、その話声は震えていた。
「雄一さんもだいぶこの世界に馴染めたし、功績も上げて、一躍ヒーローっス。どうやらこれで私の契約は満了みたいっす」
「嘘……だよな……?」
「うっ……うっ……嘘っス!!」
ミコトは勢いよく振り向き、満面の笑みを向けてきた。
「まさかあんなにビックリされるとは思わなかったっスよ!」としゃくりあげながら笑っている。
コイツ! 笑い堪えて震えてたのか!
「私の契約は、雄一さんの命が尽きるまでっス! 要は一生一緒っス! 今の雄一さんちょっと可愛かったっスよ?」
「お前そういうのはやめろよ……。心臓に悪いだろ……」
「えへへ……。まあ、何はともあれこれからもお願いするっス!」
ヘッドロックでもかましてやろうかと思ったが、無邪気な笑顔を見せられると、怒りはどこかへ引いていってしまう。
頭を締め上げる代わりに彼女の肩にゆっくりと手を回し、優しく抱き寄せた。
二人でノンビリと水面を見つめ、時折来るアタリを拾ってはエビを釣り上げる。
張り切ってクエストをこなす毎日も悪くないが、やっぱり俺達の日常はこうあってほしい。
山影に沈みゆく夕日を眺めていると、川を吹き抜ける風が、微かな緑の香りと確かな温もりを運んできた。
夏はきっとすぐ傍まで来ている。
どこかから「ほっほっほ……」と何者かの笑い声が聞こえた気がしたが、緑の川風にかき消されていった。