第57話:撤収・就寝
「案外狭かったんだな……この部屋」
「すみません……」
「いや、君が謝る部分ではないけども」
愛ちゃんの住むアパートでコトワリさんが使っていた寝具を借りて寝かせてもらう俺。
通し釣りのはずだったのだが……。
「不思議なこともありますよねぇ。あんなにパタッと釣れなくなるなんて」
「スレきった……にしてはちょっと急すぎるよね」
「スレ……ですか?」
「ああごめん。魚がルアーを警戒して食う気をなくすことね」
「はぇ~……。そういう用語もあるんですね……」
そう。
唐突にキーバスの食い気が鎮まり、ベイトも姿を消し、全く釣れなくなったのだ。
それも運河全域で。
潮止まり……というわけでもなく、上げ潮の真っただ中である。
俺一人なら釣れない理由を探して一晩中試行錯誤するが、流石に愛ちゃんを連れてでは具合が悪い。
彼女も「2~3時間くらいは全然釣れなくても平気ですよ!」とは言っていたが、やはり、初心者を廃人プレイにつき合わせるのはちょっとね……。
というわけで、今回はお開きと相成ったわけだが、自室に帰ったら床で寝るしかない俺を哀れんだ愛ちゃんが、今夜一晩家に泊めてくれると言い出したのだ。
女の子の部屋に上がり込んで、あまつさえ寝ることに抵抗はあるにはあったが、寝具の誘惑に負け、今はこうして白いシーツに包まれている。
……。
仄かにコトワリさんの匂いが……。
「大丈夫ですか? 足伸ばせてます?」
「ああ、十分十分。コトワリさん俺より背高かったから、あの人が寝れるなら俺も大丈夫だ」
一緒に買った家具が所狭しと並んだ彼女の部屋は、二人で住むには狭小だが、一人で暮すには丁度良く纏まっている。
ランプの明かりに照らされた本棚には、剣術の本や武器の解説本、冒険者の心得みたいな本の他に、地図、図鑑、思想家の本、金銭に関する本など、様々なジャンルのものがミッチリと詰まっている。
この世界で生きていくため、彼女なりに努力しているようだ。
どっかの釣りバカとは大違いだよ……。
「電気……あ、いえ、明かり消していいですか?」
「あはは……。俺もたまに言っちゃうそれ。いいよ」
「へへっ……転生者あるある……ですね」
彼女が天井のランプを消すと、一瞬で部屋は漆黒の闇に包まれる。
隣に敷かれた布団がファサッと音を立て、彼女が横になったのが分かった。
そして「おやすみなさい……」という声を最後に、すぅすぅと寝息が聞こえてくる。
結構疲れてたんだなぁ……。
無理して連れ回さなくて良かった。
俺も目をつぶり、意識を沈めていく。
今日はやたらいろんなことがあった。
コトワリさんが突然去った。
コトワリさんが帰った後、綺麗な虫を見つけて納品した。
先輩にコトワリさんのことを報告したら凹まれた。
信じて送り出したミコトがポインポインになって帰ってきた。
愛ちゃんの今後について色々話した。
愛ちゃんと一緒に半夜釣りした。
大きな戦いがあったわけでもないが、何か妙に疲れる一日だったな……。
そうやって回想している内に、俺も眠気に誘われ、うつら、うつらと夢現を彷徨い出したとき、不意に、「キン……」という、金属音が脳内に響いた。
敵!?
俺は一瞬で覚醒し、枕元の剣に手を当て、姿勢を低くする。
愛ちゃんを起こそうと一瞬迷ったが、次の瞬間にはもう、その気配は消えていた。
気の……せい……?
集中して感知音を聞こうとしても、全く捉えることが出来ない。
………。
油断しているところを感知スキルに救われたことは数知れず。
しかし、感知スキルの感知音を聞いた夢で飛び起きたことは数知れず。
これはまた……。
やってしまったやつか……。
妙な気恥しさに苛まれ、静かに布団へ戻る俺。
愛ちゃんは……起きてないみたいだ……。
良かった……。
カッコ悪いとこ見せずに済んだ……。
「……さん」
「ひゃい!?」
安心して再び寝に入ろうとしたところ、突然愛ちゃんから声をかけられ、素っ頓狂な声を上げる俺。
やっぱ起きてた!?
ごめん起こして!
そう言おうとした直後、彼女の手の甲が俺の額に降ってきた。
痛ぇ!
怒ってる!?
「お母さん……」
「!」
驚くやら、申し訳ないやらで混乱している中、彼女の口から出たのは望郷の感情であった。
彼女はしきりに目の前……即ち天井へと手を伸ばし、垂らし、手を伸ばし……を繰り返している。
愛ちゃん……。
やっぱり、努力とかで何とか出来る部分じゃないよな……。
俺はその手をそっと握り、彼女の頭の横へと持っていく。
俺がホームシックでうなされた時、ミコトがよくやってくれたことの一つだ。
すると彼女は俺の手に頬擦りをし、「ただいま……」と心地よさそうに笑った。
手が濡れる感触がする……。
最終的には愛ちゃん自身の選択の果てとはいえ、気の毒だ。
元の世界へ戻る方法……。
そんなものがあれば、ミコトが俺に教えてくれてるよなぁ。
愛ちゃん……。
俺は君の涙を止めてあげられそうにないよ……。
やがて、愛ちゃんの寝言が収まると、部屋に再び静寂が訪れる。
結局、彼女は朝まで俺の手を放そうとしなかった。
釣り用語解説のコーナー
半夜釣り
通し釣りのマイルド版。
こちらは夕方に釣りを始め、夜中に納竿すること。
金土、及び土日の通し釣りの予定が天候、釣れ具合、上司からの電話などで半夜釣りに変わることなど、よくある話である。
逆をして翌日の仕事に深刻な影響を及ぼす者も少なくはない。
釣りも、天候も、体調も、勤め先も、釣りバカ社員も、何事も見極めが肝心である。