第15話:アカシマメバル バーナクル港の夜釣り
憧れの港町に着き、懐かしい故郷の味にしんみりとしていたら突然高地の向こうの空が黒煙と共に妖しく光り、不穏な予感に皆が身を引き締めた。
と、まあそれはさておき。
俺は今、夜のバーナクルの港で釣り糸を垂れている。
バーナクルは昼夜を問わず船が出入りすることから、明るい港が非常に多い。
デイスやカトラスのそれよりもずっと大きく、明るいガス灯が多数設置され、発着する船の手助けをしているのだ。
そのためか、釣り人も意外といる。
ガス灯の下で原始的な釣り竿を片手にアタリを待つおじいさんや、真剣な表情でテグスを手繰っているおじさん等様々だ。
俺も彼らに倣い、ガス灯の下に釣り座を構え、セグロハヤの塩漬けを餌にした胴突き仕掛けで海底を叩いている。
しかし……。本当に懐かしい風景だ。
大学2年の頃伊豆で釣りした時も確かこんな雰囲気だった。
いかんいかん……またホームシックに罹る……。
時折ブルブルと穂先が震えれば、アカシマメバルが連なって上がってくる。
先ほど食べたのだが、本当に旨い魚だ。
味は元の世界のウスメバルそのもので、しかも身が肉厚だ。
皮下やヒレのコラーゲン層もたっぷりあり、煮汁をたっぷり吸ったそれはご飯にまぶすと最高である。
少しばかり独特の魚臭さがあるものの、生姜やゴボウに類する食材を加えて煮れば解消されるだろう。
梅干しを入れてもいいかもな……。
そんなことを考えながら3匹、また3匹と連続ヒットを繰り返していると、ふと、背後から視線を感じた。
振り返ると、レインコートのような黒ローブを羽織った老人が俺をじっと眺めている。
「えっと……なんですか?」
敵意は感じない。
だが、そこらの釣り人おじいさんとは……こう……雰囲気が全然違う。
存在感というのか、威圧感ともいうのか……。
とにかく只者ではないオーラを滲ませている。
「いや、失礼。釣りの邪魔をしてしまったかな」
口を開いてもどこか気品を感じる。
その老人は俺のすぐ横まで歩いてくると、厚手の布を敷き、釣竿を出した。
ニスを何重にも塗って強度を上げた竹に針金でガイドを付け、そしてグリップ部に太めの針金を4本突き出させて糸巻きにしてある、かなり古いタイプの和竿だ。
手慣れた手つきで絹糸をガイドに通し、武骨な釣り針を結び付けている。
チモトには針金が巻かれていて、それがエサのキーパー兼錘の役割を果たすようだ。
老人はポーチからエビの身を取り出し、針に通すと、それを水面にポチャリと落とした。
「君が随分釣っているのでな。ちとおこぼれに与ろうと考えたわけじゃ」
そう言って笑う老人。
しばらくすると、小型のアカシマメバルが彼の仕掛けに食いつき、上がってきた。
しかしその間、俺の仕掛けは3度往復し、9匹の大ぶりなアカシマメバルを釣り上げていた。
老人はその様子を興味深そうに見つめている。
「君……ずいぶんと細い糸を使っておるのう。針も細く小さい。これでよく切れないものじゃ」
「あはは……まあこれは魔具とか神器の類ですからね。俺の故郷に伝わる珍しい召喚スキルでして……。ちょっと使ってみます?」
俺はそう言って老人に釣り竿を手渡した。
「軽いのう」とか「糸の張りが素晴らしいのう」等と一しきり釣具に感心した後、彼は仕掛けを下ろした。
「おお! 海底の感触が丸わかりじゃ。アタリもこれほど鋭く捉えられるものなのか……そりゃ!」
俺が教えた通りにリールを巻く老人。
すぐに水面が弾け、大ぶりなアカシマメバルが3連で上がってきた。
「いやはや……感服した。竿の穂先はしなやかかつ頑丈で、優れた感度を持ち、魚の引きにしなりつつも、決して負けることのない粘りを備えている。そしてこの糸巻き、恐ろしいほど滑らかに糸を送り出し、巻き取る。まさしく神器じゃ……」
と、褒めちぎっている。
別に俺の手柄というわけではないが、もと居た世界の釣り技術が湛えられるのは素直に嬉しい。
気を良くした俺は、それを今夜暫く貸しましょうかと提案してみた。
しかし、老人はそっと頭を横に振り、自分の竿と仕掛けに持ち帰ると、再び糸を海面に垂らし始めた。
「君の仕掛けは素晴らしいが、今のようなペースで釣れてしまっては、こいつを楽しむ暇もないからのう」
と良いながら、金属ボトルを煽る。
ほんのり香る木の匂い。
恐らくウィスキーだろう。
「沖をよく見なさい。そろそろじゃ」
老人が遥か洋上を指さすので、俺は目を凝らし、漆黒の水平線を眺めてみた。
すると、時折青い光が空から降ってきて、海に落ちる。
それが落ちたところが大きく光り、まるで花火のようにパッと広がったかと思うと、ゆっくりと消えていく。
「何ですかアレ!?」
「テイオウホタルイカの産卵じゃ。この時期になるとクラム湖から卵を打ち上げ、海に放つんじゃ。やがて孵化した子イカは半島を回遊し、海の帝王へと成長していく。その命の始まりの花火なんじゃ」
クラム湖かぁ……確かここからへリング高地の向こうのモーレイ山のさらにそのまた向こうにある湖だったっけか。
あれ? でもあの湖って海に通じてたっけ?
そんなことを独り言で自問自答していると、老人が笑いながら教えてくれた。
「クラム湖は確かに完全な淡水湖じゃ。テイオウホタルイカは産卵期に半島の裏側から陸を歩いてクラム湖へ向かうんじゃよ。奴ら姿をくらます名人じゃから、見たものは殆どおらんがな」
テイオウホタルイカって確か20mくらいあったよな……?
あんなもんが歩いてくるとか怖すぎるだろ……。
「奴らは時に商船や軍艦をも襲う恐ろしい生物じゃが、その肉は街を潤し、牙は魔物を退ける武器となり、時にこうやって目を愉しませてくれる。あの花火は人間が自然と戦いながらも共存せねばならんということを教えてくれるんじゃ」
老人はウィスキーをチビチビと飲みながら、そんなことを語っている。
彼の言い分には俺も同感だ。
特に俺達釣り人は自然との共存無くしては生きられない。
他の生物の命を奪う趣味ではあるが、その生物に繁栄してもらわなければ成り立たない趣味なのだ。
俺も元の世界にいた頃は稚魚放流募金とかリストバンド募金とか随分やったなぁ……。
「へリング高地で異変が起きたと聞いて心配していたが、産卵には問題なさそうで安心したわい。まあ、へリング高地の件も君がいるのならば安心じゃろう」
「へ?」
「君は一体、どんな伝説を残すかのう。期待しておるよ。転生者くん」
いつの間にか竿を畳んでいた老人は、呆気にとられる俺を尻目に、街の方へ歩き去って行った。
やっぱりあの人……只者じゃなかった……。