第17話:寒ホロビラメ遠征を終えて
「わぁ! すごい立派な卵っス!」
「身もしっかりしてて、これは間違いなく旨いぞ」
魚で満タンのクーラーボックスを引っ提げ、無事帰宅した俺達。
本命だったホロビラメに加えて釣り上げたフブキアジとボニートニシンは、思わぬ収穫だった。
フブキアジは寒い時期に接岸するだけあり、良質な脂がたっぷりと乗っていて。
乗っ込みシーズンだったボニートニシンは手に余るようなサイズの立派な卵を抱き、ギュッと締った身を湛えている。
無論、旬を迎えたホロビラメの身もまた、淡い飴色に染まり、うま味と脂が凝縮されているのが目に見えて分かった。
大量に釣れたボニートニシンは、卵と内臓を取った後、一部を刺身と一夜干しに、そして残りは保存食にしていく。
この保存食、普通は塩漬けなのだが、「雄一さんアレ作ってみないっすか!?」と、ミコトが眼鏡を怪しく光らせながら提案してきたので、塩漬けともう一つ、塩水漬けも作ってみることになった。
所謂「シュールストレミング」というやつである。
世界一臭い食べ物として有名なものだ。
元の世界の北欧、スウェーデンでは、日照時間の関係から、満足な量の塩が作れなかった。
そこで、薄い塩水にニシンを漬け込み、保存しようとしたものがこの恐るべき珍味の発祥とされている。
薄い塩水は食品の腐敗を防ぎつつ、発酵を阻害しない。
それ故に、臭気を持ちつつも長期保存ができる保存方法として重宝されたそうだ。
罰ゲームのように扱われることが多い食品だが、独特の塩気や風味を好む人も少なくないし、高い整腸作用に加え、美容や目にも良いらしい。
「一回作ってみたかったんスよね~!」
と言いながら、小さな樽に小ぶりなボニートニシンと塩水を注いでいくミコト。
素人が安易に作っていい物なのかねコレ……?
食べごろは2ヶ月後らしいが、ちょっと怖くなってきたぞ。
ちょっと怖いものと言えばもう一つ。
数の子である。
正月のお節料理としてお馴染みの数の子だが、実はこれ、かなり複雑な過程を経て作られるものらしいのだ。
「現代の数の子は製造過程で過酸化水素とか使ってるんスよ。除菌とか寄生虫とか血液除去とか色々安全基準があるんス」
そう言いながら、巨大な卵を洗うミコト。
当然だが、俺に過酸化水素水なぞ作る技能はない。
中学の科学実験以来目にしたこともない。
ではどうやって数の子を作るのか、答えは「干す」だ。
「元々は数の子は塩漬けにしたものを干して、齧ったり、お茶漬けにしたり、水で戻して使っていたらしいっス。塩漬けにしてから干して水気を飛ばせば、除菌もバッチリっスし、寄生虫や血液成分も除去出来るっスから、私達はコレでやってみるっス」
木箱にまず塩を敷き詰め、そこに卵を敷く、さらにその上に塩を敷き、またその上に卵……。
塩で卵をサンドにする要領だ。
最後に、塩で樽の口を塞ぎ、蓋をしっかりと閉じれば、干しカズノコ製造の第一歩である。
これを5日ほど塩に付けて水分をすっかりと飛ばした後、カチカチになるまで天日で干せば完成だ。
////////////////
「ふう! 加工完了っスね!」
ニシンの塩漬け樽に、数の子の塩漬け樽が一つずつ。
そして、特大のアジの開きが5つ、保管庫に格納される。
新巻ボニートサーモン程日持ちはしないだろうが、
シュールストレミング樽は、温度を一定に保つ必要があるので、屋根裏の煙突横に据えておいた。
突然爆発とかしないだろうな……?
「大丈夫っスよ! シュールストレミングが爆発するのは高密度の缶に詰めるからっス! 密閉度が低い樽では爆発なんてしようがないっス!」
「まあミコトほどの実力者がそう言うなら……」
「大丈夫っスよ! 多分! それより寒ホロビラメをいただくっス! 一晩寝かせてまさに今食べごろっスよー!」
ミコトがピョンピョンと跳ねながら保冷庫から持ち出したのは、昨日帰宅後すぐ5枚下ろしにしたホロビラメの身である。
魚には一般的に「食べごろ」がある。
釣りたて、さばきたてが最高に旨いと誤解されがちだが、多くの魚は締めてから一定時間熟成させた方が旨いのだ。
ミコトは「ふふふふ~ん♪」と鼻歌を歌いつつ、細身のナイフで身を薄く引いていく。
1m級の大座布団ビラメだけあって、刺身はたっぷりと取れる。
ミコトはそれを薄く、薄く引き、大皿へ綺麗に並べていく。
そのあまりの薄さ故、皿の模様が身越しに見える程だ。
す……すげぇ……。
「ふっふっふ……私の料理スキルは留まることを知らないっスよ!」
彼女の料理のテリトリーは日に日に広がっているようである。
ドンと置かれた刺身大皿。
そして塩と柑橘の絞り汁、そして数滴の魚醤を混ぜた特性刺身ダレに、ピリリと辛い多肉植物のすりおろしが添えられる。
まるで食卓に大輪の花が咲いたようだ。
これは……崩すのがもったいなくなっちゃうな……。
「あれ、そうっスか? んじゃ私がごっそりいただくっス」
「あ―――!!」
フグ刺しをグワっと纏めて取るがごとく、ヒラメの薄作りを数切まとめて箸でつかみ取るミコト。
美しく白い花の花弁が毟り取られたような錯覚に、俺は思わず声を上げた。
冒涜的な快楽なのか「ふっふっふ~……」と、天使がしてはいけないような悪だくみ顔で刺身を見つめた後、ミコトは刺身をタレに浸し、モフっと頬張った。
直後、彼女の顔から影が消え、声もなく恍惚とした表情に変わった。
「ほぁ~……」と洩れる吐息で、ミコトの味覚が絶頂に導かれているのが良く分かった。
そ……そんなに旨いの……?
俺も彼女と同じように刺身を纏めてさらい、刺身ダレでいただく。
……!!
うっま……!
傍から見れば、俺もミコトと同じような恍惚フェイスをしていることだろう。
薄く引かれた刺身は熟成を経て尚よく締り、それでいて歯触りは柔らかい。
しかも、しっかりと脂が乗っているのに、味は至って淡白。
何味と言われると……天国味……?
「その表現がピッタリだと思うっスよ……。知覚できる味は淡白なのに、舌が幸福感に包まれてるっス……」
トラフグの刺身などで言われる、知覚できない強烈なうま味が舌を包み込んでいるのだ。
とある美食家が、フグは無味故に比類する物のない最高の食材だと言ったと聞く。
まさに、この寒ホロビラメは最高にして無比の食材と言えるだろう。
「ふぅ……雄一さんコレもどうぞっス」
食味のヘブン状態から戻ってきたミコトが、俺の口に何かを放り込んできた。
うおお!?
これはまた……すっげえ旨い!
コリコリとした歯ごたえに、甘いくちどけ……。
「エンガワっス! この子大きいだけあってすんごいタップリ取れたんスよ! もうコレも美味しすぎて美味しすぎて!」
「あっ! ちょっと食い過ぎだぞ! 俺もっとエンガワ食いたい!」
「早い物勝ちっスもんねー! ふはぁ~たまらないっス~」
まるで花占いの如く、皿の上の花はその花びらを散らしていき、あっという間に最後の花弁を落とした。
なんだこの幸福感と喪失感……!
「天使がこんなに幸せになったら罰が当たっちゃうっスよ~」
と言いつつ、ミコトがヒラメ頭の潮汁を啜っていた。
「雄一さんもどうぞっス」と渡してくれる。
おお……これもまた美味しい。
温かい魚汁は体が温まっていいね。
「最近晴れが多いでスし、明日もどこか行くっスか?」
ミコトが見つめた窓の先には、澄んだ空に沈んでいく夕日が見える。
冬も半分を過ぎたためか、雪が降る頻度はすっかり減った。
寒さは変わらないが、この天気が続くなら釣りやクエストもできるだろう。
「そうだなぁ。エドワーズ達にあんまり水を開けられるのも癪だし、たまには討伐クエストでもやるかい?」
「お! 雄一さん珍しくやる気っスねぇ! 私はいつでもバッチコイっスよ!」
しばらくほったらかしの防具のメンテナンスでもするかと、俺が椅子から立ち上がった時、突然「ドーン!」という音が玄関から聞こえたかと思うと、いつか聞いた馬鹿でかい声が俺の名を呼んだ。
「ユウイチさーん!! ミコトさーん!! 私です!! 緊急のお呼び出しにまいりましたー!!」