第16話:寒ホロビラメの泳がせ釣り
「ユウイチミコト丸発進っス!」
「そんな大したものでもないけどな……」
115馬力の船外機がブルブルと音を立て、俺達の乗った小型ボートを前進させる。
風は弱く、波も低い。
外洋に面したサーフでこの条件というのはかなりのレアケースだ。
これなら快適なボートフィッシングが楽しめるだろう。
俺が釣具召喚で出せるのは、「釣具」のみ。
船宿が運用するような釣り船や、富裕層が海洋レジャーを楽しむようなクルーザーなどは出すことが出来ない。
個人で所有できるサイズの釣り用小型船舶が限界のようだ。
東京湾のボートシーバスに使われるようなサイズである。
「雄一さんって船操縦できるんすねぇ! 驚いたっス!」
「大学3年の時に免許取ってな。しかしまさかこんなサイズのボート出せるとは思ってもみなかったよ」
「多分っスけど、アウトドアグッズ召喚のスキルと釣具召喚のスキルが高レベルに達したから可能になったんじゃないっスかね?」
「言われてみれば……。出せる釣り糸の量とか、召喚を維持できる距離とかかなり長くなった気がする。出せるテントも明らかにデカくなったもんな」
「ザックリとしたスキルっスけど、鍛えたらちゃんと強くなるもんなんスねぇ」
「なー」
そんな会話をしつつ、俺は時折船底を擦るような浅瀬を抜け、ドン深のカケアガリの真上までボートを進ませた。
教習で習った手順通り、潮流に対してボートの向きを調節し、闇雲に流されないようにする。
流石に魚探は付いてないか……。
出そうと思えば出せるのかもしれないが……。
とりあえず今回は使わない方向でいこう。
初めての釣りには手探りの煩わしさがあっても良い。
「わ~……。私船で釣りするの初めてなんスよ~」
とミコトがはしゃいでいる。
そんな彼女の手元に船アジ用の竿+両軸リールと胴突き仕掛けを召喚してやる。
エサはフブキアジの短冊だ。
「とりあえず、それでベイトになりそうな小魚を釣ってくれ。ある程度釣れたらヒラメの泳がせ釣りにシフトするから」
「了解っス!」
俺も波の状態や船の向きを見つつ、小物釣り用の竿を出した。
本当はイワシミンチなんかをマキエにして集魚した方がいいんだが、すぐに用意できるものでもない。
「来たっスよ~!」
早くもミコトが魚を掛ける。
同時に俺の竿にもグングンと引きが来た。
上がってきたのは、20センチほどのニシンのような銀色の魚だ。
市場では「魚」と一括りに纏めて売られるような雑魚である。
まあ、ボニートニシンとでも呼ぼうか。
この時期、刺身でも美味しいが、そこはグッと堪え、生餌バケツに放り込む。
魚影が濃いのだろう。
仕掛けを落とすたびに入れ食いで、中には抱卵しているものもいる。
産卵のために集まってきてるなこりゃ……。
「こういう魚がいっぱい来てるってことは、ホロビラメもそれを狙ってる可能性高いっスね!」
「だな。そろそろいいだろう。仕掛けチェンジだ」
「よーし! デッカイホロビラメ釣るっスよ~!」
船アジ用のタックルを召喚解除し、二人分のハモノタックルを召喚する。
バットパワーのある船用竿に、両軸リール+PE4号、そこ結び付けるは、遊動式胴突き仕掛けだ。
言葉では説明しにくいが、海底1mほどの位置で餌のニシンが泳ぎ回るようにし、ホロビラメが食いつくと、糸が送り込まれる仕組みになった仕掛けだ。
生きたニシンの鼻に大きめのチヌ針をかけ、海中に投入する。
オモリが底を叩くとすぐに、エサのニシンが激しく暴れ出した。
これは近くに天敵がいる証である。
少し残酷だが、泳がせ釣りの醍醐味はこの餌となる魚の動きでターゲットの動向を探るところにある。
さあ、食いつけ……。食いつけ!
ひと際激しくニシンが暴れたかと思うと、ズン!という衝撃と共にその振動が止まった。
食った!
食ったが……まだアワセてはいけない。
ヒラメ40と言われるように、ヒラメは一度食いついても飲み込みまで随分時間をかける。
体形の似た魚は習性も似る傾向があると思えば、恐らくはホロビラメも似たような習性を持っているはずだ。
一説では噛みついた魚が絶命するまで待っているとも、何度も噛みつきなおしてから飲み込むとも言われているが、どれが正しいのかは分からない。
リールのロックを解除し、糸を送り込んでやる。
これにより、相手は餌に対する違和感を覚えることなく、無警戒に飲み込んでくれるというわけだ。
「39……40!!」
アタリからちょうど40秒で、思い切りアワセを入れる。
ホロビラメという前提でアワセを待っていたが、無論他の魚の可能性もあった。
しかし、一発目のグイングインという引きで分かった。
完全にホロビラメだ。
しかし、突っ込んでいく先は海面ではなく海底。
つまり、一般的なヒラメと同じ動きである。
となれば対処は簡単。
引きを耐えつつ、一定の速度で巻き上げればいいだけだ。
一般的に船釣りでのファイトは岸からのそれに比べて楽である。
20分ほどのファイトの末、海面に1m近い大ビラメが浮き上がった。
「行くっスよ~。えい!!」
と、ミコトが頭へのギャフ打ちを決めてくれ、見事、寒ホロビラメを討ち取ることに成功したのだった。
その後、俺がもう一枚、ミコトが1枚を追加したところで、彼女がある異変に気付く。
「なんか海、白くなってないっスか?」
釣り上げたヒラメの脊髄を切り、背骨に鉄芯を入れて髄液を抜いて〆ている最中だったので気が付かなかったが、突然海が白く濁りだしている。
え!? 何!? 火山噴火とか!?
「いえ、硫黄の匂いしないんでそれは無いと思うっス……というか多分これ……」
そこまでミコトが口にした直後、バシャバシャ―!という音と共に、ボニートニシンの群れが辺りで沸き立つように跳ねだした。
そのあまりの衝撃に、左右に揺さぶられる船。
何何何!?
「産卵っス! ニシンの産卵活動っス!!」
海面が弾ける轟音の中で、ミコトが叫んでいる。
そういえば聞いたことがある。
ニシンの産卵は海域一帯をオスの精液に包んで行われると……。
この白い海面、全てオスたちの命の源である。
そして、当然のように襲来するフィッシュイーターたち。
海からはフブキアジが群れを成して襲い掛かり、空からはアミメペリカン達が次々に飛来する。
海面下では激しい光が走る。
ホロビラメ達が中層のニシンたちを襲っているのだ。
ついには海面が山のように盛り上がり、クジラのような大きさの物体が飛び上がった。
うわああああ!?
「「テレポート!!」っス!!」
俺達は咄嗟にテレポートで岸まで戻った。
間一髪!
ヒラメ入りのクーラーボックスも何とか無事である。
俺達がいた辺りは、真っ黒な海獣の渦に巻き込まれていた。
パフィン・シーサーペントだ……。
白と黒の身体に、赤い嘴を備えた奇怪な姿をしている。
「うおおおおお! 初めて実物見たっス―――!!」
ミコトが興奮している。
ニシンの産卵によって生じた大自然の大スペクタクルだ。
ニシンを追う大型魚や鳥の群れ、それを捕食するパフィン・シーサーペント。
狂乱の宴は数時間にわたって続き、終わりを迎える頃にはもう日が傾いていた。