第1話:雪の晴れ間のセグロハヤ(冬)
「……よし! 行ける!」
ドアを開け、雪が降っていないこと、雪雲が出ていないことを確認し、素早くドアを閉める。
ほんの数秒で、家の中の気温はガッツリ下降してしまうのだ。
暖炉の前で部屋着をはだけさせ、天界パソコンで生物調査日誌をつけていたミコトが「はわわ……寒いっス……」と身をちぢこめた。
「今日は外出できそうだ」
「おっ! マジっスか? いや~……そろそろ外出たいって思ってたんスよ。流石にお腹がまた……。ちょっ!? 駄目っス! 摘まんじゃ嫌っス! 揉むのも駄目っス!」
うん……。
確かに秋の盛りとまではいかないが、ミコトのお腹は着実に脂が乗ってきている。
俺個人としてはちょうど食べごろなのだが、彼女としては不服らしい。
「久々の晴れ間っスし、ちょっと遠出したいっス!」
「そうだなぁ……運動も兼ねて歩きで行こうか」
「……」
「いや、そこは賛成しろよ。ここがもっと出るぞ?」
「い―――!!」
彼女は俺の指をエビのようなバックステップで躱し、歯を見せて威嚇している。
とりあえず口づけでそれを塞ごうとすると、彼女はゴツンと頭突きをかましてきた。
「「痛ってー!」っス!」
二人の悲鳴に応えるように、軒の雪がドサッと落ちた。
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結局、鈍った体のリハビリも兼ねて、ボニート川中流でセグロハヤを釣ることにした。
実はこの季節にボニート川で竿を出すのは初めてだ。
去年は慢性的なカロリー不足で釣りどころじゃなかったからな……。
道はすっかり雪に覆われ、誰かが通った痕跡もない。
小さな獣の足跡はあるが、動く者の姿は地上にはなかった。
白い世界の中に、ミコトと二人きりで放り出された気分である。
「雄一さん! ドーン!」
「おぶぇ!?」
突然、背後からミコトに突き飛ばされ、俺は顔面から雪にダイブしてしまった。
幸い、柔らかな新雪に包まれてケガはなかったが、顔中雪まみれだ。
一体何事かと文句を言ってやろうと顔を起こすと、彼女も俺の隣に背中からダイブしてきた。
「やっぱ雪が降ったらこれっスよ!」
と笑うミコト。
白銀の大地に、俺とミコトの形が残されている。
ミコトが上手く調節したのか、二人の人型は仲良く手を繋いでいた。
「えへへ……私達のラブラブ人型っス」
と照れるミコト。
なんだお前コラ可愛すぎるだろオイ!
俺はミコトを抱き上げ、そのままクルクルと回る。
二人で笑い合いながら、踊るように走り回り、白いキャンバスの上に足跡と人型を描いていく。
最後は2人で倒れ込み、大きな大の字を二つ、新雪の上に形作る。
何がおかしいのかは分からないが、不思議と笑いが込み上げてきた。
「こんな他に何もない、誰もいない場所でもいいので、雄一さんと永遠を共に出来たら……きっとずっと幸せなんスけどねぇ……」
突然、キャラにもないことを言い出すミコト。
え、何。
俺達引き裂かれそうな案件でも出たの。
そういえばさっき天界パソコン開いてたけど……。
まさか天使上司とかから帰って来いとかメールが……。
「いえ! 違うっスよ!? いえ、なんだかこの世界が私達以外全部凍っちゃったみたいで、それでも何だか楽しかったので、変な妄想が口から出ただけっス」
「驚かすなよ……。まあでも……ミコトと一緒なら、他に何もない世界でもずっと幸せに生きていられそうな気がするよ」
「雄一さん私と一緒なら1億年スイッチとか押せる人っスか?」
「そりゃまあ、もちろん」
「えへへ~……」
ヘニャっと笑うミコト。
この笑顔が俺を狂わせる……。
「さ! 寄り道ばっかしてないで行こう!」
「そうっスね!」
幸い、着込んだフィッシングウェアは雪や氷水の侵入をバッチリシャットアウトしてくれていた。
そうか、この世界で俺達みたいなマネをする人が居ないのは、こんなことやってたら凍死しちゃうからだ。
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ボニート川の河畔に到着する。
川はある程度の温度を保っているためか、その周囲では雪が少し溶け、河原の石が露になっていた。
転ばないように、ミコトの身体を支えながら水面へ向かう。
とりあえず、仕掛けは普段のモノでいいだろう。
11ftのシーバスロッドに、PE0.6号+ショックリーダー3号を巻いた2500番のスピニングリールの組み合わせに、スプーンサビキ仕掛けのセットだ。
果たして、このメソッドは冬でも使えるのだろうか……?
「きたっス!」
俺が椅子やらクーラーボックスやらをセッティングしている間に、いち早く魚を掛けたのはミコトだった。
もう随分手慣れたもので、流れを利用してゆっくりと寄せている。
最初は「はわわー!?」とか言って糸を盛大にオマツリさせていたが、人は成長するものである。
いや人じゃないけども。
「あれ!? 雄一さん! なんかこの子達姿が違うっスよ!?」
クーラーボックスに氷水を張っていると、ハヤを鈴なりにさせたミコトが走ってきた。
あっ……転……ばない!
やはりこの天使……進歩している……!
彼女が持って来た魚は、顔やヒレを見るに、間違いなくセグロハヤだ。
だが、えらく体高があるし、腹もでっぷりとしている。
産卵期かと思ったが、彼らの繁殖シーズンは夏である。
「冬を越すために、脂肪を蓄えてるんスかね?」
無駄に説得力のある考察である。
実際、冬の低温に耐えるために脂肪を蓄える種は、魚に限らず数多くいる。
それに、この魚の場合は、晩秋~初冬にかけて、天敵であるアミメペリカンが南へ渡っていき、捕食活動の危険性が減ったのもあるだろう。
ミコトが俺の愛をたっぷり食べて腹の段を増やしている間に、彼らも豊富なエサを食い、ヌクヌクと肥えていたのだ。
「これ、魚醤の材料にしたら絶対美味しいっスよ! ちょっと贅沢っスね!」
そういった意味では、彼女の腹がポッコリとするのは、安全が確保され、豊かな暮らしが保証されていることの証明でもあるのだ。
「もっと釣るっスよ!」と走っていく彼女の柔らかな背中を、俺は守りたいと思った。