第7話:緊急クエスト ~猛獣から村を防衛せよ~ 後編
「ウォーターショット!!」
「アイスショット!」
放たれた攻撃魔法が交差し、眼下の西血みどろヒグマに降りかかる。
冷水を浴びせられた熊は「フォォ……」と鼻を鳴らし、闇の向こうへ走り去っていった。
「あれ?」
「なんか逃げて行っちゃったっスけど……」
探知スキルからもその敵意が消え、辺りにも脳内にも静寂が訪れた。
「やったっス―――!! 皆さん! 私たち勝ったすよ―――!!」
ミコトが魔力の翼を翻し、村の方へ飛んでいく。
俺は念のため辺りをぐるりと見まわし、探知スキルをかけてみたが、やはり、何の反応もない。
闇の向こうで俺たちを狙っているというわけではなさそうだ。
俺もミコトに続き、村へと取って返す。
大騒ぎさせてしまって申し訳なかったが、何も無かったのならそれでいい。
明日にはあの熊も討伐されることだろう。
念のため、今夜は監視を続けるとしようか。
などと考えていた俺の耳に、けたたましい悲鳴が聞こえてきた。
「嫌ああああ!! 雄一さん! 雄一さん!!」
どうした!?
声の主が指さす方向に目をやると、俺達と村を挟んで真逆の方向から木柵に圧し掛かる熊の姿があった。
村の弓手達も思わぬ奇襲に戸惑い、あらぬ方向へ矢を飛ばしている。
力自慢の男たちが木槍を動かして必死で熊を突き、撃退を試みるが、熊はそれを身軽に躱し、猛烈なパワーで木柵を押している。
マズい!
可能な限りの速度で飛び、村へ急行する。
飛行スキルのレベル上げておけば良かった……!
ほぼ毎日使っているためか、俺よりもスキルレベルが上がっているミコトが一足先に舞い戻り、熊目がけて流水を吹き付けているのが見える。
熊は嫌がるような素振りを見せるが、やはり常温の水では追い払うには至らない。
俺も遅れてそれに合流し、氷塊を吹き付けてやる。
熊は再び声を上げ、闇に紛れて走り去っていく。
「木柵を修理するんだ! また来たら耐えられんぞ!」
ブアートさんが檄を飛ばし、先ほどまで木槍を構えていた男たちが慌てて木柵に組みついていく。
その間も俺たちは上空で辺りを見回し、熊の再襲撃を警戒する。
これは……恐ろしくキツイ一夜になるぞ……。
背中を汗がダラダラと流れる。
「雄一さん。コレ飲んでください。魔力切れ起こすっスよ」
ミコトがポーチからイエローポーションを取り出し、口を割って手渡してくれる。
気づけば俺の背に映えた魔力羽の先端がサラサラと消え始めていた。
「うわ! 気づかなかった! ってお前のも消えかけてんじゃん」
「あっ! 気づかなかったっス!」
俺もまた手持ちのイエローポーションを彼女に手渡す。
外気でこれでもかと冷やされた酸っぱいポーションが染み渡り、眠気も魔法疲れも吹き飛んでいく。
収支を考えるなら、この一本で完全に赤字である。
クエスト紹介料は安いのだ。
だが、背に腹は代えられない。
一旦物見やぐらの上に着地し、飛行スキルを解く。
常時飛びっぱなしではとてもじゃないが魔力がもたないだろう。
やぐらの上で背中合わせになり、俺たちは長期戦に備えた。
///////////////////////////
その後も熊の攻勢は全く止む気配がなく、ヒット&アウェイで幾度も木柵に損傷を与えてくる。
探知スキルには断続的に反応があるが、どれも弱々しく、場所も距離も把握しきれない。
そして強くなったと思った瞬間にはもう柵の寸前まで迫っているのだ。
あの巨体にしておそるべきスピードである。
俺たちの冷却攻撃、弓手達の刺激臭攻撃は熊に対して確実に効果を示し、何度も一時退却に持ち込んだが、ダメージは全く与えられておらず、撃退にも撃破にも至らない。
むしろ熊はこの村の全力がその程度だと認識しつつあり、多少の攻撃では怯まなくなってきた。
唯一ダメージを与え得る丸太を使った木槍は機動力が低すぎてまともに当てることさえできない。
せいぜい柵を壊そうとする熊の前面に展開し、攻撃を躊躇させるのが限界だ。
何度も圧し掛かられた木柵は既に至る所が壊れ始め、場所によってはもう1回耐えられるかどうかというレベルだ。
既に弓手達は集会所の周辺に集まり、最悪の事態に備えている。
柵の修理に当たっていた者たちは集会所の扉にありったけの材木を集め、バリケードを構築し始めた。
いよいよ村への侵入が避けられないという空気の中、ブアートさんがやぐらへ登ってきた。
「二人とも聞いてくれ。俺たちはこれから籠城戦に入る。君たちはテレポートで逃げるんだ」
「はぁ……はぁ……そういう訳にはいきませんよ……」
「そうっスよ! はぁ……はぁ…… 私達も戦うっス! まだイエローハーブもたっぷり残ってるっス!」
正直、その言葉を聞く覚悟はしていた。
明らかに俺たちがどうこう出来る相手ではないし、もう足止めする策もない。
ミコトもああ言ってはいるが、俺たちの魔力ももう限界だ。
8本あったポーションは既に尽き、バッカンに押し込んだハーブを直に齧って何とか凌いでいる状況である。
しかし、両手に余る量を食べきっても、一度の飛行、攻撃を行うのがやっとだ。
ついでに言うなら、残りのハーブを食い尽くしたとて、テレポート一回分には足りない。
カッコつけでも勇気でも何でもなく、俺達もこの村と一蓮托生なのだ。
「なあミコト……。お前が言ってた最後の手段ってどんな手順だったか」
「えっと……熊を目前まで引き付けて、槍で攻撃、熊が立ち上がったのを見計らって槍衾を立て、圧し掛かって来る体重を利用して熊を串刺しにする……っスよ。まさかやる気じゃないっスよね!?」
「オート防御持ちの俺なら出来ると思わないか」
「無茶っス!! 絶対に無理っス! 雄一さん死んじゃうっスよ!? そうなったら私達……離れ離れに……」
「だけどもう他に策がねぇよ…… あっ! 来るぞ!」
八方塞がりの中、とうとう熊の最後の攻撃が始まった。
脆くなっていた木柵がメキメキと音を立てて倒れ、かがり火が踏み消される。
熊の接近と共に闇が広がり、本能的な恐怖が掻き立てられる。
家畜の悲鳴が聞こえたかと思えば、家屋が崩れ落ちる轟音が響く。
木造の鶏舎や休憩所だけでなく、石造りの家屋や倉庫までも破壊され、熊の圧倒的破壊力をまじまじと見せつけられる。
「嘘だろ……」
ブアートさんが唖然としている。
石造りの建物が耐えられないとあれば、この集会所も安全ではないのだ。
弓手が必死で矢、火矢、肥やし矢を放つが、その全てがもはや全く効果を示さない。
それどころか、人の臭いに気付いたのか、熊はゆっくりと集会所に接近してきた。
窓からその様子を見ていたのか、子供たちの泣き叫ぶ声が木魂する。
最早一刻の猶予もない……!
「ミコトすまん! 無茶をさせてもらう!」
俺は思わずやぐらから飛び降りた。
「あっ! 雄一さん!!」という声が後ろから聞こえたが、もう議論してる暇はない。
残る魔力を振り絞り、ゆっくりと着地する。
足元に転がる丸太の槍に手をかけ、ゆっくりと引き起こしてみた。
クソ重いが、何とか動かせる……。
「おい!!」
大声で叫び、熊の注意をこちらへ向けさせる。
熊はこちらをチラリと見たが、すぐに集会所へ向き直り、歩き続ける。
かと思いきや凄まじい勢いで突進してきた!
ミコトが言ってたやつ……!
「アッ……アイスショット!」
間一髪、熊目がけて氷塊を放ち、怯ませる。
「グオオオオオオオ!!」
熊はその一撃に怒り、両足で立ち上がってこちらを威嚇してくる。
で……でけぇ……!!
見上げたその大きさは10mにも、20mにも見えた。
熊は爪を光らせ、こちらへ圧し掛かって来た!
思惑通り!
全力で木槍を引き上げ、熊の腹に鋭く尖った切っ先を突き立てる。
バキバキバキィ!!
熊の腹に当たった切っ先はその強固な皮膚にまるで歯が立たず、丸太の束は中ほどからへし折れた。
ヤバい!
そう思う隙も無く、鋭い爪の一撃が俺の横合いから飛んでくる。
「ぐあああ!!」
オート防御が発動するも、衝撃を止めきれず、シールド諸共俺は吹っ飛ばされてしまった。
「グルルルル……」
熊がじりじりと迫ってくる。
ひ……飛行スキルで離脱を……。
背中に魔力を集中し、空へ逃げようとする。
しかし、1mほど浮き上がったところで翼は消え、俺は地面に叩きつけられた。
魔力……切れ……!?
「グオオオオオオ!!」
見れば、熊は既に眼前に迫り、俺に止めを刺さんと立ち上がっていた。
これまでか……。
この世界に来て1年、あまりにも短い第2の人生だった……。
ミコト……ごめん……。
「雄一さん!! きゃああ!!」
走馬灯に意識を取られていた俺を一瞬の浮遊感と、強い衝撃が襲った。
体の上に何かが乗っている……。
そして、ヌルリとした生暖かい感触……。
これは……血……?
痛みに霞む視界が晴れてくると、そこには見覚えのある髪が俺の首元にかかっていた。
「ミコト!!」
ミコトが俺の上に横たわり、背中からダラダラと血を流している。
こいつ……俺を庇って……!
何とか彼女を救いたいが、俺には何も出来ることがない。
俺がガンクツマス釣りに行かなければ……。
あのポイントで釣りをしなければ……。
俺が村のことに首を突っ込まなければ……。
ミコトを誘わなければ……。
後悔と懺悔が脳裏を駆け巡る。
「私……絶対雄一さんの事忘れないっス……」
ミコトが俺の手を握ってきた。
ああ、このまま天界に行ったら俺達どうなるんだろう……。
今度生まれ変わったら記憶も何もかも失って、ミコトとは永遠の別れになるんだろうか……。
嫌だなぁ……。
本当に……嫌だなぁ……。
涙で霞む視界の向こう、熊が雄叫びを上げながら突っ込んでくるのが見えた。
ミコト……!
俺に出来ることは、ミコトの手を握り返すことだけだった。
「サンダーボール!」
突然、目が眩むほどの閃光が走った。
眩い光を放つ球体が雷鳴のような音を響かせ、熊に2発、3発と直撃する。
「オイ!大丈夫かフィッシャーキング!……フィッシャーカイザーだったか?」
俺達の窮地を救ったのは、先日出会ったガラの悪い金髪女冒険者だった。
「どっちでも……無いっすよ……!」
「ケッ……そうかい。こいつはアタシに任せて逃げな。ったく……弱っちい癖に無茶しやがって」
「ありがとうございます……」
ぐったりとしたミコトを背負い、集会所に向かう。
俺たちの様子を見守っていた村人たちが、縄梯子で窓から引き揚げてくれた。
籠城の支度を整えていたブアートさんが、回復アイテムを抱えて走ってくる。
「大丈夫かユウイチくん!」
「俺は大丈夫です……! それよりミコトを!」
「分かった! すまんミコトちゃん。服を脱がすぞ」
紙のように切り裂かれた皮鎧とウォームベストを脱がせ、水をかけた後、消毒薬を塗り込む。
ミコトは「うぅ……!」と小さな悲鳴を上げた。
深く削り取られた傷跡に回復軟膏を塗り込み、包帯を巻く。
そして残ったポーションを口移しで飲ませてやる。
ミコトは弱々しく、しかし確実にそれを飲み下していく。
白を通り越して青くなっていた彼女の肌が、徐々に血色を取り戻してきた。
呼吸も安定し、危険な山場は超えたようだ。
天使の生命力に感謝である。
「サンダーバインド!」
一方、窓の外ではあの恐ろしい獣を金髪女冒険者が完封していた。
稲妻の輪が熊の全身を拘束し、身動きを封じる。
熊は咆哮しながら暴れるが、電撃の拘束はビクともしない。
「サンダーランス!」
そして、雷の槍が熊の鎧のような皮膚を易々と貫き、心臓を射抜き、凶悪な西血みどろヒグマは断末魔を上げる間も無くあっさりと息絶えた。
「すげぇ……」
思わず声が漏れた。
あの人凄い冒険者だったんだ……。
「オイ! もういいぜ。こいつはこの村にくれてやる。バラシて復興の足しにしな!」
そう言い残し、彼女は立ち去ろうとする。
俺は窓から飛び降り、彼女の後を追った。
「ちょ……ちょっと待ってください!」
「あぁん!? 何か用か!?」
うおぉ……ガラ悪い……。
下手をすればあの熊より迫力あるかも……。
「あ……ありがとうございます!」
「おう。お前一つ警告しとくぞ。弱いくせに無茶してカッコつけた真似しようってんなら冒険者辞めな。命がいくつあっても足りねぇぞ」
「は……はいぃ……」
心に深々と突き刺さる言葉に、俺はもうタジタジだ。
特にミコトがあんな目に遭ったのは完全に俺の責任。
カッコつけようと思ったわけではないが、自分にも、彼女にも無茶を強いてこの有様なわけで、言い訳も反論も思い浮かばない。
縮こまる俺を見かねたのか、金髪女冒険者は「だがな」と言葉をつづけた。
「お前みてーなお人好しは見てて悪い気分にはならねぇ。冒険者を続けようってんなら、多少カッコ悪くてもゆっくり強くなりな。お前はレアな能力持ってるしセンスは悪くねぇ」
「ははっ! 有難きお言葉!」
「なんだよその口調は。ま、後は任せたわ。あとミーちゃんはお前の魚食って喜んでたぜ。ありがとよ」
そう言い残すと、彼女は村を去って行った。
めっちゃいい人じゃん……!
空は徐々に明るみ始めていた。