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おねぇちゃん

作者: 小池りん

「あっ!また、おねぇちゃん来た!」

 優里(ゆり)がバタバタと和室へと走る。本当にあの子には誰かが()()()()()のだろうか。

 時間は…―。昨日と一緒。15:00。

 どんなに目を凝らしても、やはり私には誰も見えなかった。


  ***


 優里というのは、私の娘で明後日の8月9日で6歳になる。

 そんな優里が突然、「おねぇちゃん」と言い始めたのは3日前の事だった。

 もちろん、優里は長女、一人娘で姉など年上の兄弟はいない。

誰なのよ…、「おねぇちゃん」って……。


  ***


 -3日前、2018年8月5日-


「はい!優里、おやつの時間だよ~。今日は、じゃじゃーん!ママの特製手作りゼリー!ふふっ、暑いけど冷たいゼリーなら美味しいよ。さ、一緒に食べよう」

 暑い夏の日の午後3時。手作りゼリーをお皿に盛り付け、優里と2人で食べようとしていた時のことだった。

 机を挟んで座り、手を合わせると、唐突に優里が和室をじっと見てこう言った。

「ママ…、だれ?あそこにいるおねぇちゃん」

「えっ?」

 指をさした方向を見ると誰もいなかった。

「誰も…いないよ?」

 そう答えると、優里はぶんぶんと首を横に振った。

「いるよ。こっち見てるの」

「何言ってるの?優里」

「こっち来てって言ってる。優里とね、お話がしたいんだって」

 私は死角で見えていないんだろうか。誰も家にはあげてないんだけど…。

 まさか、不審者…?ごくりと唾を飲み込み、席を立って優里の方へいく。窓を開けっ放しにしてたのが悪かったんだ。襲ってきたらどうしよう。どう逃げよう。そんなようなことを考え優里に寄り添って同じ方向を見た。

 ……しかし、そこには誰もいなかった。

「優里、おねぇちゃんとお話する!」

 ガタンと椅子から降りて、和室の方へいこうとする優里の腕をつかむ。この手を離してはいけない気がした。

「優里、ゼリーせっかく冷たいし、先に食べよう?ね?」

 お願い…。汗が頬を伝う。この汗は暑いからだ。きっと。

「えー…、でも、おねぇちゃん寂しそうだし…」

「寂しそう?」

「なんかね、ずっとおしゃべりしてなかったんだって」

「優里、そのおねぇちゃんって今どこにいるの?」

「向こうの畳のお部屋!あそこでおしゃべりしたいみたい。ねぇ、ママ。おねぇちゃんとおしゃべりしちゃダメ?」

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。分からない。どうすれば…

 私は掴んでいた手を誤って緩めてしまった。その隙を見て優里は和室へと走っていく。

 追いかけようとするも、怖くて動けなかった。

 優里には何が見えているの?…幽霊?子どもは見えるとも言うし。

 色々な可能性を考えていると、優里は和室で斜め上に顔を上げて「おねぇちゃん」と話しているようだった。

「優里は5歳!今度誕生日なの。……。え?誕生日?えっとね、8月の…きゅうにち!……。へー、ここのかって言うんだ。優里、知らなかった。ここのか!ここのか!おねぇちゃんは何歳?……。さんじゅうよん?よくわかんないけど、すごいね!えへへ」

 こんなような会話が15分程続いた。私は何をすればいいのか分からず、ただその様子を見ていることしか出来なかった。

 確かに、()()がいる。それは優里が証明している。確実に誰かと話している。あれが嘘とは到底思えなかった。

「え、おねぇちゃんもう帰っちゃうの?明日も来てくれる?約束だよ。ばいばい」

 優里は手を振って、「おねぇちゃん」と別れたようだった。

「おねぇちゃんとばいばいしたの?」

 私はやっと優里に声をかけることが出来た。

「うんっ!また明日も来るって!」

「そう…、良かったね」

 それしか言えなかった。


  ***


-2018年8月6日-


 次の日、おやつの時間。

「優里、今日かき氷にしようか」

「する!いちごのやつある?」

「あるよ、準備するね」

「うんっ!」

 よっぽど嬉しかったのか、かき氷♪︎かき氷♪︎とメロディをつけて踊り始めた。喜ぶ優里の顔を見て、私も嬉しくなる。

 かき氷機に氷を入れていると優里が声を上げた。

「おねぇちゃん!ほんとに来てくれた!」

 すぐさま和室にいき、斜め上を見上げる優里。

「優里ね、今からママと一緒にかき氷食べるの。おねぇちゃんも食べようよ。……。えぇー…、おなかいっぱいなの?も~。今度一緒に食べようね。分かりましたか?…お返事は?……。よし!優里、かき氷食べてくる!……。そうなの?うーん…どうしよう…」

 どうやら何かに悩んでいる。短い腕を組んで考えている優里に私は声をかけた。

「優里、どうしたの?」

「なんかね、優里がね、かき氷食べてくるって言ったら、おねぇちゃんは今じゃないとだめって言うの。優里ね、かき氷も食べたいし、おねぇちゃんとおしゃべりもしたいんだ」

「そっか~。じゃあ、おねぇちゃんとおしゃべりしてからかき氷食べるのはどう?」

 私の提案に目をキラキラと輝かせ、頭が取れてしまうんじゃないかというぐらいの速さで頭を縦に振った。

「分かった。ママ待ってるね」

 こうしてまた、昨日のように私は2人(なのかどうかは分からないけど)の様子を見ることにした。

 特に、優里に危害を与える訳でもない。本当に話すだけ。優里にだけ見えている「おねぇちゃん」とは一体、何者なんだろう。

 これまた昨日と同じように、15分話して、別れたようだった。

「んふふっ、楽しかった~。また明日も来てくれるって」

「優里は、おねぇちゃんのこと怖くないの?」

「なんで?全然怖くないよ」

「優しそうな人?」

「うん、おねぇちゃんね、ここにホクロあるんだ~」

 そう言って自分の顔の左目の目尻に指をさす。

「そうなんだ。さ、かき氷食べよっか」

「うん!いちごのやつ食べるー!」

 ……目尻にホクロ…?なんか引っかかるような…?ママ友にでもいたかな。

 心にモヤモヤを抱えたまま食べたかき氷はとても冷たく、なぜか少し悲しい気持ちになった。


  ***


 -2018年8月7日-


 ―そして、今日。

 また、優里は「おねぇちゃん」とおしゃべりをしていた。

 私から優里伝いに質問するのはどうだろうか。その手があったか!我ながら素晴らしい名案につい鼻が高くなる。いやいや、そんなことをしている場合じゃない。

 楽しそうに笑っている優里に質問する。

「優里?ちょっといい?」

「なぁに?」

「ママから少しおねぇちゃんに質問があるんだけどいい?」

「うん、いいよ」

「ありがとう。おねぇちゃんはいつ生まれたの?」

「……。うん、えっとね、せんきゅうひゃく…なんだっけ?……。うん、ろくじゅうろくねんの……」

 1966年…。

「9がつ…23にちだって」

「ありがとう」

「うん!」

 もう50年以上前の人ってことか…。

 ますます正体が分からない。

 結局、今日はここまでしか聞けず、おねぇちゃんとの会話は終わってしまった。


  ***


 -2018年8月8日-


 明日は優里の誕生日だ。プレゼントは既にある。愛情を込めて作った。きっと喜んでくれるだろう。

 また今日もこの時間が来た。私は昨日からおやつの時間を少しずらすことにした。

「ママ、今日もおねぇちゃん来てくれるよね?」

「そうね、来てくれるといいね」

「うん!でも、大丈夫。約束したから」

 くすくす笑う優里を見て、おねぇちゃんと会うのも悪くないかもなんて普通なら思わないことさえ思う。

 なんやかんや、優里が笑っていれば、いい気がしてきた。まだ、完全に「おねぇちゃん」を信じているわけではないけど。

「おねぇちゃん来た!おねぇ~ちゃぁ~ん!」

 和室に走っていく小さな背中を見つめながら、「おねぇちゃん」は何者なのかとぼんやり考えた。今日の質問はどうしよう…。おねぇちゃんに対してどこまで踏み込んだ質問をしていいのか分からなかったので、探り探り丁度いい距離感を探していくことにした。

 よし、決めた。今日はこれだ。

 別に、1日1問と決まっているわけでもない。私がそう決めた。あくまで、優里とおねぇちゃんとの会話がメインなので邪魔しては悪いと思ったからだ。

「ねぇ、優里」

 優里が首をかしげてこちらを見る。その可愛さといったらない。

「今日もひとつママから質問してもいい?」

「いいよ!」

「そこの畳のお部屋じゃないとダメなの?」

「……。うん、うん。」

 優里からの返答に耳をすませる。

「あのねあのね、ここのお部屋にしか来られないんだって。ね?」

 斜め上を見上げてニコニコ笑う。

 和室にしか来られない……?それは一体…?


  ***


 -2018年8月9日-


 今日はいよいよ待ちに待った優里の誕生日だ。優里自身も朝からいつになくテンションが高く、ニコニコとしていた。

 今日の予定としては、15分遅れのおやつを食べた後、ケーキ屋さんへバースデーケーキを取りに行き、家に戻って誕生日パーティーの準備をする。そして、うちの旦那が帰ってきたら、誕生日パーティーを始める。

 先に少し優里と2人で壁の装飾をしていると、時計が15:00を知らせてくれた。

「優里~、おねぇちゃんもうすぐ来るんじゃない?」

「ほんと!?今日、優里のお誕生日だから特別なの!」

「そうだね。早く来てくれるといいね」

「うん!優里、畳のお部屋で待ってる!」

 優里の足取りは軽やかで、まるで空でも飛べそうなくらいだった。

 少しして、優里の弾んだ声が部屋中に響き渡った。

「おねぇちゃん!……。ありがとう!優里お誕生日だって覚えてたの?……。えへへ、嬉しい!ねぇねぇ、今日は何話す?」

 私はいつも通り、リビングの椅子に座り様子を伺うことにする。

 本当にこの人は何をしにここにやって来てるんだろう。

「優里、今日もママからひとつおねぇちゃんに質問いい?」

「うんっ!あ、ねぇ、ママ。ママもこっち来ておしゃべりしようよ」

「え?」

「おねぇちゃんもそう思うでしょ?ね?ほら、おねぇちゃんもそう言ってる」

「…じゃ、じゃあ」

 特に断る理由も無かったので椅子から立ち上がり、和室へと足を進める。

 少し心拍が上がる。自分の家なのに未知の世界に足を踏み入れる様な、そんな感じがした。

「今日の質問は…」

 自分のドキドキに鎧をする様に、いつも通りを意識する。

「おねぇちゃんはなんで他の家じゃなくてうちなの?」

 見えないけど、この辺かなと予想する所に顔を向けた。どうしよう、全然違う方向とか向いてたら。

 ……そういえば、私、今、目の前に幽霊がいるのか。でも…怖くない。なんでだろう。この「おねぇちゃん」なら、大丈夫な気がする。なんて言うか、安心する…。毎日来るから感覚が麻痺してるんだ。そうだ。そういうことだ。

「ママ?ねぇ!」

 服をぐいぐいと引っ張られる。はっと我に返った。

「ごめんね、優里もう1回教えてくれる?」

「も~、あのね、優里の家がいいんだって。他のお家は嫌だって」

「そう…ありがとう」

「もっとおしゃべりする?」

「ううん、優里もおしゃべりしたいでしょ?だからいいよ」

「でもね、おねぇちゃん、ママともおしゃべりしたいって」

「…え?ママと?」

 私と話すことなんてあるのだろうか。

「うん、そうだよね?…ほら、そう言ってる」

 優里はおねぇちゃんに確認して再度私に教えてくれた。

「でも、ママはおねぇちゃんのこと見えないし、何言ってるのかも分からないの。それに、優里はいっぱいおねぇちゃんとおしゃべりしたいでしょ?ね?」

「うーん…そうだけど……」

「優里、ありがとね。じゃあ、明日、みんなでおしゃべりしようか。今日ママは優里の誕生日パーティーの準備をしなくちゃいけないから」

「分かった。約束ね?」

「うん、約束」

 そう言って、小指を絡めて、嘘をついたら針を千本飲むことを誓った。


  ***


 -2018年8月10日-


 昨夜は、優里の誕生日パーティーも無事成功し、誕生日プレゼントも大いに喜んでくれた。頑張ったかいがあった。本当に良かった。

 さて、今日は昨日優里と約束した通り、初めて3人でおしゃべりをする。私にも、「おねぇちゃん」が見えれば良かったんだろうけど、まぁ、こればっかりはどうすることも出来ない。

 そろそろ15:00になる。

「ママ!おねぇちゃん来るから、一緒に畳のお部屋行こ!」

「そうだね」

 小さな手は私の手をしっかりと掴んで和室へと向かった。

「今日はみんなでおしゃべりできるね!優里楽しみ!」

 昨日並みにウキウキしている優里を見て目を細める。

「…そうだね」

 私がそう言うのとほぼ同時に優里の声が高らかに響く。

「おねぇちゃん!今日はね、ママと一緒に待ってたの!」

 今日は質問し放題だ、なんて考えていると優里は早速おねぇちゃんと話し始めた。

「このお洋服ね、昨日ね、ママがプレゼントしてくれたの!ママが作ってくれたんだよ!」

 そう、昨日私は優里に手作りの洋服をプレゼントした。

 実は、私も小さい頃、お母さんに手作りの洋服をプレゼントされたことがあった。もらった時、私は泣いてしまった。今思えば、感動と驚きと嬉しさからだと思う。

 そんなお母さんの影響で裁縫が好きな私は、優里にも喜んでもらおうと手作りの洋服をプレゼントしたのだ。

 優里は泣きはしなかったけど、私に何度もありがとうと言ってくれた。泣いて喜んでもいいのにと思ったけど、私も嬉しかったので、まぁ、それはそれで良しとする!

 おねぇちゃんから服を褒められたのか、優里はニヤニヤしていた。

 あ、そうだ。おねぇちゃんに質問しなくちゃ、今日こそ「おねぇちゃん」の正体を暴かなければ!

 そう思った矢先、優里が聞き捨てならない言葉を発した。

「え?おねぇちゃんも洋服プレゼントしたことあるの?」

 心臓がドクンと脈打つ。ちょ、ちょっと待って。今…なんて?

 そんな私の動揺も知らずに優里はおねぇちゃんと話を続ける。

「誰にあげたの?……。おねぇちゃんの子ども?」

 大きく早くなった鼓動の中、私は懸命に今までの「おねぇちゃん」の情報を整理させる。


 左目の目尻のホクロ……?

 1966年8月23日生まれ……?

 和室じゃないとダメ……?

 他の家じゃなくて私たちの家がいい……?

 自分の子どもに洋服のプレゼント……?

 そして、今日は8月10日……?

 いや、まさか…、そんなはず……!

 だって、だって、和室(ここ)には……!

 震える声で言った。

「ゆ、優里、おねぇちゃんの名前って何かな…?」

「……。うん、あのね、''ゆうこ''だって」


 その時、全てが繋がった。

 涙が溢れた。

 色んな気持ちが一気に押し寄せた。

 なんで、黙ってたの?

 私が気づかなかったから?

 ()()()()出てきたんでしょ?

 ずっと会いたかった。

 もう、私を…1人に……しないで……っ!

 どこにも……行かないで………


 私のお父さんは私が小さい頃、仕事中に不慮の事故にあい、他界してしまった。

 その後、お母さんは私を女手一つで育ててくれた。本当に尊敬している。

 そんな私のお母さんは裁縫が得意だった。私の6歳の誕生日に私に手作りの洋服をプレゼントしてくれた。


 ―そして、忘れもしない。あの暑い夏の日。

 当時14歳だった私は、お母さんに少し酷い態度をとっていた。いわゆる、反抗期だ。

「おやつを買いに一緒に出かけよう」

 そう言って、私を誘ってくれた。あの時、私も一緒に出かけたら、何か変わっていただろうか。

 その言葉を最期に、私はお母さんと一生会えなくなってしまった。

 家にかかってきた電話にでた時、さっきまで暑苦しいほど聞こえていた蝉の声は一瞬にして静まった。

 いや、正しくは、私の耳に何も入ってこなかった。

 1981年8月10日。お母さんが死んだ。



「ママ?どうして泣いてるの?」

 優里が心配そうに見つめる。

「ごめん…、ごめんね……」

 突然、優里がムズムズしだした。

「優里、おしっこいく!」

 優里がトイレへ走っていくのを見たあと、私は口を開いた。

「ねぇ、私は見えも聞こえもしないけど、そっちは私のこと見えてるし、声も聞こえるんだよね?」

 深呼吸をひとつ。

「だったら、言わせてもらうけど、なんで、もっと早くお母さんだって言ってくれなかったの!?

私が…!…私が今までどれだけ苦しんでたか分かる!?

私は、あの日のことをずっと、ずーっと後悔してるの!私がお母さんと一緒に出かけてたら、お母さんは、お母…さんは……っ!

死ななかったかもしれない!!」

 気づいたら、私は大きな声で、怒っていた。

 私に沈黙が訪れる。向こうが話してるかどうかなんて私は知らない。もう一度深呼吸をして落ち着かせる。

「……ごめんなさい。私が早く気づいてあげれば良かった。今日は命日だね。和室(ここ)には、お母さんの仏壇があるし、お母さんのチャームポイントの左目の目尻のホクロで気づけよって感じだよね。あぁ、あと誕生日も。

……本当、ダメだね、私。娘失格かな。いいよ、答えなくて。自分が一番分かってるから。あ、答えても私には聞こえないか……」

 俯いて、力なく笑っていると、優里がトイレから戻ってきた。

「おねぇちゃん?どうしたの?おねぇちゃんも泣いてるの?」

 ……え?泣いてる?……なんでよ。

「2人とも優里がよしよししてあげる」

 優里が座っている私に近づき、両手を2人の頭に乗せた時、突然、誰かがすすり泣く声が聞こえた。

 誰?そう思い顔を上げると、そこには一人の女性がいた。

「お母さん…?」

 勝手に口が動いた。

 目の前の女性は弾かれたように顔を上げる。

 その女性の左目の目尻にはホクロがあった。

 視界が歪んだ。まだ、その人をちゃんと見ていたくて(まばた)きを沢山して涙を端に追いやった。しかし、追いやることは出来ず、私の頬を濡らした。

 その人も、目尻のホクロは、もうびしょびしょだった。

「見えるの……?」

 懐かしいその声はとても震えていた。

 私は首を縦に振った。

「見える……。優里、3人で手を繋ごう」

「うんっ!」

 優里の小さな手と前より小さくなった気がするお母さんの手。ぬくもりは優里からしかなかったけれど、お母さんは確かに、ここに、……隣にいる。

「優里ちゃん、おねぇちゃんね、しばらくここに来られないんだ」

「えっ?なんで?」

「おねぇちゃん、他にやることが出来ちゃったの」

「また来てくれる?」

「うん。また来るよ」

「約束だよ?」

「うん…、約束」

 昨日、私と優里がしたように、2人は小指を絡めた。

「優里ちゃんっていい名前ね」

「ママがつけてくれたんだよ!ね!」

「うん、ママの大好きな人の名前に「優」って入ってたからそうしたの」

 そう言うと、お母さんはまた目に涙をためた。

「本当…いい名前」

 お母さんは下唇を噛んで俯いてしまった。

「また泣いてるの?」

 優里が心配して顔を覗き込んだ。

「うん……、優里ちゃんと優里ちゃんのママに、ばいばいしたくないなって思ったの」

「でも、また会えるんでしょ?約束したもん」

「そうだよね…また……会えるね………」

「優里、ずっと待ってるからね」

 優里がニコリと笑いかける。

「…!……うん、優里ちゃん、ありがとう。優里ちゃんのママもありがとね。最初びっくりさせてごめんね。もっと話したかったよね、ごめんなさい。

それと……、あの日のことはあなたのせいじゃない。自分を責めないで。あなたは何も悪くない」

 また鼻の奥がツンとした。この感覚はあまり好きじゃない。

「本当にあなたには迷惑ばかりかけちゃったね、ごめん。何回謝ってもダメだって分かってる。けど、今の私にはこれしか出来ないの。ごめんね。…あとは、……あとは…………!……あっ、」

 突然、お母さんが見えづらくなる。

「もう、時間みたい。……ありがとね、優里ちゃん。優里ちゃんのママ」

「絶対また来てね」

 優里が最上級の笑顔を浮かべて言った。

「うん」

「約束だからね?」

「うん」

「優里、毎日、ここにいるからね?」

「…うん」

 お母さんがどんどん消えていく。

 また私の前からいなくなるの?

 二度目の最期は後悔しないように、私は消えゆく彼女にこう伝えた。

「優子おねぇちゃん!ずっと、ずーっと大好きだよ!……ありがとう!」

 それを聞いた彼女は、涙を流して、うんうんと頷いた。

 そして、まるで初めから何も無かったかのように、跡形も無く消えていった。


 優里が私の手をキュッと握った。

「また、会えるよね?」

「…うん、会えるよ、きっと」

「きっと?」

「……。さ、優里、おやつにしよう」

「うん!今日はなに?」

「今日は一緒におやつを買いに行かない?」

「行くー!!」

 優里の元気な声が部屋中に響き渡った。

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