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ねこじゃらしの君

ねこじゃらしの君 Ver.2

作者: 姫山 朔

暇つぶしに、どうぞ!

 ある日、会社の帰り道にねこじゃらしを拾った。


 会社を出てしばらく歩いた所に、何の前触れもなく落ちていた。

 先っぽが大きくてふわふわとした、実に触り心地のいいねこじゃらしだった。


「月夜の晩に、ねこじゃらし。これはもう、飲むしかない」


 私は上機嫌になって、そのねこじゃらしを拾うと、月に掲げて見せた。

 後二日くらいで満月だろうか。

 夜空にゆったりと輝く月に、私はさらに満足した。


 コンビニでビールを買いこんで帰り道を急ぐ。

 その時も片手にはずっとねこじゃらしを持ったままだったので、店員には変な顔をされた。

 すれ違う子どもには、あまりのふわふわ具合を羨ましがられて、ほしいと泣かれた。


 それでも私はねこじゃらしを手放すことはなかった。


 これは大事なつまみになる予定なのだ。

 大人げないようだが、何度でも言おう。

 これは、私の大事なつまみになる予定なのだ。



 ねこじゃらしを子どもから死守して、うちへと帰る。


 玄関で窮屈なヒールを脱ぎ捨て、適当に干していた空き缶に水を溜めてねこじゃらしをつっこむと、居間のテーブルの上へ置いた。

 隣にコンビニの袋を置くと、スーツを脱いで壁にかける。

 いつものごとくスウェットに着替えると、干しておいたブラウスにアイロンをかける。着ていたブラウスとストッキングは、明日洗いやすいようにネットに入れて、時間予約を設定した。

 お手軽な化粧落としシートで化粧を落とし顔を洗うと、適当に化粧水をつけて終了。


 ご褒美タイムへの突入に、ひそかに心が躍る。


 電気を消してカーテンを全開にすると、ぼんやりと月明かりが部屋を照らす。

 テーブルの上にいそいそと買い込んだビールとつまみを並べると、プシュッと良い音を立てて、缶を開ける。

 一口飲んで、窓の外の月を見上げた。


「我慢できなくて飲んでしまったが、今日の私、お疲れ。月見の夜に乾杯」


 独り言を呟いて、なんとなく哀愁を感じる。

 いや、哀愁を感じているふりをする。


 月とねこじゃらしに、哀愁は不可欠だ。


 そうして、おいしくビールをいただき、その日はねこじゃらしを見ながら眠りについた。




 翌朝、いつものように出勤する。


 仕事は退屈だ、などど言っていられないくらいに忙しい。

 だが、それでよい。

 この仕事は天職だ、と勝手に思っている。


 小さな電球切れを見つけた時や、足りない備品を見つけ発注する鋭い目、そしてPCのセッティングやコピー機の故障修理まで、本当にイキイキと仕事してるよね、とは同僚の談だ。


 細かいことをやり遂げて、社員の皆が詮無く仕事している様を見るのが快感だ。


 だが、今日は帰れば、あのふわふわとしたねこじゃらしが待っている。

 しかも明日から土日で会社が休み。飲みたい放題だ。


 そう思えば、いつも楽しい仕事が更に捗った。


「では、お先」


 数人残る部屋を後にし、退社する。

 時刻は夜七時過ぎ。

 今日ももちろん、コンビニに寄っていくつもりだった。

 気分は日本酒なので、近くの酒屋で日本酒も仕入れるか、と思案する。


 歩いていると、昨日、ねこじゃらしを拾った辺りに差し掛かった。

 なんだか人の数が多い。

 遠巻きに、何かを見てひそひそしている。

 人の中心に、ただただ立ち尽くしている明るい茶髪の男がいた。


 見た目は長身で、すらりとしており、どこかモデル風だ。顔立ちもはっきりして、日本人離れしている。

 遠目に見ても、美人だ。

 美人、は男には失礼かもしれないが。


 今現在、私は男に興味がない。


 だから、変な人もいるのだな、と思いながら、その集団を避けて帰った。




 日本酒を仕入れて、つまみも買って、家に帰った。

 酒とつまみを昨日のようにセッティングする。

 今日もいい酒が飲めそうだ。


 そんな時だった。


 ピンポーン、と間抜けな音を立ててチャイムが鳴る。


 こんな時間に、そしてご褒美タイムの前に、なんて無粋なやつなんだ、と若干憤りを覚える。

 だが、チャイムは何度もなっている。いっそこの時間を狙った嫌がらせかと思った。


 ドアの覗き穴から覗くと、なんだか見たことある人が立っていた。

 誰だったか、と思うが、なり続けるチャイムの音が邪魔をして、思考がまとまらない。


 とりあえず、チェーンをかけたまま開けることにした。


「どちら様で」


 ガチャリと開けた隙間から覗くと、男は驚いたようだった。

 やっと収まったチャイム音で、少し記憶が戻ってくる。

 明るい茶髪に高身長の美人。

 会社から出てしばらくしたところで突っ立っていた人だ。


「ふわふわねこじゃらし様を持っていませんか」


 言われた言葉が理解できない。ふわふわ……なんだ。


「ちょっと、言ってる意味が分からないので失礼します」


 ガチャン、と音を立ててドアを閉めた。

 鍵も閉めて、男の言っていることを反芻する。


 ふわふわねこ、じゃらし、持っていませんか。


 あのイケメンから、ふわふわねこじゃらしとかちょっと意味がわからない。


 いや待て、ねこじゃらしと言わなかったか。

 ねこじゃらしなら、確かに私は昨日拾った。

 だけど、あの男に何の関係があるのか。


 再びチャイムが鳴り始める。


 ねこじゃらしに執着してチャイム連打なんて、やばすぎる。

 これは間違いない。変質者だ。

 慌ててスマホでお巡りさんを召喚した。




 お巡りさんが降臨して、美人もとい変質者に質問したところによると。


 曰く、私が拾ったねこじゃらしは、元々我が家の家宝のねこじゃらしである。

 曰く、落としたものを返してもらいにきただけ。

 曰く、代わりのねこじゃらしを献上するので返してくださいお願いです。


 とのことだった。

 お巡りさんの必要書類を書きながら、一部始終をドアの覗き穴から見ていると、ねこじゃらしに家宝って、君ねえ……とお巡りさんは苦い顔をしていた。


 だが、あのねこじゃらしを返してほしい、と言った後の彼の顔は哀愁が漂っている。


 返してあげないと、かわいそうな気がしてきた。


 ガチャリ、とドアを開けて、お巡りさんに説明する。


「すまない、お巡りさん。確かに昨日、ねこじゃらしを拾ったんだ。まさか落とし物とは思わなくて。警察に届け出ずにねこばばしました。逮捕してください」


 え、とお巡りさんは驚いていたが、いやいや、ねこじゃらしは普通持ち物じゃないから届け出はいらないよ、と優しく笑ってくれた。


 私は部屋からふわふわのねこじゃらしを持ってくる。


 変質者もとい美人が、「ふわふわねこじゃらし様……!」と感激する声が聞こえたが、無視してお巡りさんにそれを渡す。ついでに書き終わった書類も渡した。


「これが、昨日拾ったねこじゃらしです。後はよろしくお願いします」


 ああ、確かにふわふわ、いいよいいよー、後は任せてーとお巡りさんが言ってくれたので、そのままドアを閉じた。

 美人とお巡りさんの声が遠くなっていくのを確認して、ドアにしっかりと鍵をかける。


 部屋に戻ると、テーブルの上の日本酒とつまみが、なんだか所在なさげに見えた。


「ねこじゃらしがないだけで、こんなに寂しいとは……」


 その日は結局、酒は止めて、早々に寝ることにした。




 土日休みの土曜日。

 なんだか気分が重い。

 ちょうど、今日が満月だったのに、ねこじゃらしがないせいか。


 私は遠くの水族館にでも出かけることにした。

 水族館の魚やら、飛ぶペンギンやらをぼんやり眺める。空が暗くなったころ家路へ着いた。

 今日は、月見をしながら飲もうと決めて、白玉粉を買って帰る。

 家に帰ってさっくり作れば、団子パーティだ。


 家に近づくと、ドアの前に人が立っているのに気づいた。

 昨日の美人変質者だった。


「何か」


 声をかけると、びくりと肩を震わせた。


「すみません、昨日のお詫びに伺ったのです」


 そして、これを、と両手を差し出す。

 そこには丁寧に持たれた、ねこじゃらしがあった。


「あ、ふわふわねこじゃらし様」


 思わず昨日、目の前の男が連発していたねこじゃらし名を呟く。


「いえ、見た目はそっくりなのですが、これはふさふさねこじゃらしでして、昨日お返しいただいた家宝のふわふわねこじゃらし様とは違うのです。良ければこちら、お納めください」


 すすっと近づいてきたねこじゃらしを、とりあえずぐわし、と掴む。

 ああっ、と男が声を上げたが、そんなもの気にしない。


「良いねこじゃらしだ。つまみにもってこいだな」


 確かに昨日のねこじゃらしより、ふわふわ度は劣るが、このねこじゃらしはこしのあるふさふさだった。毛先の弾力はこちらの方がよく、私はこちらの方が好みだ。


「気分がいい。謝罪に来たというなら、一緒に月見の酒盛りに付き合え」


 くるくるとねこじゃらしを振り回しながら、私は意気揚々と玄関を開けたのだった。




 男は始めは恐縮そうにしていたが、少しして慣れると、私が団子を作る様子を興味深そうに眺めたり、缶に活けられたふさふさねこじゃらしの角度を調整したりと、忙しそうにしていた。


 名前を聞くと、チャ()トラだという。漢字はないらしい。

 実は外国のお方だったのか、と納得する。

 髪の色も、明るい場所で見ると、明るい茶色に所々少し濃い茶色が混じっている。

 目も黄色みがかった緑だ。日本語ペラペラだが、これは間違いなく外国のお方だ。


 日本の常識を知らないなら、今までの奇行は大目に見よう。


「できたぞ、月見団子だ」


 こんもりと皿に載せた団子をテーブルの上に置く。


 月見団子とねこじゃらしと日本酒。今日のつまみは昨日買ってきておいた塩辛とクリームチーズだ。

 私はこのつまみセットが大好きだ。無限に飲める。

 どこからか、ねこじゃらしではなくススキじゃ……という声が今更になって聞こえそうだが、聞こえない聞こえない、私にはなんにも聞こえない。


 部屋の電気を消すと、満月で部屋が明るくなる。二人でいただきますをして、飲み始めた。


「すばらしいですね、ふさふさねこじゃらしが、とても映えています」


 チャトラはうっとりとしながら、ねこじゃらしと月を見ている。

 そうだろう、そうだろうと私は気分が良くなって、酒が進んだ。

 チャトラは日本酒の匂いを嗅いだ後に、ぼんやりと盛られた月見団子を眺めている。


「団子もうまいぞ、食べるがいい」


 大仰に団子を差し出すと、チャトラは嬉しそうに一口食べる。


「このような弾力のあるものは初めて食べました。いつもカリカリとした歯ごたえのあるものか、ちゅるちゅるしたゼリー状のものなので」


「そうか、気に入ったならもっと食べるがいい」


 私はチャトラにずいずいと皿を勧める。

 一方で私は、塩辛―日本酒―クリームチーズ―日本酒、のエンドレスループへと突入していた。

 チャトラもひとしきり団子を食べると、クリームチーズに興味を持ち始める。


「これは、なんですか?」

「これはクリームチーズだ。口に入れると、モッタリとした食感にほのかな甘み、けれどさわやかな後味を残してくれる。塩辛と交互に食べると日本酒の良いつまみだ」

「では、いただきます」


 チャトラがぱくり、とクリームチーズを食べる。そしてほにゃりと顔を崩すと、塩辛へと手を伸ばした。


「甘い、辛いがエンドレスですね」

「酒が飲めるなら、間に入れると止まらなくなるぞ」


 チャトラが恐る恐るお猪口に口を付ける。

 酒精の強さに驚いたように肩を震わすが、クリームチーズと塩辛を交互に挟み、飲み始める。


「これは、おいしいですねえ。お酒は初めて飲みました。はじめはピリピリしますけど、慣れるとお米の香りがしてきておいしいです」

「そうだろう、そうだろう」


 私はさらに機嫌がよくなった。

 二人してどんどんと飲み進め、四合瓶が空になるころには、私もチャトラもごろり、と床に転がっていた。


「ふああ、酔っぱらうって、気分がいいですねえ。にゃは、にゃははははは」

「ふははははは。四合瓶半分を飲んで気分がいいとは、おぬし、やるなあ」


 にゃははははは、ふははははは、とひたすら笑いあい、月とねこじゃらしを眺めながら、私は気分よく意識を手放した。




 次の日目が覚める。月見のためカーテンが開けっ放しだった窓からは、明るい日差しが入っていた。

 起き上がると、頭の芯がぼんやりとする。

 飲みすぎたか……と思いながらも、体から落ちたブランケットに気づいた。


 テーブルの上は、昨日のまま。食べきれなかった団子が少し乾いている。

 少し頭を垂れたふさふさのねこじゃらし。

 そして、グラスが二つと空いた四合瓶。


「夢じゃ、なかったんだな」


 部屋にはもう、チャトラはいない。

 うっかり他人を家に上げたあげく、無防備にも爆睡。

 一応財布類を確認するが、無事であった。


 ぼんやりとする頭で、楽しかったな、と思い、再びごろりと横になる。


「もうひと眠りするか……」


 たぶん、ちょっと二日酔いだ。だから眠ってもいい。

 どこかで感じる寂しさを紛らわすように、微睡みに身をゆだねた。




 月曜日、いつものように出勤する。


 いつも通り仕事をして、いつも通り、食堂で同僚と昼食をとっていた。

 どうした、今日はキレがないね、と同僚に心配される。

 そんなはずはないのだが……と答えながら、思い当たる節があった。


「一昨日飲みすぎたのが、まだ残っているか……」

「いや、残りすぎでしょ」


 突っ込まれてしまった。


 とりあえず、昨日あまり水を飲まなかったから悪いんだ、と水をぐびぐび飲むと、幾分かすっきりした気がする。


「なに、恋でもしたのお?」


 同僚がにやにやしながら身を乗り出してくる。


 恋。

 思ってもみない言葉だった。どきり、とは……しないな。

 そういうものではない気がする。


「違うな。……しいて言うなら、飼っていたペットがいなくなったような感じだ」

「え、あんたんち、ペット買えたっけ」

「うちはまごうことなき、ペット不可アパートだ」

「いや、どや顔すんなって」


 そうして、昼は過ぎていく。


 その後は頭もだいぶすっきりして、いつも通り仕事を進めた。

 同僚も、元に戻ったわね、と呆れた顔で笑っている。

 水分補給は大事だな、と言うと、いやいや私のおかげでしょ、と頭を小突かれた。


 とりあえず、何も言わずにスルーする。


 ちょっと何か言いなさいよ! と肩を揺さぶられた。

 無言の照れ隠しだと言うと、また頭を小突かれる。


 解せぬ。




 帰り道は、これまた同僚と一緒になった。


「今日は早く終わって良かったわね。月曜ってなんだかんだ大変だから」

「そうだな」

「月曜だけどさ、ノンアルでご飯いこうよ」


 同僚が誘ってくる。たまには誘いに乗ろうかと思った私の目の前を、茶色い物体が通り過ぎた。ちょうど灯りの下を歩いていく。


「あ、ねこ」


 同僚がカワイイと声を上げる。

 ねこは声に反応したのかちらりとこちらを見上げて、にゃあ、と鳴いて去っていった。

 キャーカワイイー!と叫ぶ同僚から、一歩距離を取る。

 がしり、と腕を掴まれた。こわい。


「ちょっと、そこ引かないで! 私、茶トラのねこ好きなのよね。昔実家の近くで買われててさ」

「チャトラ?」

「茶トラ。チャクラみたいに言わないで、なんか笑えるから。明るい茶色に、すこし濃い茶色で縞があるのよ。だから、茶トラ」

「そうか……」


 ふと、ほんの数日前に会った男の髪が、似たような色だったのを思い出した。


「……だから、チャトラか」


 思わず口元に笑みが浮かぶ。


「え、なに?」

「いや、なんでもない。今日はすまない。家に帰らねばならない用事がある」


 私の頭の中では、ふさふさねこじゃらしが家でうなだれている様子が思い出される。

 それを大事そうに持ってきた、明るい茶色の髪の男のことも。

 せっかくなのだ。頂いたふさふさねこじゃらし、大事にしてやらないとな。


「そっか、残念」

「今週の金曜はどうだ。うちで酒盛りでも」

「あ、いいわね。じゃあ、それで」


 同僚とまた明日、と別れて家路につく。

 部屋の前でドアを開けようとした時、どこかでにゃあ、と鳴く声が聞こえた。


 周りを見渡すが、何かがいる様子はない。

 これが夏なら心霊現象()くやだが、不思議と私の心は温かいものに包まれた。

 ふふっと思わず笑いがこぼれる。


「来たかったら、また来たらいいさ」


 そうして、部屋に入り、ガチャン、とドアを閉める。

 遠くでもう一度、鳴き声が聞こえた気がした。





お読みいただき、ありがとうございました!


ねこじゃらしの君: https://ncode.syosetu.com/n1432eu/

は若干の恋愛(?)要素ありです。

お暇なときに、読んでいただければ幸いです。

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