5話
「す、すみません。」
私は逃げるように講義室をあとにした。そのまま建物の外に出て、目立たないところまで行く。
(ごめん、やっぱ・・・無理。)
大学1年の前期、何の授業を履修するか前の席の子に尋ねられただけだった。
猛勉強して入った大学(第2志望だったけど十分難関だった)、友達がほしいなんて望み、とうに捨てていた。
学者に、研究者になりたい。文学をやりたい。
私の夢はただそれだけだった。
大学ではある程度の社交性も必要だとわかってる。
だけどこれまでずっといじめられてきたことで、心の奥底で、人をこわいと思ってしまうのだ。
(あっ。)
慌てていたせいで足元を見ていなかった。まだ硬い水仙の蕾を踏みそうになっていた。
(ごめんね、危なかった。)
私はかがんで蕾をそっと撫でた。
その時、
「優しいんだね」
後ろから声をかけてきたのが、さっき講義室でも話しかけてきた静だった。
特にきれいというわけでもスタイルがいいわけでもない。
一重まぶたの切れ長の目には冷たそうな第一印象がある。
なんでわざわざ追いかけてきたの。
何か文句とか言いに来たの?
こころの中でそう思って身構える。
「あ・・・う、うん。」
「私、蕗山静。あなたと同じ文学部だよ。よろしくね。」
曖昧に答える私に微笑んだ静は、印象と真反対の温かさで私を包んだ。
私は、静が私を気遣って追いかけてきてくれたと確信した。
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「ここだよ。」
九郎、いえ、九郎さんの案内で、私たちは静の家の庭に立っていた。
九郎さんは江戸時代の真ん中くらい生まれで、ゼーレさんは天狗と言ってるけど本当はなんだかよくわからないんだって。
なんでも性質は西洋のヴァンパイアに近いけど、血は必要ない。
クマムシみたいに滅多なことで死なず、実際、一族で亡くなったのはまだ1人だけ。
何かに化けるといったかんたんな魔法、というか妖術は使えるんだって。
長命つながりでエルフというには地味だしね、とは九郎さんの言葉だ。
確かに、かなり地味な容姿ですね。いや、言わなかったけど。
今は九郎さんの妖術のおかげで静からはこちらは見えないようになっている、らしい。
庭から覗き見た静は、小さいけれど静、だった。
『はい、ハンカチ。あんたちゃんと自分の持ち歩いたほうがいいよ。』
ゼーレさんがハンカチを寄越す。
そう。
私の顔は涙と鼻水でぐっちゃぐちゃだった。
「し、しずがぁぁあ。」
この16年、会いたくて謝りたくて話したくてたまらなかった相手が目の前にいる。
静、静、しずがぁぁああ。
『うるさいよ、あんた、声に出てるから。』
だってゼーレさん、ゼーレさぁぁああん。
『はいはいわかった。九郎、ありがとう。確認できてよかった。』
「このくらいはなんてことないよ。」
『悪いね、まあ、この子たちが出会うのはまだまだ先。今はこれで十分。ところで。』
にやにやしたゼーレさんが、九郎さんに舐め回すような視線を送る。
『仕事、ないかい?』
「ははは、やはりそうきたか。ちょうどいいのがある。手伝ってくれるかい?」
『もちろんさ。この特例を逃してなるものか。久しぶりに世界に干渉できるってんで、ウズウズしてんだ。』
仕事?
『かんたんな仕事だよ。』
かんたん?
『鬼退治さ。』
鬼?
『あんたも見ておくといい。童話に出てくるような赤鬼さんや青鬼さんとは大違いの悪魔みたいな奴らでね。世直しとでも思っておくれ。』
ゼーレさん、どっちが悪魔ですかってお顔おやめください。
そして過度なこども扱いもダメです。
「心配ないよ、鬼と言ってるけど実際は犯罪者でね。」
ぐずぐずと鼻水をすする私に九郎さんが補足してくれた。
「僕ら一族、死なないだろ?だから悪い奴らを取り締まってるんだ。」
「え、なんで?」
いやいやいや、この時代だって警察いたから。世直しとかやめて。時代劇じゃないんだから。
「警察に任せればいいと思っているんでしょう。確かにそうなんだけどね、被害者や犯罪者が人とは限らなくてね。そういうときは僕らの出番というわけ。」
「それってもしや・・・鬼○郎?!」
思わず突っ込んだら、まあ、そんなもんかな、しかしせめてぬ〜○〜くらいは言ってほしいな、だって。
『で?相手は?』
ゼーレさんは待ちきれないようで九郎さんを急かす。
「えっと、折口晃子32歳。」
えっ。
その名前知ってる。
「そうだね、華子さんの隣のクラスの先生だね。」
「あきこ先生何したの?」
「ん?大したことじゃないよ。そこの祠から木像を盗んだんだ。盗むときに祠を壊して、中で寝ていた土地神にけがをさせている。少しだけおしおきしないとね。」
まじか、あきこ先生何やってんだよー。
まあどうでもいいけど。だってあきこ先生は・・・。
「有名な作家の手によるものなんだ。今まで誰も気づかなかったのに彼女が気づいて、我慢できなかったんだろう。」
『なんだい、その程度かい。』
ゼーレさんが鼻を鳴らす。
「ほかにも」九郎さんがちらっと私を見る「余罪もいっぱいあるからね。手始めに軽めのから、ってことでどうだい?タマさん。」
『まあ、仕方ない。案内しな。』
九郎さんがゆらっと揺れてカラスになって、私はゼーレさんに
咥えられた。