東域国 ①
綺麗な、仕草、綺麗な、音。
そしてそれ以上に、綺麗な色。
私の瞳は、その人のことをそんな風に映した。
「こうして、この国を鬼の手から取り戻した私たちの祖先は……」
「ねえ、お師様」
「ん?どうしたんだい?」
「あの子は、だあれ?」
私の視線の先には、大きな木の根元に座って本を読んでいる男の子が一人。
気難しい顔をして、木漏れ日の中で光る、大人よりもきれいな色を持った、静かな人。
「ああ彼か。彼は……」
お師様は、授業を中断した私のことを叱ろうともせずに、少しだけ考え込みました。
「そうだね。君に瞳には、彼がどんな風に映る?」
「きれいな人」
私はすぐにそう答えます。
「そうか。うん。それはよかった」
お師様は私の横で、私と一緒になって、その人のことを見てくれます。
「彼はね、これから先君のことを守ってくれる人だよ」
ずっとずっと先まで、私が居なくなった後も。
そう言って柔和な笑みを浮かべるお師様。
「あんなにきれいな人が?」
「そうだよ。私の自慢の弟子だ」
「なんであの人はあんなところで本を読んでいるの?」
「……ああ、それはね」
お師様はちょっと困った顔で頬をかいた。
「あの子は、少しだけ不器用な所があるんだ。あそこで本を読んでるのは、なんていうか、それしか知らないからというか」
「よく分かんない」
「まあ、この授業の後に初めて顔を合わせることになってるから、紹介はその時にでもしよう」
「はい」
「よろしい」
その言葉の意味は、後になって分かりました。
彼は私に恰好よく見られたくて、あんな場所で難しい本なんて読んでいたのです。
「ねえ、ナユタ」
「はい」
「彼は、どんな色をしているんだい?」
お師様の問いに、私は満面の笑みで答えます。
「ハルの色!」
お師様と、私の世界が共有できることに喜びを覚えて。
だってこの優しくも気難しい人が、私にそれを聞くことは滅多に無かったことですから。
「えっとね、あたたくて、きらきらしてる、ハルの色!」
「そうか」
お師様は、一瞬だけ複雑そうな表情を浮かべました。
「お師様?」
「ナユタ、いいかい」
先生は、私と正面から向き合って、とても真剣な表情を浮かべます。
「これから、あの子は君のことを守りつづける。それが、あの子の使命であり、私たちの義務だ。それは、変わらない。だけど」
お師様は、しっかりと、私の目を見ながら言いました。
「君は、君なりのやり方で、彼のことを守ってあげて欲しい。それが、君と彼を知る、私個人の願いなんだ」
「はい」
私は、しっかりと頷きました。
お師様が、私のことを教え子や守るだけの存在ではなく、一人の人間として認め、話してくれたことだと理解できたから。
「守られてばっかりじゃなくて、私も、彼を守れるようになります」
「うん、ありがとう。それを聞いて、安心したよ」
お師様は立ち上がりました。
「さて、時間もそろそろいい頃合いだし、行こうか。彼の元の」
「はい」
私は嬉しかった。
彼とお友達になれるかもしれないと思って。
「ねえ、お師様」
「ん、なんだい」
「あの子の、名前は?」
「ああ、そう言えば言ってなかったね。彼の名前はセツカ」
護り人の長であった彼は、そう言いました。
「セツカ・コウヨウ。私の後に護り人の役目を継ぐ子だよ」
健康に気をつけること、苦手な舞踊を頑張ること。
「先生」
時々、自分のことを思い出してほしいこと。
「いつまでも、先生にとって私たちは子供のままなんですね」
世話が焼けて、心配で、そして可愛い子供たち。そんな印象を、先生が残した最後の手紙からは読み取ることが出来ました。
先生から私に宛てた遺書の内容は、概ねそんな風で。
そして、最後に。
「…………」
なによりも、きちんと巫女の後を継ぐ者を残すこと。
そのための縁談の候補の家名。
そこに、セツカの名前だけは、無い。
姫巫女と護り人は、どれだけ近くに居ても、決して結ばれてはいけない。
そういう風に決まっているから。
「では、お師様」
私は、手紙を抱きしめて、思わず懐かしい呼び方をしてしまいました。
まだ、幼かった頃のように。
「どうして、あんなことを言ったのですか」
それは、私たち二人に向けた、昔の言葉。
『君たちは、決して離れてはいけないよ』
『君たちは、きっと―――』
「おい、見失ったぞ!」
「探せ!まだ近くにいるはずだ!」
(……なんでしょう?)
手紙に没頭していた気が付きませんでしたが、いつの間にか外が俄かに騒がしさに包まれています。
私は、手紙を丁寧にしまい、自室から声のする庭の方に出て行きます。
「何事ですか?」
「ああ、姫巫女様、これは」
近くに居た見張り番は、神妙な顔をしていました。
「どうやら、無断で国境を越えた者が出たようです。その違法な入国者が、この近くに逃げ込んだようで」
「まあ」
異邦から入国者。それはこの国ではとても珍しいことでした。
「ご安心下さい。この屋敷には隠の結界が張ってありますので見つかることは御座いません。私は外の様子を聞きに行って参りますので、巫女様は安全な部屋の中で待機をお願いします」
「分かりました」
「では」
私は慌ただしく去っていくその背中を見送り、ふう、とため息をつきます。
(大事にならないとよいのですが)
この国の者は、誰もが外の者に厳しくありました。それは色々な風習やしがらみから。
私は言われたとおりに自室に戻ろうとして、
「ちょ、押さないでって!」
「我慢しろ、見つかってもいいのか」
がさごそと、外界につながる茂みから音と、声が。
「よくないけど、こっちも限界」
「うるさい、見つかる。押し、込むぞ」
「わぁぁ!」
どん、と。そんな鈍い音がして、茂みのほうから誰かが転がり込んで地面に突っ伏します。
「あたた」
その人の容姿は、その現れた時の慌ただしさに似合わず、小さく、可愛らしく、外の国の御伽噺に出てくる精霊のように見えました。
「……あ」
精霊さんと目があいます。私のことを見上げる瞳には焦燥が見えました。
「あの、あなたは」
「ボクは、えーっと、その」
頭を覆うような大きな帽子に押し込められた、腰まである長い金色の髪。
そのような人のことを、私は聞いたことがあります。
それは、セツカが話してくれる外の国の、旅の話。
共に旅をした、魔法使いの少女。名前は。
「ロッテ、さん?」
「え?」
金色の髪の精霊さんは、不思議そうに私を見ます。
「どうして、ボクの名前を?」
「っふ」
「ぷぎゃ!」
私たちのお話に割り込むように、もう一人、今度は蒼氷の瞳をした女性の方が飛び込んできました。
ロッテさんの上に。
「む、しまった。見つかったか。それに、ロッテはどこに」
新たな侵入者さんは腰に剣を帯びていて、その姿は伝え聞く騎士という国外の剣士の様装をしていました。では、もしかしてこの方が。
「あなたが、もしかしてカークさん?」
「違う。どうしてそうなる」
確かに、セツカの話ではカークさんという方は男性のはずです。とんだ早とちりをしてしまいました。
「では、あなたは」
「今、話に出た男の代理のような者、だが」
「あの、ちょっと」
「ロッテ!どこにいる!不可視の術でも使っているのか!」
「いや、違うから。早く、どいて」
「……これは失敬」
すごすごと、恥ずかしそうな顔をしながら騎士さんがロッテさんの上から退きます。
「それで、あのあなた方は一体?」
改めて、この結界で守られた屋敷に侵入してきた二人のことを見て、はっとします。
特に、氷蒼の瞳をした彼女のこと。私の瞳は、彼女それを、如実に教えてくれました。
「おい!こっちのほうで声がしなかったか!」
この場の慌ただしい気配に気が付いたのか、周囲の様子を見に行った者たちが戻ってきてしまったようです。
「やばい、早く逃げないと……」
「こちらへ」
私はお二人の手を引いて、屋敷の中へと導きます。
「へ」
「おい、どうして」
「声を上げないでください」
咄嗟のこと、あまり褒められたことでないことは自覚しています。この二人が、件の密入国者でしょう。
けれど、お二人のことを見て、ピンと来てしまったのですから。
「この中なら安全です」
廊下を渡って、お二人を自室に押し込み、襖を閉めてしまいます。これで、一種の結界が張られ、ちょっとやそっとではこの中のことを知ることはできなくなります。
「あの」
……今更になってとんでもないことをしてしまったと思い至り、焦りを覚えます。
この二人に悪意、害意が全くないと言う保証はありませんし、この中では助けを呼ぶこともできません。
ですが、私の瞳が教えてくれたのです。この二人には、事情があると。
そしてそれは、私や、私の一族にとって無縁なことではないのだと。
「あの、匿ってくれてありがとうございます」
ロッテさんは、困惑したような顔で言いました。
「けど、どうしてボク達を?」
「ロッテさん、あなたのことはセツカから聞いています。共に旅をした、仲間だと」
「セツカの、知り合い!?」
「そして、そちらの方も、なにか事情がおありなのでしょう」
私の瞳は、ロッテさんの純粋な善の色そして。
「魂を何者かによって縛られていますね?」
もう一方の、騎士の方の魂が、何かに侵され、縛られていること。
その事実を映していたのですから。




