Last recode ⑥
「連絡、とらねえと」
そう思って、一度取り出した端末を。
『アル、お前は』
「……………………」
電源も入れずにしまい直したのは。
『今は、エリーの傍にいてやれ』
おやっさんに言われた、その言葉を思い出したからだ。
「……エリーの顔、見とくか」
カードキーくらい無くたって、生体認証の方を騙す必要がないんならやりようはある。
俺は首の裏からケーブルを抜き出して、セキュリティ装置に繋げてシステムに介入する。
「…………」
ほぼ片手間で、意識もせずにハッキングを行う傍ら。
その最中で。
「あん?」
見つけた。
「あの日の、入室記録……」
入っていないはずの俺の記録と、それから、その間に挟まっている。
もう、一人分の入退室の記録を。
「お前はあの日」
片手でヴィルの腕をひねり上げ。
「教授と会っていたはずだ。なのに、それを話そうともしなかった」
もう片方の手でその頭を乱暴に床に押さえつける。
「答えろよ。あの日、なにがあったのか」
「ち、違う」
「……………」
「確かに、作業中、教授が部屋に入ったのは、確認してる、だが……っぎ!」
嘘がつきにくいように、腕を引く力を若干強める。
容赦などしないと、分からせるためでもあった。
「続けろ」
「だが!隠れてやり過ごしたんだ!バレたら、アルに迷惑が掛かると思って、必死に」
「おー、なるほど、ヴィル。そう言う事か」
腕の力を、一瞬、緩めてやる。
「疑って悪かったよ。俺のためだったんだな。そいつは、実に悪かった」
「あ、ああ、だから、離して」
「なんて、言うとでも本気で思ってんのか」
力を籠める。
今度は腕の方ではなく、頭の方にだ。
「ぐ、ぎ!」
「咄嗟にしても嘘が下手が過ぎるぜ、ヴィル。教授が、どれくらい長い間、あの部屋の中にいたのか、覚えてなかったか?」
「あ、ぐ!」
「あの部屋の中で、そんなに長く隠れられるような場所はねえよ。ましてや、あの人が気づかないなんて、ことは、ねえな」
「だけど、本当なんだ!」
「よしよし、なら、それが事実だと仮定して、だ」
両手がふさがってるんで、少々行儀悪く、ヴィルが床に落としたケーブルを踏みつけにする。
「こいつは、なんだ。お前、今俺に何しようとしてた?ご丁寧に罠まで張って」
「…………」
「だんまりは、あんまいい手段じゃねえな。なんか知ってますって言ってんのと同じだ」
「いや、だが……」
「もう一度言う。知ってること、話せ」
「私は、私は……」
「ヴィル!」
「……………」
ヴィルは黙り込んで、身体から力を抜いていく。
観念したのか、ずっと上げようとしていた顔を伏せて、抵抗を、止める。
終わりだと。
そんな風に思った。
『だから、お前は甘いってんだ』
唐突に、脳の最奥で。
いつも聞かされる小言が、リフレインする。
「…ログ…コー…、起…」
「あ?」
ヴィルが、ぼそぼそと何かを呟く。
「おい、何言ってんだ」
聞き取ろうと、するべきか、判断に迷った。
「エリ、クサー」
押さえつけてるという優位性が、俺から判断力を奪っていた。
そして、結果的に、それがヴィルに時間を与えた。
「おい、ヴィル!」
ヴィルの口から呼吸の音が、消える。
違う。浅く、小さくなっただけだ。あの興奮状態から、呼吸を整えることもなく。
まるで、世界から音が消えたかのようでさえあった。
「なあ、アル」
声は、冷静さを取り戻していた。
その落差は、不気味としか、言いようのない。
「これは、教訓とするよ」
「お前、何を」
その体が、跳ね起きる。
完璧に抑えていたはずの、俺の腕を、力だけで、無理矢理外して。
「な!」
振り回される腕に吹っ飛ばされて、逆に俺が床に転がされる。
それはまるで、痛みを感じていないような、無茶な動きだった。
「この代償は払ってもらうぞ」
ヴィルが、冷酷な嘲笑を俺に向ける。
これは。
「電子ドラッグか!?」
前に見たことがある。
類似の症状を引き起こすのが、強力な電子ドラッグの類だ。
だが。
「くく、やはり」
ヴィルは、そんな俺の無知を、嘲笑った。
「発想が貧困だなあアル。そんな、つまらないものじゃないよ」
そんな言葉だけを残し。
ヴィルは、背を向けて。
「くそ!」
そのまま、俺を残して教室から逃走する。
逃がした。
端末から、緊急コード付きでおやっさんに連絡を入れる。
『どうした!アル!』
「悪い、おやっさん」
すぐには、追わない。
ことは、俺だけで何とかするべき範囲を、超えた。
「うちの大学のヴィルってのが、なんか知ってるらしいけど、逃がした」
『お前、勝手なことすんなってあれほど!』
「説教は後にしてくれ!あいつは多分、電子ドラッグの類を使ってる!」
証拠取った訳じゃないが、おやっさんに協力求めるには十分な材料だ。
「周辺に、警戒網を敷いてくれ。見た目の特徴は…………」
俺は、この時。
全ての中心にエリーがいるだなんて。
思いもしてなかったんだ。
「はぁはぁ」
身体が、重い。
汚い路地裏で、冷たいコンクリートの壁に身を預けてそのままずるずると座り込む。
『この代償は払ってもらうぞ』
代償、代償というのなら。
私の支払った代償は、それなりだ。
「っぐ!」
例のコードを自身に使用して、無理矢理痛みを消し、身体能力のリミッターを外した。
可能かどうか、また負担がどれだけになるかは分からない、賭けだったが。
「私は、賭けには勝った」
だが、所詮はその場しのぎだ。
その場しのぎのために、酷い痛みを背負うこととなった。
「……そうだ」
身体から今すぐ、この痛みを全て消すことは、可能だ。
可能だが、それはしなかった。
痛みは、教訓として身に刻むべきだと思ったからだ。
なにより。
あれを自身に使うようなことは、二度としたくない。
何かが、欠けていくようで。
「自衛の、手段がいる」
そうだ、間抜けには捕まらない。
欲しいものを手に入れるだけの手段なら、まだ、この手の中にあるのだから。




