帰るべき場所 ③
結局私は、関わった人全てを不幸にしただけだった。
両親だという人も、教授も、刑事さんも、関わってきた助手だという人たちも。
『さあ、あっちに』
この声に従えば、私はもう一度あの場所に戻れるんだろうか?
そうすれば、もう。
苦しまずに、苦しませずに済むんだろうか?
『「ああ、そうだね」』
声が重なる。
『「もう一度、あの場所へ」』
溶け合うように、闇に身を任せようとして。
聞いたことのある、音がした。
「あ」
紅い燐光を纏い、波紋のような広がりを見せる。
私に語り掛けるような音。
知ってる、知りたい。
初めて生まれた衝動だった。
(私は、知りたい)
濃密な闇に、呑み込まれそうになる。
(マジできっついな、これ)
ほんの少しでも気を抜けば、足場の感覚すら失って、エリーに巻き込まれるように落ちていくだろう。
そうならないよう、必死で自分を保ち続ける。
(くそ!)
脳が刺激を受けてぴりぴりとしびれる。
勿論幻痛だ。
それが現実並みの力を持っているだけの。
(あいつは)
どこにいる?
闇雲に探したって、だめだ。
(なんか、ないのかよ)
準備不足を痛感する。
過酷な環境が仮想体を削り続けている。
(とりあえず、呼びかけて)
声を出そうとして、はたと気が付く。
声が、出ない。
(なんだ、これ、どうすりゃ)
思考を止めるな、なにか、なにか。
声が出ないのなら、もっと、あるはずだ。
メールでも、通信でも、なんでも。
(違う)
そんな物、この闇の中では無意味だ。
きっと、届かない。
(なにか)
手持ちのコードを確認する。
(なにか、ないのか!)
俺と、あいつを繋ぐ、なにか。
(ああ)
足を止める。
目の端に、それを見つけて。
(結局)
俺とエリーの間にはこれしかない。
俺が彼女の特別であれたのは。
(ただ、これだけだったな)
キーボードを展開する。
試しに、一音。
音は、闇の中を広がって、また簡単に砕けていく。
小さく、儚く、けれど。
(あいつが、一番好きだって言った)
確かに。
聞こえた。
これは、彼の音だ。
『どうしたの?』
「あ、はは」
私と声が、また分離していく。
そっか。
「ごめん」
辛いことばかりだったけど。
今でもあそこに帰りたいと思うこともあるけど。
けど、それ以上に。
「帰りたい場所が、出来たんだ」
振り返る。
儚い音は、けれど、キラキラと輝いて。
彼が、どこにいるのかを教えてくれている。
「彼のいる世界で、私も生きたいんだ」
相変わらず、私は自分勝手だ。
人を、不幸にしてばっかりの癖に。
「だから、そっちには行けない」
声は、もう聞こえない。
それを確かめて。
彼のいる方へと、私は歩き出す。
俺は馬鹿で、無意味なことをしてるんじゃないだろうか?
或いは、そうなのかも知れない。
音を選んで鳴らしても、あいつはもう届かない場所にいるのかもしれない。
音だけが届いても、その心には届かないのかもしれない。
(けど、けどさ)
あんな啖呵を切った手前、諦めるって選択肢はなかった。
それだけは、出来なかった。
(なあ、エリー)
関わって、抱え込めば込むだけ、きっとバカを見る。
そんなこと、分かってるけど。
(俺も、俺も決めたよ)
一度関わってしまえば、後はもう、無関係ではいられない。
(俺は、お前と)
「助手君」
聞き覚えのあるものとは少し違う、普段よりもはっきりとした声。
「迎えに来て、くれたんだね」
(ああ)
声は、出ない。
けど、エリーは頷いた。
「ありがとう、それに、ごめん」
(全くだ)
こんなに、面倒掛けさせて。
(その年で迷子かよ)
「そうだね。そうだった。ずっと、けど」
「もう、大丈夫だから」
俺は声が出せないから、無言で手を差し伸べる。
エリーは、逡巡なくその手を取った。
『帰ろう』
「うん」
始めてみる彼女の笑顔は、とても弱々しかったけれど。
ただそれだけで、ここに飛び込んでよかったと、そう思えるだけの価値のある。
そんな、まあ、可愛いらしいもんだったよ。




