亜人の領域 ③
「さあ、カレン様。こちらです」
……ああ。
「少々窮屈かもしれませんが、敵に見つからないためには必要なことですので」
『敵』、そうだな。敵だ。
「カレン様。やはり、あなたは、まだ」
…………。
「……行きましょう。追手がかかる前に、先へ」
そうかな、ああ、そうだな。
なあ、エリザ。
「なんでしょうかカレン様」
消えるのかな。
「…………」
お前についていけば、人の領域に戻れば。
消えて、くれるのかな。
この悲しみとか、未練とか。
「……ええ、きっと」
……そうか。
いや、すまない。おかしなことを言ったな。
「そのようなことはありません。さあ、お早く」
ああ。
なあ、エリザ。
「はい」
お前は、私を一人にしないよな。
「はい。もう、二度と」
そうか。
……安心、したよ。
「……安心、したよ」
それが嘘であることは、すぐに分かった。
「もったいないお言葉です」
けれど私は、それを指摘するようなことはせずにカレン様の御手を丁寧に引いた。
「暗いので、お気をつけください」
灯りは目立つので最低限に留めると決め、今は月明かりだけを頼りにしている。
その上、カレン様にはローブを被って貰っているので視界も悪いはずだ。
(早く、ここを抜けなければ)
カレン様はローブを目深に被って貰っているのでその表情は伺い知れない。
けど、きっと。
(頼むぞ。ロッテ)
カレン様を、一時でも早く、解放して差し上げなければ。
私の選んだ道は近隣の村へと直接繋がる街道ではなく、迂回する形で森を抜けるルートだった。
街道には幾人もの見張りがついているので、こちらを選ぶしかなかったからだ。
(私だけならば隠密の心得もあるが)
カレン様にそれを求めるのは酷というもの。
それに。
(やはり)
カレン様の足はいつになく鈍い。
背後を気にしているようでもあり、同時に、心ここにあらずというようでもある。
私の手を握り返す力も、弱い。
(未練、と先ほどは言ってらしたが)
その原因は、恐らくあの男の『コード』によるものだろう。
何を、どのように歪められたのかさえ知ることが出来れば対処の仕方もあるが。
(あの男、アルフレッドに逆らわない、無条件に協力する、そう言ったものか)
だが、それでは。
(未練、という言葉には結びつかない)
「カレン様」
「……なんだ」
「今、頭痛のようなものを感じてはいませんか?」
「……いや、そんなことはない。なぜ、そんなことを?」
「いえ、感じていないのならばいいのです」
ダメだ。
(……私の時はカレン様のことを思い出そうとするたびに頭痛で阻まれたのだが)
私では当たりをつけることさえままならない。
それは今すべきことではない、ということか。
(……急ごう)
今の私にできることはそれだけだ。
道程は、いまだ半ば。
(このまま行けば、朝までには―――)
警戒を怠っていたつもりはなかった。
けれど、その音が聞こえた時には、すでに遅かった。
森を駆け抜ける、木々を揺らすような轟音。
「あ、つ」
その音が響くとほぼ同時に、カレン様が腕を押さえる。
「カレン様!!」
「大丈夫、だ。掠っただけで、致命傷では、ない」
見れば、カレン様の腕からは血が滴っている。
慌てて駆け寄ろうとする私を、カレン様は怪我をしたのとは逆の手で制した。
「……逃げるぞ。次が来る、前に」
「カレン様。その前に、傷を」
「それは、後で、いい」
カレン様は身を低くして、先を見据える。
「このままでは、また狙い撃ちされる」
ああ、けれど、生存本能のなせる技だろうか。
カレン様の口調や、目が。
「ひとまず、射線を、切れる場所へ」
私の知るカレン様の、その鈍くとも炎のごとき輝きをほんの少しだけ取り戻し始めていた。
ああ、最悪だ。
仕留められなかった。
「酷いな、これは」
薄く目を開けて、一度感覚を自分に引き戻す。
視界が、深い夜の闇から灯りのある部屋へと戻り、体に重さが戻ってくる。
気分は、最悪だった。
「精度が悪すぎる」
狙いを定めての奇襲。
それも、狙ったのは頭ではなく胴だというのに弾は逸れて、腕を掠めるに留まった。
狙撃と呼ぶのもおこがましい結果だ。
あそこでカレンを行動不能にしておけば後は楽な作業だったというのに。
「まあ、いいさ」
再び目を閉じる。
支配、切り替え、同時に自身の感覚を閉じる。
視界は夜の闇に置き換わり、少しのズレを感じつつも銃の感触が手に馴染んでいく。
「さあ、楽しもうじゃ……」
やめろよ
「……うるさい」
逃がしてやれよ
「黙れ」
約束を
「消えろ」
思考に、ノイズのような邪魔がはいる。
「うっとおしい」
虫を手で振り払うようにして思考を散らす。
「もう、お前の出番などない」
見ていろ。
「私が、この世界を壊すところを」
ここより先は地獄。
『魔王』と、そう呼ばれる者の為す世界なのだから。




