亜人の領域 ②
「いいか」
俺の古い記憶に、親父のものがある。
「灯りのほうに進むんだ」
親父は古いしきたりに従って生きる、他の奴らのまとめ役だった。
「見えるか?」
ある日こっそりと、親父が人目を盗んで、人の町を遠目に見せてくれたことがあった。
「あれが、人間って種族の作る町だ」
遠きにある灯り。
「なあ、親父」
あの町は、その具現だ。
具現、だったんだ。
「なんであっちは、あんなに奇麗なんだ」
「…………」
親父は、黙って俺の頭を撫でた。
あの日、親父がまだガキだった俺にあの光景を見せたのは戒めの、そのためのはずだった。
俺たちの生きてた場所は、人の領域にほど近かったから。
あっちに行っちゃならねえって、そう教えるための。
けど。
「なあ、親父」
けど、俺は。
「どうすれば、あれが手に入るんだ」
手を伸ばしちまった。
「なあ、教えてくれよ」
星に手を伸ばすみたいに、身の程も、知らずに。
「どうすりゃ、いいのか」
親父が、俺を抱きしめる。
「……すまねえ」
なんで、謝られたのか、ガキだった俺にもすぐに理解できた。
あれは、どうあっても。
(手に、入らねえのか)
俺も、親父も、亜人だから。
(人のもんは、全部)
亜人のもんじゃないから。
「ちくしょう」
それから何年もしないうちに、親父はくたばっちまった。
そんで、残された俺はといえば。
「ほう、こいつが」
「はい」
掛けられた手錠をせわしなく鳴らしながら、それでも必死に虚勢を張って、その女の前に立った。
「亜人領域の境界を踏み越えて、わざわざここまで来た、と」
「……ああ、そうだよ」
「変わり者だな」
「かも知れねえな」
俺以外の奴がこっち側にに来ることはねえ。
興味を持つことすら、ねえ。
「よくもまあ。そのまま殺されても文句は言えない立場だというのに」
「別に」
その時の俺は、自暴自棄だったと言えばいいのか。
「それなら、それでもよかったさ」
「ほう」
どうにでもなりゃいいとさえ、思っていた。
「あのまま生きてたって、意味なんてありゃしねえんだ」
「意味、か」
その女は呆れたような顔で俺を見ていたが、すぐに興味もないような顔に戻って。
「なあ、おい小鬼」
「なんだよ」
「生きる意味、欲しくはないか?」
「あ?」
俺は、耳を疑った。
「何、言ってんだよ」
そして、半笑いになりながら。
「そんなもん」
勝手に、その言葉が口を突いて出ていた。
「欲しいに、決まってんじゃねえかよ」
そうか。
それが、俺の。
望み、だったのか。
「では」
瞳は、変わらずつまらなそうなまま。
「契約といこう」
「契、約?」
その女が、初めて俺を見た。
「私がお前の望みを叶えてやる」
これが、カレンとの出会い。
「代わりに、私の手足として働け」
あの夜伸ばした手の、その先。
「そうしたら、亜人であるお前に」
何もなかったはずの俺に。
「未来を、くれてやる」
未来と。
「契約、成立だな。……お前、名前はなんていうんだ?」
名前がついた日。
それが、始まりだった。
そして、その関係に終わりを、迎えた。
ただ、それだけのことだ。
「なるほど、それで」
アルフレッドは、相変わらず寝ているのか起きているのかさえ分からないような顔をしていた。
「カレンを帰したと」
「ああ、そうだよ」
自分の机に頬杖をついて、気だるげで、本当に俺の話を聞いていのるかさえ定かじゃねえ。
「勝手なことを」
「……どんな罰でも受けるさ」
エリザのことだけは。
「あいつのことは黙って見逃してやって欲しい」
俺はアルフレッドに頭を下げる。
「頼む」
「まあ、別にいいけどな」
アルフレッドは俺のほうを見ようともしないまま、そう言った。
「……やけにあっさりなんだな」
酷い罰を受ける覚悟をしていただけに、少し拍子抜けした。
「あの女は、お前のおまけみたいなもんだ。特に重要でもない。使えるから使ってはいたがな」
「そうかよ」
けどまあ、そういうことならありがたく退散させてもらおう。
こんなとこには一秒だっていたくはねえんだ。
こいつの態度が、いつ豹変するかも定かじゃねえし。
「なら、俺は行くぜ」
「ああ。レイン」
結局最後まで、アルフレッドは俺のことを見なかった。
「お前は、裏切るなよ」
「当然だろ」
得体の知れない気味の悪さを感じながらも、俺は答える。
「俺にだって、欲しいもんがあるんだ」
なら、そのためには。
「だから勝って、奪う」
そうじゃなきゃ、手に入らないのなら。
仲間だって、売ってやるさ。
「精々、俺たちを勝たせてくれよ。『魔王様』」
それだけ言って、俺はその部屋からとっとと逃げ出した。
「さて、と」
銃の試作機は全部で幾つ作れてるか。
「コード『コネクト』」
支配下にある亜人の視界をいくつか乗っ取る。
「ちょうどいい」
狩りの時間といこう。
「私は」
あの男ほど甘くはないのだから。




