第四章 エピローグ 悪夢
これで本当に良かったんだろうか?
未だに、思い悩むことは多々ある。
「おーい、人間の嬢ちゃん」
こんな場所で。生まれ故郷から離れ、領民どころか人でない者たちの中で日々を過ごし、末端とはいえ王弟の一族に名を連ねていた時とは比較にならないほどの困窮した生活。
けれど、確かなことがいくつか。
「作って貰った水車の事なんだけどよ。ちょっと調子が悪いんだ。見てくれよ」
「分かりました」
あの国では、私はあらゆる事柄で不要とされてきた。放逐するわけにも行かないが、王権の邪魔でもある立場。継承権上位になにかあった時のスペアとしての役割もあるので教育だけは受けさせてもらえたが、それだけだ。
それを生かす機会など、自分自身で掴みとらなければ生涯ないと思っていたものだ。
だが、この集落では。
「ああ、歯車の不具合ですね。この程度なら簡単に修理できますよ」
「本当かい」
「ええ、まずは……」
私が受けさせられた教育の中には治水技術も含まれる。
水の利用は国の基盤だ。
木材の噛み合わせを直しつつ、ついでに劣化していそうな部分を点検しておく。
……制作からそれほど経っているわけでは無いが、念には念をだ。
色々と雑な出来であることは否定しようもない事実であるし、なによりこれが私の今現在の存在意義でもあるのだから。
「いやぁ、助かったよ」
「いえ。お役に立てたのならなによりです」
点検を終えて、私は仕事を持ってきたその獣人と少しばかり会話をしていく。
……一番自身の変化に驚くのは、こういう所かも知れない。
少し前の私では、獣人とこうして他愛のないお喋りなど考えられないことだった。
だが、今はどうだ。
「このまま、収穫まで何事も無く行ってくれればいいんだけどね」
「そうですね。この辺りの気候を考えるなら対策はあります……」
この馴染みっぷりは何だ、とさえ思える。
最初は、嫌な目にも幾度となく逢ったものだが。
レインが尽力してくれたおかげで、今の私はこの場所で必要とされている。
そして。
「これ、持ってってよ」
手渡されたのはちょっとした量の芋の類だった。最近畑で採れたものだろう。
「いいんですか」
「ああ、勿論だよ。水車の礼さ」
ニコリと、口角を上げて獣人は笑った。最初に見た時はぎょっとしたその仕草も、今ではもう慣れた。
「ありがとね」
「…………」
そう言われて、胸に去来するものに目を向けると、複雑な気持ちになる。
あの日下された私の結末。これは、悲劇なのだろうか。
今でも、私には分からない。
カレンは、炎のような女だった。
普段は理知的に振舞うし、何物にも動じないような顔をしていた。
だけど時として、苛烈なまでの一面を俺とリズには見せた。
『お前に何がわかる!!』
『あの女を排除して私はなるんだ!王に!!』
言葉の端々から感じる怒気は彼女の魂を燃やして吐き出しているようだった。
けれど、今の彼女はどうだ。
「ああ、レイン。おかえり」
「おう」
穏やかな声に、俺に向けられる笑顔。
「今日は芋を分けてもらえたんだ。用意をしてあるから一緒に食べよう」
「…………」
カレンは、先に帰っていたのに俺を待っていたらしい。
先に食ってても、なんなら俺の分なんか用意しなくてもいいだろうに。
「どうした?なにか不満でもあるのか?」
黙ってしまった俺に対して本当に心配そうに声をかけてくれる。
これが、今のカレンだ。
「いや、なんでもねえよ」
俺はぶっきらぼうそう答えてカレンの用意してくれた飯の前に座る。
材料も器具も足りないだろうに、きちんと調理というものが施されていた。
「いただきます」
「……いただきます」
今ではすっかりと身についてしまった人間の作法をとってから食事を口にする。
「美味いな」
「そうか、よかった」
カレンが穏やかに言う。
「そう言ってくれると嬉しいよ」
そしてこれが、今の俺の日常だ。
『その女は』
あの日、あいつは最後にこう言った。
『お前にやるよ。精々、大切にするんだな』
あの時は意味が分からなかったが、今になればカレンが何かをされたことくらいは理解できる。
俺は、それが、怖い。
「ちくしょう」
カレンが眠ったことを確認して、俺は一人集落に出てきた。目的があるわけじゃないがなんだか妙に目がさえちまったからだ。
集落には、まだ少し灯りが見えた。
『…………ちくしょう』
昔、人間の街を見たとき同じことを呟いたことを思い出す。
俺は、街の灯りが、欲しかった。
ずっと、ずっと。
どうすればそれを奪えるのかわからなくて、小さい頭で悩んで悩んで。
そうして、カレンと手を組んだ。
『いいさ、お前が私の望みを叶えてくれると言うのなら』
人間の領域に最も近い集落の頭役だった俺に、あいつは言った。
『私が、お前たちに今よりもまともな未来を与えてやろう』
今よりもまともな未来。
そこには、俺望む、あの灯りがあるのだと夢想して。
「……カレン」
カレンのおかげで、集落は少しづつ良くなってきている。カレンの持つ知識も知恵も素晴らしいものだ。最初は俺も口添えしたが、今カレンがこの集落に受け入れられたのはカレン自身が残した功績なんだ。
だから、怖い。
俺は今の生活が無くなっちまうのが、怖い。
カレンがあいつになにかされてああなっているということは、またなにかあれば元に戻ることだってあっちまうってことだ。
そうなれば、この集落もまた元通りに。
(いや、違うか)
前よりずいぶんましになった集落を見て、思う。
(恐ろしいのは、本当は)
俺が、俺自身がカレンとの生活を……。
「ようやく見つけた」
聞こえたのは、以前よりもなお禍々しく重く響く言葉。
はっとして、振り向く。
そこには、赤黒く濁らせた瞳を俺に向ける、黒衣の男。
「あの女は、元気か?」
その声一つ一つが呪いみたいに俺を縛る。
俺のちっぽけな全てがあの日の恐怖を思い出させる。
(ああ、ちくしょう)
逃げきれはしなかったんだ。いつか来るとわかっていた日が来ちまったんだ。
あの日の悪夢に、とうとう追いつかれちまったんだと。




