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五ページ.始まる

数ヶ月ぶりの連載再開です。あまり読んでいる人はいないと思いますが、これからは連載停止中の作品の連載を再開していくので、読もうと読まないと気にしないで下さい。これまで他のライトノベルを読んで頂いた方には、更新が遅くなりますが確実に連載は続けますので今しばらくお待ち下さい。

少し驚いた。さっき出会ったばかりなのに、夜々は僕の手を引いたまま、一歩も二歩も先を歩いて、この公園はね……とか、この家のおばさんは……とか、僕の意見なんか無視して案内を続けてた。でも僕は嫌がったわけじゃないし、ただ、そうやって僕に笑顔で案内と言うか、強制的なつれまわしと言うか、僕に話をする姿でさえ、僕の目にはあの日が鮮明に重なっていて、夜々の話をしている姿に、ただただ呆然と手を引かれるしかなかった。

「うん? どうかした?」

 ふわりと僕を振り返って夜々が首を傾げる。

「え? あ、いや。何でもないよ」

 見惚れていた。そこにいる人が誰であるかと言うことに対して。

「いっちーってさ、この辺りを走ってたって言ったよね? 陸上部?」

 懐かしい名前に、足が少しだけ疼いた。夜々が離した腕に、その背中に、少しでも追いつこうと力が入りそうになるのを抑える。無意識が怖かった。

「違うよ。帰宅部だから」

 僕は嘘をついた。でも、その嘘は偽りでしかない。陸上部にいたことは事実だけど、今は帰宅部。だから僕はもう、走ることをしていない。

「ふーん、趣味とか日課みたいな?」

「そうだったかも」

「そうだったかもって、何? どゆこと? 何か怪しいぞぉ?」

 夜々は本気じゃない瞳に僕を映す。潮風の中に混じる髪の匂いが微かに胸の中に温かく香った。女の人はどうしてこうも良い匂いがするのか不思議だった。昔からそうだった。僕なんて汗臭いだけだったのに。

「何でもないよ。それよりも朝……っ」

 喋り口調の流暢さと強引さに、僕は完全に呑まれていた。今、僕は何て続けようとした? 誰のことを誰のことと呼ぼうとした? あまりにも当たり前のように何て言おうとしたんだ、僕は。

「うん? どうかした?」

「う、ううん。なんでもないよ」

 目の前に居るのは夜々なのに、僕は一体どうしたんだ? 自問自答をする心の中は、焦燥に少しだけ苦しかった。

「あれ? ん〜?」

 不意に夜々が僕の方を睨むように目を細めて見てくる。感づかれた? 今の僕は明らかに不審だったと思うけど、それを見透かされて睨まれるのは、やっぱり僕にはそれも見覚えのあるもので、さらにドキッとした。

「ねぇ、いっちー」

 目を細めたまま、夜々が僕を呼ぶ。どうしてかその目が僕に緊張をもたらす。

「あれ」

 いっちーが僕を指差す。

「え? 僕?」

「違ぅ。いっちー、ほら、うしろ」

 ちょんちょん、と指を僕に向かって動かす。でも、夜々は僕を見てなかった。夜々の言葉につられて振り返る。少しだけ照り返しの日差しの強さが目に沁みてきた。

「あっ……」

 その瞬間、僕の中には苦手なものが映った。恐怖と言うもの伴う、一人の女の子に恐い顔して言い寄る男。茶髪だし、服装も明らかにまともには見えない。

「あれ、絶対犯罪だよね?」

「ど、どうかな?」

 僕は苦手だ。喧嘩も言い合いもああいうものは恐いんだ。

「だよね。あんなに女の子脅えてるもん」

 僕は答えてないよ。どうしてかな? 夜々には嫌な予感を感じる。ここは大人しく近くの大人か、駐在所を探して駐在さんに任せるほうが絶対に安全だと思うんだけど、きっと僕の考えは叶うことはないんだろうって、夜々を見て思うんだ。

「行くよ、いっちー。女の子のピンチだよっ」

 ああ、やっぱり。僕はその気なんかまるでないのに、夜々は僕の手をしっかり掴んで離そうとしないで引張る。

「ほ、ほんとに行くの? 危ないよ?」

「危ないのはあの子。あたしたちは二人なんだから大丈夫っ。か弱い女の子をいっちーは見捨てるの?」

 そんな両親に訴えてくるような眼差しには、僕は逆らえない。何度もその目に落とされた過去があるから。僕は弱いんだ。弱いものにも強いものにも。

「で、でも、危なくなりそうなら逃げてよ?」

「いっちーが助けてくれるなら、あたしは平気っ」

 助けられるものなら、そうする。でも僕にはそう言うことは無理だ。

「うっわっ、あいつ女の子から何か取ろうとかしてるっ。許せないっ。いっちー急いでっ」

「え? あ、ちょっと、夜々ってば」

 その瞬間、僕は先を行く夜々の先を見て、疑問を感じた。女の子を男が襲っているような雰囲気じゃないと。

 

そして、僕らは出会うんだ。どう考えても接点がないはずの僕らが、この暑い日差しの下で、それぞれの道が交差して。

「つまり、杠葉が自販機を壊したから、えっと、あなた誰だっけ?」

 夜々は本当に良く似てる。誰だろうと臆することなく、恥じることなく杠葉って知り合いらしい人の隣に居る、僕らとはどこか違うような、観光客のような綺麗な服の女の子を見た。

「あ、あの、私、木名瀬瀬栖(きなせせす)()と申します」

 一瞬、時が止まった。たぶん僕の思ったことは夜々と杠葉君と同じだった。

「へぇ、すごい名前。変わってるね? せっちん」

「せ、せっちん……?」

 木名瀬さんが夜々の強引なあだ名に戸惑いの表情を浮かべる。僕はどうしてか少し頭が痛くなった。

「うん。瀬栖榎だからせっちん。良くない?」

 夜々は僕に振り返る。相手が違うと思う。本人を無視し他人に承諾を得るのは間違いだろう。

「センスの欠片もねぇな」

 返答に困る僕の代わりに木名瀬さんの隣にいた杠葉君がそう言った。夜々は不満そうに頬を膨らませる。

「うっさいわね。あんたには聞いてませんよぉだ」

 べー。と舌を出す夜々にガキかよ、とため息交じりの馬鹿にした返事が返ってきた。

「で、せっちんが通報しようとしたわけ? ってかさ、何で杠葉の携帯?」

 犯人の携帯で警察に通報。どんな冗談だろう。木名瀬さんって子は少し何かがずれてる。直感で思った。

「知っかよ」

 すごく鋭い目つき。一目でこの人は不良だと分かる。見た目も茶髪にピアスまでしてる。僕とは正反対に生きている人間と接触している今が驚きだ。

「あ、あの、私が持っていませんので」

「借りたわけ? でもさ、何でこいつの携帯借りよう……」

「な、なんじゃこりゃぁっ!?」

 夜々の言葉を遮るように聞こえた声に振り返る。

「ん? うわっ、何あれ?」

「粉々だ……」

 声の主はアロハシャツの後姿。近くにはエンジンのかかったままのカブ。後姿の男の人は不意に周囲を気にし始めた。

「自販機めちゃくちゃじゃん」

「そう、だね。でも、誰が……」

「あ、それは、その……」

 木名瀬さんがおもむろに小さな声で僕と夜々に視線を向けさせる。

「はぁっ? あんたっ? 何してんの、馬鹿じゃない?」

「うっせぇんだよ」

 杠葉と夜々の言っていた不良が仕出かしたことみたいだ。まさかこんなところで犯人と絡んでたなんて、恐怖心が震えた。

「もしかして、木名瀬さん……だっけ? えっと、通報しようと引き止めてたの?」

 問いかけに小さく肯く。杠葉って人は僕らと目を合わせようとしない。その反応がいかにも過ぎてどうするべきか夜々を見る。

「犯罪よ、犯罪。何あったか知らないけどさ、何したのよ?」

 聞く気がないようで聞くんだ。

「てめぇに関係ねぇだろ」

「待ちなさいっての」

 背を向ける杠葉って人を夜々が腕を掴んで引き止めた。僕には到底出来る真似じゃない。夜々の行動力には驚かされるけど、驚かない。

「んだよ? てめぇも警察に行けっつーんだろ」

「理由を聞かせなさいって。何もないのにあんなことしないでしょ?」

 自販機の前ではさっきの男がどうするべきか悩んでるのか、周囲を警戒するように挙動不審になってる。そして、こちらを見た。

「おい、おめぇたちの仕業か、あれ」

 声をかけられた。杠葉って人よりもずっと別の意味での威厳のある俗に言うあっち系の人っぽい。

「えっと、何か用ですか?」

 夜々がちょっと睨んでるような顔を浮かべる。僕も木名瀬さんも恐いと思って何も出来ない。

「てめぇか、あれ?」

「うっせぇな。やんのか、こら?」

 夜々を無視して男が杠葉って人を睨む。

「やんねぇよ、アホ。つーか、ありゃ俺の自販機だっつーの。弁償しろやこら」

 男が杠葉って人を掴む。夜々の手が離される。僕と木名瀬さんはただ呆然とその様子を見るしかない。

「え? あの自動販売機、あなたの?」

「そうだ。つーか俺の店の前にあんだろうが」

 店の言葉に反応してみる。自動販売機の隣は小型船舶修理工場、シオカゼと看板が出てた。

「んな金ねぇよ。ねぇからぶっ壊してやったんだろうが」

「アホかてめぇ。金がねぇなら働け。それが嫌なら警察だな」

 普通は器物破損とかで警察じゃないのかと思う僕とは違い、アロハシャツに七分丈ズボンにサングラスのセンスがよく分からない恐い人は弁償しろと言い出す。

「ふざけんな。警察の方が早ぇよ」

「馬鹿。あんた何言ってんのよ。前科被んなら弁償でするほうが楽に決まってるじゃないのよ」

 睨み合う二人に夜々が横槍を入れる。横槍と言うよりも弁護なんだろうけど。

「ほぉ、なかなか分かってんじゃねぇか。これか?」

 久々に見る小指を立てる仕草。今時そんなことをするのは、そういない。僕が知る限り、一人しか見たことがない。二人目だった。

「ちーがーいーまーすぅ。あたしはこっちだもん」

「え? ちょっ、夜々っ?」

 不意に揺らめく体。暑さの中に、柔らかい良い匂いのする温もりが傍になる。

「まぁ、んなことはどうでもいい。払ってもらうもんは働いてでも返してもらうぞ。馬鹿になんねぇんだからな」

 男が連れて行こうとする。

「離せっつってんだよ、おい」

 振り払おうと大きく腕を振るう。でも腕は離れなかった。

「ガキのくせに粋がってんな。犯したもんは償うが道理だろうが」

 僕から見て杠葉って人は強そうに見える。喧嘩はしたことがないから分からないけど、雰囲気は普通に恐い。でも男の方が素手から見える腕の筋肉からして差がありすぎた。強そうに振舞うこととと強いと言うことは別物。振舞うことは誰にでも出来る。でも事実は嘘を認めない。結果がそうだからだ。力と暴力の差異は大きすぎる。風体あっち系の男は前者で事実だった。

「あ、あの、ちょっと待って、下さい」

「ん? 何だ?」

 木名瀬さんが呼び止める。意外な大きい声にちょっとびっくりした。あまりにも不相応だった。一輪の菫が向日葵のように大きく咲い手仕舞った間違いのように。

「あの、その、わ、私も、働きます」

 は? きっと全員の思いが重なった。何を言っているんだ、この子は、と。

「はぁ? 何言ってんだ、てめぇ」

 杠葉という人が嫌悪を見せる。それを引張る男は唖然としてる。

「わ、私、見てました。それで、この人の、携帯電話を、とりました」

「あ、あのさ、せっちん。意味分かんないよ?」

 夜々でさえ困惑してるんだ。僕に至ってはさっぱりだ。

「だ、ダメ、ですか?」

 不安そうに言っても、状況を把握していないのは恐らくこちら側ではなく、木名瀬さんだけだ。ズレたことを言うことに自覚がないのに、なぜかこちら側に申し訳ないような気持ちが湧く。

「……んぁ、まぁ、軽く十五はいくだろうからな。こいつ一人で返せる額じゃねぇだろうがな。女だからなぁ」

 仕事は見れば明らかな、船の修理。工場とあるくらいだ。大抵は男手でどうにかするもののはず。相応不相応はやはり男に傾く。

「ちょっと。女だからってそれ、差別じゃない。どうせ大したことないことなんでしょ。良いわよ、女だって出来ることを教えてやるわよ」

「は? 夜々、何を……」

「もちろん、いっちーもだからね」

 また夜々が僕を引く。その引き寄せるという行為に僕は抗う術を知らない。

「おいおい、何言ってやがる。おめぇらダチか?」

「違ぇ。知るかよ、そいつらなんか」

 杠葉という人の言うことは正しい。僕はまだ誰のことも知らなければ、教えてもいない。名前だけは流れの中で拾った。今分かることは暑いということとだけだ。

「どうせあんた一人だと隙見つけて逃げるつもりでしょ。あたしらがいれば出来ないでしょ?」

「あ、あの、私は、そんなつもりじゃ……」

 不良に善事を説いて通じるなら、初めから不良をする人はいない。心の傷、プライドの歪み、己の小心の誇示。そんなものだと思ってる。それはとてもややこしくて、頑固だ。僕を引張り続けた君のように。

「まぁ、逃げた所で所詮はその程度の男だっつーわけだ。次に会う時は接見室だな」

 男が不敵に笑う。逃げ道はねぇぞ。そう語ってる。夜々や木名瀬さんが弁償の為の労働に協力すれば責任を一人では背負えない。無関係でしかないのに協力することは甚だおかしいが、夜々なら本気だろうと分かる。朝陽だったら同じことをしたはずだから。責任は一人で取るほうが楽。複数の責任は重くなる。代わりに負担は軽くなる。団体責任そのものを杠葉という人に押し付けようとしている。善意と言う、彼には悪意に他ならない押し付けとして。

「馬鹿が」

「あんたに言われたくないわね。誰の責任よ」

 物損自体は杠葉という人の責任だ。でも、譲らないと男を見る二人は別の責任を彼に乗せようとする。僕を巻き添えにして。

「はぁまぁ俺は元にさえ戻れば良いんだがよ。出せる金はねぇからな」

 自動販売機の弁償の為の無償労働。働いたところで得る対価はない。技術を学べるかもしれないと思った。でも、不要な技術だ。僕の生きる道においてそんなものは何も必要ない。

「知ってる知ってる。やっぱりさ、知ってる奴が犯罪者って嫌だもん。そうならないってなら、あたし暇だし手伝ったげる。感謝しなさいよね」

「頼んでねぇよ、うぜぇな」

 僕も頼まれてもないのに、きっともう頭数に入れられてるんだ。良い気はしない。そんなことをする為にここへ来たわけじゃないんだから。

「ま、自分で判断したんなら俺は良いが、ぶっちゃけきついぞ。女の仕事じゃねぇからな」

「だ、大丈夫です。わ、私、頑張れます」

 頑張ります。じゃないんだ。すごく不安な意思表明だった。

「だいじょびじょび。夏休みはまだまだ長いんだからさっ」

 夜々の言葉は、どうしても夜々のように楽しみには思えなかった。楽しむ為に僕はこの夏を向かえたんじゃない。杠葉という人もあからさまな嫌悪を見せている。木名瀬さんも楽しそうと言うよりも、何かを思いつめるような、必死さがあった。僕らに労働を認めた男も楽しそうではない。

「まぁいいが、仕事は遊びじゃねぇってことは覚えとけよ、ガキ共」

 会社の自販機を破損させられて、僕らを働かせる。気分の良いものじゃないことは理解している。納得していないのは僕も同じだ。でも、そう言う言い方をしなくてと思うのは、この人のことを僕自身が大人だと思えない第一印象だからなのだろう。

「おら、早く来い。仕事は腐るほどあんだ。ちんたらすんな」

 サンダルの乾いた音でアスファルトを蹴り、飾る気すらない足取りでシオカゼへ歩いていく背中から声が叱責する。

「ったく、意味わかんねぇよ」

 それに連れられる杠葉という人は、何度か僕らを本当に忌み嫌うように睨んできて、僕は視線を向けられなかった。

「……大丈夫。私は頑張れるんですから」

 その後ろをついていく木名瀬さんは、そんなことにも気づかないほどに、自分に暗示をかけていた。不思議な子という印象は深まった。

「いっちー、頑張ろうね。これで少しは気を紛らわせられるよね?」

「え?」

 ほらほら、と今日出会って、まだ数時間程度だと言うのに、僕の手に伝わる繊細さの温かさは、どうしてもそこにいるのが他人に思えなかった。遠すぎる夏の雲が眩しく僕の目の前にある夏の始まり。同時に僕に与えられた天の悪戯の開始だった。

「やっぱり忙しいほうが人って忘れられるもんね」

 夜々の言葉は、深くすり抜ける。夏だというのに冬空の隙間風のように、僕の内面にあるものを拭き去らそうと夜々は笑っていた。


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