十ページ.夏の朝
予定通りの更新です。
これからは、各自のエピソードを交えていくつもりです。
「おせぇぞ。クソでもしてたか?」
「っせぇ、黙れ」
どうしてこの二人はこうも落ち込みたくなる嫌悪の空気を纏うのだろう。恐い。でも僕にも気づくことがある。似ているわけじゃないけれど、似たものがある。この男の人は杠葉君に対して本気で嫌悪を見せてるわけじゃない。どちらかと言うと、あの頃みたいに僕をからかうように、男の人は杠葉君をわざと挑発するように声を低くしている。そして杠葉君は、あの頃の僕そのもののように、その反応を本気だと思い込んで、本気で睨んでいる。それに気づいているのに、僕は極度の緊張を解くことが出来ない。
「まぁいい。んで、だ。話を戻すとだな。おめぇらは何も出来ねぇって事だな?」
「は、はい……」
男の言葉に答えたのは僕だけ。杠葉君は窓際に腰を下ろし、腿に肘を着いて、頭を掻いていた。
「つーわけで、てめぇら、これ今日中に読破して叩き込め。明日は船体塗装だけしてろ」
そういって僕らに投げられた雑誌。いや、書籍だ。僕は手に取り、杠葉君は視線を落とすだけ。二冊とも同じ書籍で、「分かりやすい図式入り、ヨット・クルーザー整備の全て」と書かれたページの多い本だった。
「そいつの中のYAMAHAの26 2 EX SHのページに掻いてあること全部覚えとけ。道具の使い方、場所は朝教える」
そう言いながら、よっこらせ、と立ち上がった男が部屋を出て行く。
「与えられたことくれぇ、やってみろ。自分じゃ何も出来ねぇんならな」
閉められた襖に残された言葉が、僕には響いて聞こえた。見破られているような言葉だった。何も出来ないからここに着た僕のことを知っているのか、あの人は。大した驚きじゃないとは言え、聞きたいことがあったのに、それを言葉に出す前に、その言葉が僕の言葉を押さえ込んだ。
「だり」
杠葉君が置かれたままの布団に背中を預けて横になった。まだ布団を引いてないし、それは僕の布団も重ねて置いてある。足を伸ばして組む姿に、布団を敷いても良いか? 何て聞けない。
ただ、雰囲気と空気に馴染めなくて、カップ麺とポットが置いてあるテーブルに本を広げて読むしか、ここに僕の逃げ場はなかった。
言われた通りにヨットのページを探す。写真や部品の図、整備方法や取り扱い方など、正直四でも分からない専門用語の羅列されたページは、簡単に理解出来ないと、分かりやすいなんて嘘じゃないか。そう、この本のタイトルに文句が言いたいくらいに難しい。
「おい」
「な、何?」
不意に声をかけられ、緊張の糸が震えた。
「やんのか、お前?」
その言葉には聞き覚えがあった。でも、口調は違った。怒ってるわけじゃない。でも、不機嫌なのは変わりない。
「そうしないと、帰れないみたいだから」
何の関係もないというのに、この現状は理不尽だ。
「逃げりゃいいだろうが。おめぇ関係ねぇだろ」
「それは……まぁ」
いざとなればそれくらい簡単だ。バスの時間がないだけで、一人で帰る分の交通費は何とかある。最悪乗れる所まで乗って、歩けばいい。でも、それをしようと思う心だけはどうしてか湧いてこなかった。帰りたいけど、一人だけそうするなんて……。罪もないのに罪悪感があった。
「あいつか」
聞くわけじゃなく、分かっている答えを押し付けてくる。それを否定しようにも、夜々の笑顔と一瞬見せた、あの笑顔の裏にある悲しげな顔に、僕は勝手な罪悪感を抱いてしまうのだろう。僕はまだ、誰かと繋がることを求めている。そう理解した瞬間に、自分の小ささに少しだけ、気がつけた。
「めんどくせぇ奴だな」
「かも、しれない」
今の言葉が夜々を指しているのか、それとも僕自身だったのか。
……後者、なんだろう。
「いっちー、杠葉ぁー、お風呂だよー」
神妙なのかそうじゃないのか、沈黙を破るように遠くから夜々の声が聞こえてきた。
「好きにしろ」
どっちが先に、と聞く前に言葉を背中越しにぶつけられた。動く気もないんだろう。横になったまま、本を手に取っていた。ここにいたところで変わるものはない。買ってきた下着と貸し出された服を持って部屋を出た。
「あ……」
「あ、えっと、あの……」
部屋を出て廊下を歩く。角を曲がった所に引き戸の洗面所があって、その対面にはキッチンがあった。そこに居た木名瀬さんと目があった。さっきも夜々と一緒に食器を洗っていたのに、また洗っていた。
「こ、これから、お、お風呂、ですか?」
「うん。木名瀬さんは、もう入ったんだ?」
僕らとは違って、持参した服だった。それでもどうしてだろうか。近所に居る普通の子とは少し違う服。なんていうのかは知らない。でも、僕が知る限りでは、お洒落と言えるようなパジャマでもないような服装には、出逢ったことはない。基本、普通にシャツと短パンとかしか見たことがないから。
「は、はい。先ほど、姫柊さんに誘われて……」
警戒ではないけど、空気が思い。お互いに緊張している。分からないから、何を話題にすることがあるのか、顔すらまともに見ることが出来ない。
「そっか。もう打ち解けたみたい、だね?」
僕とはまるで違う。夜々が相手ならそうなるんだろう。
「そうだと、嬉しいです」
照れたように小さな笑みが浮かんだ。それを見ていると、何となく想像できてしまう。木名瀬さんは、それほど友達は多くないのだと。僕も人のことは言えない身分だ。友達が居れば、きっとここには来ていないはずだ。
「まだ片付けの途中みたいだし、僕は……」
「あ、はい。明日から、頑張って下さい」
うん、と返事をして風呂場に向かう。戸を閉めると緊張が一気に解けた。好き好んで頑張るわけじゃないと言うのに、頑張れと言われると気持ちは微妙だ。だから、聞くに聞けなかった。木名瀬さんは、良いのかと。何か目的があったんじゃないだろうか。一人だけ旅支度を整えていた。それに、杠葉君に誤解だったけど、絡まれているだけだった人だ。それなのに、夕飯の時や今のことを見ていると、楽しそうにしているように思える。いや、楽しそうに振舞おうとしているのかもしれない。服を脱ぎ、洗濯機にいれる。家事は夜々がやると言っていた。下着まで洗濯されるのは、さすがに抵抗があったから、風呂に持ち込もう。鏡に映る自分に、この生活の意味が見出せない僕の顔が映る。
「運動しないといけないかもな」
その下の体は、もうあの日みたいな体つきじゃない。早いな。そう思うくらいに筋肉が落ちている。どうりで買い物の荷物にさえ疲れるわけだ。昔はそんなことはなかったのに。
「……ふぅ」
そこで思考を停止した。これ以上は思い出してしまう。今日の疲れを癒す為に、ほんのりと良い匂いの残る風呂の戸を閉めた。
「せっちゃん、髪、梳いてあげよっか?」
「いえ、大丈夫です。やーちゃんこそ、手は大丈夫ですか?」
男部屋とは打って変わっての緊張感がだいぶ緩んできた室内。扇風機の風が首を振るたびに二人の髪を靡かせる。右に瀬栖榎が座り、櫛で髪を梳き、左側の布団に寝そべって夜々がそれを眺める。テレビのない部屋。静かなものだった。
「あーこれ? 平気だよ。いつものことだもん。それにせっちゃんが洗ってくれたし」
夜々の手は、少しだけ光を反射していた。その近くにあるハンドクリーム。
「それよりさ、せっちゃん。せっちゃんってどこから来たの? あ、あたしは、この近所」
話題を夜々は逸らせる。パタパタと大丈夫だと手を振り、それ以上触れさせないように。
「私は、鹿児島市内です」
「そうなんだ。対岸だね?」
「はい」
髪を梳く瀬栖榎を見る夜々。しおかぜの目の前の海を跨いだ先にある鹿児島市内。瀬栖榎はそこからやってきた。
「聞いても良い? 嫌なら答えなくても良いよ」
「ここにいる、わけ、ですか?」
感じ取ったのだろう。なぜわざわざこっちに来ていたのか。もしくは来たのか。夜々は乙樹と朔のことは知っている。しかし、二人に比べ、瀬栖榎はまるで異なる場所からやってきていた。手を止め、夜々を見る瀬栖榎に夜々は肯いた。
「あ、あの……」
話そうと口を開くが、続かない。戸惑いに視線を動かす姿に夜々は笑った。
「うん。無理しないで良いよ。今はここにいる。それだけで良いよ。あたしと同じだし」
「すみません……」
笑う夜々と俯く瀬栖榎。若干の沈黙が生まれてしまった。
「でもさ、あの人、何者だろうね?」
「え? あの人……?」
夜々が話題を変えて、首を傾げる。瀬栖榎には思い当たる節がないのか、多いのか夜々を見る。
「だって、あたしたちを纏めて泊めて、働かせてるんだよ? 普通さ、おじさんがそんなことすると思う?」
指し示す人物は四人を引き込んだ男。瀬栖榎が小さく口を開けた。
「杠葉が悪いことしたのは事実だけど、珍しいって言うか変だよね?」
「そ、そうですね……」
はっきりと変な男だという夜々にそれほど疑問視していなかったのか、瀬栖榎は苦笑した。
「……れ、ちゃう、かな……」
不意に夜々が何かをぼやいた。
「やーちゃん?」
そのため息と表情は、笑顔を消失し、夜々自身も完全にこの状況を飲んでいる様子でもなかった。
「え? あ、ううん。それよりも、明日からいっちーたちは大変だろうね。杠葉が逃げないように、あたしたちもしっかり見張ろうね?」
「は、はい」
笑顔で言われると弱いようで、瀬栖榎は何も聞くことが出来ないまま、再び櫛を手に取り、髪の上を滑らせていた。
「明日からどうなるんだろうなぁ、あたしたち」
「そう、ですね……」
翌日の午前。僕はヨットの前にいた。一人でぽつんと。もちろん、仕事の時間というわけじゃない。工場と言うのだろう。さっきドアに工場入り口とあった。倉庫ではなく工場。これから仕事を行う場所だ。それでも今の時間は静かだった。
「何をしてるんだ、僕は……」
眠れなかったから、早く目が覚めた。それならそれで割り切れるものがあるが、今に限ってそうじゃない。まだ誰も起きてはいないのだろう。部屋を出てここへ来るまでも、静かだった。夜、そそくさと杠葉君の機嫌を損ねることのないように就寝し、寝ている間もなかなか緊張が解けずに、早く目が覚めた。生憎寝不足ではないらしく、体が至って普通。今に言えば、この孤独の方がリラックスできている。ラフな着替えのまま、靴を履いて外に出る。朝焼けはしおかぜの背中の山に隠れているけど、対岸の空まで覆いつくす空が、夏の朝焼けを海に映し出していた。背伸びをすると、まだ涼しい潮風が鼻の中から体内へと広がっていく。このまま背伸びを続ければ空にも手が届く。そんな馬鹿げたことを考えられるくらいに穏やかだった。
「どうしようか……」
することがない。部屋には戻りづらい。かと言って誰も起きていないまだ朝の五時を少し過ぎた時間。時間を潰せる場所なんて、目の前の海くらいだった。車の通らない二車線を跨ぎ、小さな砂浜へと降りる階段を下りた。久しぶりに感じる柔らかい踏み心地は、歩きにくく、そのまま地中へ吸い込まれそうだった。
「……はぁ」
も言う一度背伸びをした。特に意味を求めるわけじゃなく、自然と奏したい気分だった。
「柔らかすぎるな、さすがに」
足に力を入れ、砂浜を踏み込む。靴の圧力に押し出された砂が盛り上がり、思わず軽く体を押し出す。長く忘れていた感覚が、一瞬だけ風のように流れて消えた。
「やっぱり、柔らかすぎる」
これだと、走ろうにも足を取られるし、足が上がらない。踏み込みも想像以上に反発が弱く、つんのめりそうになった。耳をくすぐる波音がそんな僕をおかしそうに笑っているようで、近くに落ちていた細い流木を渚に投げた。でも、そんなことで変わりはしない。すぐに打ち上げられた小枝が戻ってきては、波にもてあそばれた。
「筋トレには悪くないんだけどな」
そんな砂浜でも、少しの思い出はある。今みたいに上手くバランスが取れない体が、よく砂に飲まれていた。
《よーい……ドンッ!》
朝日が顔をまだ少しだけ出した瑠璃色の空の下。眠気を吹き飛ばすようなスタート合図に、僕は足に踏み込む力を一気に放った。僕は砂浜に立ち、彼女は僕を見下ろすように、堤防に立ち、手を叩く。それはまるで、僕にはまだまだ届かない高みに、彼女が居るのだと、僕の足はいつも以上に強い力を吐き出すように砂地を蹴った。
《……っ! ……ぅわっ》
それでも、柔らかい砂地は、踏み込みの力に比例した反発力を持っていなくて、逆に押し出す力すら飲み込むように、僕の足を滑らせた。
《あっはははっ! いっき、格好悪〜い》
そんな僕を、走るように指示を出した張本人が馬鹿笑いして、僕を指差した。彼女に笑われるだけで恥ずかしいと言う思いが一気に沸き立ち、何事もなかったように装うにも、その情けなさには自分自身が一番恥ずかしいと理解している以上、靴に入った砂を出すしか出来なかった。
夏の朝。朝錬をしようと誘われて軽いロードワークがてら海沿いに来た。
それは特に珍しいことではなくて、休みの日にはよくあったことだ。日頃から走っていた体には休息が必要。だが、休ませすぎるとリズムが狂う。そんなことを教えてくれたのが朝陽。と言うのは後付で、はっきりとした理由なんてものは、ただ、走りたいから。その理由で連れ出される僕は、そうとでも理由をつけないと、休みの日は休みたいという欲求に布団にもぐっているだろう。
《ねぇ、いっき。砂浜って着地衝撃が少ないし、柔らかいから筋トレになるんだよ》
笑顔を鎮めた朝陽が真面目にそう言った。一度堤防に腰を下ろし、足をぷらぷらと揺らせると、堤防の壁に靴のかかとが当たって、リズムを刻むようにコンコンと音が聞こえた。
《へぇ、そうなんだ。でもさ、バランス取りにくくない?》
《そ。だからこそ、バランス感覚を養うことで、硬い接地でも筋力バランスを均衡に出来るように訓練するの》
確かに砂浜で走れば不安定な感覚に対して、それを補おうとバランスが強化されるのかもしれない。踏み込みが弱くなる分、脚力もつきそうだ。だからきっと、疲れる。さすがは朝陽。そう言う練習法を教える為にこんな朝早くから呼んだのか。期待してくれているなら、僕はそれに答えるだけだ。
《ふーん。そう言うものなんだ》
そう教わると、僕は単純なのだろう。それを意識して走ってみようと思い立ってしまう。もう一度足場を固めるように位置を取り、朝陽を見上げる。
《なぁ〜んて、うっそーっ!》
《……は?》
もう一度スタートダッシュの練習をしようと思った僕に、また馬鹿笑いが飛んできた。拍子抜けするくらいに気持ちのいい笑い声に、固まった。
《嘘? って、何が?》
《んもぉ、信じちゃって、いっきってばか〜わいい》
そう言いながら、あはは、と一人笑いながら、手で勢いを付けた華奢なのに、力強さを感じる体が空を飛び、柔らかい着地で僕の傍に降り立つ。そして向く笑顔。僕にはさっぱり理解出来ない。その姿と笑顔ではなく、嘘だと笑うことが。
《砂浜って、走っても大した筋トレになんないの》
《え?》
唐突な事実の吐露に、余計に理解出来ない。
《砂浜って必ず傾斜があるから、走っても体の筋力バランスが左右崩れるし、無駄に筋力も使うから、筋疲労するし、普通は走らないって》
おかしそうに僕を笑う朝陽が言った。確かに、ここに来て朝陽は一度も走っていない。アスファルトだけを、いつものように僕を背中においてここまで連れてきた。
《そうなの?》
《そうなの。まぁ故障とかで軽いトレーニングにジョグする程度かな。疲れたからって大して筋力がつくわけじゃないんだよ、砂地トレーニングって》
……騙された。また、騙された。
《砂地を走るなら、草地か傾斜でダッシュの方が全然効率良いし、山の方がぜんぜんマシ》
そして、また笑った。僕が信じて本気で走っては、足を滑らせたって言うのに、それを本気で走っちゃって、と笑う。騙されることは少なくない。今回もその一つだろう。理解した以上、ただ弄ばれるだけというのは男のプライドにも関わる。
……そんなもの、僕にはあまりないと思うんだけど。
《騙したな? 朝陽?》
《何でも信じちゃういっきの悪い癖を直してあげよーと、優しくて美人で素敵な朝陽ちゃんのご指導でしょ?》
《なら、そうと言ってくれれば良いじゃないか》
何も言わないでいきなり連れ出し、何も教えることはなくやらせるのは、朝陽の悪い癖と言うか、癖だ。
《言ったらやらないでしょ?》
《聞けば十分だからな》
《いっきは聞くだけ、見るだけのだけだけ人間だから、指導がいるの、指導が》
それは指導とは言わない。笑ったじゃないか。楽しそうに。僕はおかしそうに笑う朝陽を誘うようにゆっくりと波打ち際に歩く。
《……はぁ。もういいよ》
《もぉ、怒った? これくらいで怒らないでよぉ。ちゃんといっきにも教えておこうと思っただけじゃん》
そんな僕の背中をついてくる静かな足音に、僕は波間との距離を目測で図る。あと二メートル。
《それは良いさ。でも、笑うことはないだろ?》
《だって、いっきってば一生懸命になるんだもん。面白いでしょ?》
面白いのか?
一生懸命、それを信じてやっている姿って。そう言い返すのを我慢して、後一メートル。数歩の所で、後ろの足音と僕の距離を耳で感じる。恐らく三歩ほど離れている。
《ひどいな。何も知らないからって》
《だからぁ、知らせてあげようとしたじゃん。……でも、見てるとやっぱり面白かったかも》
その一言がなければ良いものを。はっきりと言うものだから、心の中ではため息ものだ。すぐ足元まで波がやってきた。
《でも、これで怪我とかした時のリハビリ方法は分かったでしょ?》
僕はおもむろに屈んだ。朝陽の影が、僕の影を飲み込んだ。
《ああ、そうだな。朝陽には色々教わった礼をしないといけないな》
《うんうん。そういう心がけは大切だよ……きゃっ!?》
満足げに肯いていた朝陽に向かって、僕は手ですくった海水を立ち上がり、振り向きざまに朝陽にひっかけた。とっさのことに顔を逸らせる朝陽の前から、僕は全速力で駆け出す。
《ちょっ! い、いっきっ!? 何すんのよっ!》
《お礼だ。気持ちが良いだろ?》
《そう……あたしに対する感謝の気持ちがこれなわけね……いっきっ! 待て、こらっ!》
十メートルほど走ったところで、目の色を変えた朝陽が砂浜を蹴り上げるように、こっちに走ってくる。
《よくも人の厚意を無碍にしてくれたわねっ!》
《教え方に問題がある方が悪いんだ》
《いっきっ! 待ちなさいっ! もぉ、許さないんだからぁっ!》
短距離なら勝てる自身があった。男女の筋力の差だ。だからこそ、僕は背中から迫る鬼気とした朝陽の声と駆け足音に、砂浜を駆け抜ける。
《まてぇっ! いっきっ!》
《追いかけるのを止めれば待つさっ》
まだ薄暗く、暑さもない朝。僕らは無駄に疲れるだけなのに、不思議と僕は楽しいと思える走りで、汗を流した。
閲覧ありがとうございました。
2月から開催されるアルファポリス恋愛大賞エントリー作品なので、それに合わせて展開をしていくつもりなので、宜しければ投票をよろしくお願いします。
次回更新予定作は、「if」です。
更新予定日は1月15日です。