レシェリールと聖獣剣①
レシェリールの過去。聖獣剣との出会い。
レシェリールはターナ帝国の第三皇子として生まれた。
虚弱だった彼は、老いた乳母のナシャと小離宮で日々を過ごしている。
皇妃である母。その血を引く兄が二人。母違いの兄弟姉妹もたくさんいた。
跡継ぎには事欠かない。レシェリールがいなくとも、誰も困りはしない。
そのことに気づいたのは、彼が四歳のとき。
ひっそりと静まり返る小離宮の窓から、荒れはてた庭を見つめていた。
今日はめずらしく庭師がやってきて、木々の剪定をしている。
ぽとりぽとりと、枝ごと地面に落ちる花の蕾を見ていると、悲しくなる。
「ねぇ、つぼみがついてるのに、どおして切るの?」
窓から声をかけると、老いた庭師は笑った。
「これは要らない花なんですよ、嬢ちゃん」
ほんとうは男児なのに、女児の格好をしてる。
体の弱い男児はそうすると、長く生きられるという母の里の迷信ゆえ。
だから、はじめて会った人にはよくまちがえられる。
「でも、もうすぐ咲きそうなのに」
「ほら、ここ。茎が黒くなって病気になってるでしょう。他の花がきれいに大きく咲くためには、切らなければならないんですよ」
ぽとり、ぽとり。
病気だから要らない花。病気だから要らない子。
病気になった花は、咲くことを許されない。
病気になった子は、小離宮から出られない。
「いいえ、レシェリール様も大きくなれば、丈夫なお体になりますとも! そのときには皇宮に住まいを移られることになりますよ、きっとです」
乳母のナシャは、そう言って慰めてくれた。
レシェリールは口数の少ない子だった。話すのはナシャとだけ。
小離宮にいる警備兵や料理人、たまに診察にくる皇宮薬師とはしゃべらない。
何故って、彼らがレシェリールを疎んでいるのが視線で分かるからだ。
〈皇帝に忘れられた皇子〉だと。
それを態度にまで出さないのは、ナシャが目を光らせているから。
彼女は元・皇妃付の女官であり、今でも皇妃からの信頼は厚い。
告げ口されて職を失うのを恐れたから、悪辣な態度に出ない。それだけだ。
「はやく、大きくなりたいな」
「好き嫌いせずに食事を召し上がれば、すぐに大きくなりますよ」
レシェリールは肉が嫌いだった。
体が強くなると言われても、口に含むと気持ち悪くて食べられないのだ。
たぶん、初めて食べた羊のステーキのせいだと思う。
ナシャが外出中のときに、料理人が運んできたものだった。上物の肉だから残さないでくれと言われて、変な味がするけど仕方なく口にした。吐いたしお腹もすごく痛くなった。
それ以来、肉料理が出ても、そのときのことを思い出して食べることができない。
「……お肉は、ムリ」
「ちゃんと中までしっかり火を通していますから」
あのとき、帰ってきたナシャは料理人を怒鳴りつけていた。皿に残った肉を見て、「あんな生焼けのものを食べさせるなんて!」と。料理人は皇妃からの命令で、すぐにクビになった。
それからは、ナシャが食事を作ってくれている。
「それでも、ムリ」
「そんなこと言ってると、いつか素敵な花嫁様が来てくださったときに、かっこよく抱き上げることもできませんよ?」
「花ヨメ……さま?」
「そうですよ、花嫁様をもらうのは、帝国の皇子としての義務でございますからね」
「ぎむ……?」
「やらなければいけないこと、です。可愛くてやさしい姫と、仲良くすればよいのでございますよ」
「ここにはヒメなんていないよ? ヒメの格好をしたオウジならいるけどね」
ちらっと幼児らしからぬ皮肉をこぼす。
ナシャはそれを大きな声で否定する。
「世界は広いのですから、いつかこの小離宮を出て、ご自分の足で見つけるのです。もちろん、そのときには立派な皇子様の正装でゆくのですよ。そのためにはまず、力をつけませ。はい、今夜は鶏肉のトマトソース煮込みでございます!」
「ぅええええー」
レシェリール七歳。
ある冬の日、ナシャが事故で死んだ。真夜中に階段から落ちてあっけなく。
新しい世話役がやってきた。二十三歳の女で、名はアンナ。
やたら自分の巻き毛を指先でいじり、たびたび鏡や窓ガラスをのぞきこんでは、自分の顔にうっとりする変な女だった。
大臣が連れてきたので、身分はそれなりに高いと思われたが、初対面からまったくの教養のなさが窺えた。大人には愛想よくネコをかぶり、レシェリールに対しては聞くにたえない汚い言葉で罵り、暴力をふるった。
同じころ、いつのまにか厨房に居座るようになった男は、なぜか、以前ナシャによって追い出されたはずの料理人で──
そのことを誰かに抗議しようにも、相手がいない。忙しい皇妃に代わり、たまに様子見にくる使いの者は、ていよくアンナに丸めこまれては追い返された。
警備兵は仕事をさぼって客間で居眠りするようになり、皇宮薬師は診察することもなく、アンナとおしゃべりに興じていた。ついでの元・料理人は厨房で料理酒を飲んだくれていつも寝ている。
食事もままならず、レシェリールは厨房でこっそり野菜や果物を手にいれることで、飢えをしのいでいた。
アンナは小離宮にあるものを少しずつ持ち出しては、城下で売り払っていた。
まっ先に盗んだのはレシェリールの部屋にあったもの。
皇妃からの誕生日プレゼントである銀製ペーパーナイフや、宝石の埋まった腕輪から始まり、衣装や靴、置物、燭台、鏡、本、シーツまで手当たりしだい盗まれた。
彼も黙ってそれを見ていたわけではない。何度か止めようとしたが、その度につき飛ばされたり平手打ちされたり、足蹴にされることもあった。
「なんて汚らしい赤茶けた髪と目! まるで赤錆みたいね! だから、お前はこんな辺鄙な離宮に閉じこめられるのよ!」
皇妃は黒髪黒瞳、皇帝は濃金髪に黄瞳。レシェリールとはちがう。
だが、ナシャは他の兄弟たちも、両親と似ていない者がいると言っていた。
だから、これは言いがかりだと分かっている。
「男のくせに女の衣装を着るなんて、みっともないったらありゃしない! 脱ぎなさいよ! あのお高くとまった皇妃が浮気して出来た子のくせに! お前は生きててはいけない不義の子なのよ! そうよ、奴隷になるべきよ! 貴族である私に跪いて頭を下げるべきだわ! なに、なんなのその目は? 畜生腹から生まれたくせに!」
不義の子なら、そもそも小離宮で育てたりしない。
皇帝がわが子として認知しているから、ここにいるのだ。ナシャはそう言っていた。
「だいたい、私は陛下の寵妃になりたかったのよ! なのに、側室の下っぱと十人まとめて同じ部屋でザコ寝だなんて! しかも、私を素通りして不細工なちぢれ赤毛の女をお召しになるだなんて! 私を見なさいよ! この美しい私を!」
ヒステリーを起こして暴れだす。
身の危険を感じたので、その場から逃げた。
どうやら、アンナは後宮で皇帝に見向きもされなかったため、大臣のコネからレシェリールの世話役についたようだ。
後宮の主である皇妃の子を害したい、という思いが透けて見える。
ふつうならそんなことをすれば不敬罪で処罰されるだろう。
だが、レシェリールは忘れられた皇子だ。
それ以来、彼は自分の部屋にはもどっていない。
物置部屋のような、埃をかぶった古道具のひしめく場所で日々を過ごした。
時折、何かわめきながら自分を探すアンナの罵声が聞こえてくる。
キレて物にあたり散らすさまは尋常でない。
昼寝ばかりしていた警備兵も、庭の草むらをかき分けて探しているようだ。
厨房の食料も底をついてきた。もうここにいるのは限界だと思った。
夜中に小離宮を抜け出すことにした。廊下の奥へ奥へと進む。
アンナの目を盗んで手にいれておいた小離宮の鍵束を使い、いくつかの扉をそっと抜けてゆく。裏庭から出るつもりだった。
ふいに声が降ってきた。
《なんて不憫なコ……他人の妬み嫉みで雁字がらめじゃない》
女の人がいた。全身が淡く光っている。
輝くガーネットのような真紅の髪が、風もないのにふわりふわりとなびく。
天井近くに浮いている。ぎょっとしたが、そのさまにすぐに人ではないと悟った。
《あんたさぁ、長く生きられないよ?》
「……どなたですか?」
《あたしはブレア・クレア。この部屋に住んでいるの》
目の前に煤けた扉があった。
窓からさしこむ淡い月あかりで、扉のすきまが漆喰で固められているのが分かる。
今までこんな奥の通路まで来たことはなかったが、何か異様だ。
彼女の真紅の髪を見て、ナシャから耳タコになるほどくり返し聞かされた話を思いだす。
その昔、ターナ帝国に戦で負け、支配された部族から納められた剣があった。
荒ぶる聖獣の御魂が宿るという──聖獣剣。
時の若き皇帝は、それを手に戦場を駆けた。華々しい戦果を上げるも、かの皇帝はわずか三年で狂人となって床に伏し、やがて衰弱死した。
その次に立った異腹の弟は、兄の棺から聖獣剣を奪い戦場に出たものの──そのまま帰らぬ人となった。聖獣剣は部下たちが皇宮に持ち帰ったが、次、また次と立つ皇帝や皇太子らを死に導いた。
あるとき、立った女皇帝が、聖獣剣は災いの元であると断じ、高名な術師に封じさせた。
これは民間にも伝わる逸話だが──本来、聖獣剣というものは、数こそ少ないが大陸のあちこちの国で見聞される。共通して語られるのは、高潔で、気難しく、気性荒く、だが、一度見込んだ主人には忠誠を誓い、敵をなぎ払ってその身を守るというもの。
つまり、死んだ皇帝らは忠誠を誓われていなかったということになる。聖獣剣を御せない痴れ者だと、噂に尾ひれがついた。
封じられた聖獣剣は、今でも皇宮のどこかにあるらしい。
ナシャの家系は始祖皇帝からずっと皇家に仕えている。
だから、歴史裏の事情にくわしい。
「聖獣剣は、〈真紅の髪の乙女〉の姿で現れたそうにございます。最初に、かの剣を手にしたリン帝は、歴代皇帝の中でも特に見目麗しく、才気にあふれ人望厚く優れたお人柄であったと申します。かの御方の死後、墓より聖獣剣を奪った者たちは、戦場で剣を鞘から抜くことままならず、敵に討たれたと伝えられております。聖獣剣は使い手を選んでおるのですよ。おそらく、リン帝だけをお選びになった。──ええ、ではなぜ、かの帝は狂人になられたのか。ここから先は推測でございますけどね──乙女でもあった聖獣剣は、リン帝に懸想したのでございましょう。けれど、拒まれた。いくら何でもわが身を守る武器であり、本性が獣の乙女などと婚姻するわけにはまいりません。乙女は仮の姿なのです。忘れてはなりませんよ? なぜって、それは、レシェリール様はリン帝と同じ紅茶色の髪と瞳をお持ちですから……いつか、ゆるんだ封じの向こうから、かの乙女が声をかけてくるやも知れません」