10 氷熊な王女、森主と出会う
1月27日
「どうもー、ワシはこの森の主ケプトじゃ」
マリエッタは、目の前で話しかけてきた小柄な苔人を見つめた。
身の丈は百四十センチほどだろうか。葉っぱで作った腰巻をつけ、緑の苔で覆われた顔はなんとなく老人ぽい。苔がのびてヒゲのような感じになっている。
ねじりのはいった立派な飴色の木杖をついていた。黒々とした両眼には、どことなく知性を感じる。頭にキノコは生えてなかった。ちょっと残念。
しかし、これまでの苔人が「オオオ」しか言わなかったので──
〈こちらの分かる言葉をしゃべってるのが驚愕だわ!〉
「いや、驚愕もなんも、アンタ人間の言葉わかっとんじゃろが」
〈はっ、そういえば人の言葉……って、あなた人間じゃないでしょ! なんですの!? 突然変異!?〉
ずいぶん長いこと人と話してなかったので、大陸共通のフィアレス語を忘れるところだった。唯一の話相手である鷲とは、もっぱら獣語だ。
ちなみに、この森で苔人以外の生物は虫しか見たことがない。毒グモとか毒ムカデとか。つい、反射的に氷の攻撃魔法で駆除したら、それ以来、足の多いやつは見なくなった。
「いやいや、むしろワシがオリジナルっちゅーか……待て! 敵意はない、ワシは菜食主義じゃ! その凶悪な爪が出た熊手を下ろさんかい!」
つい両手をふり上げて臨戦態勢をとると、ケプトと名乗った苔人はあわてて叫んだ。
〈……いいですわ、話を聞きましょう〉
「どーゆー経緯か知らんが、アンタ、中身は人間のおなごじゃろうに……えらい好戦的じゃな」
〈やむにやまれずですわ!〉
食うか食われるか、狩るか狩られるかのサバイバルな世界に放りこまれたのだ。
生き残るためなら前者になる。
〈ところで、何故、初対面で中身が人間の女だと思いましたの?〉
「そんなお嬢なしゃべり方する獣はおらんからな」
と、ここまでの会話が、人語と獣語で違和感なく交わされていることに、ようやく彼女は気づく。
近くの枝に留まった鷲が、ケプトを見て首をひねっている。
人語は分からないが、敵意がないのは感じたようだ。
〈森の王、これって何なの?〉
〈森の主ですって〉
わたくしの称号〈森の王〉と被るわね。
そんなどうでもいい感想を、木々のすきまから見える青空をながめながら思った。
ケプトの話によれば、もともと、苔人は彼が実験の末に生み出してしまったモノなのだとか。あそこまで凶暴化したのは誤算で、森の生態系を破壊されて困っていたのだという。
「あれらは肉食でな、人間が大好物なんじゃ。人間どもも馬鹿じゃないからなぁ、苔人の噂を聞いたんじゃろ。近年、めっきり森にくる人間が減ってな。今度は腹立ちまぎれに、森の動物を片っぱしから食い捨てるようになりおって……その次には、苔人どうし共食いしだして、やっとこ数が少なくなって、あとは自然消滅を待つのみじゃったんじゃが」
話の合間に、己の頭頂部をじっと見つめる視線が気になったのか、ケプトは左右にゆっくり頭を動かしている。視線をそらそうとしているのだが、あまり効果はない。
マリエッタとしては、なぜあそこにあるべきキノコがないのかと、凝視しているわけで。
「そこにガスパ国から調査団が来てな。この豊かな森を狙っておったんじゃろう、護衛の軍団付で二百五十名も来やがったんじゃ。絶滅しかけた苔人は、大量の獲物にそりゃあ大喜び。あっという間に喰らいつくして、再び大増殖。わらわらわらわら湧くように増えるんじゃ。苔人の体から毬藻がぽろっぽろ落ちてな。それが苔人となるまでの成長の早さと言ったら……! 絶望の序曲が流れるそこへ、アンタが来てくれたんじゃ」
〈はぁ〉
「あれらを再起不能にしてくれたことに感謝する。ついでに、森に残っているやつ全部片付けてくれるとうれしいんじゃが……」
〈再起不能って……キノコ摘んだだけよ?〉
「そう、それをな! もっとやって欲しいんじゃ!」
〈あとどのくらいいますの?〉
最近、動き回っている苔人は見ていない。
「隠れてるやつを燻し出せば、三千じゃな」
隠れてたのか。氷熊の目がきらりと光った。
〈よくってよ。それで、わたくしのメリットは?〉
ただでは働かない、そう言うと。
この森での滞在許可と、採ったキノコで料理をふるまってくれることを約束したので、マリエッタは承知した。ケプトは人間が落としていった荷物を回収しているのだが、その中に香辛料や、米、乾し肉、豆、チーズ、ビスケットなどがあるという。
久しぶりに人間の食事にありつけるのだ。
そののち、わずか三日。
ケプトが焚いた薬草の煙で、緑の中に擬態していた苔人は燻し出され、右往左往しているところをマリエッタによって頭上のキノコを狩られた。
「ガゥワオオオオオオォ──!〈大漁ですわぁ──っ!〉」
ご機嫌な氷熊の咆哮が森中にとどろいた。
1月30日
ケプトが聖域と呼ぶ場所があった。
それは森のど真ん中にあるとてつもなく巨大な樹木で、その上に木造の家を建ててあるのだ。登るには樹木の洞にある階段を使う。
洞には扉がついていて、苔人が嫌う薬草の汁がたっぷり染みこんでいる。もちろん、樹木の周りをかこむ柵にも。だから、この聖域にいるかぎりケプトは苔人に襲われずに済んだ。
ケプトも苔人なのでこれは苦肉の策だったらしい。
自分の家にはいるのに、自作の奇妙なゴーグルをつけ、鼻と口を布で覆い、革の手袋をつけて扉を開け閉めしている。
「まだ当分は薬効があるからの、素手では触れんのじゃよ。刺激臭もキツイんじゃ」
屋内には人間が使う寝台やテーブル、椅子、鍋や皿など生活用品がそろっていた。
古いが朽ちた感はなく、むしろ長年ていねいに使いこまれた印象がある。
人間の食事をごちそうになってから、マリエッタは鷲とともに、この家を訪ねるようになった。
ケプトがもとは人間であり自然学者であること、前任の森の主に気に入られ、〈森の記憶〉を引き継ぐことで森の主になったことを知った。
「始めのころは、この森の生態系を隅々まで研究できると喜んだものじゃが……苔人を作りだしたことで、森の生き物らを絶滅の危機に追いやってしもうた。前主から森を頼むと言われておったに、我ながら情けないことじゃ」
マリエッタがはじめてここに来た日、家の中にはさまざまな小動物がいた。
それは苔人の目をかいくぐってケプトが集めた、森の生き残りだった。
彼らはすでに、このせまい家から森の中へと放たれている。時が経てばまた増えてゆくだろう。
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