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地獄の沙汰も僕次第  作者: 古泉ささみ
2/10

船出の時間

 三途の川。それは現世と地獄の狭間に通る大きな川だ。なんやかんやあって死んだ人間は三途の川を渡ってこちらへとやってくる。さらにその先を言えば、やってきた亡者は閻魔様をはじめとする十王――十人の裁判長が構える法廷へと案内され、そこで生前の行いを確認される。そして審議、判決が下され、地獄へと堕ちるのだ。判決によって堕ちる先の地獄も違い、行き先は生前の悪行の内容によって変わる。例えば、物盗りをしていたやつと人殺しをしたやつなら、当然人殺しを犯したやつのほうが、地獄の奥底へと放り込まれ、苦痛の時間を過ごす事になる。悪いことしたやつには相応の地獄が待ち受けているシステムだ。

 話が逸れたが、つまり三途の川とは現世と地獄、此岸と彼岸、この世とあの世を隔てる境界のようなものであるのだ。

 現世で死んだ人間は当然、三途の川を渡ってこちらへとやってくる。逆に、我々地獄の住民が現世へ行くにも、三途の川を渡ってあちら側の岸にいく必要がある。そこで、橋渡課の出番というわけだ。

 橋渡課は人間を船に乗せて運ぶ仕事をしており、日々、木造オンボロ手漕ぎ船で大量の人間を運んできている。手漕ぎ式からエレキモーター式への更新を要望しているらしいが、予算の都合でなかなか通らないと愚痴をいつも吐いている課だ。あと、課員のほとんどがマッチョ。ゴリゴリのやつ。ワンパンで僕ぶっとばされそう。

 さて、そんな肉体派の橋渡課の手で現世へと送り出してもらう為に三途の川にきているわけだが、外で見かけるのが珍しいともっぱら評判の鬼が僕を出迎えた。


「お疲れ様」


「お疲れ様です。藍鬼課長」


 分厚いレンズの丸眼鏡、藍色がかったボッサボサの髪、白衣を着ていてもわかる長身痩躯なシルエット。鬼の印である角も、髪に埋もれてしまっていて見えず、おまけに声に抑揚がなく、常に少し疲れたような無表情なので初見だと不気味だと感じるかもしれない。人間年齢でいう四十歳程の外見のこのおじさん鬼は、研究技術部技術課のトップに立つ古参鬼だ。聞く所によると、うちの閻魔様とは同期入社で仲がよく、たまーに法廷に現れては新作の品々を披露して帰っていく、なんて事があるらしい。

 地獄で使われる物の五割は、技術課で発案され、製造部によって作られている。亡者をどつきまわす棘付きの金棒や骨肉を刻む太刀も、デスクワークで必須のパソコンやアプリケーションも、睡眠をとるためのベッドも毛布も。鬼丸印が刻印されていればそれはうちで製造されたものである。ちなみに残りの五割だが、二割が天国からの輸入品、三割が現世から流れ着いた漂流物や持込品、あと、一割にも満たない極小数だが、正体不明・製造元不明の品、という内訳である。一番最後に関しては怪しい事この上ない。

 他にも保全部の電気課や事務部の資材課などなど数々あるが、紹介はまた別の機会ということで。ちなみに僕が異動となる部署は、事務部の記録課である。

 藍鬼さんは相変わらずの無表情のまま、こちらへやってくると、ひょろっとした腕で持っていたアタッシュケースを僕に手渡す。


「これを渡しに来た」


 受け取ったアタッシュケースの大きさはバスケットボールが二つは入りそうなくらいだが、重みは感じない。


「君への餞別だ」


 餞別? 餞別とはこの銀色のアタッシュケースだろうが、中身はいったい何なのだろう。


「鬼という種族が現世で人間に偽りながら生きるには不便な事が多い。そこで、あちらでの君の生活と業務を円滑化する為の道具一式を贈与する」


「それは、ありがとうございます。助かります」


 ああ、よく見たらアタッシュケースの側面に『新生活応援キット』とシールが貼ってあった。ご丁寧な事で。


「中には研技独自に開発した道具が入っている。使うか使わないか、それは君次第だがね。だがきっと役に立つはずだ」


「ありがたく使わせて頂きます」


 うむ、と頷く藍鬼課長。


「但し、いくつかの道具は試作品だ。取説を同封しておいたから使用前に一読しておきたまえよ」


「わかりました」


「あちらの世界は試作品をテストするには絶好の機会だからな。しかし、くれぐれも人間共には注意を払うように」


「気をつけます」


 現世で僕たち鬼の存在は秘密であり、その鬼が作り出した技術もまた同じく現世では秘密なのだ。

 藍鬼課長は長い髪を掻き上げ、


「まぁ、記録課の鬼としてあちらでも頑張ってくれたまえ。赫鬼君……いや、赤木(あかぎ)勇儀(ゆうぎ)君」


 それだけ言うと、白衣の裾を靡かせて歩いていった。

 淡々としたやり取りだったな。

 わざわざ引きこもり気味の課長が僕なんかの為に出張ってこなくても、部下に頼むなり、前日までに寄越すなりすればよかったのにと思う。本当に期待されているのだろうかとも思ったが、自惚れるな僕、と自分を律する。本当、鬼という種族は気まぐれだ。同じ鬼の自分が言うのもなんだが。

 課長の後ろ姿が小さくなりはじめた頃、橋渡課の鬼が声をかけてきた。待っていたのだろうか。ていうか、すごいマッチョ。身体中に小さな筋肉の山ができあがっておられる。半端ない。


「おぃーっす。現世行くって赫鬼はあんたのようだな。赫鬼やら赤木勇儀やらって聞こえたけど?」


「そうです」


 赤木勇儀という名前は、現世で僕が人間として生活する時の名だ。まさか現世で僕の名前は赫鬼と言います、なんて素っ頓狂な事は言えない。これから現世で担当を監察しながら暮らしていくわけなのだから、あちらの名前は必要不可欠であろう。

 僕を見て橋渡課の鬼はニッと笑う。爽やかに笑っていても、上半身は裸で、虎柄の腰巻を巻いているその姿は暑苦しい感じがする。ていうか、目のやり場に困る。

 目の前で仁王立ちしている鬼の額から生える角を見ながら挨拶をする。なるべく他の部位は視界に入らないように。


「お世話になります。あちらまでよろしくお願いします」


「よっしゃ、よろしくな赤坊主。早速だけどそろそろ出ようや。お出迎えの人間は待ち合わせ場所についてるらしいぞ」


「了解です」


 人三人乗れるくらいの木製舟に乗り込み適当な所に座ると、マッチョな鬼もオールを手に同乗する。そしてマッチョ鬼がドカッと腰を下ろすと、恐ろしいほど船が揺れた。おい、転覆なんて最悪の船出だぞ。


「んじゃいくぞ」


 マッチョ鬼は揺れなど微塵も気にした様子もない。さすが、プロ。


「よろしくお願いします」


 木材のような筋肉質な腕によって動きはじめると、船の揺れは途端に少なくなり、快適にぐいぐい進んでいく。聞こえるのは水を掻き分ける音と船がたまに軋む音。

 ついにこの時がきた。地獄を離れ現世へと行く時が。三途の川を渡っていると、その実感が湧く。

 餞別のアタッシュケースの持ち手を握る右手に力が入っていた事に気付き、少し緩めた。


「……」


 緊張しているのか? 自問すると、答えはイエスらしい。だってそうだろう。監察官になる前の研修期間と、監察官としての業務期間があったとはいえ、現世に行くのはこれで三度目だ。そう簡単に慣れるものではないのだ、現世に渡りそこで衣食住と仕事をするというのは。旅行に行くのとは違う。異世界に行くのだから。


「ついたぜ」


 橋渡課の鬼に声をかけられ、頭を上げる。

 霧のせいで視界は悪いが、明らかに空気が違う事がわかった。地獄の澱んで陰鬱としたものとはまるで違う、生命と自然と文明を感じるものだ。

 まぁ当たり前か。死者と生者の住む世界の雰囲気が一緒なわけがない。

 やはり慣れない。でもこの雰囲気は、嫌いじゃない。

 僕は此岸への一歩を踏み出した。

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