7・クライマックス
3/31投下分です。
明日の投下分で最終回。予約投下済みです。
もうしばしお付き合いお願いします。
綾と薫は付き合い始めたばかりの初々しい高校生カップルである。
数十分ほど並ぶことにはなったが、二人は無事に観覧車に乗れた。普通の遊園地にあるような丸い形のゴンドラではなく、小さな小屋の外観に茶室のような内装をしている。畳で出来た段差のある腰掛けに座り、二人は対面する形で西側の窓を眺めている。
自由落下傘のときとは違い、安心できる環境で眺める上からの景色は、綾にとっては感慨深いものがあった。
(あのときは余裕が無かったんだなっていうのがしみじみわかるわね……)
「……うわあ、夕陽がすごいですね。雲がないときに見る夕陽って、こんなに綺麗だったんですね」
「紅葉も合わさって、一面が紅く染まってるわね。さっきの池も、上から見ると燃えてるみたい」
池、船着き場、売店が見える。さっきは何も思うこともなく普通に通りすぎた売店だったが、綾は何故だか今はとても気になっている。
(売店……何だろう、何か買うものがあったかしら。お父さ……あのくそ親父にあげるお土産は地獄への片道切符だけと決めているし……)
池、水、ボート。遊覧中に濡れてしまうこともある。そんな場所の近くにある売店。そこでなら、もしかしたら。
(…………もしかしたら、替えの下着、売ってた、かも……?)
今からでは確かめる術はないが、その可能性はあった。可能性を逃したことに青ざめ、そんな己に怒り、しかし所詮は可能性があっただけできっと売っていなかったに違いない、と自分を慰める。ポジティブである。
まあ、実際はちゃんと売っていたのだが。
「綾さん、今日はありがとうございました」
「え、なに? そんな急に改まって」
「いえ、僕のわがままに結構付き合わせてしまったけど、本当に楽しくて。いつも綾さんと一緒にいるだけでも胸が一杯なのに、それ以上に今日は、嬉しくて楽しくて。は、はは、なんか上手く言えないんですけど……」
「…………」
「やっぱり僕は綾さんのことが、その、好きです。今日一日で、その気持ちが更に高まったというか……」
「……薫くん」
「は、はい!」
「キザ! キザすぎる」
「す、すみません」
「それが本心だってことはわかるし、言われて嬉しいっていうのは確かにあるわ。そういう素の薫くんも好きだけど、そればかりじゃダメよ。もう少し男らしくしてほしいわね」
「……すみません」
デート開始時に慌てふためいていた人物とは思えない言葉である。しかし人間は慣れる生き物だ。今日という濃い一日を、ただならぬ精神状態で過ごした綾は一回りも二回りも成長していた。すでにこの程度の台詞では動じないのだ。
しゅんと小さくなった薫に、綾はしょうがないなあ、といった苦笑顔で小さく息をつく。
「薫くん。私は謝ってほしいんじゃないの」
「……す…………はい」
「男らしくっていうのは……その、す、少しくらいは強引にしてもいいっていうこと、で……」
その言葉に薫は俯きがちだった顔を上げる。相変わらず、自分にとっての女神がそこにいた。その顔は夕陽に照らされ、しかしながらそれ以上に耳まで真っ赤に染まっていた。
ここまで言われて何もしなければ男が廃るというものだ。
「……綾、好きだ」
「……! ……うん」
少し体を前に乗り出した薫の手が、綾の肩に触れる。綾は一瞬震えるが、嫌がる素振りは見せない。そのまま彼女の体を自分のほうへ引き寄せる。
(名前、初めて呼び捨てにされた……あ、私ついにしちゃうんだ。薫くんと、ファーストキス……)
二人の体は段々と近寄っていき、30センチ、20センチと距離が短くなっていった。
ゴンドラが観覧車の頂点に差し掛かった頃、二人の顔がお互いに触れ合いそうになったとき――影が差した。
二人の顔に、影が、差した。
綾と薫が観覧車に乗り込んだばかりの頃、まだ並んでいる客の列の中に親子連れがいた。
「ぱぱー、あれなにー?」
「ん? あれって何かな?」
「なんか白いのー」
子供が指差す先には確かに白い、それでいて動いているように見える何かがあった。その白い何かは、観覧車を支える太い鉄柱をよじ登っているようにも見える。
「んー……んー? 何だろうね……ああ、きっとビニール袋が風で巻き上げられているんだよ。きっとあの柱のところでつむじ風が起こっているに違いない」
「へー」
子供はとくに疑問に思うこともなく父親の答えに納得しているが、その白い何かはそのまま鉄柱の上へ上へと登っていくのだった。
一方その頃、綾の家の開発室では栄治郎がまた机に突っ伏して寝ていた。綾への対応を考えつつモニタを眺めているうちに、徹夜疲れの眠気が再度襲ってきたのだ。
そのモニタに表示されている地図では、赤い点と、青い点が、ほぼ重なっていた。
さて、状況を整理しよう。
今の天候は雲一つない快晴という状態だ。薫が計算していたものが正しければ、日の入りまで30分ほどは余裕があり、夕陽がある西側には特に高い山もない。
二人の乗っている観覧車のゴンドラはほぼ頂点に達しており、周りには影になるような障害物は存在していない。
それなのに、影が差した。
二人は閉じかけていた目を開いて、その影の方を向いた。
そこには、野球のホームベースの角を丸くしたような物体がへばりついていた。
いや、綾には見覚えがあった。忘れることなどできようはずもない。
あいつだ。
全自動介護おむつ・ムツノカミ――
「っきゃああああああああああ!!」
「……え? え? 綾さん?」
思わず悲鳴を上げる綾。状況が飲み込めない薫。
(なんで? なんで?! なんでアレがこんなとこに?! わけわかんない、意味わかんない!!)
あれだけ辛酸を舐めさせられた存在が、デートのクライマックスのときに舞い戻ってきたのだ。綾のパニックは相当なものだった。
薫は薫で、あの物体が何なのか、綾がなぜ怖がっているかがわからず戸惑っていた。
「綾さん? だ、大丈夫ですよ。これ、何だろう、おむつ? とにかく、きっとただのゴミが舞い上げられて飛んできただけですよ。お化けじゃありません」
「ち、ち、違う、の。そうじゃ、なくて」
今の綾にとってはお化けより厄介な存在だった。
朝方にムツノカミと繰り広げた攻防を思い出す。パジャマと下着を無理矢理脱がされ、無理矢理ムツノカミにムツノカミを履かされた。
今の綾は下着を履いてない。下半身を防御している布はスカートだけである。
(もしコイツがまた同じことをしてきたら、その際にスカートが捲られたら、薫くんに見られたら――)
「いやあああああああああ!!!」
幸せの頂点から恐怖の絶頂へ。いくら絶叫系が好きでも、こんな感情のジェットコースターはお断りしたいところだ。
「え、えーと、とにかく綾さんはこのゴミが嫌なんですよね。だったら僕がここに立って見えないように隠しますから。下に降りたらすぐにスタッフさんに剥がしてもらいましょう」
「か、薫くん……」
薫の優しさが綾の心に多少の落ち着きを取り戻させる。思わず惚れ直してしまう。
「それにこのゴミだって中には入ってきませんよ。そこの返し窓の薄い隙間くらいしか穴はありませんし」
「……………………ぇ?」
薫が軽く目を向けた先、ゴンドラの窓上部には斜めに薄く開いた通気用の返し窓があった。その隙間は狭いとはいえ、手の平を二つ重ねたくらいの幅がある。
そう、おあつらえ向きに丁度ムツノカミがギリギリ通れるくらいの幅が――
このときの綾の中で流れていたBGMは、あの某有名な人食いサメ映画のテーマだ。
ジャージャン、ジャージャン、ジャージャッジャッジャッ、ジャ ジャ ジャ ジャ ジャ ジャ ジャ ジャ
隙間から差し込まれる針金のようなアーム。続いて、音はたてていないが、ずるり、と表現したくなる動きで這い出てくる白いおむつ。
ゴンドラはその瞬間、恐怖と驚愕に包まれる。
「入ってきたああああああああ!」
「うわあああああああああああ!」
先程まではゴミとしか認識していなかった物体が、まるで生きているかのようにゴンドラ内に入ってきたのだ、さすがの薫もこれには声を上げるしかなかった。
ムツノカミはそのまま躊躇なく、プログラムされた行動通りに指定された周波数を発するベルトの装着者――綾の足元へと向かう。
「こ、こっち来んなあ!」
スカートは押さえつつ、座ったままムツノカミに蹴りを繰り出す。しかしその感触は軽い。まるで柳の如く、蹴りの威力を流されているようだ。軽くて柔らかくて丈夫、そんな特性が綾を絶望へと誘う。
幾度目かの蹴りの際に、ついに綾の足にムツノカミが纏わりついてしまった。蹴りが効かないなら捨て身でかかればいい、と学習したかのような動きだ。無駄に洗練された無駄のない無駄に見える高性能である。
しかし、天は綾を見捨てていなかった。
「こいつっ! 綾さんから離れろおっ!」
暫しの間、あまりの出来事に硬直していた薫だったが、すぐに立ち直りムツノカミに飛び付いていた。綾の足に絡み付く極細アームを左右の手で一本ずつ掴み、必死に引き剥がそうと試みる。
しかし、ムツノカミのアームの本数は四本。薫が二本を抑えているが、残りの二本はまだ執拗に綾の足首に絡まっていた。
一瞬の隙を突いて、ムツノカミは一気に綾の両足に――
(やだ! もうやだ! 薫くん助け―― あれ?)
ムツノカミの様子がおかしい。絶好のチャンスだったのに、綾の足を自分に通しきれていない。
「……あっ、そうか」
朝と今の違い。それは靴を履いていて、外にいるということ。
単純なことではあったが、余程裾口が広いものでない限り、靴を履いたままズボンなどの衣服を着脱することは難しいものなのだ。
ではお化け屋敷ではなぜあっさりムツノカミが脱げていったのか。それは綾が正座の足の組み方で四つん這いになっていたから。足首に対して足が真っ直ぐになっていれば脱げやすいのは道理だ。
対して今の状態は靴の踵が床に着いている。それだけでムツノカミは綾に自分を履かせることができないでいた。
「と、いうことは」
そんな事実に気付いた綾は急速に冷静さを取り戻していった。スッとその場で立ち上がり、ムツノカミを見下ろす。
人一人の体重がかかった足を、重さが1㎏未満のおむつが動かせるわけがない。たったそれだけのことでムツノカミは無力化された。されてしまった。
(なんだろう、この虚しい気持ちは……まるでムキムキマッチョの対戦相手がハリボテの筋肉だったような)
アームを必死に綾の足首に巻き付けて悪戦苦闘しているムツノカミは、今の綾には無防備な虫と変わりなかった。
スカートから手を離し、そのまま両の手でムツノカミのアームをあっさりと足から引き剥がす。
綾と薫に全てのアームを捕まれたムツノカミは、宙に吊り下げながらもジタバタ動いていた。なんともあっけない。
「はあ、はあ……あ、綾さん……」
「ありがとう、薫くん。少しでも時間を稼いでくれたおかげで助かったわ……本当にありがとう……」
「そんな……僕は自分のあまりの不甲斐なさに泣きそうです。こいつが一体何なのかもわかってないし」
いや、それは解らなくて当然だ。
「ううん、間違いなく薫くんは私を助けてくれたよ。薫くんがいなかったら、どうなっていたかわからないもの。それに――あ、薫くん、こっちの脚も持って斜め上に掲げて。座ったまま、板割り、上段の位置!」
「お、押忍!」
思わず部活時の掛け声を出す薫。今の合図は空手部が学園祭の時に催した板割り演舞のものだ。
ムツノカミが薫の手によって縦に掲げられる。
「そう、それに――二人だからできることもある」
綾がそう呟いた直後――ヒュガッッ!!!!
一閃が、掲げられた薫の手の間を突き抜ける。
綾の十八番、伝家の宝刀、後ろ回し蹴り。本来は相手の顔に対して横から薙ぐような軌道だが、今回は踵を中心にした「突き」の動きだ。その蹴りはムツノカミの脳とも言えるICチップ部分を寸分違わず蹴り抜いた。
幾度となく練習してきた技。例え観覧車の狭い室内でも遠心力と腰のバネだけで十分な威力を叩き出す。しかもスカートを抑えながらの余裕まである模様。
ムツノカミの後ろにはゴンドラのドア。勢いはそのまま、綾の蹴りと共にムツノカミはドアの窓横あたりに突き刺さり、その衝撃のせいで鍵が外れたのか派手な音を立ててドアが開いた。
白いモコモコとした物体が、そのまま紅い景色の上に流されていく。
観覧車は一周のうち四分の三の位置になった頃。終わってみれば五分ほどの短い闘いだったが、綾にとっての永い闘いはようやく終わりを告げたのであった。
NKT(長く苦しい戦いだった……)
栄治郎の顎を蹴り抜いたとき→龍巻閃みたいな軌道の回し蹴り。
ムツノカミに繰り出した蹴り→牙突零式みたいな回し蹴り。
……なイメージ。