3・ダイパー
初回のみ3話目まで連続投稿です。
本日分はここまで。明日はまた18時に投下します。
……もしかして18時に3話分一気に投下できたのか……?
『ムツノカミ』は益戸栄治郎が開発中の高機能全自動介護おむつである。
4本の極細アームを駆使し、自ら着用者への脱着を行い、自らを移動させ、自ら洗濯機や乾燥機を使いこなしたりもできる……ことになる予定の介護用品だ。
そのムツノカミの試作品だったものは、先程までは開発室にあるパソコンと繋がっていた。
繋がって『いた』はずなのだが、過去形が示す通り今現在は繋がっていない。
ではどこにあるのだろうか。
聡明な読者諸君にはすでにおわかりであろうが、その試作品はトイレにあった。
あった、というか、いた。
そのおむつは、トイレで用を足し終わった後の綾に襲いかかっていた。
「いやあああああああああああ!!!!」
まだ水を流した直後だったが故にパジャマのズボンと下着は膝下まで下げられていたが、アームを使いつつ更にそれを脱がそうとするムツノカミ(試作品)。
端から見ればまるで……いや、訳がわからない光景だ。綾からしてみればもっと訳がわからないだろう。パニックにならない訳がない。
「なっ、んなのょ……こい、つ、いや、やめ……! 離れ、離し、てぇっ……んひっ!? ンニャャアアアアアア!! あ……ぁ…………」
…………
……………………
綾の悲鳴の後、しばらくの静寂が訪れた。
10分程度は過ぎただろうか。トイレのドアが開かれ、俯いたままの綾がのそりと出てきた。
先程の攻防のためか、トイレの中はトイレットペーパーが散乱し、綾が履いていたはずのパジャマのズボンと下着も床に投げられていた。
綾はそのままの足取りで開発室へと向かう。
「おおおお起きろやクソ親父いいいいいぃぃぃぃ!!!!」
「ぎゃむっふっ!?」
綾のヤ○ザキックが栄治郎の座っていた椅子を横から蹴り抜いた。口調まで正にヤ○ザになっているのは洒落がきいていると言って良いものかどうか。
「な、なんだ! 爆発か? レンジに生卵を入れたらダメだと言ったじゃ……」
「いつの話してんのよ馬鹿!」
実際にやったことはある模様。
「違うのか……ありゃ? ムツノカミの試作品がないぞ。綾、知らないか? おむつに触角が4本ついたようなやつなんだが……」
「やっぱりクソ親父の仕業かあああああああ!!!!」
「ふぐんぼぁっ!?」
今度は綾の右手から放たれたボディーブローが栄治郎の鳩尾に決まる。しかし本気ではなく、気絶しない程度に手加減されたもの。何せこれから聞かなくてはいけないことがあるからだ。
亀のように蹲る栄治郎はふと気付いた。娘の素足が見えていることに。
「……? 綾、はしたないぞ。いくら家でも、下着姿で歩き……まわ……?」
ゆっくりと視線をあげてみれば、そこには下着姿の娘はいなかった。
おむつ姿の、般若のような顔をした娘がいた。
「おとーさーん? 私ね、さっき、今日は出掛けるって言ったの、覚えてる?」
「あ、ああ、ちゃんと覚えてるぞ」
「うんうん、そうだよねー。おとーさん頭いいもんねー。常人には理解出来ないくらい頭いいもんねー」
「そ、そうか……ははは」
「おかしいなー。頭がいいおとーさんの娘である私が、なんでこんなことになってるのかなー……ねえ、な ん で ?」
栄治郎は自分の娘を初めて怖いと思った。ここまで怒った娘を見たことがなかった。
意外にも栄治郎は綾の今の姿の原因について、ある程度の推測はできていた。恐らくは寝落ちしたときにキーボードを無意識に触り、そのせいで誤作動を起こし、なぜか綾を着用者として認識し取り付いてしまったのだろう、と。
ならば怒っている原因は間違いなくムツノカミのせいであり、ひいては誤作動を引き起こした自分だ。であるならば、その原因を取り除けばひとまずの安寧は得られるのではないだろうか。そう思い至る栄治郎。
ここまでの思考は見事に合っている。流石と言っていいだろう。
「まあ待て娘よ。大体の状況は推測した。その推測が合っているかはさておき、要はそのムツノカミを外すことが出来ればいいのではないか?」
「…………そうね。いくら引っ張っても、布が少し綻びただけで、切れやしなかったし」
「丈夫で長持ち、しかも転んだときの怪我防止用に金属繊維を編み込んであるからな……だ、大丈夫だ。心配ない。外すだけなら簡単だ。実に簡単な作業で外せる。父さんとしても、完成間近の試作品を壊されるのは惜しい。お互いに穏便にいこうじゃないか」
一瞬だけ娘に向けられたゴミを見るような目にビビる父親。なんと情けない姿だろうか。
「じゃあさっさと外して?」
「いや、父さんは何もしないぞ。外部からの命令を受け付ける機能をまだ入れてなかったからな」
「…………ねえ、私、今日は、まわりくどいこと、やってる暇は、ないの。私は、『さっさと外して』って、言ったよ、ね……?」
絶対に実の父親に向けてはいけない目をしながら綾は語りかける。栄治郎の膝は先程から震えまくっている。
「な、なに、簡単なことだ。使用済みにすればいい。それだけで勝手に外れてくれる」
「…………しよう、ずみ…………?」
綾は静かながらも激しい怒りが頭の中を支配しつつも、このクソ親父が言った単語の意味を考える。
おむつを、使用済みにする、つまり。
「そのままの状態で、おしっちょぷんっ!!」
その台詞は最後まで言えなかった。いや、言わせなかった。綾の電光石火の後ろ回し蹴りが、栄治郎の顎の先を蹴り抜いたからだ。
哀れ栄治郎は自分に何が起こったのかもわからずに膝から崩れ落ちた。
綾は虚しい勝利に嘆きつつも、これからのことを早急に考えなければならなかった。
どうする? どうすればいい? このおむつのベルト部分や足回りには、綾の体に隙間無くフィットしてしまっている。ハサミで無理矢理切ろうとしても切れない。ペンチでICチップ部分を壊してしまえば、ただでさえやっかいな誤作動が更にどんなことになるかわかったものじゃない。
だったらさっきクソ親父が言っていた方法ではずす?
先程トイレにいったばかりであるし、うら若き乙女がおむつをしたまま「する」なんてことをできるはずがない。今日一日絶対に我慢してやる、と新たな誓いをたてる綾。
となれば、これを履いたままデートに赴くしかないという選択になる。それは屈辱でしかなかったが、こんなことでせっかくの初デートに行けなくなるのはもっと許せなかった。
そうだ、見えなければ何も問題なんてない。漫画じゃあるまいし、まさか初デートで下着を見せる展開なんてある訳がない。万が一そういう雰囲気になっても、まだ早いとやんわり受け流せばいい。大丈夫。彼ならそんなことで嫌ったりなんかしない。だ、大丈夫……信じてる。
そんなことを考えつつ、クローゼットとタンスを開けて、今日来ていく服を選んでいく。おむつを見せられない訳だから、ズボン系にするのは必須。あとはそれに合わせて――
そこでふと気付く。綾がもっているズボンといえば、足のラインがキレイに見える、丁度良く身体にフィットするジーンズやレギンスだ。
そして今の綾はと言えば、高機能全自動介護おむつを不本意ながらも装備中である。
ところでこのムツノカミ、色々な機能があるだけに厚みがそこそこある。そんなものを履きつつ、更にジーンズを履こうとすれば。
「は、入らない……!」
ジーンズは全滅だった。ギリギリ腰近くまで上げられるものもあったが、今度はチャックが閉まらない。
レギンスはレギンスで、おむつのモコモコがもろに形に出てしまう。下着の線が見えるどころの話ではない。
時間にも限りがあるためここは早々に諦める。しかし残る選択肢はロングスカートとミニスカートのみ。必然的にロングスカートを選ぶことになるのだが……
「ない……ないっ! うそ、あれ、確かにタンスの一番下の引き出しに、入れておいたのに……なんで無いの……!?」
探しても探しても見つからない。普段はロングスカートなど履かないし、持っている種類も淡いベージュと白の二つしかないが、確かに一週間前にはここにあったはずなのだ。他の洗濯物を入れたときに確認している。だが、やはり無い。
ところで話は変わるが、忌々しくも彼女の腰に装着されているムツノカミの色は白である。そして綾は気付いていないが、トイレでの攻防戦で見えたムツノカミの内側の色は淡いベージュだった。
もちろん犯人は栄治郎だ。
試作品を作る際に布部分の材料が足りなくなり、勝手に綾のタンスを漁り、勝手にロングスカートを持ち出し、後でまた買い直せばいいだろうと勝手な考えでそのまま忘れてしまったのだ。栄治郎へのギルティ要素が更に増えることになるがそれは後の話だ。
時計の針は7時40分を指している。デートの待ち合わせは最寄りの駅前に9時だ。サンドイッチを作る時間と移動時間を考えるとあまり余裕はない。
以前に友達からペチコートつきのゆるやかスカートとかミニ丈のボトムとか、ペチパンツにキュロットなども薦められたことを思い出す。あのときもっとおしゃれに興味をもっておけば……と後悔するが時すでに遅し。
「……だ、大丈夫よね……そうよ、見えなきゃいいのよ。見えなきゃ……見せなければ……見られなければ……」
ムツノカミのイメージは、そのまんまおむつです。ベルト部分の左右斜め前・後から計4本の針金みたいなアームがついてるだけのおむつです。アメンボみたいに歩きます。