第八章 崩壊へと向かう足音
いつもと変わらぬナミナン村の朝が訪れる。
小鳥のさえずりが窓から差し込む光と混ざり合い、海面はきらきらと輝いていた。
その中で響くのは、今日も元気いっぱいのララの声。
リセリはいつものように、台所で薬草を煎じている。
ルーシィは「気になることがある」と言い残して家を出てから、もう一か月ほど帰ってきていなかった。
少し寂しそうな表情を浮かべることもあるリセリだったが、それでもララやルウ、ミーニャが傍にいることで、毎日はにぎやかで温かい。
「リセリ、見て! ルウと一緒に鉱石をいっぱい拾ってきたの!」
ララは両手でごろごろと音を立てる籠を持ち上げ、嬉しそうに見せてきた。
「わぁ、こんなにたくさん! この石はブレスレットや髪飾り、それにこっちのは耳飾りも作れそう」
鉱石をひとつひとつ覗き込みながらリセリは目を輝かせる。
「あのね、畑の手伝いで重いものをたくさん運ぶから、すぐくたびれちゃうんだけど……力持ちになれる石ってこの中にあるかな?」
ララが少し真剣な顔で問いかけると、リセリは籠の中を探り、ひとつをそっと取り出した。
「これだよ。太陽の石」
ララの目がぱっと輝く。
「きれいな色! これを持っていたら、本当に力持ちになれるの?」
「石にはね、それぞれ不思議な力が宿ってるって昔から言われてるんだ。太陽の石は、元気や力を与えてくれるんだって。耳飾りにしたら、きっとお守りになるよ」
「ほんと!? うん、お願い!」
ララは両手を胸の前でぎゅっと握りしめ、わくわくした様子でうなずいた。
「それじゃあ、ララは耳飾りのデザインを考えてみようか」
リセリは紙と鉛筆を差し出した。
ララが首をかしげながら受け取ると、リセリは籠に入っている鉱石をすべて浄化水の入った瓶へと入れる。
小さな魔法を唱えると、水がきらりと光を帯び、瓶の中で鉱石たちがころころとぶつかり合った。
余計な汚れや角が削ぎ落とされ、石本来の色や輝きが浮かび上がっていく。
「わぁ……きれい……」
ララは思わず手を止め、瓶の中で透きとおる光を放ち始めた石たちを見つめた。
それから紙に視線を落とし、真剣な表情に変わる。
村の女たちが身につけている耳飾りを思い出しながら、どんな形なら自分に似合うか、何度も線を引いては消していく。
「大きい方がいいかな……でも髪に隠れちゃうし……」
悩みながらも、ララは少しずつ、自分だけの耳飾りの形を描き出していった。
その間に、リセリはお茶の用意をしていた。
テーブルには、昨日のうちに作っておいた素朴なドーナツを並べる。揚げたての香ばしさは少し落ち着いて、砂糖の甘い匂いがほのかに漂っている。
茶器からは、ララの大好物であるベリー茶の湯気がふわりと立ちのぼる。
甘酸っぱく爽やかな香りが部屋いっぱいに広がった。
「わぁ、いい匂い!」
紙を抱えたまま、ララがぱたぱたと駆け寄ってくる。
手にはぎこちないけれど温かみのある耳飾りのデザイン画。
目を輝かせながら、それをリセリに見せた。
ララの描いた耳飾りのデザインは、どこかぎこちなさが残るものの、不思議と温かみを帯びていた。
中央には、赤と黄色が溶け合い、きらめく小さな石――まるで太陽をそのまま閉じ込めたかのような宝石を一粒。
その周りを包み込むように、細い銀の輪が重なり合い、下には小さな雫の飾りが揺れる仕組みになっていた。
華やかさよりも素朴さを大切にしたそのデザインは、見ているだけで自然と笑顔になれるような可愛らしさを持っていた。
それはまるで、ララ自身の姿を映し出したようだった。まだ少し不器用だけれど、真っ直ぐで純粋な心が、そのまま形になったかのように。
「とっても素敵だね! あとは金具を選んでいこうか」
リセリが道具箱を開けると、いくつもの小さな袋や布に包まれた金具が並んでいた。
フックのように耳に引っ掛けるもの、華奢な輪になっているもの、飾り細工が施されたもの――どれも光を受けてきらきらと輝いている。
ララは目を輝かせながら、その中からひとつを手に取った。
それは、繊細な細工のない、ごくシンプルなシルバーの金具。
太陽の石のあたたかな赤と黄色を引き立て、余計な飾りがない分、石の存在感をいっそう際立たせてくれる。
「これがいい!」
ララは迷いなく差し出した。
その選んだ金具は、雫のように揺れる仕組みにもぴったりで、まさに先ほど描いたデザインに自然に溶け込むものだった。
「じゃあ、ボクの手の上に、太陽の石とその金具を置いてくれる?」
ララは頷き、小さな手でひとつずつ丁寧に石と金具をリセリの掌の上に置いていく。
石の赤と黄色が金具のシルバーに映えて、光を受けてきらきらと輝く。
リセリは置かれた石と金具をそっと確認すると、静かに魔法を唱え始めた。
掌の上で柔らかな光がじわりと広がり、石と金具を包む。光は次第に渦を巻くように絡まり合い、石の温かい色が金具の銀に溶け込んでいく。
魔法の光が一瞬ぱっと輝いたかと思うと、太陽の石と銀の金具はひとつになり、耳飾りとして完成する。
ララは目を丸くして見守り、完成した耳飾りを手に取ると、思わず微笑んだ。
「わぁ……本当に素敵! 着けてもいい?」
早く耳飾りを身につけたくてそわそわしているララを見て、リセリは思わず「ふふっ」と微笑む。
そっと手鏡を差し出してあげると、ララは嬉しそうにそれを受け取り、自分の姿を覗き込んだ。
「わぁ!」
初めて耳飾りをつけたララは、何度も手鏡を覗き込み、目を輝かせている。
「とっても似合ってるよ!」
リセリの言葉に、ララは照れくさそうに「えへへ」と笑った。
二人は残った石を手に取り、その形や色を見つめ「ペンダントにしてもいいね」
「ブレスレットも素敵かも」
そんな話をしながら、大好きなお茶と、手作りの美味しいドーナツを嗜む二人。
自分だけの特別な耳飾りを何度も触り、ララは満面の笑みを浮かべながら嬉しそうに帰っていった。
「そういえば、ルウの腰ベルト、だいぶくたびれてたな……よし!」
リセリは革を用意すると、先ほどの石の中から光を帯びた銀月石を選び、ベルトの飾りとしてあしらった。
さらに腰の部分には小さなポケットを作り、ナイフを差し込めるように工夫する。
「ルウが怪我なく過ごせますように」
リセリは心を込めて守りの魔法をかけ、完成したベルトを丁寧に紙に包む。
準備が整うと、すぐにでもルウへ届けようとその足を進めた。
外に出ると、草の香りが暖かい風に乗って通り抜けていく。
すれ違う村人たちと笑顔で挨拶を交わしながら、ちょっとしたお願い事に耳を傾けつつ進む。
やがてルウの家の前にたどり着くと、畑の方から元気な声が聞こえた。
「おーい! リセリー!」
「ルーウ! そっちに行ってもいい?」
「いいよー!」
畑へ向かうと、ルウは甘芋の収穫に夢中になっていた。
ナミナン村の甘芋はその名の通りとても甘く、味わい豊か。
今年も大ぶりの甘芋がゴロンゴロンと山のように積まれ、豊作を物語っている。
「今年もたくさん採れたんだね。ボク、甘芋大好きなんだ」
「後でおすそ分け持って行くね」
畑で土にまみれながらも、ルウの笑顔はとても輝いていた。
リセリはふとルウのベルトを思い出し、手に持っていた紙包みを差し出す。
「あ、そうだった! はい、これ」
「うん? これは?」
ルウが紙を開けると、中からしっかりとした革の腰ベルトが現れた。
銀月石があしらわれ、腰部分には小さなナイフを収められる工夫までされている。
「これ、僕に?」
「気に入ってもらえると嬉しいな。力がみなぎるように、守りの魔法もかけてあるよ」
「わぁ、すごい! この石もかっこいいし、ナイフもちゃんと入れられるんだ! ありがとう、リセリ!」
ルウは嬉しそうにベルトを腰に巻き、何度も位置を直しながら、得意げに周りを見回した。
「付け心地はどう?」
「ぴったりだよ! ナイフも前より出しやすくなって、すごくいい感じ!」
「よかった! それじゃあ、もう行くね」
「本当にありがとう!」
ルウが喜ぶ笑顔を見て、リセリの胸の奥はぽかぽかと温かくなる。
嬉しい気持ちを抱えながら家に戻ると、昼の太陽が庭を優しく照らす中、ミーニャがのんびりとごろごろしていた。
光に包まれたミーニャの毛並みはふわふわで、見ているだけで自然と笑みがこぼれる。
「ただいま、ミーニャ」
「おかえりにゃ!」
「もうお昼か、そうだ! この前海で釣ったお魚がちょうどいい感じに干せてるから、外で焼いて食べようか?」
「食べるにゃ! ミーニャが火を起こすにゃ!」
ミーニャは嬉しそうにせっせと焚火の準備を始める。
隣ではリセリが魚を焼くための網をセットし、火が安定するのを待った。
干していたのは、先日海で釣れた馬鮭だ。
馬のような顔立ちをしたこの魚は脂がのっていて、とても美味しい赤身。
干物にすると旨味がぐっと凝縮され、香ばしい香りがさらに食欲をそそる。
焚火に火が落ち着くと、ミーニャは小さな手で薪をくべ、火の勢いを調節する。
リセリは網の上に干物を並べ、時々ひっくり返しながら香ばしい匂いに顔をほころばせる。
やがて魚の脂が熱で滴り落ち、「ジュッ」と小さな音を立て、香ばしい匂いが立ち上る。
「いい匂い! 早く食べたいにゃ!」
「お腹すいたけど、もう少し我慢ね」
やがて魚がこんがりと焼き上がり、皮はパリッと香ばしく、身はふっくらとした黄金色に。
リセリは網から丁寧に魚を取り上げ、二人分の小皿に分ける。
「はい、ミーニャ。熱いから気をつけてね」
「うんにゃ!」
ミーニャは小さな手で皿を受け取り、慎重に一口かじる。
「んん……おいしいにゃ! 皮がパリパリして、身はふわふわにゃ!」
リセリも一口食べると、干物の旨味と脂の香ばしさが口いっぱいに広がる。
「おいしいね! この絶妙な塩加減がいいね!」
二人は笑顔を交わしながら、温かい日差しと香ばしい匂いに包まれ、ゆったりと昼食を楽しむ。
焼きたての魚を頬張るたびに、自然の恵みと小さな幸せを感じ、心まで満たされていく。
この村で、こんな穏やかな日々が続くこと――
この小さな幸せが、いつまでも壊れずに続くこと――
リセリは心の中でそっと願いながら、澄んだ青空を見上げた。
* * *
ナミナン村の森の中。
黒オオカミの巣から東の山で、グレイの子どもたちが山葡萄を採りに来ていた。
「今年もたくさん採れそうだ!」
「父ちゃん、喜んでくれるかな?」
「リセリ様に持って行ってジャムを作ってもらおうよ!」
兄弟たちは楽しそうに笑いながら、ワイワイと話していた。
そのとき、ナミナン村の少年が、血まみれでよろよろと森の中から現れ、勢いよく倒れ込んできた。
「君! どうしたの? すごいケガじゃないか!」
少年は息も絶え絶えに、震える声でかすかに告げる。
「大変……パシ……ナ国……ルーシィ様に……」
そしてそのまま意識を失ったが、かろうじて呼吸は続いている。
「父ちゃんに知らせて! 俺はこの子を村へ運ぶから!」
「わかった!」
兄弟たちはそれぞれ反対方向へ駆け出し、森の中に足音が小さく遠ざかっていく。
その様子を――森の奥から、ひとつの影がじっと見つめていた。
色あせてぼろぼろになったマントをまとい、フードの奥からは表情すらうかがえない。
足を一歩踏み出すたびに、乾いた土を踏みしめる音がじゃり……じゃり……と耳に残る。
その足音は妙に重く、不吉な響きを帯びていた。
影の周囲だけ、森の風がひやりと冷たく感じられる。
兄弟たちが気づかぬまま、怪しい人物はゆっくりとその場に近づいていくのだった。