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第一章 ナミナン村の朝

 潮の香りを運ぶ風が、山の端から昇った朝日とともに村を包んでいく。ナミナン村の朝は、いつも静かで穏やかだ。


 カモメの鳴き声が海から聞こえ、小川では水車がゆっくりと回っている。港のほうでは、漁師たちが朝の出航に向けて舟を整え、畑では農夫たちが腰を上げ始めている。


──そして、村の外れ。少し高台になった場所に、古びた石造りの家が一軒。


 小さな窓が朝日を受けて淡く光る。風に揺れる白いカーテンの隙間から、一羽の小鳥が軽やかに飛び込み、窓辺の木枠を「コツン、コツン」と小さなくちばしで叩いた。


 ベッドの上で、青い髪の少年が毛布に包まって、もぞもぞと動いた。


「……うーん……もう朝……?」


小鳥はもう一度、コツンと窓を叩く。まるで「起きて、朝だよ」と言っているみたいに。


リセリは毛布からひょこっと顔を出し、大きなあくびをひとつ。目をこすりながら、のろのろと起き上がると、窓を開けてやった。


「おはよ、小鳥さん。今日も来てくれてありがと」


小鳥は「チュン」と一声鳴いて、ひらりと森のほうへ飛んでいった。朝の空気がすうっと流れ込んで、薬草の香りがふんわりと漂う。


「……わぁ、いいにおい……昨日干した薬草、ちゃんと乾いてるかな」


床に足をつけて立ち上がる。冷たい木の感触に小さく身震いしながら、リセリは棚のほうへと歩いていった。見た目は十歳くらいの子どもでも、手付きは慣れたもの。薬草を一つひとつ丁寧に確かめていく。


「うん、マオ草もいい感じ。……あ、ララが持ってきてくれるドリナの根、今日こそちゃんと切らないと……忘れないように、メモしとこ」


壁に貼った紙に、小さな字で「ドリナ切ること」と書き足す。


 静かで、あたたかくて、やさしい朝。

 リセリが棚の薬草を一つひとつ確かめていると、玄関の方から元気な声が響いた。


「リセリー! ララだよーっ!」


 それは、もう聞き慣れた声。

 玄関を叩くより先に名前を呼ぶのが、ララという少女のいつもの癖だった。


「はーい、今あけるね〜。待ってて〜」


 リセリは棚から手を離すと、小走りで玄関へ向かった。扉を開けると、両手でかごを抱えたララが笑顔で立っていた。


「おはよ、リセリ! 今日も元気? これね、おじいちゃんと一緒に採ったんだよ!」


かごの中には、新鮮な薬草がたくさん詰まっていた。ドリナの根に、マオ草の若芽、ちょっと珍しい青ツユ草まで。


「わあ……すごい! こんなにいっぱい……ありがとう、ララ。どれも元気そうだねぇ」


 リセリは受け取ったかごを大事そうに抱え、そっと部屋の中へと招いた。

 

「上がってっていいよ。ララの好きなベリー茶、いれてあげるね」

「やったー!」


 二人はキッチンの小さなテーブルについた。ララが椅子によじのぼるのを見て、リセリが小さくくすっと笑う。


 ベリー茶を湯呑みに注ぎながら、リセリは丁寧に薬草を広げていく。


「……うん、このドリナの根はちょうどいい感じ。今日は“疲れに効くポーション”を作ろうかな。おじちゃんたち、昨日も遅くまで仕事してたんでしょ?」

「うん。おじいちゃん、夜にちょっと腰が痛そうだった」

「じゃあ、魔力をちょこっとだけ入れて、痛みをやわらげるのも混ぜようか」


 そう言ってリセリは、小さな調合机の前に移動した。ララは机の横のちいさな椅子にちょこんと座って、それをじっと見ている。


 まずは、薬草をすりつぶす。リセリの手の動きは、とても丁寧でやさしい。


「マオ草は香りづけに、ドリナは芯のとこだけ使って……ちょっとだけ、月露を足して……えいっ」


 最後に指先から、ふわりとした金色の光がこぼれる。リセリの魔力だ。

 淡い光がポーションに溶けるように染み込むと、ほんのりと甘い香りが部屋に広がった。


「できた〜。はいこれ、今日のスペシャル元気ポーション!」


 リセリが瓶を差し出すと、ララは「わあっ」と目を輝かせた。


「すっごくいいにおい〜! 飲みたいっ!」

「ララはまだ飲まなくていいよ〜。これは大人用だから、夜におじいちゃんに渡してあげてね」

「は〜い!」


 ララは笑ってうなずき、ポーションの入った小瓶をそっとかごの端にしまった。


 ふたりの間に、しばしの静けさ。

 そのとき──


 「ぐう〜〜……」


 鳴ったのは、ララのお腹だった。

 すぐあとに、「……ぐぅぅぅ〜……」と、もうひとつ。今度はリセリの。


「……あ」

「……あははっ!」


 ふたりは顔を見合わせて、同時に笑った。


「ねえリセリ、あたしおなかすいた〜!」

「うん、ぼくも。えへへ……朝ごはん、いっしょに食べよっか」


 リセリが手をたたくと、小さな魔法の火がぽんと調理台に灯る。


「今日はね、焼き鳥の残りと、たまご粥があるよ。あ、ララは、トマトは食べれる?」

「食べるー!」

 

 ごはんの準備は、あっという間だった。


 ぐつぐつと煮えたおかゆの湯気が立ち上がり、焼き鳥の香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がる。

 リセリはふたり分の小さな器に、たまご粥をよそい、焼き鳥を一本ずつ並べた。つけあわせのトマトは星形にカット。


「わあ、トマトが星になってるー!」

「うん、ルーシィが前に教えてくれたんだ。こうすると、食べるのも楽しくなるって」


 テーブルに並んだ朝ごはんを見て、ララはにっこり微笑み瞳が輝いた。


「いただきまーす!」

「いただきます〜」

 

 ふたりの声が重なって、家の中にふんわりと響いた。


 スプーンですくったお粥は、やさしくて、あたたかくて、体にしみわたる味。

 

「……ん〜〜、リセリのごはん、ほんっとにおいしい……」

「えへへ、ありがと」

 

 どこまでも静かで、平和な朝。

 窓の外では、小鳥たちが木々の間を飛びまわっていた。


 ぺろりと朝ごはんをたいらげたララは、空になった器を満足そうに見つめてから、ぽんと立ち上がった。


「ごちそうさまでした! あたし、そろそろ帰らなきゃ。おばあちゃんの畑、今日は草抜きなんだって」

「うん、薬草届けてくれてありがとね。おじいちゃんの腰、痛くなったら呼んでね。お薬届けるから」

「うんっ、ありがとー!」


 ララはかごを抱え、リセリの手をぶんぶん振ってから、玄関の戸を元気に開けて走っていった。

 

「気をつけてね〜。転ばないようにね〜……って、あ、もう見えないや」


 リセリはひとり、家の中を見渡して、ふぅと小さく息をついた。

 

「さてと……つぎは、ポーション作りだね」

 

 朝食の片づけを終えると、リセリは調合机に戻り、棚から瓶や道具を並べ始めた。

 今日作るのは「活力ポーション」。村の漁師や農夫たちがよく飲む、疲労回復と筋肉のケアに効く定番品だ。

 

「えーっと……ドリナの根、マオ草、青ツユ草……よし。次は……」

 

 棚の引き出しを開けて、リセリは小さく首をかしげた。


「……あれ? アーグ鉱石、ない……?」

 

 確かに、前回使った記憶がある。でも、もう残りひとつもない。

 

「うーん……やっぱり採りに行かないとだね。森の北側、川のあたりなら、まだ採れるはず……」

 

 リセリは小さなリュックを肩にかけ、外に出た。朝よりも日差しが強くなり、空はまぶしいくらいに晴れている。

 森へ向かう道の途中、小さな川が流れていた。水は透きとおり、小魚がきらきらと泳いでいる。


「……いい天気だなぁ。せっかくだし、ちょーっとだけ、釣りしてから行こうかな……」


 リセリは川辺にしゃがみこみ、荷物の中から手製の釣り糸と小さな針を取り出した。餌は、近くの石の下からちょいと失礼して──


「よしっ、ちょっとだけ。ほんとにちょっとだけだよ?」

 

 釣り糸をぽちゃんと投げ入れ、風にふかれながら、リセリは小さく口笛を吹いた。


「アーグ鉱石なんて、すぐ見つかるさ。焦ることないよね〜……」


 木漏れ日の下、風の音と水のせせらぎだけが静かに響いていた。


 風がさらりと吹き抜け、葉っぱのささやきが小さく鳴る。

 リセリは岩に腰かけ、釣り糸の先を見つめながら、ほわんとした表情を浮かべていた。


「……ふふ、やっぱり釣りって落ち着くなぁ……」

 

 糸を引く感触がふっと手に伝わり、リセリは軽く竿を引いた。


「おっ、きたきた──!」


 水面から跳ねたのは、小さな銀色の魚。


 それからもう一匹。そしてもう一匹。

 

「よーし、今日は三匹でおしまい。お昼ごはんのおかずにはちょっと少ないけど……ふふ、こういう日もあるよね〜」

 

 リセリは魚をそっと袋に移し、釣り糸を巻きながら、満足そうに背中を伸ばした。


「……さて、帰ろっかな。ララ、もうお昼ごはん食べてる頃かな〜」

 

 立ち上がって荷物を背負い、川辺から離れようとしたそのとき──



 きらっ……


 


 水の底で、何かが光った。


 


「……ん?」


 リセリは目を細め、川の中をじっと見た。


 小石の間に、ひとつだけ光を帯びた石がころんと転がっている。


「……あれ、なんか光ってる?」


 靴を脱ぎ、裾をまくりあげて、リセリは川の中へざぶざぶと入っていく。

 水はまだ冷たかったが、太陽の光に照らされて心地よい。


 しゃがみこんで、慎重に石を拾い上げると──


「わ……黒曜石だ……!」 


 表面が滑らかで、深い黒にうっすらと光を帯びている。

 掌にすっぽり収まるその石を見つめて、リセリは思わずにっこり笑った。


「きれいだなぁ……魔力の通りも、すっごくいい……。アクセサリーにしたら、ララ喜ぶかも……」


 くぼみに手を伸ばすと、他にも似たような石がいくつか埋まっていた。


 ひとつ、またひとつと拾っていくうちに、ふと、少し形の違う石に手が触れた。


「ん……? これ……」

 

 薄い金色がかった、ざらりとした感触。


 まじまじと見つめたリセリの顔が、ぱっと明るくなる。


「──あっ!! アーグ鉱石じゃん!!」


 忘れていた目的を、まさかの形で思い出した。


「うわぁ……こんなところにあったなんて〜……すっかり釣りに夢中で……。えへへ……よかったぁ〜〜」


 袋の中には、釣れた小魚三匹と、黒曜石と、アーグ鉱石数個。


 リセリはリュックの口をぎゅっと締め、川から上がると、靴を履きながら小さくつぶやいた。

 

「うん、今日はなんか……いい日だなぁ」

 

 日差しはやわらかく、鳥のさえずりが森にこだまする。


 ホクホク顔のリセリは、濡れた裾をひらひらさせながら、軽い足取りで家路についた。


 帰ってきたリセリは、まず手を洗い、家の裏手にある小さなかまどへと向かった。

 

「よし……お魚、焼こっか」


 布の袋から取り出した三匹の小魚は、まだうっすらと冷たく、目がきらきらとしている。

 小枝を串にして、塩をふり、火の上に立てかけると、じゅうっといい音が立った。


 その間に、リセリは窓辺の台に布を敷き、リュックから拾ってきた石をひとつひとつ並べていく。


「黒曜石はここ……アーグ鉱石はこっち……太陽の光で、ちょっと乾かそっと」

 

 光を浴びて、黒曜石の表面がほのかに輝く。深い黒の中に、赤や紫の粒がきらりと光っている。


「……これ、削ってペンダントにしたら綺麗かも……ララかルーシィに、ひとつ作ってあげよっかな」


 ふと笑みがこぼれる。


 それから魚をくるりと回し、香ばしい香りを鼻いっぱいに吸い込んだ。 

 昼食は、焼き魚と昨日のスープの残り。それでも、ひとりで食べるには充分すぎる。

 

「……ん〜、うまっ……自分で釣ったやつって、なんか得した気分になるよね〜」


 ゆっくり食べ終えると、使った食器を洗ってから、棚の上に置いたポーションの素材へと手を伸ばした。


「さーて……活力ポーション、つづきつづき……」


 アーグ鉱石を小さく砕き、他の薬草と混ぜて、魔力で温度を調整しながらゆっくりと煮ていく。

 

 部屋の中に、薬草と甘い樹液の混ざった匂いが広がっていく──そのときだった。

 

 「……あのーっ、リセリさまぁ〜!」


 外から、元気な男の子の声がした。 

 リセリはくるりと振り返り、扉のほうへ向かった。


「は〜い、どうぞ〜」

 

 扉を開けると、そこには村の子ども──ルウが立っていた。

 ララと同じくらいの年の、ちょっとやんちゃそうな男の子だ。


「こんにちはっ!」 

「こんにちは〜。どうしたの、ルウくん?」


 ルウは、にぎりしめていた小さな袋をリセリに見せた。


「えへへ……あのね、明日、お父さんの誕生日なんだ。で、これ……おこづかいなんだけど、なんか、いいものないかな?」

「へぇ〜、そうなんだ! えらいなぁ。お父さん、きっと喜ぶね〜」


 リセリはルウを家の中に招き入れ、ポーションの火加減を一度落とすと、小さな台の上に並べた石たちへ目をやった。

 

「うーん……お父さんって、畑仕事してたよね?」

「うん! 朝から晩まで、ずーっと草刈りとかしてる!」

「そっかそっか……じゃあ、疲れを取ってくれるポーションもいいけど、今日はね──」


 リセリは、窓辺の黒曜石を手に取り、少しのあいだ光に透かして見せた。


「これ、今日見つけたんだ。ちっちゃいペンダントにして、お守りにできるよ。体力を守ってくれる魔法、ちょっとだけ込めたり……」

「ケガしないように!」

「まかせて! 体力温存に怪我防止、そして……山の神のご加護ぉ! なんてね」


 冗談めかして笑いながらも、リセリの手つきは真剣そのもの。

 ルウの顔も、だんだんきらきらと嬉しそうになっていった。


「じゃあね、ルウくん。せっかくだし、この黒曜石のデザイン……自分で考えてみない?」


 そう言って、リセリは黒曜石を小さな木の台の上にそっと置き、ルウの前に滑らせた。


「えっ、ぼくが?」

「うん。お父さんのために贈るんでしょ? だったら、ルウくんの“想い”が入ってるほうが、きっと何倍も嬉しいよ」

 

 リセリのエメラルドの瞳が、やわらかく笑う。

 

 ルウは一瞬、照れくさそうに鼻をかいたけど、すぐに真剣な顔になって、目の前の石をじっと見つめはじめた。


「うーん……じゃあ……」


 ルウはリセリの差し出した紙と鉛筆を使って、少しずつ線を描いていく。


「石の形は……まるくて。大きな手のひらの中に入るくらいの……。で、まんなかには──」


 鉛筆の先が止まり、リセリがそっとのぞき込む。


「……まんなかにはね、畑の“芽”みたいなの。ちょこんって、出てるやつ」

「……芽?」

「うん! お父さん、畑の芽が出たとき、いつもすっごく嬉しそうな顔するんだよ。だから、まん中にそれを入れたい」


 リセリはしばらく黙って、ルウの描いた小さなスケッチを見つめた。


 そして、ぽんと頭を撫でて、にっこりと笑った。


「──うん。すっごく、いいデザインだと思う」

「ほんと?」

「うん。お父さん、きっと大事にしてくれると思うよ。芽が出るって、“希望”ってことだもんね」


 ルウの顔がぱぁっと明るくなった。


「じゃあ、ぼく……これ、ちゃんと渡したら、毎日がんばる! 草むしりとかも!」

「おぉ〜、それは頼もしい〜。じゃあ、その分、力がみなぎる魔法もかけとくね」

「わーいっ!」


 リセリは紙のスケッチを机の上に置き、黒曜石をそっと手に取った。


「デザイン通りに作ってみるね。今日の夕方までにはできるかな〜。できたら、取りにおいで」

「うんっ、ありがとう、リセリさま!!」


 ルウはぱたぱたと駆け出していった。

 扉が閉まる音がしたあと、家の中には再び静けさが戻った。


 窓の外では、午後の陽が差しこみ、石たちの表面をきらりと光らせていた。

 

「……“芽”、かぁ。いいな、そういうの……」

 

 リセリは黒曜石をもう一度、光に透かして見つめた。

 そこには、静かであたたかい想いが、小さな種のように宿っている気がした。



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