第三話 『茶葉』と依頼完了
人の話し声が聞こえた。低く押し殺した、複数の声だ。咄嗟に木の陰に身を隠し、声がしたあたりを伺う。どうやら相手には自分の存在は気が付かれていないようだった。そのことにひとまず安堵の息を吐いた。
だが、声が聞こえる位置まで相手に気が付かないとは。
自身の不甲斐なさに小さく舌打ちをし、スキルを使用する。その瞬間、普段はただそこにあるだけのものたちの気配が濃くなる。
風の気配、木々の騒めき、獣の息遣い。
そうしたものが全てまるで目の前にあるかのように感じられるのだ。
スキル名は『斥候』。
その名の通り、敵陣に向かう際や、今回のように人知れず情報を得ようとする際に活躍するスキルだ。しかし、このスキルにも欠点があった。使用した後は得た情報を処理するためなのか頭痛と吐き気に悩まされることが多々あるのだ。
仲間といる時ならばいいが、一人でいる時に身動きが取れなく程体調に影響が出てしまったら。
それだけで自身の生死に関わってしまう。
決して便利だけではないスキルだった。
故に、普段の職員としての業務ではスキルを使わずに過ごしている。そもそも日常的に使うようなスキルではない。それでも、こうした情報収集をする際にとても相性が良く、職員になってからも非常に役に立ってくれている。
足に怪我を負い、動きが制限されるようになってもこのスキルのおかげで命拾いをしたことも多い。慣れれば使いやすく便利なスキルだ。
だが、スキルの特性を理解するまでは相応に時間がかかった。スキルだけに頼るのではなく、自分自身の動きも重要だと気が付いたのは、失敗を重ねた後。
どれだけ敵の動きがわかっていても自身の動き次第でそれを活かすことができなくなってしまう。
いかに相手に気が付かれないように最小限の動きができるのか。
また、自身の気配を殺す方法を悩み、実践し、身につけていった。苦労した分だけ結果が伴い、今となってはなくてはならないものになっている。更に、新しいスキルまで手にすることができたのだ。
それが『隠密』。
自身の行動次第でスキルが新しく得られると聞いたことがあったが、そんなことは滅多に起きることがない。実際に、これまでの冒険者稼業の中でも、ギルド職員になってからも後からスキルを得たという人の話を聞くことはほとんどなかった。
ほとんどの人が生まれ持ったスキルだけで生きていくのだ。
だから、まさか自分に起きるとは思っていなかったからひどく驚いた。
これは自身の気配を薄くし、自分がそこにいることを気が付かれないようにするスキルだ。さすがに目の前にいれば気が付かれてしまうが、物陰に隠れてしまえば気が付かれなくなる。
まさしくルプス向きのスキルであった。
これのおかげで、前以上に潜入することが楽になった。
しかし、身じろぎした際に物音を立ててしまえば意味をなさないし、相手が気配察知に優れていれば気が付かれてしまう。
この辺りは元から持っていたスキルを活かすための動きが、そのままこのスキルを活かす動きになっていた。更に一つ一つの動きに気を付けていれば、自分には潜入できない場所はないのではないか、とすら思えた。
ルプスはこれらのスキルを総称して『補助スキル』と呼んでいる。
戦闘に直接関係がない。効果もわかりにくく、どうすれば鍛えられるかもわからない。名前でどういったスキルかわからない、使ってみても効果がわからない、そうした理由からかつては重要視されていなかったスキル。
しかし、鍛錬していけば自ずとスキルの精度もあがっていくこと実感した。
自分の経験は、随分と前に冒険者ギルドに情報を渡してある。
スキルを活かすためにどう考え動いたか。
また、その結果を受けて新しいスキルを得ることができたこと。
そうした情報を渡すことで他の冒険者にも貢献したことが認められればランクが上がる際の評価に加味される。
例え自分よりも先に同じ内容で報告をした者がいたとしても、『同じ内容の報告が多数あった』という情報が増えることになる。だから、何かを発見したら必ず冒険者ギルドに報告すること、と冒険者として登録すれば最初に教わることだった。
その情報を知ってまず動いたのは高ランクの冒険者たちだ。
彼らは危険な依頼につくことも多い。その中で少しでも自分の力を増やせる方法があるなら試しておきたかったし、なおかつ、稀に新しくスキルが増えることを知っていた。
だが、元から持っていたスキルをさらに伸ばすことができることは、この時初めて知ったのだ。
同じスキルを持っていても、効果や技能が違う場合があることは知られていた。しかし、理由までは知られていなかったのだ。
それが、新しく知らされた情報により、スキルはそれぞれ鍛えることができ、それによって同じスキルでもできることが変わる可能性が生まれた。
一部で呼ばれ始めた『スキル熟練度』という名前はいつの間にか正式名称となり、最初はルプスだけが呼び分けのために言っていた『補助スキル』と『戦闘スキル』という呼び名も正式なものとして登録されるようになった。
すぐにこれまで重要視していなかったスキルが実用できるほどに鍛えるには相応に時間がかかる。それでも、鍛え続ければ間違いなく自分の力になる。
それに、補助スキルを鍛えるためにするべきなのは『考えること』である。
どうすればそれを活かせるのか。
ただ漠然と使うのではなく、考え実践し、また考えること。
その繰り返しが、成長に繋がっていく。
少なくともルプス自身はそのように鍛え続けた結果、この場にいることを簡単に見破られない程度になった。
木々に隠れるようにひっそりと建てられた小屋があった。猟師が使っていた倉庫を改装したというだけあって外観は古びたようには見えない。あたりの薄暗さもあって随分と上手く隠されている。
スキルがなければ、いや、スキルを持っていても鍛えていなければ気が付くことができなかっただろう。
この場所自体が山の中ということもあり見回りも少なく、見逃されやすい場所だ。不自然にならない程度に老木や蔦があり、木々に遮られ光があまり入らない上に湿気もあり足元もぬかるんでいて歩きづらい。
出来ることなら近づきたくない場所。
だからこそ、これまで気が付くことができなかった。
この場所を得た貴族は北の貴族だ。つまり、国内で流行り始めた『茶葉』は北からもたらされたものだ。
だが、このような場所に貴族自身が来ることはない。依頼人が直接自分で動かなかったのは、裏に他国の貴族がいることに薄々気が付いていたからだろう。動けないわけではない。だが下手に動いてしまえば国同士の問題になり、戦になる可能性もある。
だから、冒険者ギルドに依頼したのだ。これで解決することができれば冒険者ギルドは国の危機を救った実績を得ることができる。その実績はこれから先、冒険者ギルドに対する圧力に対抗する力を得ることができる。
そのかわり、依頼主のシズに対しては借りができてしまう。シズ自身は冒険者として身分を隠し動くこともできたのだ。
それを依頼という形をとったのは、次に何かあれば、手を貸せ、という無言の圧。冒険者ギルドとしては一貴族に貸しを作りことは避けたいが、相手がシズであり、かつてAランク冒険者であったことから、飲み込んだようだった。
このあたりの政治的な動きは、ルプスはあまり詳しくないし知るつもりもなかった。かつてのパーティーメンバーであれば理解しているものもいたから、そうした煩わしい関係はすべて任せきりだったのだ。平民の、ただの冒険者が下手に権力者に関わったところで面倒ごとになる未来しか見えなかった。
これから先も、できることなら関わらずにいたいものでもある。
隠密スキルを使用したまま中の様子を探る。小声で交わす会話と人の気配から中にいるのは男が三名のようだ。
話しているのは、そのうちの二名。使用されている言葉が北国のものだ。残念ながら他国の言葉をすべて理解できるわけではないが、漏れ聞こえる会話の中に『薬草』『茶葉』『流通』という言葉が混ざっているのはわかる。
録音の魔道具を取り出し、男たちの会話を保存していく。これをしかるべき相手に提出すれば自分には理解できない内容も伝わるだろう。
この魔道具はギルドからこうした情報収集のための依頼時に貸与されるものだ。実際に自分で買おうとすれば、数年はただ働きをする覚悟をしなければならない。
そして気を付けなければならないのは、動力となっている魔石に込められた魔力がなくなってしまえば保存することもできなくなり、保存した内容も取り出せなくなってしまうことだ。
同じ魔道具でも魔法鞄は一度、空間拡張の魔法がかかれば固定され鞄そのものが破壊されない限りは使えるのに対し、こうした魔石を動力としている魔道具は都度補充する必要があるのだという。
また魔力を込めれば保存することも取り出すこともできるらしいが、保存している最中に魔力がなくなれば、その時点で魔道具は動かなくなってしまい、それ以降は保存できなくなってしまう。
そこだけは気をつけろ、と魔道具を預かった際に何度も言い聞かされた。
だから、ここに来るまでの道中でも、いざという時に使えなくなることを避けるために魔力を込めていた。
そもそも、獣人は極一部の特殊な種族を除き保有する魔力が少ないのだ。ルプスの種族は、獣人の中でも足の速さと身軽さに特化しているライカンと呼ばれる獣がもとになっている。
魔力を使わずとも生きていけるように変化していったらしい。実際、ルプスの家族も精々生活に使用する魔法くらいしか使えない。
だから、こうした魔道具との相性もあまりよくない。それがわかっていても預けられたのは、ルプスが一番今回の依頼に向いていたからだ。
「さて、どうするべきか」
録音した音声だけでも証拠にはなるだろう。だが『茶葉』そのものを確認できればもっと良い。その為には中にいる男たちをどうにかしなければならない
万が一、戦闘になったとき、相手の力量次第ではルプスでは相手にならない可能性もある。それなら自分が得意とする状態に持ち込めばいい。
証拠品として『茶葉』さえあれば男たちと真正面からやりあう必要はないのだ。男たちの会話からその『茶葉』が北国から入ってきたものである証拠は得たのだ。
あとは実証拠の物品と、実行犯。そして彼らに対する指示書のようなものが出てくれば一番なのだが。最もそちらがある期待はしていない。そこにわかりやすく名前を載せるような真似はしないだろう。
だが少なくとも倉庫として使用された小屋の所持者はなんらかの罪に問われるはずだ。
ルプスは持ってきた荷物の中から煙幕を出す道具を取り出す。
これは魔道具でも何でもないちょっとした便利道具だ。
ただ、煙を出すだけの道具。
普段ならば冒険者同士で連絡を取る際に使われていたり、魔獣の目を欺くためなどに使用される。値段も安価な上に物自体が丸薬程度の大きさなので、大体の冒険者は自身の荷物に入れている。
それでも、狭い場所で煙が充満すれば目は頼りにならずに動きを制限されるし、何もない場所で煙が立てば、火が付いたかと焦り、普段とは違う行動に出るものもいる。
こんな木々に囲まれている中で火があがればどうなるかなんて、子どもでもわかることだ。
今回もそれを狙ったのだ。見た目は丸薬と変わらないそれにほんの数滴水をたらす。
それだけで、煙が発生していく。それを、男たちのいる小屋の中に投げ入れ、待つことしばし。
小さな小屋の中を充満していく煙に焦る声が聞こえてきた。火事か、と焦る男たちが、我先にと小屋から走り去る。
一人、二人、三人。慌ただしい足音と共に去っていった男たちに、深く息を吐く。彼らの戦闘能力は高いようにみえた。実際、気配の殺し方や立ち振る舞いは高ランクの冒険者と変わらないものだった。
しかし、冷静さは足りないようだった。もし彼らの中に状況をよく見ることができる者がいれば、急に充満した煙に違和感を覚えただろうし、火の元を確認しようとしただろう。
ルプスとしては運が良かったとしか言いようがない。
男たちが全員出ていくのを見送った後に、念のためもう少しだけ時間をおく。
万が一、男たちが戻ってきたとしても対処できるように警戒は必要だった。煙が収まるころになっても、男たちは戻ってくる気配はない。所詮は雇われたものたちなのだろう。
小屋の中身を確認すれば、目当ての『茶葉』も依頼書と思われる書類も置きっぱなしになっている。中身を見てもルプスに読める文字は少ない。やはりこれも北国のものが書いたものだろうか。
これは、むしろ罠なのだろうか。
そのあたりはギルドマスターや、依頼主の考えることだろうが、あまりにあっさりとした結果に肩透かしを感じてしまい、裏を勝手に勘ぐってしまう。
とはいえ、これで今回の自分の仕事は終わりだ。この小屋もそのまま放置しておくわけにはいかないだろうが、名目上は他国の貴族の持ち物だ。結果を報告してから国が判断することになるだろう。
小屋にあったものを鞄にしまいこみ、ぐぅ、と大きく体を伸ばした。
帰ったらまずは依頼完了の手続きをして、それから、これらをどうするか話し合わなければならない。最終的な判断は国がすることになるだろうが、依頼を受けた冒険者として、ギルド職員としてやることはまだまだある。
返ってからも休めなさそうな気配にげんなりとした感情を抱きつつ、それでも、これが自分の選んだ道なのだ、と頭を振った。
■ ■ ■ ■
無事に戻ってきたルプスを迎えたのは、にやにやと笑うギルドマスターの姿だった。この笑みを浮かべるマスターに良い思い出がないので警戒してしまう。
何かを問いかける前に、とりあえず、とギルドマスターの執務室へと案内された。持って帰ってきたものをどうしたものかと思ったけれども、特に何も言われないのでそのまま後について執務室へと向かう。
「ここに広げてもいいのか?」
敬語なんて使う必要もない。今は職員としてではなく、冒険者としているのだ。了承を得て、広いマスターの執務机の上に小屋から持って帰ってきた茶葉や書類の束を広げていく。
それを一つずつ確認しているマスターは流石に先ほどまでのにやけた表情は消していた。
「よくやった。これだけ証拠があれば他国だろうといい加減なことは言えないだろう。最近あちらからのちょっかいが酷かったからな」
「ふうん」
確かに他国の人間と思われる冒険者が増えているように見えた。とはいえ、この国は人の動きも多く他国の人間ということだけで疑うわけにもいかなかったのだろう。
やる気がないように感じさせるルプスの返事に気を悪くするでもなく、むしろ面白そうに笑っている。じとり、とにらみつければ、表情はそのままで肩を竦められた。
「いいやぁ。やっぱりお前に頼んでよかったと思ってな」
素直に褒められるのはどうにも落ち着かない。うめき声をあげるルプスをギルドマスターは見守っていた。
ギルドマスターはかつて彼が冒険者として活躍していた時期を知っている。当然、彼が何故冒険者をやめようと思っていたのかも知っていた。
それでも、その実力を惜しみ、嫌がられるかもしれない、おせっかいかもしれない、と思いながらギルド職員へと勧誘したのだ。
もし彼の実力が低ければ、彼の怪我がもっと酷かったら、声をかけることはなかっただろう。そのあたりは決して甘い考えをしているわけではない。怪我をしていても職員となるのに充分な実力があるから誘ったのだ。
ただ、ルプス自身は自分の実力に自覚がないようだが。そのあたりはギルドマスターとしては踏み込む必要はないと考えていた。
「お前がギルドマスターになるか?」
ふざけてなのか、本気なのか。その声音からでは判断が付かない。だから、ルプスは冗談だとして受け取り、肩をすくめた。自分に一つの組織を背負うことはできない。
今の一職員くらいがちょうどいい。
「何言ってるんだか。俺は、このままでいい」
大体ギルドマスターになるには相応の資格が必要だったはず。
国が定めたその資格は、年に一度試験があり、その結果と普段の素行によってギルドマスターにふさわしいか調べられるのだ。そして、その資格を持っていれば有事の際にギルドマスターの代理となることもできる。
実際にギルドマスターになるには空いている席がなければならないが、念のために有能な職員には取らせる場所もあると聞いている。
その資格をルプスは持っていない。取るか、とは前から聞かれていたが、責任を増やしたくなかったので断り続けてきた。ギルドマスターもそれを知っている。
だからこのやりとりは戯れでしかない。
「まぁ、それは冗談としても。これからも期待してるぞ。あぁ。調査部のほうは副部長に格上げするからな」
あっさりと伝えられた昇格に、茫然としてしまった。
何を言っているのか、と問い返しても、決定事項だと返されてしまう。これまで通り一職員として調査部の手伝いをする程度でよかったのに。調査部の部長はルプスとも顔なじみだ。
依頼の裏取りをする仕事を主にする彼らにとって、ルプスのスキルは有用で、何度か仕事を頼まれることも多く、正式に部に入らないか、とは言われていたのだ。
せめて一般職員で所属するならともかく、最初から肩書を持つなんて面倒この上ない。けれど、これはもう断ることができないとわかってしまった。
何故、こんなことになったのか。恨めし気に睨みつけてみても一切気にする様子もない。
「……副部長の件、了解しましたー。じゃぁ、今日はこのまま帰っていいか?」
「まぁ、これだけ証拠があればいいだろう。依頼料は振り込みをしておく。明日もいつも通り仕事だからな。今日はゆっくり休め」
「はーい。では、お先に失礼します」
ひらり、と手を振り執務室を出る。出口に向かうまでに出会う同僚たちに手を振り挨拶を交わしながら、明日からの仕事について考えた。
調査部は今回と同じように依頼の裏を調べる仕事が主だ。やることは変わらない。だが、これまで気楽な立場だったのに、急に肩書が付く事実に足が重くなる。自分の立場が変わる以上、余計に今回のように依頼として受けることに後ろめたさを感じてしまうのだ。だが、それを上が良しとしているなら自分には反対することもできない。
それに、同僚の中には休日に冒険者として動いている者もゼロではない。だから、気にしなければいいのだろうが……。
夜風にあたりながら星の瞬く空を見上げた。きらめく星は今日も、明日も変わらずにそこにある。立場が変わろうともルプス自身が何も変わらないように。
「まぁ、明日からも頑張りますか」
ゆるく尾を揺らし月の照らす道を歩く後姿は、どこか楽しそうであった。
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