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Miculum・fabura  作者: 黒井白


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第10話 過去―別れとはじまり⑤

 空の瓶ばかりが転がる床。

 部屋の角には埃が積もっている。

 ぼんやりと天井を見上げていたルプスは緩慢にそれらを見遣った。


(掃除しなきゃなぁ……)


 頭ではやらなければいけないことが浮かぶのに、体が一向にいうことを聞いてくれない。

 何をするのも億劫で部屋から出ることも少なくなってしまった。一日に一度は部屋から出る、という約束も最近では全く守られていない。

 けれど、そのことに対して仲間から苦言を呈されることはなかった。

 腫物を扱うように距離を取られている実感がある。

 深く息を吐き出し頭から施行を追い出す。そして再び酒の入った瓶に手を伸ばそうとして、漸く中身が入っていないことに気が付いた。

 いつのまにこれだけ飲んだのか。記憶に靄がかかったかのように思い出せない。

 いや、思い出す必要もないだろう。

 どうせだらだらと飲み続けていた記憶しか出てこないのだ。

 自分がかわいそうだと慰めて、先がないと嘆いて、どうして自分だけと周りを羨んだ。

 別に酒が好きなわけではない。ただ、それを飲んでいれば悩みも、苦しいことも、劣等感も、すべて忘れられた。酒が切れた今、どれだけ自分が愚かなことをしているのかを実感して、余計に気分が落ちていく。

 自分は一体何をしているのか。

 どさり、と音を立てて床に寝転がる。

 体の動きに合わせて埃が舞った。

 横になった瞬間重くなる瞼に逆らわず目を閉じた。

 いつまでこのままなのだろう。

 湧き上がる不安は、次第に黒くなっていく思考に塗りつぶされて消えていった。


■ ■ ■


 ルプスが部屋から全く出なくなった頃。

 エクレピアはどうすればいいのか、否、何をしていいのかわからなくなっていた。

 彼がどれだけの努力をしていたのか知っている。

 自身の能力をどのように活かすか悩んで、時折、魔力を使うエクレピアを眩しそうに見ていたことも、筋力に優れたソウムを弄りながらも悔しそうにしていたことも、従魔と戯れるカリュスに混ざりながら悔しそうにしていたことも、全部知っていた。

 だからこそ、彼がこれまで通りの動きが出来なくなった今、どんな言葉をかければいいのかわからなくなってしまった。

 彼ならば、いつかは自分の力で打開するだろう、という信頼。

 しかし、それがいつになるのかわからない不安。

 少なくともエクレピアは自分が魔力を使えなくなったりしたら年単位で悩む自信があった。

 エルフという種族は魔力と共存する種族だと言われている。実際、生まれた瞬間から魔力は体内を満たし、他種族に比べて扱いに長けている。それこそ、息をするように使うことが出来るのだ。

 それを無くすということは、命を無くすことと等しい。たとえ見た目が周りと違い、得意とする魔法が違うことで迫害されていても、エクレピアはエルフでしかないのだ。

 だから、ルプスがこのまま部屋に篭り続けたとしてもエクレピアは待ち続けるつもりだった。


「そのままでいいのか?」


 仲間のみで夕飯を食べた時、ソウムにそっと聞かれた。ごくりと口の中に残っていたものを飲み込んでから視線を向けた。机に置かれた食事はいつもより減りが少ない。

 気にしていないように見えてこの男もルプスのことを気にしていた。


「俺にどうしろと? ずけずけと踏み込めるほど俺は無神経になれない」


 引かれた線を無理やり踏み越えてどうにかできるならとっくにしている。互いに信頼しあっているからこそ、踏み越えることが出来ない線が確かにあった。

 信頼と不安が混ざり合い身動きを取れない。

 一緒に冒険がしたい。ルプスといろんな所に行きたい。

 そう思ったからこそ、長いことパーティーを組んで共に来たのに。

 もちろん将来的に道が別れる可能性があると考えていた。そもそも種族として避けられない寿命の差もある。それでも、こんなに早く別れがくるなんて思ってもいなかったのだ。


「相手を尊重するのは当然大切なことだ。だけど、今のルプスには傍にいる相手が必要だと俺は思うぞ。そしてそれはお前の役目だろう」


 あくまで自分の考えだが、と淡々と言う姿は大して年齢が変わらないはずなのに随分と年上と話している感覚になった。


「……俺が傍にいても、迷惑にならないだろうか」

「知るか。俺は俺から見たお前らの姿を見てきて助言しただけだ。正解かどうかはわからん。誰よりもあいつと一緒にいたのはお前だろう」


 突き放しているようにも聞こえる言葉。けれど、その奥には確かにエクレピアとルプスの二人を見てきたからこその信頼があった。

 別に言われたから行くわけではない。元から行くつもりだった。

 そう言い訳のようにこぼしながら宿へと向かう後姿を、ソウムは弟を見るような目をして見送っていた。


 コンコン、と規則正しいノック音が鳴る。だが、返事はない。


「ルプス? 寝てるのか?」


 もしくはノックの音が聞こえなかったのだろうか。

 どうしようか、とここまで来ても悩む。

 正直、今を逃したらまたうじうじと悩んでしまう自覚があった。周りからはエルフらしく傲慢だ、とか、自信家である、等好き勝手に言われているけれどエクレピアはまだ成人を迎えてから数年しかたっていない。単純な年齢そのものは仲間たちに比べれば確かに高い。

 だが、経験値は少なくまだまだ未熟なのだ。

 だからこそ、こんな時にどんな風にふるまえばいいのかわからなくなる。

 もっと余裕のあるヒトになれたならどれだけ良かっただろうか。寄り添い支えることももっとできたかもしれない。

 けれど今から急に余裕のある大人になることはできないし、ルプスの怪我をなかったことにする力もない。

 しばらく待ってみても反応がない部屋に覚悟を決める。

 出かけているなら勝手に入ったことを後で謝ろう。

 顔を合わせたくないと思われているのなら心が痛むが、その気持ちを尊重しよう。

 あれから全く会話が出来ていないのだ。

 今は、顔を見て話がしたかった。


「邪魔する、ぞ……。ルプスっ⁉」


 部屋を開けてまず目に入ったのは、ぐったりと床に落ちているグレーの尻尾だった。見慣れたふんわりとした毛並みはなく、しんなりと垂れ下がった尻尾は明らかに様子がおかしい。

 慌てて近寄れば、きつく閉じられた瞳とじっとりと濡れた前髪。

 小さくあがる唸り声に、悪夢をみているのかもしれない。慌てて布団へと押し込めて来た道を戻る。

 抱き上げたときに感じた体温は普段よりも高く、明らかに体調が悪いことが察せられた。それなのに、部屋の中には水や体を清める布など一切なかったのだ。


「ソウム!」


 未だに宿の食事処にいた頼りになる相手の姿を見つけて駆け寄る。予想よりも早く戻ってきた姿に驚くソウムが何かを口にするよりも先にルプスの状況を伝え、助けを求めた。

 一瞬の時間すら惜しかった。

 エクレピアの様子と話の内容からすぐに状況を察したのか一気に真剣な表情へと変わる。


「ひとまず治癒師を呼ぼう。もしかしたら怪我が悪化したのかもしれん。あとは念のため薬師に頼んで熱さましの薬を処方してもらっておくか」


 病は治癒師の管轄外だった。いや、正確に言うならば現在の治癒師は病も治すだけの力を持っていない。

 古い書物には治癒師によって病を消し去った記述がある。しかし、いつの時代からかそれだけの力を持つ治癒師はいなくなってしまった。

 エルフの書物にすらそれは記されていない。

 しかし、治癒師の力に減衰が起きたことは悪いことばかりではなかった。薬師の価値が見直されたのだ。それ以前では治癒師がいれば薬師などいらない、とされていた時代もあったという。

 今から考えると信じられない時代だ。

 薬師の作り出す薬は何も病に対するものだけではない。

 毒に対抗するための薬だって作るのは薬師だ。

 特に魔獣の持つ毒は多様化しているせいで、一つの毒消しでは対応しきれないことが多い。

 虫型の魔獣に効くもの。

 獣型の魔獣に効くもの。

 ヒト型の魔獣に効くもの。

 それぞれ違いまたその中でも細分化されていく。一つ見間違えるだけで毒消しを作ったはずが毒になってしまうこともあり得るのだ。故に、毒消しを作るには資格が必要となり、その資格を掲げていない薬師が毒消しを売った場合は罪に問われる。だからこそ多くの毒消しを作ることが出来る薬師は尊重された。

 また、魔力を回復する薬もある。ただし、これは材料が希少なため相応の値段がするが、それでもないよりはましだった。

 エクレピアのように魔力を多く使う性質の冒険者にとって魔力の回復手段は多いに越したことがない。魔力の有無が死活問題になるのだ。

 どれだけ高くとも命に代えられず、万が一に備えて保険として持ち歩く薬だった。

 ルプスを苦しめている熱の原因が怪我であれば治癒師の治療で回復する。しかし、病による熱であれば回復しない。あとから慌てて薬師に依頼するよりも、最初から依頼してしまえばいいという判断だ。例え使わなくとも、保管しておけば後からでも使うことが出来るので無駄にはならない。

 言われるがままに治癒師と薬師に連絡をとり、さほど時間を置かずに宿へ治癒師が到着した。薬師へ薬を取りに行くのはカリュスが取りに行くと手を挙げたので任せている。


「ルプスの様子は……」


 薄く延ばされた魔力がルプスの体を纏っている。魔力の動きを見ることが出来るのは、この場ではエクレピアだけだ。魔力の扱いに長けていなければ他人の魔力を視覚で見ることが出来ない。他人が持つ魔力の動きを見ることが出来るだけの能力を持つものは稀少だ。

 そのエクレピアでもこんな風に相手に影響を与えずに体の調子を見ることはできない。

 この能力があるからこそ治癒師は治癒師であれるのだという。


「傷が悪化したわけではないね。ただ、最近ちゃんと寝ていない上に食事をとっていないんだろう。不摂生が祟って熱を出しているようだ。しっかり食べて寝かしつければ問題ないさ。薬師の熱さましは飲んでも構わないが、飲まなくともじきに下がるさ」


 伏せていた瞳をあけ、告げられた言葉にほうっと大きく息を吐きだす。そして同時に自分が面倒をみなければ、と決意した。

 いつか、を待ち続けるだけでは駄目だ。

 エクレピアは目の前でぐったりと眠り続けるルプスを見て決意した。

 この男は放って置けばいくらでも自分を蔑ろにしてしまう。

 治癒師を見送り、しばらくしたころ。

 小さな唸り声と共にルプスの意識が覚醒する気配がした。


「起きた?」

「……えくれ……?」


 どうしてここにエクレピアがいるのかわからない、といった表情を浮かべている。少しだけ幼く見える表情は出会ったばかりの彼を思い出させた。


「今日から同室になるから。よろしく」


 にっこりと笑みを浮かべたエクレピアにルプスは寝起きの混乱と相まって何も言うことが出来なかった。


■ ■ ■


 ある日から、急にエクレピアが側にいるようになった。

 何があったわけでもない。少なくとも、ルプスには変化が起きるような何かを自覚していなかった。

 これまで一人部屋だったのが、エクレピアと同室になった。いつの間にか自分以外の仲間が結託し、そう決まっていた。


「なんでこうなった?」


 思わずこぼれ落ちた疑問に仲間たちは生ぬるく笑みを浮かべて見るだけで答えは誰からも与えられることはない。

 朝起きればエクレピアは大体先に起きていて、依頼があれば出ていくのを見送る。

 同じ部屋になったからには自堕落な生活はできない。エクレピアが出ていくのを見送って、自身も部屋から出る。特に出かける気がなくとも食堂に行けば誰かしらが声をかけては出かけて行った。こうして、一日に一度部屋から出る、という習慣が復活したのだ。


「魔獣の意識を反らせるような何かないか?」


 そんな風に日々を過ごしていたルプスに、ある日ソウムが問いかけた。ほんの些細な世間話の一つだったが久しぶりに何かを作ろうという気が湧いてきた。


「どこで使うのを想定してるんだ?」

「ダンジョンだな。採取物が美味しいダンジョンがあるんだ。ただ、魔獣の強さがなぁ。俺たちには問題ないが採取専門にしてるやつや採取者の護衛をしてる奴らにはちときつい。だから魔獣対策に何か案がないか聞かれてる」


 ルプスたちのパーティーで一番話しかけにくそうな厳つい外見をしている割に、駆け出しの冒険者をはじめとした多くの冒険者に慕われているのがソウムだ。だからこそ、そんな問い合わせを受けたのだろう。


「護衛してる奴らならそれなりに戦えるんじゃ?」

「それなりには、な。だが、不測の事態は起きることもあるだろ。そこに対応できるかどうかは別だ。そういう時に足止めになるものや、少しでも魔獣の圧を減らせるものが欲しいらしい」

「なるほどなぁ」


 その気持ちはルプスにもよくわかるものだった。ましてやダンジョンでは何が起きるかわからない。普段から護衛任務を受けているものでも他人を守りながら戦う大変さは別物だ。

 以前に混乱を引き起こす煙玉を作ったことがあったが、あれは風向き次第で味方まで巻き込む可能性がある為危険性を考えて誰にも渡さなかった。

 誰にでも使えて周りを巻き込む心配なく魔獣の意識をそらせられるような物。

 そんな都合の良い物はすぐには思い浮かばず、ひとまず考えておく、と話を預かることにした。

 酒を飲もうとしても止められるのだ。それなら物作りをして気を紛らわせるのは有効な手立てだった。

 物を作っている間は他のことを考えずに済む。特に新しいものを作るときの試行錯誤が好きだ。何か作ればそれを試してみたくなるし、そこから更に良いものにならないかを考えたくなる。

 少しずつ、気持ちが落ち着いていく。何もできなくなったわけではない。

 出来ないなら出来ないなりにやれることばいい。

 ずっとそうしてきたというのに、視野が狭くなっていたことを自覚した。


 話を聞いてから一週間後。

 ルプスの部屋に集まった仲間の前で披露したのは金属でできた球状のものだった。


「これはどんなものなんだ?」

「仕組みとしては単純だ。障害物などに当てて音を出す仕組みだ。壁や進行方向とは逆の通路に投げて周りにあたると魔石が反応して音を出すだけのシンプルなものだから周りに影響は出ない」


 試しに、と宿の壁へと一つ投げつけてみる。コロンコロンと聞こえる音はさして大きいものではない。そのことに不思議そうにする仲間へ説明を続ける。


「この音は魔獣が惹かれやすい音になっている。あまり大きい音にすると遠くからも寄ってきてしまう可能性があるからこの大きさだ。それに気を引くだけだから魔獣の気がそれたらすぐに行動しなければいけない。とはいえ、ダンジョン内の魔獣で試してみたわけじゃないから確実じゃない。実際に使う前に試してほしい」

「魔獣が惹かれやすい音なんてあるのか」

「あったみたいだ。これまでも俺らが方向へ狙ったように向かってくる魔獣がいただろ。てっきり足音に反応したのかと思っていたがそうした理由もあったみたいだ。」

「あぁ、つまり魔力の籠った武器や装備が触れ合った時に出る音が魔獣を引き寄せていたのか」

「当然足音で反応する魔獣もいるが、魔力の帯びたもの同士が擦りあった時に出る音が一番魔獣が反応しやすい」


 小さな球状のアイテムを眺めていたエクレピアはその素材に気が付いたようだ。魔力の籠った金属でできた覆いの中に入っている魔石は通常の状態だと周りに当たらないようになっている。刺激を受けることで覆いの中で動き周りにあたり特定の音を出すのだ。

 なるほど、と頷くエクレピアは自身が持つ魔力の籠った武器や髪飾りを見て納得している。

 魔力を込められる武器や道具はそれだけでも充分に魔力を帯びている。

 それらが擦りあうことで独特の波長を出し、魔獣はそれに反応するようだった。


「よく気が付いたなぁ。すっご」


 素直に賛辞を述べるカリュスに対して、ルプスは気恥ずかしそうに頬をかいていた。


「気が付いたのはたまたまなんだ。俺自身は魔力をほとんど持たないだろ? だから荷物にも普段は魔力を使うようなものは使っていない。けど、今回頼まれたものを作るにあたって素材を取りに森に出たとき魔獣の動きがいつもと違ったんだよね」


 その時に持っていたものが、付加魔法を付けた採取道具だった。

 肉体強化と同じくらいの魔力を通すことによって普段よりも容易に質の良い物を採取出来るようにする道具だ。採取を主にしている冒険者ならだれでも持っているものだが、ルプスはこれまで素材は買うか、自力で採取するにしても道具まで気を回すことがなかった。今回は特に質にこだわりたくて道具にも拘ったのだ。

 また、普段使っている武器も魔力を帯びているがルプスの持っている武器をよりも仲間たちの持っている武器の方が帯びている魔力が多い。

 だからこれまで気が付くことがなかったのだ。

 もしかしたら他にも気が付いている者もいるのかもしれない。けれど、ルプスにとって新発見となる情報に心が沸き立った。

 気がつけば、エクレピアが悔しそうにソウムのことを見ているのが気になった。まるで拗ねた子どものような顔。むっすりと眉をしかめた表情はとても珍しい表情だった。


「なんでエクレはそんな不機嫌そうな顔をしてるんだよ」

「だって悔しいじゃないか。お前を元気付けたのがソウムからの依頼だなんて」


 不機嫌そうに眉を顰め睨みつける姿に思わず笑ってしまう。そして、こんな風に自然に笑うことすら久しぶりだったことに気が付いた。


「ひとまずそういうことだから、実際に試してみてくれ」


 まだ自分が戦闘に出るには心もとない。だからこそ、仲間たちに託す。彼らなら不測の事態が起きても問題ないと信じられるから。

 そうして試してもらった道具は問題なく活用できると確認され、冒険者ギルドで売られることになった。その売り上げはルプスの物になる。ルプスとしてはパーティーとしての売り上げにしようとしていたが、作り上げたのはルプスであると他の仲間たちが譲らなかったのだ。

 どれだけ話をしても折れない仲間に根負けし、ルプスはその提案を受け入れた。いつか売り上げで仲間にお返しを出来たらいい、と頭の片隅で考えていた。


 少しずつ気持ちが整理されていく中で久しぶりにギルドマスターから呼ばれた。

 そういえば、最後に依頼を受けたのは、そして怪我をしたのは、どれだけ前のことだっただろうか。

 もしかしたら、とうとう冒険者証をはく奪されるのかもしれない。呼び出しの手紙の配達を託された冒険者は多くを語らなかった。情報の少なさが不安を煽る。

 出かけるときは無意識に持ち出すほど慣れた手のひら程度の大きさをしたカードは、成人してからずっと身に着けていたものだ。

 冒険者証は例えランクが上がろうとも最初に支給されたカードから変わらない。ランクが上がった時に記される内容が増えるくらいだ。

 怪我をした時も、服の下にしっかりと持っていた。

 万が一、あのまま命を落としていればこれを見た誰かが冒険者ギルドにルプスの死を告げると共にカードを届けただろう。

 けれど、自分は死ぬことなく今も生きている。

 久しぶりに出た外の明るさに目が眩む。

 ずっと引きこもっていた所為で筋力が衰えている気もする。採取に出かけたと言っても戦闘をしたわけではない。もし冒険者として復帰するなら鍛えなおさなければならない。

 久しぶりに先のことを考えたことにルプスは気が付かなかった。


「ギルド職員にならないか?」


 マスターの部屋に入り、ひとしきり近況について報告をした後に提示されたのはそんな話だった。予想していなかった提案に困惑する。確かに前よりも冒険者であり続けることに対して執着心がなくなっている。

 それは仲間たちのおかげでもあり、そして、心に強く残り続けている寂しさもある。

 このまま仲間たちのやさしさにすがっていていいのか。

 治らない、とわかった時の絶望感は無くなっても尚残り続ける自問自答に答えを出せずにいる。


「ギルド職員になるとしたら、ここ?」

「それもいいが。……なぁ、辺境へ行くつもりはあるか? あちらでは冒険者ギルドの職員が不足している」


 辺境はここよりも魔獣が強く厳しい土地だと聞いたことがあった。

 それ故に、位階を上げたい冒険者が多くいると聞いたことがある。

 実際、ルプスたちのパーティーも何度か辺境に行ったことはある。とはいえ、移動に相応の時間がかかるために頻繁に行くような場所でもなかった。

 当然危険も多く、長く所属する職員が少ないのだという。危険な場所だからこそ冒険者ギルドの持つ役目は大きい。だというのに、そこに所属する職員が少ないことは何が起きても対応できる人員が足りないということにもなる。

 その事実は当然その土地を治める領主の悩みでもあった。


「調査を行える職員が少ないんだと。こっちよりも危険は段違いだ。だからこそ戦える力を持つものは引き入れておきたいんだろうな。それに、あちらの領主からもお前を迎え入れたいと知らせが来ている」

「領主? 貴族との繋がりなんてないはずだけど。……この話は、同情から?」


 そうであれば受ける気はない、と雄弁に語る表情にギルドマスターは肩を竦めて見せた。


「そうした気持ちが全くないとは言わないだろう。だが、お前の実力を買っているのも事実だ」


 少なくともその言葉に嘘はなさそうだ。相手に貴族がいるのなら話せないこともあるのだろう。少なくとも環境を変えるには良い機会だ。

 少しだけ悩んで、話を受けることにした。


「ただし、例のことは忘れるな。どこに敵がいるかわからない。それだけは頭の隅に入れておけ」


 忠告にしっかりと頷く。あの時に見つかった魔道具に関して謎が多いままだ。この街から離れたとしても同じことが起きらないとは言えなかった。

 詳しい打ち合わせは後日することになり、ギルドマスターの部屋を出る。

 仲間たちへは何もつげないことにした。

 いつか落ち着いたら自分から連絡する。だから、ギルドマスターからも何も言わないでほしい、と頼み込んだのだ。最初は渋っていたが、頑ななルプスの態度に諦めたようだった。

 結局、ルプスはどこまでいってもルプスでしかない。

 意外と頑固である、とはよく言われる言葉だった。


「ルプスさん!」


 冒険者ギルドを出てから少しして追いかけてきた弾けるような若い声に足を止めた。

 あぁ、無事だったのか、と少しだけ心が軽くなる。


「あれから怪我はないか?」

「はい! あの時ルプスさんが助けてくれたおかげで今も冒険者として活動できます! ちゃんと顔を合わせてお礼を言いたくって。本当にありがとうございました!」


 元気な少年の姿にもう血まみれの姿は重ならない。

 自分があそこにいたからこそ助けられたのだ、と今なら胸を張って言えることが出来る。

 少しだけ会話を交わし、また弾けるような勢いで走っていく少年の姿を見送った。

 今の自分でも出来ることはあるはずだ。

 これまでだって悩んでは解決を目指して動き続けてきた。

 いつか自信をもって彼らに再会できたときに笑いあえるように、自分に出来ることをやり続けよう。

 悩むことは絶えないけれど、それでも、新しい土地へと期待と不安が交じり合った感情を抱えながら、ルプスはその街を後にしたのだった。



■ ■ ■


 ふわり、と意識が浮上する。

 鐘の音で目を覚ました。

 夢を見ていた。かつて起きた出来事を追体験する、そんな夢を。

 目元の濡れた感覚で、自分は泣いていたのだ、と自覚した。

 懐かしい夢だった。

 忘れられない後悔が詰まった夢だった。

 こちらに来た当初はよく見ていたのに、最近は見る機会が減ったから余計に懐かしさが増す。

 きっかけはエクレピアが来たことだろう。

 懐かしい姿に胸が締め付けられた。

 自信を持てるようになったら会いに行こうと決めて、結局、会いに行けないまま四年がたった。もし彼が会いに来なければ、またずるずると一年、更にもう一年と重ねるだけだっただろう。

 先日出した手紙はそろそろ届いただろうか。

 懐かしさに背を押されて出したかつての仲間たちへの手紙。

 叶うことなら、また彼らと会いたい。

 自分から離れた癖に随分と都合のいい話だとはわかっているが、それでも、彼らがいたからこそルプスという冒険者が存在したのだ。

 勢いよくカーテンを開け朝の空気を部屋の中へと呼び込む。


「さて、今日もがんばりますか」


 今日も一日が始まる。

 冒険者ではなく、冒険者ギルド職員としての一日が。

少しでも面白いと思っていただけたら嬉しいです。

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