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第一話 冒険者ギルドへようこそ

 街中を低く音を立てて鳴り響く鐘の音。

 この街が出来たばかりの頃、丘の上に建てられた鐘堂は、長い年月が過ぎても同じ場所に立ち続け、今日も時間を知らせている。狂いもなく鳴るそれがどういった仕組みなのか、魔道具に詳しいものならば理解できるのだろうか。

 重く低く響き渡る『知らせの塔』から広がる一日の始まりを知らせる音を受けて、寝静まっていた街が次第に起きていく。ぽつりぽつりとついていく灯りのひとつひとつが人々の生きている証だ。

 未だ夜の気配が濃い道を、青年が歩いていた。

 腰に下げられた剣は使い込まれ傷も多くついているものの、しっかりと手入れがされていることがうかがえる。

 襟足だけ長く伸びたグレーの髪は、青年が足を進めるたび、動きに合わせて揺れ、柔らかな月明かりを受けてほのかに光っているようだった。また、髪と同じ色をしたふんわりとした毛並みの尾がゆらりゆらりと揺れ、青年が上機嫌であることもわかる。

 星のさざめきのような、かすかに聞こえる鼻歌は、青年から聞こえていた。

 高くもなく、低くもない声質は夜の闇を決して邪魔をするものではなく、さらりと溶けていく。そして、青年はひとつの建物の前で足を止めた。木造の建物は、所々欠けているものの、しっかりと修繕され、どしりとした構えを見せていた。

 門扉には、剣と盾を模した看板が掛けられている。

 これは、どの地にあろうと変わらないこの組織の証である。

 剣と盾を持って、魔獣と戦うこと。

 剣と盾を持ち、権力に屈しないこと。

 剣と盾を持つものは、弱者の守りとなること。

 冒険者ギルドの前身となった組織を立ち上げた者たちが決めたというその信条は、今の冒険者ギルドにも引き継がれている。

 カラン、と涼やかな音を立てて扉が開く。この音がはっきりと聞こえるのは、朝一の冒険者が誰もいないこの時間と、日が落ち、一度冒険者ギルドを閉める時間くらいだ。

「ルプスさん、おはようございます」

「ん、おはよう」

 夜勤担当だった者たちから、夜の間に起きたことや、気が付いたこと等を確認していく。何もなければそれで良い。だが、ほんの些細な違和感が後々大きな問題の前触れとなることもあるのだ。

 基本的に冒険者ギルドは知らせの鐘が二回鳴ったころに開き、九回鳴った時に閉める。

冒険者ギルドが閉まっている夜の間は、万が一魔獣が襲ってきた時などの非常事態のために夜勤担当者だけを残しておくのだ。夜勤担当者になるものは少数でも戦えるものに限られている。

 これから彼らは帰り休みを取って、また夜になればやってくるのだ。夜勤の者たちが帰っていく姿を見送り、二回目の鐘が鳴る前に新しく張り出す依頼を確認していく。

依頼内容はもちろんのこと、その内容と報酬のつり合いがとれているか、受付をする時点でも確認をするが、ここでも最終確認をする。確認が終わり、内容に問題がなければ、ランクごとに張り出し、それを確認した冒険者が受諾するのを待つだけだ。

 こうした習慣はルプスがギルド職員となってから生まれたものだった。

 それまではただ義務的に夜勤担当者と日勤担当者の申し送りがされるだけだったらしい。特に大きな問題が起きていなかったからこそ、そのままでいいだろう、と変わることなく続けられていた習慣だ。それを変えようとしたのだから、最初は当然反発もあった。しかし、ギルドマスターが受け入れている以上、ほかの職員に拒否することもできず、全員がこれまで以上に周囲へと気を配るようになった。

 その結果は、ルプスが職員になり二年がたったころに現れた。

 夜中に起きた魔獣のこれまでにない行動。普段ならば街には近づかない魔獣が街の近くまでやってきていたのだ。それを知らせたのは、たまたま夜中にほかの街からやってきた冒険者だった。その時の夜勤担当者は、その情報を聞き、念のため、と街の近くを見回りに行くことを決めた。夜勤担当者はこうした事態が起きることも考えられ、必ず三人一組で行うようになっている。

 一人が見回りに行っても、他に二人残っているので、街中で起きる緊急事態には対応ができる。

 何もなければそれでいい。しかし、何かあってからでは遅い。

 夜の間に遠くまで見回りに行くのは、流石に装備が足りない。だから、ひとまずは街の近くだけ危険がないように見てくる、と言い残し、異変が起きていないか確認をしに行った。見送る他の夜勤担当者にも緊張感があった。万が一、を考えて薬草の在庫も確認しながらも、無駄口をたたく者は誰もいなかった。そして、何事もないことを祈った。

 幸い、魔獣は街の近くから離れたらしく姿はなくなっており、そのまま夜中に何も起きることはなかった。

 しかし、日が昇り、いつものように出勤してきたルプスが話を聞いた後、幾人かの冒険者を連れて街から離れた場所まで足を延ばしたところ、魔獣の住処が出来上がっているのを見つけてしまった。

 本来であればもっと森の中に作られるような住処が街の近くにできている。

 その事実に、ルプスはもちろん、ほかの冒険者たちも驚き震えた。この魔獣たちが万が一、街へとやってきたら……。

 街には当然冒険者以外も多く住んでいる。そうした人々は成す術もなく死んでしまうだろう。

すぐに足の速い冒険者に対して、街中にいる手の空いている冒険者、特に戦闘が得意なものを連れてくるように依頼を投げる。応援が来るまでの間に共にこの場へやってきた冒険者たちの得意な戦闘術を確認していった。

 強力なものをではなくとも範囲魔法を打てる魔法使いがいたのは運が付いていた。また、応援を呼びに行った冒険者が連れてきた中には腕の良い大剣使いも混ざっている。

 これならば、何とかなるだろう。

 魔獣の強さは、普段から街の周りにいる魔獣の姿しか見えないことからそう高くない。ただし、数だけは異様に多いのが肝だろうか。それこそ、高ランクの魔獣使いが、あの中にいると言われてもおかしくないほどの数になっていた。

 作戦はすぐに決まり、最初に魔法による広範囲攻撃によって数を減らし、討ちもらした魔獣を他の冒険者たちで倒していく。

 そうしてどれだけ戦ったことだろうか。ようやく一息をついたころには、あたりは暗くなり始めていた。

 たいして強くもない魔獣の数が多いだけ。

 ただそれだけだったはずが、やはり数が多いというだけで厄介であると身に染みた一件だった。

 大きな被害こそ出なかったものの、もし、夜中に来た冒険者の話を真剣に聞かなかったら。もし、夜中に見回りへと行かなかったら。もし、それを報告しなかったら。どれか一つでも怠っていたら、街をあの数の魔獣が襲っていたかもしれない。

 その日から、新しく始まった習慣に文句を言う職員は激減した。経験と結果が伴えば有用性を理解し、反対する理由もなくなったのだ。

 それで文句を言う者もいないわけではないが、そうした者は結局どんな事であろうとただ自分の習慣が壊されたくない者なのだと判断している。

 夜勤担当者が帰り、冒険者ギルドが開けば一気に冒険者が溢れ出す。一番混み合う時間が早朝である。しんと静まり返っていたギルド内は一気に喧噪が溢れ、依頼を受けるもの、パーティーメンバーと話し合いをする声などがそこかしこで聞こえるようになる。

 とはいえ、朝から問題が起きることは少ないと言っていい。

 朝から冒険者ギルドにいるのは、掲示板に依頼書が張り出される時間を狙って訪れるものが多いのだ。

 依頼は、それを見つけたものからの早い者勝ちである。よほど普段の行いが悪い者や、依頼者との折り合いが悪い者等の依頼を熟すうえでの問題点が無い者、そして、冒険者自身のランクに見合った依頼であればそのまま受けることができる。

 最も、依頼が受けられなくなるほど素行が悪い者の多くは大体が夜中まで酒を飲んで時間の通りに起きられなかったり、単純に時間そのものに頓着がなかったりと、早朝からやってくることはほぼない。

 故に、この時間にくる者たちは少しでも稼ぎの良い仕事を求めて、そして、自分の位階をあげるためにやってくる者が多くなり結果的に問題を起こすものは非常に少ないのだ。

 そして、朝の喧騒が去り、昼を過ぎた頃になると簡単な装備だけを身につけた子供たちがやってくる。

 彼らは小遣い稼ぎを兼ねて冒険者になったばかりなのだ。街の近くに生えている薬草や、子供の腕でも倒せる小さな魔獣を狩ることで小遣いを稼ぎ、時には家計の足しにしていたりする。

 子どもたちが去って行ったあとにやってくるのは、指名依頼を受けて依頼人と待ち合わせをしている冒険者や、朝の混雑に混ざることを嫌がり、何でもいいから残っている依頼を求めてやってきたCランク以下の冒険者たちだ。

 そして意外と街中で顔を知られているのも、彼らである。

 何故なら、この時間に残っている依頼といえば、店の手伝いや、家の修繕等、手間がかかる上に一部の冒険者からは『冒険者らしくない』と忌避されがちな街中で作業する依頼が多いのだ。

 しかし、本来はこうした依頼を侮ることはできないものだ。冒険者自身の街中での評判が良くなれば、ランクを上げる査定を受ける際に加点される。

 もしCランクよりも更に上を目指したいと願うなら、こうした依頼も積極的に受けていった方がいい。高ランクになればなるほど、人柄が重視されていくのだから。

 最も、この時間にくる冒険者がそこまで考えているかはわからない。

 単純に寝坊したものもいるだろう。

 日々の暮らしが安定していれば特にランクに拘らないというものもいるだろう。

 それもまた、自由だ。自分の行動を自分で決めることができるのも、冒険者の魅力だ。その代り、自分の行いはすべて自分へと返ってくる。

 仮に怪我をしてこれまで通り冒険者として活動できなくなったとき、それまでと生活を変えられるのか、きっと問われることになる。

 そんな風に考えてしまうのは、ルプス自身が怪我をして冒険者を引退した経緯があるからか。

 昔は自分だって好き勝手に生きてきたというのに。

 説教臭くなる思考を追い出すように頭を振り、手元にある依頼書の束を確認する。どれも低ランクで熟せそうな依頼が多い。早朝に比べ減ってきている依頼書を貼った掲示板を確認し、優先度を確認していく。

 中には急ぎで対応した方が良いものもあり、わかりやすい色をつけて差別化を図る。ギルド内に残る冒険者はまだ多く、そのうちの何人かはこれまでにも似たような依頼を受けていることを確認している。

 貼りだせば予想通り、そのうちの一人が早々に依頼書の存在に気が付き早々と受付を済ませていた。

 ようやく朝の仕事を終わらせ一息をついたところで、ざわり、と空気が動いたことに気が付いた。

「おー、おはよう」

 のそり、と姿を現したのはこの冒険者ギルドのマスターだ。その実力は誰も知らず、しかし、彼自身の持つ雰囲気からAランクよりもさらに上のSランクなのでは、と噂をされている人物。

 年頃は五十を超えていると聞いたことがあるが、今でも屈強な体を持ち、徒人でありながらも一線を引いてなお纏う覇気は、確かにSランクだと言われても信じられるものだ。種族の差からくる能力の違いなど、彼にとっては関係がないだろう。それだけの経験をしてきたのであろうことが容易に想像つく。

 最も、この人の人柄がいいとは言い切れない。人をからかうこともあれば、見込みがある、と判断した冒険者をしごき上げることもでも有名なのだ。事実、ルプスも冒険者だった時に何度死にそうな目にあったことか。

 もしかしたら、自身も再び冒険者として戦いたいのかもしれない。自分の後を託すように、若い冒険者たちを鍛えているのかもしれない。

 時々、遠い目をして冒険者たちを眺める姿にそう感じることもある。彼も怪我をして冒険者を引退し、ギルドマスターに就いたと聞いている。思うように動けないことに鬱屈を抱いているのかもしれない、なんて考えてしまう。

 いや、これは勝手に自分の感情を重ねているだけか。

「おはようございます」

 受付から返される挨拶に手を振りながら、自身を呼ぶ姿に少しだけ顔が引きつる。彼の浮かべている表情があからさまに厄介ごとを抱えていることを示していた。

あぁ、これは面倒ごとを振られるのだろう。

 浮かんだ感情を咄嗟に隠そうとしたが、隠しきれなかったのだろう。くつり、と笑われ肩をすくめられた。そしてギルドマスターの執務室に入ると同時にため息をついた姿に盛大に笑われてしまう。じとり、と睨みつけてみても一向に応える様子もない。

 こういうところも、彼自身の実力を素直に認められない一因となっている。

「そうあからさまに嫌がんな。お前も職員とはいえ、れっきとしたAランクなんだから指名任務は断ることはできないぞ」

 ひらひらと手を振り示すのは質の良い封筒に捺された使えるものが限られたシーリングスタンプ。これまでにも何度か見たことがあるそれが示す封筒の中身に思い当たり、今度こそ感情を隠すことなく表情に乗せた。

「差出人はいつもの相手だ」

「わざわざ依頼にしなくとも業務として命じればいいのに」

 この依頼主にはそれができるだけの権力を持っている。そして、それをわかっていて、なお、敢えて依頼という形をとっているのかもわかっているから、本来であれば感謝すべきなのだろう。

「そうしたらお前さん、冒険者をやめるだろ」

 Aランク冒険者への依頼料は高額だ。たとえほぼ引退しているような相手であっても、冒険者証を返上しない限り、そのランクは据え置かれる。当然、まったく依頼を受けずにいれば剥奪されるのだが、こうして指名依頼という形で受けている以上、それが実績となり剥奪を免れている現状がある。

「冒険者になるのも、やめるのも自由だろ?」

 本来は、冒険者なんて規定年齢を過ぎていれば誰でもなれるし、冒険者カードを返納してしまえばいつだってやめることだってできる。最も、滅多にやめる人もいなければ、その制度を知っているものもどれだけいるかわからないほど、形骸化された制度になっているが。

 それでも、そうしてやめるという道はあるのだ。

「本当にやめたいなら、とっくにカードを返納している。それをしていない上に、こうして依頼を渡せば対応してくれる。……これは、ただの老人のたわごとだがな。後悔しないように、選ぶんだぞ」

 老人、というほど年齢がいっているようにみえないが、それでも、明らかに自分よりも経験豊富な相手の言うことを無下にできるほど、自分も若いわけではない。冒険者として活動しているわけでもないのに、冒険者証を返上もできない。ずるずるとその証に、そして、過去にしがみついているのは自分自身なのだ。

 結局、自分はあの頃から成長できていないのだろう。

 かつて、冒険者だったころ。大切な仲間たちがいた。彼らは、今、どうしているだろうか。時折顔を出す相手もいたけれど、最近は姿を見ていない。無事に過ごしているといいのだけれど。

 冒険者ではなくなってしまうと、彼らとの過去もなくなり、縁も切れてしまいそうで、指名依頼のたびに同じやり取りを交わす羽目になっている。

 今回も、仕方なくその封筒を受け取り、受付へと戻れば、先ほどよりも冒険者の数が増えている。早朝に出ていった者たちが帰ってきたのだろう。受付担当者がそれぞれの戦果を確認しながら依頼料を渡している。その様子を横目に見ながら、見た目よりも重く感じる封筒をポケットへとねじ込み、深く息を吸う。

 ひとまず今は目の前にある仕事を片付けるべきだ。

 列に並ぶ対応待ちの冒険者たちへと声をかけ、依頼内容と成果の確認をしていった。

 ある程度片付いただろうか。納品された薬草や、討伐部位を整理しながらも気もそぞろになっていた自覚がある。とはいえ、長年続けている仕事だ。それのよって失敗などはしていない。

 まだ冒険者になりたての子どもへと手を振り返しながら、ルプスはポケットへとしまっていた手紙へと手を伸ばした。

 結局、これを確認しないことには気持ちが落ち着かないのだ。

相手がわざわざ『依頼』という形にしたのは、自分への思いやりであると知っている。けれど、その期待が少しだけ重く感じてしまうのは、恩知らずなのだろうか。

 怪我をしてこれまでのように仲間と共に依頼を受けられることができないことを悟ったとき、そのまま冒険者を引退し、姿を消すつもりだった。

 元々、彼らと自分の間には実力の差があると思っていたし、いつまでもこのままではいられないと思った矢先の出来事だったから余計に。

 けれど、それを押しとどめ、この冒険者ギルドを紹介してくれたのが今のギルドマスターと、この依頼主だ。

 正直、なんで自分のようなただの冒険者を引き留めるのか、と疑いを持ったことは事実だ。Aランクまで登りつめたのは事実だけれど、仲間たちのような特化した実力はなく、陰で『お荷物』だとか『仲間の情けでAランクになったずるいやつ』と言われていたことに気が付いていた。

 そんなことはない、と自分で言い聞かせていたけれど、結局怪我をして、唯一自分で誇れていた身軽さも失った。

 そんな自分に、なぜ声をかけるのか。

 依頼主の身分の高さも、余計に裏があるのではないか、と勘繰る理由の一つだった。

 相手はこの町を含めた一帯の領地の領主である。女性ながらに自身の能力で荒くれ者ばかりだった街を冒険者の街へと変えた女傑だ。彼女とは、怪我をする前に任務を受けたことで知り合った。

 最初はシズという名だけを教えられ、貴族に対して恐れを抱いていた自分たちをからからと笑い、肩書なんて気にしなくてよい、と言った剛毅な人だった。

 そのころには他の貴族からの依頼も受けたことがあったため、その対応が普通ではないことはわかっていた。それでも、彼女の言葉に嘘がないとわかったからこそ、信じられた。

 そんな相手だったからこそ、疑う気持ちはぬぐい取れなかったもの、わざわざ裏のある話を持ってくるようなことはないだろう、という気持ちもあった。結局、話を一切聞かずに断る、という手段もとれなかったのだ。

 パーティーから離れるのなら、自身の領にある冒険者ギルドの職員になるように勧められ、そして、ついでのように彼女自身も冒険者をしていたと知らされたのだ。

 その時の驚きを、どう表現すればいいだろうか。

 そして、驚いていた姿を見て面白がっていたのだから、質が悪い。

 しかも、自分が職員になるように勧められた冒険者ギルドのギルドマスターが彼女と同じパーティーに所属しており、どうみても高ランク冒険者でしかないことも、さらに驚きに拍車をかけたのだ。そして、冒険者を引退することは押しとどめられた。これからも依頼を出すから、冒険者としての活動を続けてほしい、と願われたのだ。

 信頼できる冒険者が、自分には必要なのだ、と真摯に請われれば断ることも難しい。これは相手の身分ももちろんあるが、これまでに依頼を受けてかかわってきた中で悪印象がなかったことも理由の一つだ。

 それでも、彼女にとって、自分は多くいる冒険者の一人でしかないだろうと考えていたのだ。

 貴族の中でも特に高位であることは、その振る舞いからは当然のことながら、初めて依頼を受けたときに調べたから知っていた。そして、それほど高位になればなるほど、ただの平民の冒険者など、多くいる駒の一つ程度の認識であろう。

 そう思っていたのだ。

 特にその時は、まさかそんな高位貴族が冒険者をやっていたなんて、しかも、ギルドマスターとなるような相手とパーティーを組み、今も懇意にしているなんて誰が思うだろうか。

 いや、表立っては『なかったこと』にされていたのだ。当時のルプスの実力ではそこまで調べることができなかったのだ。

 けれど、彼女にとってはそうではなかった。

 何が琴線に触れたのかわからない。

 こうして定期的にルプスを指名して依頼をよこすのだ。少なくとも期待を裏切るようなことにはなっていないはずだ。

 結局、今も冒険者であることで過去の仲間たちとの縁が切れていないと安心しているのだから、彼女の指摘は正しかったのだろう。

 彼女の依頼する内容はこの冒険者ギルドにも関係があることが多い。彼女自身の領地にも関わることだから当然だろうか。そのまま放っておけば領地も、この冒険者ギルドも火の粉を被るような、そんな危険を要する依頼ばかりなのだ。

 だからこそ、ルプスも放っておくことはできない。

 どんな経緯があったにしろ、すでにここはルプスの大切な場所になっているのだから。

 さて、今回はどんな内容なのだろうか。

 彼女からの依頼は手紙の形をとられている。万が一、他人の手に渡っても、それが依頼書だとわからないような内容。それは彼女の身の回りに少なからず情報が洩れては困るような相手がいることを示す。しかし、そこに関してはルプスが何かを言うことはないし排除を頼まれれば動く可能性はあるけれど、現状、何も言われていないのに手を出す必要はない。

あくまで自分たちの関係は、依頼主と冒険者なのだから。

 今回も丁寧な文字でつづられた言葉は、時候の挨拶から始まっている。続く日頃の様子を気遣う言葉も、いつもの通りだ。まるで遠くに住む親せきのような、そんな心持になる文面に、そこはかとなく気恥ずかしさを覚える。最も、これは毎回のことだった。

 単なる手紙を装うだけのはずなのに、本当に自分自身を気遣ってもらえているような錯覚を感じてしまう。とっくに成人しているのに、懐かしさで胸が締め付けられるような感覚もあり、複雑な感情になることが多かった。

 しかし、そこにまぎれた一文に一気に気が引き締まった。

『最近では、国外で人気があるという茶葉が我が領でも広まっているようなの。なんでも、それを飲むと神々に出会えたような幸福感を得られるとか。そして飲んだものは、一晩経つと保持魔力が増えていたそうです。本当にそんな茶葉があるのでしょうか。そんな珍しいものが私の領にあるなんてこれまで知らなかったの。どうか調べてもらえないかしら?』

―茶葉。

 それは往々にして表立って流通に乗せられない薬をさすことがある。そして、高揚感と保持魔力の増加。

 自分のものではない力を抑えきれないまま、高揚感のまま魔法として発してしまえば……。引き起こされる事態は容易に想像がついた。もしそれが依存性のある薬だった場合、領内に限らず国内のいたるところに影響が出ることは免れないだろう。

「これは、断るわけにはいかないな……」

 もとより断るつもりはなかったけれど、万が一、それが広まった時を考えてしまったら、そんな気すら起きなくなってしまう。

「国外から、ということは海か……?いや、山を越えて、ということもあるか」

 まずはその茶葉がどこからもたらされたものかを調べるのが先か。魔力に影響するとなれば南からの可能性が高いが、薬草の種類の高さで言えば北か。

 この依頼だけではわからない情報は、自分の足で調べなければならない。

 この依頼を受けるのであれば当分の間はギルドを留守にしなければならないだろう。そのあたりは、この話を持ってきたギルドマスターがどうにかするはずだが、最低限、仕事に関係する連絡事項はまとめなければ。それから長期任務に備えて、装備も整えなければならない。

 武器の手入れは怠っていないが、最後に長期で出たのはいつだっただろうか。最近は近場で済むことも多く、テントなどの手入れを怠っていた。下手をすれば買いなおさなければならなくなる。非常食も買い足さねばならないだろう。あとは何が必要になるか、実際に買いに行って店頭を見ながら考えればいいだろう。

 頭の中でやるべきことをあげていき、やるべきことの順番を決めていく。

 そして、久しぶりに依頼を楽しんでいる自分に気が付き、苦笑した。

「結局、こういうところも見抜かれていたんだろうなぁ……」

 どうしたってルプスは室内にこもっているよりも、外に出るほうが好きなのだ。そして、争いごとに血が沸き立ってしまう。

 まだ見ぬ敵の存在に沸き立つ気持ちを抑えて、ルプスはギルドマスターの部屋へと向かった。

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