第149話 ノクターナの門前で
フラウの次は西の方角に進んでハルス地方に入り、ノクターナという町をめざした。
ノクターナは、人口が約6千人の比較的小さな山間の町。キプリア山の麓に在って、ハルスとアルセリアのほぼ中間に位置し、街道の途中にある宿場町だ。
ここハルス地方は、領主をエイヴォン侯爵が兼務している。
ハルスの領主は国家元首が兼務していたので、不在となったところを総隊長としての戦功を得たエイヴォン侯爵が現在のところは暫定領主を務めている。
フラウからノクターナまでは約170km程の距離がある。
この距離を馬車で5日間かけてじっくり見て回るのだ。途中での民家の生活や農作物の生産状況などを見て回るのも今回の目的の1つであるのだが……。
「なあ……アル、ドアはどこに設置すんだよ?」
旧カルトール公国でも国民や冒険者が移動する手段としては、グランデール王国と同様に定期馬車となる。
定期馬車が通る道沿いには農村など所々にあるのだが、代官がいるような主要な町以外には宿屋が無い。
グランデール王国内でもエイヴォンからマルチャールへ抜ける道の途中に野営所が有ったように、こちらには屋根のある倉庫のような野営所が用意されていた。
馬車の乗客は思い思いに食事をとって、夜は野営所の中に入って休むのである。
ここは屋根があるから、夜露でジメジメすることがなく快適なのだという。
「この中にまさか魔道ドアを設置する訳にはいかないわよね」
「野営所の外に設置するよ。明日の朝になって馬車が発車するまでに、馬車の周りに集合すればいいからね」
「でもよ、ドアが見えたらみんな不思議がるんじゃね?」
「それは大丈夫」
俺はこの為に、3Dホログラム技術を応用して作った隠形の魔道具を用意してきた。
これは円筒形の装置であり、向こう側の映像を手前の画面に映し出す装置なのだが、見る方向によっても必ず反対側の映像が映し出されるようになっている。
「これを周りにこうやって回して立てて、スイッチONっと、ほらねっ」
「うわっ! 消えた!」
魔道トートバッグにて持ち運びができるように器用に丸められる構造だ。
「この中に魔道ドアを設置すれば、ここに変なドアがあるなんて誰も気付かないだろ?」
但し、万一でも人が通らない場所に設置しないとマズい事になるのである。
◇◆◇
「ただいま、タリアさん」
「お帰りなさいませ! ご主人様!」
別に昔流行ったメイド喫茶に入ったわけではない。歴とした我が家へと帰ってきている訳である。
とは言うものの、こうやってドアを開けるとメイドさんが出迎えてくれるというのは、月見里拓郎の記憶の中にある昔の動画を髣髴させる。
「今日はどこまで行かれたのですか?」
「昨日はフラウの町からだったけど、今日はそこから30キタールほど南に行ったところかな」
「不思議ですぅ、ご主人様たちはよその国を旅しておられるのに、毎日帰って来られるなんて」
昨晩はフラウの町の宿屋から帰ってきた。
そしてタリアさん、もうよその国ではなく、グレンデール王国領だから。
「ここルノザールからは120キタールくらい離れているんだけど、魔道ドアがあればすぐ近くにいるような錯覚をするわよね」
「ええ、エミリー様のおっしゃる通りです」
エミーが旧アルセリア王国の王女だったという事が判ってから、うちの屋敷の使用人たちはエミーを『エミリー様』と呼ぶようになってしまった。
アルセリア王国はもう無いのだからこれまで通り『エミリーさん』でいいからと言っても、うちの使用人たちは話し合いをしたらしくて戻してくれなかった。
「タリアさん、夕食は出来てるかな?」
「ええ、勿論出来ております」
その日に帰れるかどうかは、可能な限り事前に連絡するので食事の準備もされているし、お風呂も沸いているのだ。
そんな訳で屋敷に戻ってグッスリと休んだ俺たちは、次の日の朝に何食わぬ顔で定期馬車の前に集まった。
「おめーさんたちは、どこで休んだんかね? 野営所にはおらんかったようだが」
「はい、野営所の外でテントを張って休みました」
嘘も方便である。
「魔道バッグにこうしてテントを入れて持ち運ぶことが出来るんですよ」
「おう、それは良いな! 俺も欲しいんだが、グランデール王国から入ってくる量は知れたもんでな、まだまだ高いのよ」
「これからは、もっと沢山入って安くなると思いますよ」
国境が無くなったわけだから、関税も無くなってこれから流通も良くなるだろう。
その後更に4回の野営をし、5日目の昼過ぎにはノクターナの町に着いた。
この国でも、ある程度大きな町に入るには門の前にある検問所を通る必要がある。俺たちが乗った定期馬車も一般用に設けられた検問所の列に並んでいた。
俺は本来貴族になるのだが、今は身分を隠して各地を視察している身だから定期馬車に乗っているし、入り口も一般用なのである。
冒険者ギルドカードを見せれば、貴族だということもバレないから助かっている。
「危ないぃぃぃーーー!!」
「止まれーーーー!!」
突然、馬車を牽く馬の嘶きとともに、切羽詰まったような人の声が後方より聞こえてきた。
「うおぉぉ! どう! どう! どう!」
「ミンカーーー!」
俺たちが異常に気付いて振り返った時には既に、後方から走って来た馬車に小さな女の子が馬車の車輪に轢かれてしまったところだった。
「誰か! 誰か助けてください! ミンカ! ミンカーっ! しっかりして!」
「お、おい、誰かポーション……誰も持っていないのかよ」
轢かれた少女はぐったりとして目を閉じている、頭からは血も流しているようだ。
そこに、少し先で止まっていた馬車の扉が開き、ポーションの瓶が投げられた。
「貴族の馬車の前に飛び出すなど……こ奴が悪いのだ! これで何とかしろ!」
少女を轢いた馬車はどこかの貴族のものだったようだ。扉が閉められるとそのまま貴族用の門の方に進んで行き、そのまま町の中に入っていった。
(まるでひき逃げじゃないか)
俺たちは馬車を降りて女の子のほうへ急いだ。
引かれた女の子の母親は、さっき迄はしきりに女の子の名前を呼んでいたが、今は呆然としてしているようだ。
「どうすりゃいいんだよ! 早く、これを飲んでくれ!」
近くにいた若い男性が、貴族の投げたポーションの瓶を女の子に口に押し当てて流し込もうとしているようだが少女の意識は無く、口を開けてはくれないはずだ。
馬車に轢かれてしまったた女の子を抱えこんでいる母親の周りには、既に人だかりができようとしていた。
女の子の顔色は蒼白になっており、すでに息をしていない様な気がする。
「これはまずいな、エミー!」
「うん!」
俺たちは馬車に轢かれて息をしていない女の子をなんとか助けようと、人だかりを分け入って親子の前に進み出ていた。




