第143話 オリビアとソフィア
「ちょっとー! 母さん、やめてよー!」
エミーはいきなりこのお母さんから抱きつかれて固まっているが、恐らく自分の身に何が起こっているのかをまだ理解できないのだろう。
「マリア様……」
「母さん! 初対面の人に、そんなことしないでよー! あたし恥ずかしいよ!」
オリビアさんはよく聞こえなかったようだが、お母さんが小さく震えた声で『マリア様』と漏らしたのを俺は聞き逃さなかった。
「……でも、そんなことは無いです……よね」
「母さん! 誰と間違えてんのか知らないけど、この方はね……」
「ちょっと待った! できれば、中に入ってから話ができないですかね」
オリビアさんが、外の人に聞こえる様な大声で『この方は王女様なんだよ』って言いそうになるのを俺は寸でのところで遮った。
この国はグランデール王国の統治下におかれることになったが、まだどこにカルトール公爵の息がかかった者がいるかわからない。
「ああ、皆さん……取り乱して申し訳ございません。さあ、入って。リビー、案内しなさい。私はお茶を淹れてくるから」
「あ、あの……ごめんなさい、エミリーさん。私の母が申し訳ない事をしちゃって」
「まあ、ビックリしたっていうのが正直なところだけど……でも、マリア様って……」
抱きつかれたエミーの耳がいちばん近かったのだから、聞こえたのは当然だ。
お母さんが住んでいる家は、小さな一軒家だが作業場もあった。
衣類がたくさん置いてある作業場には小さな応接セットが隅に置かれていて、俺たち4人はそこに座ったところである。
エミーはもう気付いていると思うが、恐らくこのお母さんはエミリーのお母さんを良く見知っている人の筈だ。
「うちの母さんは、いきなりあんな事をする人じゃないんですけど、何故か今日は急に人が変わったようになっちゃって……本当に、ごめんなさい」
「……お母さん、私を抱きしめながら、マリア様って言ったわ」
「マリア様? いったい誰なのか分からないけど……母さん、どうしちゃったのかしら」
そこへ、お母さんがお茶を持って作業場に入って来る。
「先ほどは取り乱して大変申し訳ありません。そのお方が……昔、私が良く知る人にあまりにもよく似ていらしたものですから……」
「私は、グランデール王国から来たアルフレッド・ノーマウントです。今日は突然お邪魔して本当に申し訳ありません」
エミーの素性を明かすのは一旦保留にして、先ずは俺が先に名乗った。子爵とは言わなかったが、家名を名乗れば貴族であることが判るだろう。
「あらまあ! グランデール王国の貴族様でしたか。私としたことが、大変な粗相をしてしまったようで誠に申し訳ございません」
お母さんは、床に両膝を落として俺に謝罪をしてきた。このこの辺りの国の使用人が貴族に対して行なっている、一般的な謝罪のやり方だ。
「いえいえ、私たちが突然に訪ねてきた訳ですから、私たちにも非があります。どうかお気になさらず膝をお上げください」
「……有難う存じます」
まず間違いなく、この人はエミーのお母さんのことを知っている。そして、貴族に仕える使用人だった可能性が高い。
「では、他の3人を紹介します。3人は一緒に冒険者をやっている私の幼馴染でして、こっちがジェームス、その隣がミラベル、そして……彼女はエミリーといいます」
「え……エミリー……さん?!」
エミリーの名前を告げた時、母親の目が大きく開かれた。
そして瞬きもせずにエミーをじっと見つめていたかと思えば、頬に大粒の涙をこぼし始めた。
「ちょっと、母さん! どうしちゃったのよ?」
「エミリー様……生きていらっしゃったのですね……」
「母さん? 何で泣いてるの?」
オリビアさんは何も聞かされていないのか、全く理解できていないようだ。
「オリビアさん、どうやらお母さんは、エミリーの事をよくご存じの様ですよ」
「えっ? でも、エミリーさんは旧アルセリア王国のお姫様なのでしょう?」
「その通りよ。……リビーにはこれまで隠していたけれど、私は王宮でメイドとしてマリア王妃様のお世話をしていた事があったの。マリア様が身ごもられた時も、出産なさった時も私がずっと傍にいたのよ」
エミリーの出生時の事をよく知る人が、とうとう見つかった。
「エミリー様のお名前は、マリア様が名付けられたお名前なのです。だから私はマリア様に瓜二つの貴女様のお名前がエミリー様と聞いた時、もう胸が張り裂けそうになりました。ああ、まだ手が震えているわ」
「母さん、わたしは初めてそんな話を聞いたわ」
「……」
「なぜ、言ってくれなかったの?」
「秘密にしておかなければならなかったからよ……」
これまでずっと、自分がアルセリアの王宮で働いていたことを、娘のオリビアさんにさえも秘密にしていたようだ。
「なぜ秘密にしなければならなかったのよ?」
「それは……」
「オリビアさん、お母さんにはとても言いにくい事があるようだ。私たちがいるから話せないのかもしれない。俺たちは一旦外に出るから、二人でゆっくり話さないか?」
お父さんの事も、話せない事情があるのでははないかと。
俺たちはいない方が、親子で話しやすいのではなかろうか。
「俺たち4人は、一旦家の外に出ますので」
「……あ、あの……ノーマウント様!」
「えっと、何でしょう」
「ふぅーーーーっ。話します。決めました。今、皆さんがいる前で……すべてをお話しします」
お母さんは大きく息を吸って、そしてゆっくり吐いた。そして覚悟を決めた表情で俺たちにそう言った。
「私は15の歳からアルセリアの王宮で、メイドとして働いていました」
そして彼女は、俺たちにも語りかけるかのように、ぽつりぽつりと昔のことを話し始めた。
「最初のころは掃除や洗濯、給仕や裁縫仕事など、普通のメイドの仕事に明け暮れる毎日でした。そして、3年が経とうとした頃にマリア様がお妃様として、アレクサンド王太子様とご結婚される事が決まったのです。その時に、私は離宮に配属が決まりました」
あの頃は何もかもが目まぐるしく変化していったと、ソフィアさんは遠くを見るようにして昔のことを話してくれた。
「ご結婚後間もなくしてアルテミス国王様が病でお亡くなりになられましたが、ちょうどその頃に王妃となられたマリア様はエミリー様をご懐妊なされたのです」
この頃から、この国の情勢が変化していったのだという。
「アルセリア国王派とカルトール公爵派の考え方が対立した状況では、王妃様のご懐妊は秘密にした方が良いと国王様は判断されました」
離宮から外に出る事を許さなかった国王様から、歳の近い私に王妃様の話し相手になって欲しいと頼まれたのだという。
「私は少しずつ大きくなっていかれるマリア様のお腹を一緒に摩りながら、この子が暮らしていく時代がもっと安寧な世の中であればいいですねと願ったのです」
マリア様は私を信用しきっていた。それなのに、私はマリア様を裏切ってしまったと……彼女はこれまで誰にも言えなかったことを俺たちに打ち明け始めた。
父親を亡くし、若くして国王となったアレクサンド様は気苦労も多かったという。
国王の湯あみで背中をお流しするのもメイドの仕事であり、いつもの様に背中をお流ししていると、ある日カルトール公爵側につく貴族が増えてきたことに落胆されて密かに涙を流されたことがあった。
それに気づいたソフィアさんは、アレクサンド王を慰めたいという一心で部屋に招かれ、そして身を任せたのだと。
「だから、エミリー様とリビーは、血を分けた腹違いの姉妹なのです」




