第132話 公国の諜報活動
独房の隅で片膝を立てて座っていると、今日はなんと国王様がお出ましになった。
(やっと、処刑の日取りが決まったか)
「ルビオン、今日はノーマウント子爵に足を運んでもらった。いくつかの質問に答えるがいい」
しかし、この期に及んでも俺に何かを聞きたいもの好きな貴族がいるようだ。やれやれと、後ろにいる子爵とやらに目を移したその瞬間に戦慄が走った。
あの時、完全に気配を消していたこの俺にスタンをかけた奴だ。
(まさか子爵階級の貴族だったとは……)
この国の貴族は全て調べ上げている。しかし、ノーマウントといえば俺の記憶では男爵になったばかりの新興貴族だったはず。
この数カ月の間に子爵になっているという事は、もしや帝国を打ち滅ぼした立役者なのか?
「俺なんかの罪人はとっとと処刑すればいい。罪状は既に上がっているだろう?」
くだらない質問などは避けて、早く刑の執行に持ち込みたかった。
しかし、その若者は俺をじっと見つめながらも、何か思慮している様子だった。
「単刀直入に聞くが、ベンノ」
「なっ!」
家族以外は知らない俺の本名を、言い当てられた!
「お前には娘がいるのではないか?」
この年で娘がいるかどうかは、そりゃあ確率的に『いる』ほうが多いだろう。誘導尋問によく使う手だ。
しかし俺はこの子爵の青年が、誘導している訳ではないような気もしていた。
「お前の娘は、アリアナというのではないのか?」
「なっ! 何で知って……っ!」
頭の中に衝撃が走り、全ての思考がストップした。俺としたことが狼狽し、気付いた時には肯定と取れる言葉を口走ってしまっていた。
しかし、この男はアリアナを助けたと言った。軍艦の甲板で奴隷のように働かされていた娘を助けたと言うのだ。
しかも、母親が病で倒れた時に治癒魔法であるヒールを使えなかったことをとても悔やんでいたと、それは俺も気付いていた事だ。
母親が死んだときにも、俺は傍にいてやれなかった。その為にアリアナは……
その当時の事を思い出すと胸が苦しくなる。いつの間にか俺は嗚咽を漏らしていた。
この男の言う事は、どう考えても本当の事だと思わざるを得ない。
「ベンノ、俺の元で働かないか?」
(今何と言った? 俺は死刑になるのではないのか?)
すると、彼は俺が根っからの悪人じゃないと言ってきた。
そして、子爵の屋敷で働けば娘と一緒に暮らせるとも言うのだ。
この男は俺のことをどこまで分かっているのか?
命令とはいえ、俺はこれまで多くの人間を殺めてきた。それが悪人ではなくて何だと言うのだ。
それに、今更、どの面下げて娘に会えと……。
しかし、俺の返事も聞かぬまま、俺の身柄を引き取りたいと国王に言った。
出来る訳がないだろうと思ったのは束の間、あっさりと国王はそれを了承してしまったのだ。
この子爵はどれだけ国王から信頼されているんだ。
この様な主従関係は俺たちの国には無かった。見ていて嫉妬さえ感じる
「明日また訪れるから、それまで元気にしていてくれ。これを置いていくから、ヒゲは剃っておくように」
そう言って、彼はカミソリとハサミを置いていった。
これまでは勿論の事だがヒゲ剃りは許されなかった。
(そこまで俺を信用していると?)
このカミソリがあれば、首を切る事も出来る。
しかし、俺は1時間前とは全くの別人になっていた。自ら命を絶つなど微塵にも考えない人間になっていたのだ。
◇◆◇
次の日の朝。
言われた通りにヒゲを剃り、髪の毛も整えて時を待った。
「おはようベンノ、男前になってるじゃないか」
彼は約束通り地下牢へやって来た。見ると手には鍵を持っていた。
そして、ビックリするほど簡単に、俺は地下牢から外に出ることが出来た。
「先ずは、アリアナを遠くから見て確認するってのはどうかな」
彼はそう提案してきた。遠くから見ることで直接会わずに確認させてもらえる。俺に対しての配慮だろう。
「それは助かる」
10年近くバーン帝国の諜報員として活動していた俺は、どうしても人を疑う癖がついている。
やはり、アリアナの姿を一目見るまでは、自分が騙され、陥れられているという可能性を捨てきれないのだ。
「突然に俺の屋敷に飛べば、アリアナに出くわしてしまう可能性があるから、事前にエミーに宅配便を送ろう。ちょっと待っていてくれ」
彼が何を言っているのか理解できない。屋敷に飛ぶ? ワイバーンにでも乗って行くのか? 宅配便? 手紙の配達でも4日はかかるぞ。
「副団長さん、これをうちの屋敷に届けてもらえませんかね」
「承知しました、ノーマウント子爵殿」
何故そんなことをするのだ? 馬車で向かえば手紙が届けられる頃にはルノザールに着く。
俺がどこかで待機すればいいではないか?
王宮騎士団の待機室と思われる場所に10分程座っていたら、王宮騎士団の副団長が書簡の様な物を持ってきた。
「もう返事がきましたか。お手数をお掛けしました、リチャードさん」
「いえいえ、このくらい手数のうちに入りませんよ」
返事が来たとはいったいどこから……
「大丈夫そうだな。では行きますよベンノさん」
ベンノさん? そう言ったか?
「ちょ、ちょっと待ってくれ、いや待ってください。俺のことを“さん”付けで呼ぶのはやめてくれ、いややめてください。俺は罪人だ。呼び捨てにしないと、あんたがマズいだろう」
「ああ、年上だからついつい敬語になってしまったな。じゃあ、これからは呼び捨てにするよベンノ。だからお前も今までの口調でいいぞ」
「そ、それは有難いが、ベンノって言うのもやめてルビオンでお願いできないか?」
「わかった、そうしよう」
それから間もなく、俺は信じられない体験をすることになった。
騎士団の一室に設置してあった変なドアに入ると、何と! ノーマウント子爵の屋敷に繋がっていたのだ!
子爵の話では、グランデール王国の主要な都市間もこのドアで繋がっているのだという。
俺たち帝国の諜報員だった者が全く知らなかった事実だ。
情報統制までしっかりされている。
どおりで帝国はグランデール王国に勝てなかったはずだ。
「厨房の横の裏口から出て馬舎に向かおう。屋根裏部屋に小さい窓があるから、そこからアリアナの宿舎が見える筈だ」
屋敷の庭を介して、馬舎の反対側には使用人用の宿舎が見える。
その2階の右から2つ目の部屋が娘の部屋らしい。
「アリアナは今、メイド見習いという奉公人としての立場で雇っているけど、魔術師としての指導もしている。指導しているのはこの屋敷に住むエミー、エミリーという女性だ」
奉公人という立場でも、月々の給金がもらえるのだという。バーン帝国とは雲泥の違いだ。
「彼女はヒールのみならずエリアヒールも使いこなせる魔術師でね。冒険者ランクはSランクだし、先生としては問題ないはずだよ」
エリアヒールまで習得したSランク冒険者が、娘の先生となって魔術まで教えてくれているのだという。
「もうすぐその二人が出てくるので、よく見てくれないか」
少ししたら、使用人棟の2階に続く階段を2人の女性が降りてきた。
間違いない、あの髪の色も……正しくアリアナの色だ。
「……娘に間違いない」
娘の姿を見た瞬間に、俺の中に立ち込めていた全ての靄が一斉に晴れた。
「俺は……娘の姿をここから見続けられればそれだけでいい」
「この屋敷の近くに、アパートを借りている。守衛とこの馬舎の管理をしているローレンスにはお前の事を話しておくから、アパートもここも好きに使えばいい」
俺はこの人の元で働くことを決めた! この若さでここまで上り詰めた才覚の持ち主なのに人間味がある。
この人には俺の様な暗部に足を染めた人間が必要だ。
「あんたは人を殺めるのには向いて無さそうだ。対して俺はこれまでたくさんの人間を殺めてきた。これからあんたはもっと上にいくだろうが、時には人を殺さなければならない事だって出てくる」
「……そうかも知れないね」
「そんな時は、俺を使ってくれ。あんたが直接手を下せない時に、俺があんたの暗部となろう」
俺は、膝をついて忠誠を誓う。
「これからは、あんたを親方様と呼ぶがいいか?」
「親方様か……この年で? ……まあ、いいか。では最初の仕事を与えていいだろうか?」
「何なりと」
「ではルビオン、これより南のカルトール公国の諜報活動を開始してくれ」




