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第五話


「おかしいですわね」

「なにが?」


 正午を過ぎた頃だった。

 昼食の時間を終え、食器の片づけも済んだエレシアは、厨房の一角でトッドと一緒に休憩時間を過ごしていた。

 そばかすを頬に散らした小柄な少年は、エレシアの言葉に首と耳を傾ける。


「わたくし、この砦の食を改善したという自負がありますの」

「うん。エレシアのおかげでみんな食事が楽しみだって言ってるよ」

「ええ、ええ。実際にお声がけくださった方もいらっしゃいます。わたくしの料理は間違いなくこの砦の方々を魅了しているはず……ですのに!」

「うん?」

「ロズ様が一度も食堂に来ないのはどういうことですの!? 魔女の料理などお気に召さないと!?」


 そう、エレシアが食事を考えて以来、兵士たちの食生活は大いに改善された。

 顔色は溌剌とし、体格も屈強になった気がする。

 このトッドだって出会った時は細根のようにひょろひょろであったのに、今では年相応の体つきになっている。食は偉大である。


「そんなことはないと思うけど……。そういえば団長がみんなと一緒にご飯食べてるの見たことないなぁ」

「もしかして、この砦の決まりですの? 軍の高官は一般兵とは食事を分けるとかいう……ない話ではございませんけれど」

「ううん、そんな決まりはなかったはずだよ。単純に人前でご飯食べるのが嫌なんじゃないかなぁ? ぼくはここに来てまだ日が浅いから、よく知らないんだけど」

「あら、そうですの?」

「うん。ぼく前まで砦から少し離れたところにある領都に住んでたんだ。けど、用事があって領都の外に出た時に、砦の岩山を超えたはぐれ魔物と出くわしちゃって」

「まあ……」


 魔物が出現するのは、国内ではエンドニドル砦の正面にある影野原と呼ばれる平原とその奥のみと言われている。行動範囲もそこに限られているが、ごく稀に一帯を囲うようにして(そび)える岩山を越え、エンドニドル領内を彷徨う時があるのだという。

 それにトッドは運悪く出くわしたのだ。


「大丈夫でしたの? その、怪我とかは?」

「団長がね、ちょうど領都に向かう途中だったみたいで、間一髪のところで助けてくれたんだ。すごかったよ。体中に蔦を巻きつけた犬みたいな魔物だったんだけど、飛びかかって来たところを軽く(かわ)して一刀両断したんだ!」

「えっ……一人で、ですの?」

「うん!」


 それはすごい、とエレシアは素直に感心した。

 かつて一度だけ、エレシアは魔物を見たことがある。

 その魔物はルフランが十三歳の誕生日の日にどうしても見たいと駄々をこねて――おそらくはこの砦の人間に――捕獲させたものだった。

 大きさは野兎ほどしかなかったが、その動きは通常の野兎とは比ぶべくもなく俊敏で異質だった。

 エレシアは本能的に距離を取ったが、ルフランはエレシアのそんな姿が滑稽に映ったのだろう、自分は怖くないと言って檻の扉を開け閉めしてみせた。

 当然、その隙をついて魔物は抜け出し、誕生会の会場は集まっていた人々の阿鼻叫喚に埋め尽くされた。

 最終的にルフランが振り回した剣が偶然当たって倒れたが、魔物は首をはねられるまで、泣き喚くルフランにめった刺しにされながらも異様な鳴き声で叫び続けていた。

 その時に感じた薄寒さを、エレシアは今でも覚えている。


「怖い思いをなさったのね……」

「怖かったよ。あの時団長がいなかったらぼくぜったいに死んでたし。でも、魔物を倒した後の団長の方がもっと怖かったな」

「あら」

「へたり込んでたぼくの胸倉を掴み上げて、"死にたいのかお前は!!"ってさ。首が締まって、そっちの方が死ぬかと思ったよ」

「それは……ええっと、ロズ様、やりすぎでは?」

「ううん、団長の言うとおりだよ。ぼくが魔物に出くわしたのって、陽が沈む頃でさ。その時間帯って普通に歩いてても危ないんだよ。王都みたいに道がきれいなわけでも、灯りがあるわけでもないし。魔物と同じくらい危険な野生動物だって出るしね」

「それがわかってて、なぜトッドは領都の外に出たんですの?」

「近くの川に仕掛けてた罠を見に行ってたんだ。そしたら思った以上に魚がかかってて、しかも野兎もいてさ、狩るのに夢中になってたら帰るのが遅くなってたんだよね……」

「気持ちはわかりますけど、気をつけてくださいな」

「うん、もうしないよ。それで、団長に助けてくれたお返しがしたくて、この砦で働くことにしたんだ」

「魔物に襲われたのに……魔物と対峙しなければならないこの砦で働くのは恐ろしくなかったんですの?」

「そんなことないけど、でも団長がいるから大丈夫だよ」


 そう語るトッドの瞳には、ロズに対する信頼と憧れの気持ちで溢れているようだった。

 エンドニドル砦にはトッドのような人間がいる一方で、ロズを恐れている人間もいる。割合としてはこちらの方が多い気がエレシアにはしていた。

 彼らは団長としてのロズには絶対の信頼を置いているものの、ロズ個人の話となると一気に身を(すく)ませる。

 おそらく、ロズの冷然としていて人を寄せつけない雰囲気がそうさせるのだろう。

 もったいない、とエレシアは思い、そして勢いよく立ち上がった。


「――トッド、ロズ様がどこにいるかご存じ?」

「えっ、この時間だとたぶん生活拠点(パリス)の執務室にいるかな……。行くの?」

「ええ。今の話を聞いたらますます団長様にはぜひわたくしの自慢の料理を食べてもらいたくなりましたわ。それに、ちょっと確認して欲しいこともございますしね」

「だったらヨドさんに聞いた方が良いかも。ヨドさんは団長と付き合い長いからちゃんと居場所を知ってるんじゃないかな」

「教えて頂いてありがとうございます。ではもうすぐ焼き上がるアレを持って突撃してきますわね」

「もしかしてアレ? だったら、団長もきっと食べてくれるよ」


 「美味しいからね!」トッドに太鼓判を押され、エレシアは厨房を出発したのだった。



「そんなわけなんですのよ」

「どういうわけなんだ」


 トッドの言う通り、ロズは執務室にいた。ヨドに案内されて入ると、彼は窓際の執務机の椅子に座っていた。甲冑(アーマー)は身に着けていなかったが、あの特徴的な(ヘルム)はしっかりと被っていた。

 部屋の中でくらい外せばよいのでは、と思ったが、さすがに凝視する無礼は繰り返さない。

 樹枝に生える葉が草臥(くたび)れているのだけ見て、エレシアは訝し気な風のロズに言った。


「ぜひとも食べて頂きたいものがございまして」


 と、エレシアは執務机の上に木製の小皿を置く。

 ふんわりと香る甘い匂いは、ロズにも届いたはずだ。


「これは?」

「野菜クッキーですわ。レコン(そう)やスクエアニンジンを使ったので栄養たっぷり。しかも焼きたてでしてよ。書類の処理は頭を使いますでしょう? 甘いものを食べるとよろしいかと思いまして」

「……ヨド」


 ロズはヨドに視線を送ったが、ヨドは困ったように眉尻を下げるだけだった。


「なるほど、ヨドを落としたか。やはり魔女は恐ろしいな」

「信頼を勝ち取ったと言って欲しいですわね。あなた、わたくしの働きをご覧になっていませんの?」

「――……いや」


 初めの頃は掃除や洗濯など基本的な雑事ばかりをこなしていたエレシアだったが、最近では山積みのまま放置されていた蔵書の整理や、防具の修繕や武器の手入れなど、そこまでやるか?と誰もが驚愕するほど多岐に渡っていた。

 そのことを砦の長たるロズが知らないはずがなく、エレシアの言葉に言い返さないのがなによりの証拠であった。

 しばらくの沈黙の後、


「……下げろ。とにかく俺は食べない」


 子どものような抵抗。その様子にエレシアは思い当たる節があった。


「もしかして、野菜が苦手なんですの?」

「……。……そんなことはない」

「……」

「……」


 ぷい、とロズは明らかに気まずそうにそっぽを向いた。

 エレシアはうんと小さい頃を思い出した。エレシアの兄ハロルドも、ネモドキという、どう見ても木の根にしか見えない野菜が嫌いで、今のロズのような態度をとっていた。


「ロズ様。ちなみにほかの皆様方は、わたくしが出した料理がどんなに見た目が悪くても食べましたわよ?」

「……」

「砦は食糧が限られていますから、好き嫌いなど許されないと」

「……そうだな」

「団長のあなたがそれでよろしいんですの?」


 とエレシアが言うと、ロズは「ぐ、」と唸った。

 よし、とエレシアは心の中で拳を握った。そしてロズが手を伸ばすのを今か今かと見つめたが、彼の手は持っていた羽根ペンを放しただけだった。


「あの、毒なんて入っておりませんわよ?」

「そんな愚かではないだろう、お前は。そうではなくて……人前では食べたくないんだ」


 ぽつり、とこぼれ落ちた声。

 それは今までの団長然としたロズの態度からは考えもつかないような頼りなさで。

 同時に頑なな意志を感じたエレシアは、「そうですか……では仕方ありませんわね」とそれ以上の強要を控えた。


「では野菜クッキーはここに置いていくとして、改めて本題に入りたいのですけど」

「これが本題じゃなかったのか?」

「それはただの差し入れですわ。本題は別の場所で話しましょう。わたくしに着いてきてくださいまし」

「ふざけるな。お前の言うことを聞く義理など、」

「え、なんですって? 差し入れのお礼がしたいと? まあ、お気になさらなくてよろしいのに。団長様はなんて律儀でいらっしゃるのでしょう。さすがはエンドニドル砦の見本となる御方ですわ」

「なんだその小芝居は……。お前が勝手に押しつけてきたんだろうが、おい待て、俺は忙しいんだが」


 踵を返して歩き出すエレシアを止めようと、ロズは腰を浮かせた。


「お時間はとらせませんわよ。ヨドがハーブティーを用意してくれるまでには戻れますわ」

「人の話を聞け。……いや待て、ハーブティーなんて高尚なものここにはないはずだぞ。勝手に買ったのか」

「馬鹿おっしゃらないで。ハーブティーなんてそこらへんに生えている草で作れますわよ」


 それはつまり雑草ティーでは、とロズはヨドを見たが、彼は視線を合わせないようにして頭を下げただけであった。


 エレシアがロズを連れてやってきたのは、軍事拠点(ミリタリス)の中にある小さな庭だった。

 元は訓練用のダミーや修繕できない武器や防具の墓場であったが、まとめて処分してできた空間に、エレシアは畑を作っていた。


「いつの間にこんなものを……」

「仕事の合間にですわ。わずかでも食糧庫の足しになればと思って作りましたの」

「見慣れない作物が多いな……食べられるのか?」


 と、ロズは畑を見渡して言う。ジャガノイモのようによく知るものもあれば、それは野菜なのか、それとも畑から突き出た人の手なのかわからないものもあった。


「テニモッサは見た目が少し奇抜ですけど、育つのが早く栄養価も高い素晴らしい野菜ですのよ? 乾燥させると果物の様な甘みが出るので、子どものおやつとして人気ですの」

「この、巨大な虫の卵みたいなものは……?」

「ツブコリーですわね。ソルトと一緒に茹でてサラダにすると美味しいですわよ。まあ茹でてる途中で弾けて中身が出るので虫嫌いな方は注意が要りますけれど」

「中身とはなんだ」

「百聞は一見に如かずと申しますわよね。見ます?」

「いい、いい、やめてくれ。……夢に出てきそうだ」

「プチプチした食感がくせになるのですけれどねぇ」


 「残念ですわぁ」と、ぜんぜん残念そうではなく楽し気に笑うエレシアに、ロズは腕を組んで押し黙った。

 もし(ヘルム)を被っていなかったら、ロズのとびっきりの渋面が見られたことだろう。

 その方が、エレシアには残念に感じられた。


「まったくこれだから、魔女に好き勝手をさせるべきではないな」

「あら、ここで栽培しているのは体に良いものばかりですわよ。わたくしをそこまで魔女扱いしたいのなら、毒草でも栽培するとしましょうかしら」

「それだけはやめてくれ。……わかったわかった。砦の皆のためになるものを作っているのなら、俺は何も言わない。――……それで、本題というのはなんだ?」


 そもそもエレシアがロズを連れてきたのは、話したいことがあったからだ。

 ロズに尋ねられて、エレシアはポケットから一枚の封書を取り出した。


「これですわ」

「それは……お前が二週間前に出した手紙の返信、か?」


 エレシアの手の中には、蝋で封のされた封書があった。蝋に捺された紋章は花と蜂――ヴィジービーズ侯爵家のものだ。

 この一月半、逃亡する素振りも無く砦の雑事に従事していたエレシアは、当初ロズに願い出た通り、両親に手紙を出すことを許されていたのだ。


「はい、おかげさまで昨日わたくしのもとに。まだ中は見ていませんけれど」

「なぜだ? 見ればいいだろう」

「だって、検閲されていないじゃありませんか。困りますわ。いくらわたくしが模範的で大人しい囚人だからって、こういうことはきちんとしてくださいませんと」


 「模範的で大人しい……?」呟きつつロズはいつの間にか畑になっていた砦の一部を見たが、ひとまずその先の言葉は飲み込んだようだった。

 その横で、エレシアは封書を開封し中身を取り出した。二枚にわかれた便箋を、ロズにも見えるようにしながら読んでいく。

 そこにはヴィジービーズ侯爵夫妻がエレシアの身を案じていることから始まり、彼らが領都の邸で軟禁状態にあること、エレシアの兄ハロルドは王宮のどこかに閉じ込められていることが書かれていた。


「……どうやら家族は一応無事のようですわ。ルフラン様は領地を没収すると息を巻いておりましたけど、いまだ爵位を剥奪することすらできておりませんのね」


 嫌味めいた言い方をしてみせたが、エレシアは内心ほっとしていた。

 ルフランが宣言した時にはとんでもない暴挙でできるはずがないと思ったが、エレシアのとんでもない罪状ですら王に認められてしまったのだ。ルフランの言葉通りになってしまう可能性が否めず、エレシアはずっとそれが気掛かりだった。――馬車馬のごとく働いていたのには、その不安を紛らわせるためでもあった。

 手紙は最後に、「ただ(ことごと)くに身を尽くせ」というヴィジービーズ家に伝わる家訓によって締めくくられていた。

 手紙を閉じ、エレシアはロズに頭を下げる。


「……ありがとうございます。家族の現状がわかって嬉しいですわ」

「俺が礼を言われるようなことじゃない。だが――……良かったな」


 今まで聞いたことのない、優しい声音だった。

 エレシアの濡れ衣が晴れたわけではない。家族も今後どうなるかわからない。先の見えない暗闇に差した一筋の光のような温かさが、その声には含まれていた。

 涙が出そうになって、それを見られたくなくて、エレシアは無理に笑ってみせた。


「ありがとうございます。……ふー、これでロズ様がわたくしの前で野菜クッキーを食べてくれたらもう満足ですわぁ」

「おい、どうしてそうなるんだ。お前の差し入れはちゃんと食べる。ヨドが証人になる。それでいいだろうが」

「わたくし、自分の料理を美味しそうに食べてくれる人の顔を見るのが好きなんですの」

「魔女の好みなど知るか!」


 付き合っていられないと踵を返すロズ。

 同時に、樹枝の葉が陽の光を浴びて艶やかな光沢を滑らせた。

 エレシアはくすりと微笑んで、足早に去るロズの背中を見送ったのだった。

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