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逢魔奇譚

逢魔奇譚 化け女房

作者: 葵 嵐雪

 始めましての方もお久しぶりの方もよろしくお願いしやしやす。

 さて、皆様は鶴の恩返しというお話をご存知でごやしょうか。これはお爺さんの所に助けた鶴が恩返しに来て老夫婦に幸せをもたらす話でございやすが。

 実はこれに似た話はいくつも有るのでございやすの。その大抵が恩返しなのでやすが、居座るのではなく女房になるのでやす。鶴女房、蛇女房、狐女房などなど上げれば切がありやせん。

 今回お話ししやすのはそんな化け女房に関するお話でございやす。



 それは秋が深くなる頃でございやした。冬眠する動物は大量の食料を求めて動き回りやす。人間はそれを利用して罠を掛けて食料にするのでやすが、時には食べられそうに無い物が掛かる時がございやすよ。

 名は貞行さだゆきと申しまして、他の村人と同じく罠を仕掛けてたのでやすが、その罠に掛かったのは狸でも狐でも鳥でもなかったのでやすよ。なんと蛇が掛かってしやったんでやす。

 まあ、蛇も食べられない事も無いのでやすが毒を持っていては敵わないと貞行はその蛇を逃がしてやりやした。

 そんな事がありやしたが貞行としては冬を越すだけの食料を手に入れなくてはいけないのでやすから、そんな事はすぐに忘れてしまったのでやすよ。

 そして村には冬が到来しやした。この村は雪深くなる事で有名な東国の村でやすからとても野宿なんて出来やしやせん。

 ですかでやしょう。とある晩に戸を叩く音が響きやした。

 貞行が外に向かって問い掛けると、この吹雪の中で迷ってしまい。良ければ一晩泊めてはもらえないでしょうかと言ってきたやした。

 確かに外は吹雪いておりやした。しかも声からして若い女のようでやす。そんな女を追い返す事などで気にはなれやしやせん。

 幸いとも申しましょうか。貞行は血縁がおらずに一人暮らしでやす。誰に気兼ねする事もございやせん。ですから貞行はその女を泊める事にしやした。

 とはいえ、男と女。しかも女の方は旅慣れているのかこういう事には抵抗が無いようでやす。つまりは床の相手でやすね。

 女はしずという女で大層美しい女でございやした。だから貞行が心奪われてもしかたないでございやしょう。

 そんな事もあり二人は一晩を共に過ごす事になりやした。

 けれどもそれで終わりではございやせん。静の話によると行く場が無くあちこちを旅歩いているのだと言うではございやせんか。誰かが嫁に貰ってくれればよいのでやすが、素性の分らない女を早々貰う家などありゃしやせん。

 だからでございやしょう。貞行はしばらくウチにいるように進めたのでやすよ。

 貞行もこの時はそこまでの下心は持ってなかったでございやしょう。けど話と静の容姿にそういう気持ちにさせられたのでございやしょう。

 こうして静は貞行の家にやっかいになる事になりやした。



 それから一年もしないうちに二人は夫婦になりやした。なにしろ男と女が一緒の家に暮らしているのでやす。他には誰もいやしやせん。村の者達も勝手に貞行が女房を貰ったものだと勘違いしたのもありやすし、そんな噂に乗せられる形で二人は夫婦になったようでやす。

 その二人は数年の間は幸せに暮らしやすが、二人の間に子が出来る事はございやせんでした。

 貞行としてはどうしても自分の子が欲しいのですが、静は何故か子が出来る事を諦めているような節がございやした。

 その事を何度が貞行は尋ねてみたのでやすが、いつも静に詫びられるだけで終わってしやいやす。

 だから貞行もそのうち子が出来るだろうとしか思わないようになって行きやした。



 そんな事があってから一年後の初秋。貞行はとんでもない事に気付きやした。いや、正確には前々から気にはなっていたのでやすが、この時期になると静の食欲が異様に増す事でございやす。

 しかも貞行から隠れて何かを食しているようでございやす。最初は特に気にしなかった貞行でやすが、何年も同じ時期に同じような出来事が起きれば気になるものでございやしょう。

 しかも静はかならず貞行が寝静まった夜に何かを食しているようでございやすから、気付くにしても時間が掛かったのもいたし方ありやせん。

 そんな事が続き、貞行もとうとう気になってしかたなくなりやした。そこである晩、寝静まったフリをして出て行った静の後を付けていったのでやすよ。

 そこは母屋から離れた物置でございやす。さすがに真正面から入るわけにもいかず、貞行は寒い中を窓から覗き込みやすとそこには何かを食べている静の姿がありやした。

 暗くてよく分からないのでやすが、その時丁度雲が晴れて月が出てくれやした。おかげで静が何を食べているのか分ったのでやすが、貞行はそれを見て思わず腰を抜かし窓から離れやした。

 なにしろ静が食べていたのは鼠を生で丸かじりしていたのでやすから腰を抜かして当然でございやしょう。

「も、物の怪だ、静は物の怪だったんだ」

 そう呟いた貞行は恐ろしくなり寝床に戻り布団を頭からかぶりやした。そのまま震える貞行。このままでは自分も食べられてしまうのではと悪い想像が浮かびやす。

 そんな時でございやした。静かな足音が貞行がいる寝室へと近づいて来やした。どうやら静が戻ってきたようでございやす。

 静かに障子が開いて閉まりやすと静は貞行を覗き込み寝ている事を確認しようとしやす。必死になって寝たフリをする貞行。そんな貞行に安心したのか静は貞行の傍を離れると布団に潜り込み、少し経つと寝息を立て始めやした。

 どうやら静は完全に眠ったようでやす。貞行は静かに起きると静を覗き込みやす。そこにはいつもと変わらない静の寝顔がありやした。もう何度も見た光景でございやす。

 それが先程は物の怪のような形相で鼠を丸かじりしていたのだからとても信じられる物ではございやせん。けれども自分の目を疑う事も出来やせん。

 どうすれば良いのかモンモンと迷ったまま貞行は布団の中で何度も寝返りを打つのでやした。



 翌朝、一睡も出来なかった貞行に静は今日は休んでいたらと言ったのでやすが、貞行は到来する冬の為に頑張らねばと理由を付けて家を出やした。

 あんなものを見てしまったからには、あまり静の傍に居たくは無かったのでございやしょう。

 鉄砲を手に狩りをするはずでございやすが、どうもそんな気にはなれずに街道の石に腰を掛けて考え込みやす。

 静が物の怪だった。こんな事を誰に話しても笑われるだけだろう。第一何年も一緒に過ごしているのに急にそんな事を言い出せば自分が笑われるのは目に見えてやす。結局は誰にも相談する事が出来ず、狩りをする事もせず、ただ迷う日々が続きやした。

 貞行が迷い始めて三日目。今日もいつもどおりに街道の石に腰を掛けて悩み続けておりやす。寺や神社に行こうともしやしたが、そこもすでに顔なじみ。こんな事を話しても相手にもしてはくれないでございやしょう。

 そんな時でございやした。貞行に女が声を掛けて気やした。

 声を掛けてきたのは渡り巫女のようでやして背中には何かしらの引き出しを背負っておりやす。札などの売り物でございやしょう。

 しかもそれ以上に貞行の目を引いたのは巫女の容姿でございやす。静にも劣らぬ器量良し。これは目を奪われずには行かずに女が何を言っているのか耳に入ってこないようでございやした。

「もし、お尋ねしたいのですが」

 巫女がもう一度声を掛けると貞行の意識を引き上げやす。どうやらやっと女の声が聞こえたようです。

「な、何の御用でしょう?」

 こんな器量良しに声を掛けられては貞行でさえ戸惑ってしまいやす。けれども巫女はそんな事をまったく気にせずに話を続けやした。

「今晩泊まれる所を探しているのですが、村へはこの道で合っているのでしょうか?」

 巫女は道を尋ねてきた。まだ雪が降らないとはいえ野宿するに寒すぎる。せめて雨風を防げるところでもないと夜を迎える事が出来ないでやすよ。

 そのためには村に行かないといけやせん。街道筋の村なら宿の一つや二つある物でございやすから。

「ええ、もう少し進めば宿がありますよ」

 貞行は丁寧に対応しやした。巫女の容姿と雰囲気にそんな態度に出てしやったのでやしょう。

 宿が有る事を確認した巫女は貞行に礼を言うとそのまま進もうとしますが、突然貞行が巫女を呼び止めました。

「なにか?」

 巫女はこの道に何か有るのだと思いやしたがそうではないようでやす。なにしろ貞行の顔色が明らかにおかしかったのでやすから。

 そんな貞行がこんな事を言いだしやした。

「あの……巫女様ならお払いとか物の怪退治とか出来ますよね?」

 突然そんな事を言いだした貞行に巫女は首を傾げやす。まあ、巫女でやすからそう思われてもしかたないのでやすが、いきなり言われても困るだけでやしょう。

 そんな巫女に貞行は事情を話しやした。妻の静が毎晩起き出して野鼠などを生で食っていると。だから静は物の怪なのかもしれないから確かめてくれと、そして物の怪なら退治してくれとまで言いやした。

 貞行としては静をいとおしくないわけではございやせん。けれども静が物の怪だとしたら話は別になってくるのでやしょう。なにしろ人外の者と一緒に暮らしてるとしったのでやすから気が気では無いようでやす。

 そんな貞行の事情を聞いた巫女は静かに目を瞑って考え事をした後、後ろの箱を下ろしてそこから一枚の札を取り出しやした。

「この御札を肌身離さずお持ちください。そうすれば何事も起こらないでしょう」

 それだけ言うと巫女は再び箱を背負って立ち上がろうとしやした。一方の貞行は札を渡されただけで呆然としてしやいやした。

 物の怪なら退治なり追い払うなりしてくれる事を期待してくれていたのでやしょう。なのに御札を一枚だけ渡されただけで去ってしまいそうになるのですから、貞行は巫女を再び呼び止めます。

「あなたにどうする事も出来ないのなら誰か退治できる人なり追い払える人を紹介してください。お願いします。このままでは私は食べられてしまいます」

 貞行としては静のあのような行為を見てしまったからには、いつかは自分も静に食われてしまうと思い込んでしまったのでやしょう。けど、それもしかたない事でやす。なにしろ見てはいけないものを見てしまったのでやすから。

 そんな貞行に巫女は再び目を瞑ると少し考えて今度は懐から御札を取り出し、自分の額に当てて瞑想のような事を始めやした。

 巫女が瞑想をしてたのは少しの間だけでやす。瞑想が終わった巫女は御札を再び懐に仕舞うと貞行に尋ねやした。

「あなた様は奥方様を愛おしくないのですか?」

 いきなりそんな事を巫女を尋ねて気やした。そう聞かれると貞行もすぐには答えられやせん。貞行も静が嫌いなわけではなく、逆に愛おしいとまで思っておりやす。いわゆるおしどり夫婦と言っても良いでやしょう。

 そんな夫婦なんでやすから愛おしくない訳が無いのでやすが、静が物の怪かもしれないと疑い始めるとすぐに「愛おしい」と答えられないのでやしょう。ですから貞行は返答に困ってしやいやした。

 そんな貞行に巫女は微笑やすとこう告げやす。

「そんなに心配しなくても大丈夫です。奥方様は何かしらの病に掛かっているのでしょう。けれども時が経てば自然と直ります。ですから今は見て見ぬフリをするのが一番でございましょう」

 それだけ告げると巫女は再び頭を下げて貞行に背を向けやした。そうして教えた道を進み始めて行ってしまったのでやす。

 貞行もこれ以上は巫女を止める事は出来やせんでした。ここまで話して何もしてくれないという事は、それだけの力が無いがただの物売りだろうと思ったようでございやす。

「……なら、自分でどうにかしないと」

 貞行はそんな言葉を呟きやした。なにしろ血縁は誰もおらず、静とは何年も一緒に暮らしておりやす。そんな静を退治なり追い出すなりする相談なんて出来やせん。しかも理由が物の怪だからなどという話になれば、なお更の事でございやす。

 ですから貞行は自分でどうにかしようと決心せずには要られなかったのでございやしょう。それがどんな結果を招こうとしてもでやす。



 それから貞行は毎晩寝たフリを続けやした。そして静が出て行くと静かに後を付けてその行動を見守りやした。

 何かの行動を起こすにしても完璧でなくてはいけやせん。そのためには静の行動を知る必要があると考えたのでやしょう。ですから貞行は半月ほどそのような行動を取りやした。

 そして分ったのが、静は毎晩出て行くと森の奥へ姿を消して一時ほどで戻ってきやした。そして必ず手には野鼠や野兎などの獲物を手にしておりやした。

 それを手に物置へ入ると物陰に隠れてそのまま食しているようでやす。

 貞行は一度だけ物置に潜み、静がどのように獲物を食しているのかを見た事がございやした。そして物置で獲物を食している静の顔を見て思わず悲鳴を上げそうになりやした。なにしろ獲物を食している静の顔は蛇そのものなのでやすから。

 食事を終えた静は必ず井戸で手足と顔を洗ってから寝床に戻りやす。そうした行動を貞行は観察し続けて決心したのでやす。

 誰にも頼れないなら自分が静を退治するしかないと。

 なにしろ相手は物の怪で蛇でございやす。普段は人でも夜には物の怪としての正体を現しやす。貞行にとってはとても恐ろしい事でございやしたのでやしょう。



 それから数日。貞行は以前悩んでいた時と同じように狩りを休んで街道筋の岩に腰を掛けて考え事をするようになりやした。

 どうすれば静を退治することが出来るか。それにはやはり静が正体を現している時、つまり食事をしている時を狙うのが一番良いのではいいのかと考え居る時でやす。貞行は呼びかけられている事に気付きやした。

 貞行が顔を上げるとそこには以前ここで出会った巫女が立っていやした。

「あっ、この前はどうも、今度はどうされました?」

 どうやら貞行は巫女が困っているから声を掛けてきたのだと思ったようでやすが巫女の用件は違いやした。

「少し気になったものですから、もう少しだけここに逗留する事にしました。その後は何か変化はありましたか? 何事もなかったですよね」

 まるで何かを知っているかのように巫女は話どしやす。

 そんな巫女の態度に貞行は不機嫌になりやした。それはそうでやしょう。まるで自分だけが蚊帳の外にいるような気分にされたのでやすから。

 巫女としてはそのような気分にさせる気には無かったのでやすが、何か含むところがあったのでやしょう。ですからそのような聞き方をしたのでやすよ。

 確かにあれかというもの、静は夜な夜な隠れて獲物を取ってきては生で食しているが貞行に害を与えるような気配は一向にないでやすよ。

 かと言ってそれで安心しろというわけにも行きやせん。なにしろ相手は物の怪なのでやすから。

 ですから貞行も不機嫌なまま返事を返しやした。

「ええ、あなたの言うとおり何事も起こりませんでしたよ。静の奇行以外はね」

 最後だけ強調する貞行でございやす。貞行としてはそのような静と一緒に居るだけでも不気味に思えるのでやしょう。

 そんな貞行に巫女は悲しげな溜息を付きやすと再び話しかけてきやした。

「あの方があなた様の傍に居るのは決してあなた様に害を及ぼす事が目的ではございません。どうか変な事はお考えにならないようにお願いします」

「変な事とはなんですか?」

 まるで貞行が何をしようとしているのか分っているのような口調で話してくる巫女に貞行はますます不機嫌になっておりやす。それどころか、この巫女が静と組んでいるのか静が変化している者ではないかとまで疑ってしまうほどでやす。

 そんな貞行に巫女は何かを諭すようにとある話をしやした。

「昔、とある国でこのような事があったそうです。ある晩に宿を求めて来た女性を妻に娶った者が居ました。けれども暮らしは貧しく、食べるのもままなりません。そこで妻は内職をするかと言って一室に籠もりました。決して中を覗かない様に強く言い聞かせてです。翌日、妻が作った反物は大層高く売れて旦那は大喜びしたそうです。それから妻は内職に励む事になりましたが、旦那としては妻が何をしているのか気になったのでしょう。とうとう覗き見るとそこには鶴が自分の羽を一つずつ引き抜いては反物を作っていたのです。その事に驚きの声を上げた旦那に妻は言いました『私は前にあなた様に助けてもらった鶴でございます。けれども正体を知られたからには、もうお傍に居る事は出来ません』そう言って妻は鶴となって飛び去ってしまいました」

 少し長い話が終わると巫女は喉が渇いたようでやして、腰に下げていた水筒を取り出して喉を潤しやした。

 黙って話を聞いていた貞行でしたが、巫女がなぜそのような話をしたのか分らないようでやす。だから黙って巫女の方を見続けやした。何が言いたいのかを聞きたいのでやしょう。

 そんな貞行に巫女はこう言いやした。

「その鶴はただ単に旦那様の事が好きで傍に居たのですよ。傍に居て役に立ちたい。いえ、傍に居て一緒に暮らしているだけでよかったのですよ。女とはそういう者なのではないでしょうか?」

「あなたもそうなのですか?」

 不機嫌が未だに直っていないのでやしょう。貞行はわざわざそのような質問を巫女にぶつけやしたが、巫女は笑って答えるだけでやした。

「残念な事に私はとうに女は捨てました。だからこうして巫女をしているのですよ」

 本来巫女とは神に仕えるものでやす。まあ、神の妻とも言いやすが、要するに神職でやすね。ですから自分は女では無いと巫女は言いたかったのでやしょう。

 そんなどうでも良い質問に巫女が答えやすと今度は真剣な面持ちで次のような事を言いやした。

「先程の話でもそうですけど、ただ傍に居るだけでよいのですよ。それだけで幸せなのですから。だからあの鶴も傍に居る時だけは幸せだったのでしょう。だからどうか、誤解の無いようにお願いします」

 巫女はそれだけ言いやすと頭を下げて貞行の前から去って行きやした。貞行もあえて巫女を呼びとめはしやせんでした。

 どうせ物の怪を退治できない巫女の戯言としか思っていないようでやす。だから先程の話も話半分で聞いていただけで、もう頭の中から消えかかっていることでやしょう。

 今の貞行にとって重要なのは静をどうやって排除するかでやす。貞行の元へ来た理由など知った事では無いのでやしょう。

 肝心なのは静をどうするかでやす。忘れかけていた巫女の話では傍に居るだけで良いと言ってやしたが、貞行にはとてもそうは思えないのでやしょう。だから決断せざる得ないのでやすよ。決心せざる得ないと思ったのでやしょう。

 たとえ夫婦の契りを交わした仲でやすが、相手が物の怪と知っては話が別でやす。ここは自分の手で退治しなければと貞行は覚悟を決めたようでやした。



 その晩もいつもと同じく静は静かに寝屋を後にして行きやした。貞行も寝たフリをして寝息を立て続けやす。そして静の気配が完全に消えやすと、貞行は床を抜け出して狩りで使用している鉄砲を用意し始めやした。

 相手は物の怪、これでなら一撃で仕留められる事は確実と考えたようでやす。

 それから貞行は鉄砲を手に物置へと向かいやした。そこにある荷物をどけて自分が隠れる場所を作りやす。もちろん鉄砲の匂いが届かないように匂いが強い物を近くに置きやした。

 肌寒くなってくる中で貞行は物置の片隅にじっと待ち続けやす。今晩にでも静を仕留めないと次は自分が食われるという恐怖を戦いながらでやす。

 きっと獲物が取れなくなったら自分を食うつもりなのだろうと思っておるのでやしょう。

 それが妄想であれ、勘違いであれ、今の貞行にとってはそれが事実でございやす。他の事なんて耳には入ってこないでやしょう。

 そんな寒さで震えそうになりそうな時でやした。物置に近づいてくる気配がしやした。

「静が来た」

 貞行はそう呟くと鉄砲の準備をしやした。この時代の鉄砲は火縄銃でしたから準備に手間が掛かりやしたし、どうしても火縄の匂いがしやした。それを隠すために貞行はわざわざこんな場所を作ったのでやすから。

 それからしばらくして物置の戸が開きやした。物陰の隙間から貞行が入口を確認しやす。そこには野兎を手にした静が立っておりやした。

 静は静かに戸を閉めやすと物置の奥へ移動しやす。念の為でございやしょう。一応辺りを確認しやすと顔が蛇の顔となり野兎にかじり付きやした。

 今だ。

 ここで出るしか静を仕留める時期は無いと思ったのでやしょう。貞行は隠れていた物陰から一気に飛び出しやすと鉄砲を静に向けやす。

「そこまでだ物の怪、今晩こそ退治してくれる」

 わざわざ宣告をする貞行でやした。声でも出さないと恐怖で引き金を引けないのでやしょう。

 いきなり出てきた貞行に静は蛇の顔で驚きの表情を見せますが、すぐにいつもの顔に戻りやすと悲しそうな顔で言いやした。

「見てしまったのですね。これで私はあなたの元を去らなくてはならなくなりました。とても悲しいですがしかたありません。これも山の定めなのですから」

「何を言ってる物の怪、お前は今ここで退治してやるんだ、この俺が!」

 その言葉で静はもう一度驚きの表情を見せやした。まさか貞行が自分を殺すつもりだとは考えなかったようでやす。

 そんな貞行に静は必死になって訴えやす。

「違います。私はあなたを狙って傍に居たわけではないのです。ただ……あなたに恩返しをするために傍に居たのです。前に罠に掛かった私をあなたは助けてくれました。私はその時に……ですからあなたの傍にいたのです」

「何を言っている。お前は俺を食うために傍に居たのだろう。それにお前を助けた覚えなど無い」

 はっきりと言い切る貞行に静の顔は悲しみを深めて行きやす。

「……もし、ここで私を殺せば……私はあなたを殺すでしょう。そうしなければいけないのです。ですから、ここはもう私を山に帰らせてください」

「そんな事が出来るものか、私を食えなくなったからには違う奴を食うに決まっているだろう」

「違います! そんな事はしません」

 必死に訴える静でやすが貞行は一向に静の話を聞こうとしやせん。貞行としても怖かったのでやしょう。なにしろ相手は物の怪でございやす。いつ襲って来ても不思議はございやせん。それに備えて銃口を向けているのですから、静の話が耳に入らないのも不思議はないのでやしょう。

 けれども静は必死になって貞行に訴えやした。自分は貞行を食うつもりで傍にいたのではないと、ただ恩返しがしたかっただけだと。

 そう訴える静ですが貞行は一向に聞き入れようとしやせん。震える手で静に狙いを付けたまま大声で怒鳴りつけるだけでやす。

 そんなやり取りをした二人でやしたが、そのうち静は諦めたような溜息を付きやすと両手を広げて見せやした。

「そこまで言うのでしたらしかたありません。こうなっては彼岸で……また一緒に居ましょう」

 そう言った後で静はゆっくりと貞行に向かって歩き始めやした。

「く、来るな」

 まるで巨大な熊にでも出会ったかのような恐怖が貞行の中を走りやす。それもしかたないでやしょう。なにしろ相手は物の怪、熊以上に恐ろしい存在なのでやすから。

 だから貞行の手は更に震えはしやしたが、引き金から指が離れる事はございやせんでした。

 そして静も歩みを止める事はしやせん。ゆっくりと貞行に向かって歩いて行きやす。

 少しずつ近づいてくる静に貞行の恐怖は最大へと達しやす。そしてついに……一発の銃声が鳴り響きやした。



 翌朝、朝日が出始めてまだ空が白くなっている頃でございやす。渡り巫女は旅装束のまま貞行の家へと向かいやした。そして母屋に向かう事無く、真っ直ぐに物置へと向かいやした。

 そして巫女は物置の戸を開けて中のものをみると悲しげな瞳になりやす。

 巫女が見た物は銃弾で頭を打ちぬかれた大蛇と、その大蛇に喉元を噛み付かれた貞行の遺体でやした。

 両者ともすでに行き絶えておりやす。なにがあったか詳しい事は巫女には分りやしやせんが、どういう事が起きていたかは分っておりやす。

 だからこそ悲しい瞳で二つの死骸に目を向けているのでやしょう。

「その大蛇は……静さんはあなたが愛おしかっただけなのです、あなたの事が好きなだけだったのですよ。だからあなたの傍に居られれば充分だったのです」

 まるで静の心情を代弁するからのように言葉を発する巫女でやすが、それを聞き届ける者はもうおりやせん。もしかした二人の魂に語りかけていたのかもしれやせん。それは巫女にだけ分る事です。

 そんな巫女の言葉は更に続きやした。

「毎晩の食事は静さんが物の怪であるから逃れられない宿命なのです。蛇は冬眠するためにこの時期には多くの食事を取ります。だから静さんは普段の食事だけでは物の怪の本能を抑える事が出来ずに、このような事をしていたのでしょう」

 つまり静が毎晩、獲物を取ってきては生で食っていたのは物の怪だった時の名残と言える行為だったのでやしょう。静が物の怪だったからには決して避けられない定めだったのかもしれやせん。

 そんな二人に巫女は袂から札を取り出しやすと二人の遺体に貼り付けやした。

「私にしてあげられるのはこれだけです」

 そう言うと巫女は静かに手を合わせて何かを呟き始めやした。そんな巫女の呟きが続きやすと二人の遺体が光り始め、天に向かって光を放ち始めやした。

 そんな光の中を強い光が上に向かって昇って行きやす。そして強い光が完全に天に昇りやすと光は消え去り、巫女は二人の体から札を剥がしやした。

 そして巫女は二人の死骸に背を向けやす。どうやら自分のやるべき事は終わったと感じたのでやしょう。

 そのまま物置を戸を開けて出て行こうとする巫女でやすが、一度だけ振り返りやした。

「ただ愛してほしかっただけなのですよ」

 そんな言葉を呟きやすと巫女は静かに物置の戸を閉めやした。

 そしてまたいずこかへと旅立っていきやす。その行き先は巫女ですら分らないでやしょう。ただ足が向くままに旅をしているのでやすから。



 さて、如何でございやしてでしょうか。これが『化け女房』のお話でございやす。

 なんとも悲しい話でございやすね。人外の者が人を好きになり、ただ愛して欲しくて傍に居ただけでしたのに、こんな結末が待っておりやすとはね。

 人外の者が人を好きになるには様々な障害があるのでございやしょう。人間同士でさえそのような事がるというのに人外の者となると、その障害は更に大きな物となるのでやしょう。

 ただ好きになってしまった。ただ愛して欲しい。それだけなのになんと難しいことなのでございやしょうか。人外の者が人を好きになるのも不思議ではございやせんが、あまり進められる事ではございやせん。

 なにしろ違う種族なのでございやすから、文化の違いを互いに理解しないといけないのでありやしょう。それは人間同士にも言える事なのかもしれやせん。

 では、ご静聴ありがとうございやした。化け女房はこれにて終わりでございやす。またのご来場をお待ちしておりやす。それでは、ありがとうございやした。







 そんな訳で渡り巫女が登場する逢魔奇譚シリーズの第三作目となります。いや~、なんかネタが浮かんだのでついついやってしまいました。というか、とうとうシリーズ化してしまいました。

 まあ、もう一つネタが浮かんでいるのでもう一本やりますね。

 そんな訳で、今回もこんな調子の語り口調で統一したのですけど如何でしたでしょうか。楽しんでいただけたなら幸いです。

 そんな訳で、次もそのうち書くと思うので、お待ちになっている人は気長にお待ち下さい。

 ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。更に評価感想もお待ちしております。

 以上、なんか今日は予定が詰まっている葵夢幻でした。

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