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王子は7ヶ月になった。エリザベス王女の病気はどんどん悪化してもう起き上がれなくなっていた。そんな中10月26日にミハイル王太子の誕生日だったために晩餐会が開催された。しかしエリザベス王女は欠席した。そんな様子にミハイル王太子はとても心配なため公務を減らすことにした。そんな中でも王子はすくすくと育っていた。王子の可愛らしさが周りにいる人の救いとなっていた。
王子は喋るようになった。そしてテレビを見ていた王子がサッカーを見て興奮をしているのを見てミハイル王太子がサッカーボールを買い与えて王子は遊ぶのをとても楽しんだ。その一週間後のシャフタール・ドネツク対ディナモ・キーウの試合に連れて行った。王子はとても楽しんだ。そしてその後サッカーの家庭教師をミハイル王太子が雇ってサッカーを習い始めた。王子はメキメキと上達して生後八ヶ月になる頃にはとても強くなっていた。王太子も若い頃はサッカーを行っていてウクライナ代表としてワールドカップでの3連覇に貢献したがとちゅうでサッカーをやめて俳優となっていた。父親が止めたのだ。しかしその功績から彼はウクライナサッカー界の伝説となっていた。
生後7ヶ月になったころからウクライナ語ロシア語ポーランド語ベラルーシ語デンマーク語スウェーデン語を勉強し始めた。そして算数も勉強して一歳になる頃には3年生までの算数を完璧にできるようになった。
生後8ヶ月のときにずっと体調を崩していた母親のプリンセスオブウェールズエリザベス王女が闘病の末なくなった。ミハイル王太子や彼女の両親、そしてミハイル王太子の両親も彼女を回復させるためにあらゆる手を行ったが謎の病気だったため治らなかった。享年45歳だった。エリザベス王女の全名はエリザベスシャーロットダイアナマウントバッテンウィンザーだった。そしてエリザベス王女が持っていた爵位はすべてティムールオブウェールズ王子殿下が継いだ。ティムールオブウェールズ王子殿下とは王子のイギリスでの称号だったが現在はプリンスオブウェールズティムール王子殿下となった。
葬式は2週間後にウエストミンスター寺院で行われることとなった。そして王子も出席することが許可された。王子はとても悲しんで
「ママ、ママ」
とずっと泣き叫んだ。周りの人も哀れんだ。
アコータコテージで働く人達や親戚は彼を喜ばせようとkvartal 85 の俳優やその子供と会わせたりウクライナサッカー代表とサッカーをして遊んだ。またレゴで遊ばせて更に新しいレゴを買ったりした。しかし王子は遊んでいる間は楽しそうだが、遊ぶのをやめた途端に泣き叫んで疲れて寝るまで泣き止まないため乳母や侍女そして侍従は困っていた。しかしミハイル王太子が抱いたら泣き止んだ。そのミハイル王太子も葬儀の準備でとても忙しくてなかなかコテージに帰れない状況が続いていた。
葬儀があと2日に迫った中王子と王太子はイギリスに国王夫妻とともに王室専用機で行った。ミハイル王太子とティムール王子はバッキンガム宮殿に滞在し、ウクライナ王国国王夫妻はホテルに滞在した。
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