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ついにここから本編開始です!
作者初の連載小説
「おぎゃーおぎゃー」
赤ん坊の声が中から聞こえてくる。
プリンスオブクリミア並びにドニプロペトロウシク大公ミハイル王太子は急いで中に入った。
そして彼は自分の子供を初めて抱き上げる。
母親であるプリンセスオブウェールズエリザベス王女はとても疲れた表情で眠っていた。
ミハイル王太子はあまりの感動に涙をこぼす。しかしミハイル王太子にはやるべきことがあった。
それはウクライナ王国並びに他の同君諸国国王リュウリク88世、デンマーク及びノルウェーの女王マルグリーテ3世、スウェーデン女王ヴィクトリア4世、またイギリス並びに他の同君諸国国王ジョージ9世に王位継承権第二位となる男子について報告しなければいけなかったのだ。
その30分後母親が祝砲の音で目を覚ます。
祝砲は男子なら30回女子なら20回と法律で決まっていて王子か王女なら必ず祝砲を撃つというルールがあったのだ。
またウクライナ王国の王族男子は長寿の加護か王の器というスキルを持っていてスキルをミハイル王太子が調べた結果王の器だった為正式に王位継承権が付与された。それと同時に王子と殿下の称号の使用を許され、王から王子の前にオブウクライナの名前を使うことが認められティムールオブウクライナ王子殿下とウクライナ国内では呼ばれることに決定される。そして他のウクライナと同じ君主を持つ国ではその国の国名をつけて良くなった。ウクライナ王国ではオブウクライナは最高位王族のみに国王の勅命のみで名乗れるものでありこの処置によって次期国王としての地位を国王が認めたことになった。
出産から30時間後エリザベス王女は退院した。その時のエリザベス王女の様子に多くの人が尊敬の念を持った。なぜならハイヒールを履いてもうほとんど普通のように笑って振る舞っていたからだ。記者たちは病院の前で集まって王子の姿を見るのを待っていた。そしてミハイル王太子夫妻並びに王子の姿を写真に写した。ウクライナはもちろん多くの国が可愛らしい応じに夢中になった。
多くの人が王子の名前に興味を持った。ミハイル王太子夫妻並びにその両親は6人で名前を考えてティムールリュウリククリスチャンカールアーサージョージミハイロヴィチゼレンスキーと決まった。ティムール王子は3月30日に生まれた。そしてその3日後の4月2日に名前が公表された。
生後一週間のときに王族の墓地にある神殿へ行ってルークと言う神名をもらった。ルークとは王族男子が生まれたときに必ずもらう名前だ。よって彼の名前はティムールリュウリククリスチャンカールアーサージョージルークミハイロヴィチゼレンスキーとなった。また神名はミドルネームの最後と決まっていた。
家族はキーウ近郊のブチャにあるアコータコテージにすむことにした。アコータコテージは敷地内に遊具など安全なところで遊ぶ環境が敷地内にあり、マリア宮殿から1時間ぐらいでかつブラーノフ王室空港から35分ぐらいなためとても立地が良いことで有名だった。王子はコテージの中で毎日たのしくすごしていた。
更にウクライナ王国の8月24日の建国記念日ではバルコニーに現れて軍事パレードをわずか生後五ヶ月でみた。
9月には王子は初めて海外を訪問した。訪問した先はイギリスだった。イギリスでは国民に熱狂的に向かい入れられた。イギリスではバッキンガム宮殿に滞在してウェールズや色々なところに行った。また保育園にも視察に行き同年代の友だちと遊んだりしてイギリスを楽しく過ごした後にウクライナに戻った。
また父親は俳優もやっていてその劇団であるkvartal85の役者にもとてもなついて可愛がられていた。王子もなついていた。そして彼らの子供によく遊んでもらっていた。
そんな中悲劇は起こった。母のエリザベス王女が重い病気にかかったのだ。原因は謎だった。最初のうちはまだ王子の面倒を見たり、公務ができたがだんだんできなくなっていった。生後六ヶ月となった王子はもう一人で立て、そして少し歩けるようになっていた。応じはすくすく育っていく一方で王女の病気はどんどん悪化していった。
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