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ティムール王子はただ一心不乱にサッカーをしていた。そしてそれ以外何もしなかった。食事はほとんど食べないでひたすらサッカー卓球そして算数の問題を解いて疲れては寝ていた。王子は周りの人を誰一人信用していなかった。こう言う状態のまま一週間ほど経った。そして葬儀まで後3日を切った。



ミハイル王太子の遺体はフォールム大聖堂で公開安置されていた。そして葬儀の準備は代々王族の葬儀を取り仕切るリカール侯爵が行っていた。



あまりに多くの人が最後に一目見たいため18時間ほど待つ必要があった。特にウクライナとベラルーシの避難民にその傾向が強かった。そしてティムール王子も1日に10分ほど不寝番を行なっていた。また棺の警護として常に6人の近衛隊の士官が警備してさらに近衛騎士団が周囲を巡回していた。



ウクライナとベラルーシでの戦いはウクライナ国内ではウクライナ軍の圧倒的有利で進んだ。そしてベラルーシ国内でもウクライナ軍が援護しているため少しずつ押し返していた。



クリミア戦線ではあともう少しでロシア軍を追い出せる状態になった。そして東部戦線ではベルボドクとルハンスクで激戦が繰り広げられていたがもう少しでルハンスクは取り返せる状態になっていた。また奪還した土地では保安員たちが治安を維持していた。また保安員はスパイとしてロシアに潜入したりしていた。



ロシア大統領や政権は焦って大量のミサイルとドローンをウクライナに打ち込んできていた。しかしウーフォドームなどの優れた迎撃システムで多くを撃墜していた。それでも全てを撃墜はしきれずに多くの民間人が被害を受けた。更に発電用の施設に何千発も打ち込んだ。そして砲撃を24時間して前線近くの民家はすごい被害を受けた。また多くの人が防空壕にしょっちゅう避難しないといけなかった。そしてキーウは少なくとも1日に8時間は空襲警報が鳴っていて4時間ほどの停電があった。そして多くの人が駅に殺到してポーランド王国などに逃げようとしていた。そのため電車に乗るのに5時間ほど必要で兵士が駅の中であちこちにいた。また大人の男性は電車に乗れなかった。病院では地下で治療を行っていた。そして人々はロシアを憎く思っていた。



またロシア軍はしょっちゅう空軍機を侵入させていた。そして空軍機で多くの爆弾を投下した。しかし迎撃システムの餌食に多くはなっていた。そのため当初は2300機ほどあった戦闘機も今では500機ほどに減少していた。そして経済制裁の影響で共食い整備を開始していた。そのため稼働率は12%ほどだった。異常なほど低い数値だ。





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