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王子はポーランドの方面に向かった。幸いに王子はアイテムボックスの使い方を知っていたため身分証明書をすぐに取り出せた。そしてアコータコテージを出てから75時間後ポーランドに入った。王子はいったん寝たが起きてからは大泣きしてはねて大泣きしてはねてを繰り返した。
ミハイル王太子はわずか48歳で命を落とした。彼は国民から尊敬されて立派な王族だった。そして王子にとってはとても良い父だった。王子は2歳足らずで両親どちらもを失ったのだ。それも父親は目の前で。
ポーランドとウクライナの国境検問所で王子は休んだ。王子は車で来ていたがとても疲れていた。そして安否不明だったためとても心配していたポーランド大統領は知らせが入るやすぐに来た。彼は国境周辺に来ていたのだ。ポーランド大統領は王子の大ファンだった。
そして国王に報告を入れた。国王にミハイル王太子は人々を守るために命をかけてブチャの住民を守ってそしてロシア軍に殺されたと伝えた。そして王子は無事に救出した為生きていると伝えた。ミハイル王太子も王子も1週間ほど安否不明だった。そのため国王はとても心配してよく寝れていなかった。ただ王太子の死去にとてもショックを受けて寝込むようになってしまった。
ミハイル王太子の葬儀はウクライナ王国国内ではできないためポーランド王国にてやることになった。そしてそれと同時にミハイル王太子の死が公開された。そして国王は王太子の死をついとうするとどうじにみずからのいのちとたてかえにおうたいしをまもろうとしたものとおうじをまもったものに勲章などを追贈した。またティムール王子に父親の爵位の継承を認めてティムール王子は1歳11カ月にしてプリンスオブクリミアとドニプロペトロウシク大公となった。この若さで爵位を持つのは異例のことだった。また王位継承順位が一位に上がった。爵位を保持したため公務を行う義務が発生した。人々はそのことを聞いて王子は公務をまだするべきではなく義務を免除するべきだという
たんがんしょをていしゅつした。
国民からとても人気があったミハイル王太子の死は世界中に大きな衝撃を与えた。そしてもともと強かった反ロシア感情がさらに強くなった。そして多くの人は残された王子のことを心配した。王子は元気を失っていた。
ミハイル王太子の葬儀の日が決定された。国王はウクライナ王国国内にいて現在進行系で戦争中なため葬儀に参加できないことになった。しかしウクライナの首相が代理で出席することに決定された。そして王太子を喪主とすることになった。亡きミハイル王太子は多くの勲章を追贈された。人々は彼の王族として最後まで人を助けようとする行動に感銘を受けた。ただ人々はなぜ王子を転移させなかったのか不思議に思った。
〜ブチャ アコータコテージ ミハイル王太子の思考〜
私は国民を守り慈しむ義務がある。私は人々を安全地帯まで送り届けなければならない。私の息子は世界で一番かわいいが今は私情を優先せずに国民の命を守らなければ。むすこはじゃくねんながらも王族だ。危険だが我慢してもらわなければ。それに息子には護衛がつくから一般国民よりよっぽど安全なはずだ。転移させても一人では何もできないしかし戦闘要員はここになるべく残さなければいけない。敵より少ないといえど人々を全員避難させられるまでは持つだろう。魔力もおそらくは持つだからだいじょうぶだろう。
〜現実世界〜
ミハイル王太子は自分の王族としての誇りのために人々を避難させたのだった。このことは王家への人気を高めて反ロシア感情が余計に強くなった。リビウに転移した人々は王族がこの力を持つことを知っていてまたどこか知っていたためそこからウクライナを脱出しようと考えた。しかし男性らはウクライナ国内に残らなければいけなかった。なぜなら国家総動員令が出されて特別な許可を得たもの以外のウクライナ国籍の18から65歳の男性は出国禁止だったからだ。そしてリビうに転移した人々は王族に絶対の忠誠と命を助けられた恩を忘れないことを心のなかで誓った。
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