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2154年2月14日ロシアがウクライナとベラルーシに侵攻を始めた。ロシアがウクライナの首都キーウとベラルーシの首都ミンスクにミサイルをそれぞれ50発打ち込んだのだ。世界中の国々は直ちに非難声明を出した。彼らはとてもショックを受けて現ロシア大統領をプーチンとよんだ。なぜなら当時のロシア大統領フョードルプーチンは2022年にウクライナに侵攻したからだ。中国と北朝鮮、そしてシリアは出さなかった。そして多くの国はロシアに対して経済制裁を行った。またウクライナとベラルーシに大量の武器を送った。ウクライナは持ちこたえていたがベラルーシは多くの国土を侵略された。
2月20日にはロシアはウクライナとベラルーシを分断してウクライナの北側から侵攻を開始した。ウクライナ軍は全く用意できていなかったためにブチャまですぐに攻め込まれた。ロシア軍はブチャを占領した。王太子軍がブチャ周辺で応戦した。また王太子の命令でアコータコテージ内にブチャの市民を避難させた。王太子軍はブチャのアコータコテージ周辺に集結した。
ロシア軍はブチャを占領した。そしてアコータコテージを攻め始めた。ロシア軍は10万人ほど対して守備隊は1万人ほどだった。王太子軍の空軍が陸軍に対して援助をした。そして海軍は動けなかった。なぜなら海軍は海や川などがないと本分を発揮できないためだ。イギリスはイギリス王位継承順位第一位のティムール王子を助けるために特殊部隊をウクライナに送った。スェーデンとデンマークそしてポーランドラトビアリツアニアもそれを実行した。そして全ての部隊は協力した。
王太子は転移魔法を使って避難した人々を西部リビウまで送った。そして魔力切れで倒れた。王子はまだ魔力の使い方を知らなかったため何もできなかった。
ロシア軍が王太子軍の防衛網を2月26日に突破した。王太子が全てのブチャの住民をリビウに送ってから1時間後のことだった。王太子はまだ魔力切れで気絶していた。ロシア軍が王太子がいる場所に侵入してきた。ティムール王子はとても怖がっていた。そしてないていた。そんな中護衛の奮戦虚しく王太子が殺された。まず王太子の足を打ったそしてその後頭を銃で撃った。そしてロシア軍の兵士らは王太子をキックして楽しんでいた。王子の護衛は急いで王子を隠した。そんな中イギリス軍の特殊部隊などで構成された軍が入ってきた。そしてロシア軍を倒した。王太子軍所属の特殊部隊の多くは死んでいた。そのため王太子を守りきれなかった。特殊部隊は急いで遺体を回収して王子を警護しながらキーウに向かった。アコータコテージの中にあった高級なものはすべて死ぬ直前に意識が戻った王太子により王子のアイテムボックスに入れられていた。そのためロシア軍は何も略奪できなかった。
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