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10月26日になった。王太子の誕生日だがそこまで大々的に行われなくて私的なパーティーが行われただけで終わった。王太子の誕生日としては異例だったがウクライナ王国はいまロシアが何をしてくるかわからない状態なのでよく警戒をしなければいけなかったのだ。
それからはウクライナ王国は様々な国と協力して外交努力を行ったがロシアの外相は態度をどんどん硬化させていった。それ以降もどんどん状況は悪化していき現在はロシアはウクライナとベラルーシの国境についには20万人以上も結集させた。更に軍人の上限を停戦条約を破って200万人として、すでに徴収兵によって100万人を超えていた。ベラルーシとウクライナはそんなロシアの動きを警戒してすぐに軍を出動できる体制にした。
12月16日にKvartal85のコンサートがあった。王子はそれを見に行って人々を驚かせた。また会場は異常なほどの警備でkvartal85が雇った警備員だけでなく王室軍、王軍、王太子軍が警備をさらにやった。このコンサートは3時間あまり続いたが母親をなくしてからあまり笑わなくなった王子が久しぶりに笑っていた。
王子はどんどん早く走れるようになって今では遅い大人と同じぐらいに走れるようになっていた。また身長もぐんぐん伸びて今では87cmになっていた生まれたときは50cmだったため2年足らずで37cmも伸びたのだ。体重は11kgで彼は少し病弱で痩せていた。
サッカーがどんどん成長して現在では父親がゴールを守っているときにボールを入れられるようになった。父親はゴールキーパーではなかったといえどかなりゴールを守れてプロのゴールキーパー並みだった。
新年は無事に迎えられた。そして2054年になった。慣例のしんねんのお祝いパーティーは開催された。しかしロシアは新年早々クリミア半島とザポリージャ州、ドネツク州、ヘルソン州、ルハンスク州をロシアに割譲しろと要求してきた。もちろんウクライナは断った。更にベラルーシにも国土の5割を割譲しろと要求した。ベラルーシはそれを断った。
ロシアは今度は50万人ほどの軍勢をロシアとウクライナ、ベラルーシとの国境に配置した。緊張はどんどん高まっていった。警備の問題があるため今年は国王の誕生日である1月25日には何もパーティーなどが行われなかった。そして緊張が2月に入るともっと激化していった。そんな中緊急で安保理事会が開催された。そしてロシアにすぐに兵士を引くように警告を送ったがロシアは無視した。
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