第49話 二つ先の夢
――転生百四十二日目、午後五時、裏世界、ライトダンジョン第一層、妖精の研究所、屋上。
表が裏に変わる時、瞬く間に現世は塗り変わる。
そこは神様の気紛れか。それとも意図した者の思惑か。
どちらにせよこの身には好都合。功罪で揺れる心は過ぎ去った。
故にこれが例え神様の道具であろうとも……世界を変える為なら止まれない。
――開けた視界に広がるベイルロンドの全景に、アザレア嬢は目を見開いて周辺を見回した。
「ここは研究所の屋上……? あの一瞬で移動したのか?」
「裏世界のベイルロンドだよ。先程とは逆に貴女を裏に、私を表に……加えて座標をずらして研究所の屋上に場所を移した。これから起こる事を顧みれば、屋外の方が都合が良くてね」
そう語り掛けつつ上空を仰ぎ、両手を掲げる。
彼女の視線を空に誘導すると、彼女は再び驚愕を露わにした。
「――!? あれは!? あの光……いや、あの模様はさっきの……」
裏世界のベイルロンド、その天井付近に見えるのは、巨大な魔法陣。
虚空に浮かぶ魔導元素は神聖な光を放ち、見る者を戦慄させる。
その異様はまるで、世界の終わりを示唆しているようだった。
(異常を知らせるサインは無し。起動シークエンスを開始しよう)
立体的に展開する広域魔法陣を起動させる為、ボクは密かに詠唱を開始する。
アザレア嬢に気付かれないよう、わざと会話として詠唱を成立させる。
「君に見せたかった物はこれだよ。【不条理に抗うには、何が必要か】? その答えが知りたくてね」
一つ目の詠唱に、魔導元素が波打つように動き出す。
それと同時、彼女もボクの問いに答えを返した。
「私なら対話を選ぶ。例え理解できないとしても、解ろうとしないよりはマシだ」
「対話によって【知性を一歩進めれば、また一つ謎が深まる】……難儀だね」
二つ目の詠唱に、魔法陣は歯車のように噛み合い始める。
彼女は注意深く魔法陣を観察しながら、ボクに問う。
「謎を解いた先でまた謎が深まったなら、君はどうするんだ?」
「【圧倒的な力であろうと何れは滅ぶ。しかし知性は滅ばない】。だとすれば私のやるべき事は決まっている。諦めない事だ」
三つ目の詠唱に、魔法陣の回路から閃光が走り出す。
それが閃きの合図になったのか、彼女の怪訝な表情は一つの確信に変わる。
そして直ぐ様、彼女は自身の周囲を強固な魔力を持つ氷塊で覆い出した。
「――くっ! 何が私を討つ気が無いだ……! 狡猾だな君は……!! 【氷層包囲】【魔力凝結】【研鑽錬磨】【連鎖詠唱】【氷神への祈りよ届け】! 【クリアウォールプロテクション】――!!」
言うや否や彼女は脇目も振らず一心不乱に詠唱を重ねる。
その速度と質、そして魔力制御はかなりのものだ。
どうやら持ち得る限りの力で、防御結界を構築している様子。
(此方の狙いが看破されたな。……まぁ、彼女ならこの程度気付いて当然か)
もっとも、彼女は一つ誤解している。
ボクは本当に彼女を討つ心算など無い。
しかしこの状況なら誤解するのも無理ないだろう。
――淀み一つ無く展開される、球状の氷の結界。
それはガラスよりも透き通り、透明な結界は見る者を魅了する。
神業にも等しいその所業から、彼女の天性の才覚が見て取れた。
(もう会話に見せかける必要も無いな)
両手をポケットに仕舞い、後は成り行きに身を任せよう。
芸術的な氷塊を眺めながら詠唱を口にする。
「【文明に新たな光を灯す時、生命は痛みを伴うだろう】」
四つ目の詠唱に、魔法陣は眩いばかりの光を放つ。
「思った通り詠唱か……会話に混ぜる何て考えたねっ! 見事に騙されたよ!」
余裕そうに言い放つ彼女だが、その額には冷や汗が流れている。
頭上で燦然と輝く光を見れば、焦りを覚えるのは自然の成り行き。
あの異常なエネルギーの塊を直視して、戦慄しない者などいないだろう。
「【叡智の華よ。人類が痛みに惑わぬよう、咎を持って道を示せ】」
五つ目の詠唱に、魔法陣から天使の輪が波紋のように広がり始める。
そして来るべき衝撃に備え、研究所の周辺を巨大なシャボン玉が覆い隠す。
それは妖精達の協力で出来た、無属性魔法によるシールドバリア。
妖精達が常日頃から、移動と防御に使用している魔法である。
無属性魔法が発動した事で、発動シークエンスの最終工程は終了した。
後は最後の詠唱を残すのみ。
この実験に成功すれば、ボクの目論見は無事果たされる。
――瞳を閉じて、その名を呟く。
「――【ニュークリア・プロメテウス】――」
落ちる光は弾け飛ぶ。
大地を刳り抜く衝撃は、驚天動地の激震に。
人智を超えた暴力が、無属性の盾を打ち鳴らす。
「――ッ!!?」
余りの光と振動に、彼女は思わず片膝を付き、片腕で視界を塞いだ。
魔法と科学が融合せし禁忌の力。それは人の造りし破壊神。
地に落ちたエネルギーの塊は、圧縮された力を解放する。
――光と地鳴りの波が過ぎ去り、開けた視界に飛び込むのは抉られた大地。
「ベイルロンドが……消えた……?」
彼女は呆然とした様子で立ち上がる。
あの一瞬で街が丸々一つ消し飛ばされたとなれば当然だろう。
(実験は無事に成功だな。ルイス博士の予測は当たったか)
振り向いて街の様子を見れば、彼が予想した通りの結果に収まった。
そして無属性魔法で出来たシールドバリアも、無事に衝撃を耐えきった。
今裏世界のベイルロンドは妖精の研究所を除き、全てが廃墟と化している。
余りの衝撃に言葉を失っていたアザレア嬢は、漸く我に返り、ボクに問う。
「街の人達は……? 皆はどうなったんだ……?」
「消し飛んだのは裏世界のベイルロンドだけだ。最初から裏世界には誰も居ない」
「表側のベイルロンドに影響は出ないのか? 皆無事なのか?」
「当然だ。表世界のベイルロンドに影響が出るならこんな事はしないよ」
彼女に背を向け、廃墟と化した街を眺める。
【ニュークリア・プロメテウス】の実験に成功した今、この力は確実にこの世界のあり様を変える。必ず世界各国の目に留まり、この力を世界中の国々は天才達を用いて研究するだろう。
(それで良い。それでこの力は抑止力になれる)
抑止力を持ち合って戦争が減少すれば、時代は一つ先に進む。
ボクの求める時代は冷戦の先、軍事力よりも経済力を競い合う時代だ。
経済力が物を言う時代になれば、望む自由が手に入る。
(この世界には悪いが、ボクは時代の流れを悠長に待つ気は無い。最短ルートで行かせて貰う。それに……)
個人的にはとても気になる事がある。
それはこの世界の"秘密"についてだ。
裏世界を始めとして、この世界には余りにも奇妙な点が多い。
人類の用いる魔法。モンスターや魔族を始めとする不思議な生物の生態や、明らかに人工的なダンジョンの存在。そして魔法のような科学に、妖精の持つ秘密……
その中で明らかなのは、間違いなく妖精達はこれらの謎を知っているという事。
ならばその秘密を知る為に、人類は妖精達から認められねば成らない。
その為に必要なのが、この力を世界に示す事だ。
(世界中の国が【ニュークリア・プロメテウス】を目の当たりにすれば、この世界の人類は無属性魔法から"科学"という概念を理解する)
そうなれば人類の知的レベルは飛躍的に向上する。
つまり人類は次のステージに立ったと、妖精達は認識するのだ。
(これでまた一歩、世界の秘密に近付ける……)
もしこの世界が抱える秘密がキャロルにとって不都合な物であるのなら。
それを対策しない訳には行かないだろう。
無責任に彼女を現実世界へと放り出すつもりは無い。
彼女が生きて行けない世界では意味が無いのだ。
(さて……その為にはまず、アザレア会長を説得しないとな)
厳しい様相でボクを睨む彼女を視界に収めつつ、彼女を懐柔する為の思案を巡らせながら、名探偵との因縁に終止符を打つ為に対峙するのだった――




