第47話 パンドラの箱
――転生百三十二日目、午後六時、ライトダンジョン第一層、妖精の研究所、地下二階、特殊実験室。
伽藍の廊下に足音一つ。
響く音色に混じった寂寥感。
茜色の景色が燃やす心は何色か。
魔導Puの実験を開始してから約一週間。
妖精達の支援やルイス少年の尽力もあり、研究は驚異的な速さで進展を迎えた。
(一週間足らずで実用化に成功か……やっぱり、天才は違うな)
常人が数年かけて至る境地に、天才は僅か数日で到達する。
妖精達が答えを知っているとは言え、それを引き出す彼の能力は凄まじい。
本来の目的である魂の転化を遂げるには、まだクリアしなければ成らない条件が幾つかある。今日はその条件の一つである魔導Puを利用した【プロメテウス】の実験を行う為に、研究所へと足を運んだ。
――廊下を進んだ先で、目的の実験室へと到着する。
扉を開くと、そこには白衣を着たルイス少年と子犬の妖精さんが居た。
ホログラムで闇の炎(?)と分身を纏っているらしい子犬の妖精さんと、風魔法で自身の白衣を靡かせ、カッコイイポーズを取っているルイス少年の姿が見える。
「闇の力が、われに残像を、与えるのだっ……!」
「これが……しろさんの核分裂……!?」
「ぬしさん、われらは増殖したり、しないのだっ」
「まさか……そんな事が……!?」
「聞いてねっ」
ルイス少年に向けて両手を振る妖精さんの姿が可愛らしい。
何やら二人は向かい合ってごっこ遊びに夢中な模様。
とても微笑ましい光景である。
取り合えず眺めているのも何なので、近寄って二人に声を掛けた。
「ごきげんよう、お二人共。実験は順調ですか?」
「……あっ! キャロル様! もう此方に来られて居たんですね」
「実験さんは順調なので、ごきげんなのだっ……!」
魔法によって再現された元素は、基本的に魔力が通っている間しか発現しない。加えて本来の元素とは異なり、化学反応によって起こるエネルギーの大部分は魔力に依存している為、アルファ線等の放射性物質は放出していないという。
――つまり、魔導元素は放射能を持たない"クリーンな原子力"を生み出せる。
(まさに"産業革命"だな……)
子犬の妖精さんの周辺で、魔導元素を構成している魔法陣。
その色取り取りの光を見つめながら歴史的な瞬間に想いを馳せる。
産業革命を迎えた暁には、この世界の勢力図は大きく変わるだろう。
そう感慨に耽るボクに対して、ルイス少年は子犬の妖精さんを掌で指し示しながら説明を始めた。
「今ご覧頂いている光景は、【プロメテウス】の研究中に偶然発見した新たな魔法、【アヌビス】のデモンストレーションになります」
彼に促され、改めて良く子犬の妖精さんを見やる。
そこには先程と変わらない、闇の炎と分身を纏う妖精さんの姿。
強気な表情でボクを見上げる姿が何とも可愛らしい。
「これがデモンストレーションとは……?」
「しろさんを触って見て下さい」
そう言われ、疑問に思いつつ触ろうと妖精さんに手を伸ばすと――
――ボクの手が妖精さんをすり抜けた。
一瞬、ホログラムの類いかと疑った。
しかしそれにしては妖精さんの姿が余りにも現実的であり過ぎる。
おまけにボクの手がすり抜けた瞬間、分身と闇の炎が消え去った。
それが尚の事、目前の不可思議な光景を強調する。
ボクの困惑は想定通りか、ルイス少年は特別気にするでもなく説明を続けた。
「今、しろさんは此処とは別の次元に存在しています」
「別の、次元……?」
「分かり易く言うと、この世界の裏側です。しろさんが言うには裏側の世界は鏡みたいに表側の世界を反映しているんだとか。ただ、裏側の世界に生物は存在していないので、生物は反映されないそうです」
驚愕の事実を事も無げに解説するルイス少年。
その姿は、この目には異質に映る。しかし当人は意にも返さない様子。
そして天才少年は、屈託の無い笑顔でこう述べた。
「裏側の世界って、まるで代替品みたいですよね? この世界が失敗した時の、予備の世界、みたいな」
――彼の言葉に背筋が凍る程の戦慄を覚えた。
彼の言う事がもし正しければ、この世界の"現実"が揺らぐ。
あるはずの無い世界が隣にあり、尚且つそこに入り込める……
いや、入り込めるようになってしまった。
ボクの想定では彼に原子力を研究して貰い、それを用いて核兵器に代わる代物を開発し、それを大国間で共有する事でパワーバランスを図る心算でいた。
そうする事で大国間同士での軍事衝突を抑え、軍事力中心の世界情勢から経済力中心の世界情勢に変えられる。多様性が受け入れられる社会を築くには、平和な世界が表面的だったとしても必要なのだ。
しかし彼は、それを遥かに上回る結果を出してしまった。
(……どうする? この技術は抹消するか? それとも……)
余りの衝撃に後退り、腕を組んで左手の親指を噛む。
歯茎から伝わる手袋の感触と、余裕が消える冷や汗の感覚。
――そんなボクの焦りなど知らず、ルイス少年は【アヌビス】の発動を止めた子犬の妖精さんに近付いて、じゃれ合い出した。
「しろさん平気ー?」
「うむー。何とも、ないのだっ」
「じゃあ成功だね!」
「われらは、成し遂げたのだっ」
得意げに胸を張る妖精さんを、彼は両手で撫で回す。
「わしゃわしゃーもふもふー」
「苦しゅう、ないのだー」
戯れる二人の姿は余りにいつも通り。
世紀の大発見による世界の変化など気にも留めていない様子。
それは天才故の感覚なのか、それとも楽天家である為なのか。
どちらにせよ、この技術の行方はボクの判断に掛かっている。
(ボクは……パンドラの箱を開けたのか……?)
楽しそうに遊ぶ様子を傍目に眺めながら、天才の恐ろしさを思い知る。
遥か高みを進む天才という生き物には、常人の予想など届かない。
凡才が天才を手中に収める事など出来ないという事か……
――と、そう思案した時、不意に天啓が脳裏を過ぎった。
(……いや、そうか。それで良いのか。天才を制御する必要なんて無い)
凡才の身で天才を制御するという事は、その可能性を殺すに等しい。
それでは勝ちたい相手に、そして変えたい未来に届かない。
ならば天才を自由にさせる事がボクにとって勝利の鍵だ。
(後はいかに、見失わずにいられるか)
天才を超える必要など無い。
彼等が示した道を辿り、その道中で目的を果たすだけ。
考えてみれば、ボクのやる事などそれだけだ。
そうと決まれば焦る理由など何処にも無い。
――という訳で平静を取り戻し、居住まいを正して彼等を労う。
「素晴らしい結果ですね。これは世界を変えますよ」
「頑張りました! えへへっ」
「もっと褒めても、よいのだー」
素直に賞賛されて照れる二人が可愛らしい。
褒められてやる気が溢れて来たのか、彼等は本来の実験に意識を向けた。
「よーし! しろさんっ! 【プロメテウス】の改良テスト、この調子で終わらせちゃおっか!」
「うむっ! われらと主さんにかかれば、お茶請け前なのだっ……!」
「それを言うなら朝飯前だよ。あと、今はもう夕飯前だからね」
「そーだったのかー……!」
仲睦まじく掛け合う二人の姿を流し見ながら、新たな魔法について思案する。
(次元の壁を超える魔法陣【アヌビス】か……)
机の上に置かれたレポートを確認すれば、その性能が凡そ分かる。
今の段階では、裏世界を自由に行動できる訳では無いらしい。
現在、行動できる範囲はベイルロンド内だけだという。
(……ん? 裏世界に居ても、現実世界で魔法が使えるのか……?)
内容に目を凝らせば、気になる文章。
裏世界に居ながら此方の世界で魔法を発現できるという。
それが本当なら、この【アヌビス】はボクにとって必要不可欠な魔法になる。
(そうなると場所を選ばず使用できるように、魔法カード化したい所だけど……それにはまだ課題が多いか)
残念ながら、【アヌビス】を魔法カード化するには条件が整っていない。
しかし特殊実験室では問題無く発現できるようなので、限定的だが使えそうだ。
――次に考える事は、宿敵を心変わりさせる為の対応策。
(これでアザレア会長を呼び出す会場は決まったな)
これを利用しない手は無いだろう。
人体に影響が出ない事が確認出来れば、心強い力になる。
(相手が上手だろうと初見なら通用するはず。【アヌビス】のお陰で、好い方向に戦術を修正できそうだな……)
思考を巡るのは来るべき対決の日。視界の端で【プロメテウス】の改良に着手し出した二人を見ながら、宿敵との雌雄を決するべく戦術を練るのだった――




