第44話 悪役令嬢メランコリー
――転生百十四日目、午後五時、ライトダンジョン第一層、劇場、二階席、貴族専用観覧スペース。
観衆の笑顔と困惑に包まれ幕を閉じた妖精さん達の舞台劇。
皆、戸惑いや微笑ましさを露わにした表情で拍手を送る。
ツッコミどころ満載だったものの実に興味深い劇だった。
(妖精達の劇は"魔神の伝承"を元にしたストーリーか……)
魔神の伝承とは、この世界に伝わるお伽話。
人類に裁きを下す為、地の底から降臨すると謂われる終焉の魔神。
それを勇者が討伐し、人類に平和と安寧を齎す物語。
昔話によくあるストーリーだ。
(終焉の魔神……実在するなんて思いたくないけど、この世界には魔族やモンスターが存在する。本当に魔神が居たとしても可笑しくは無いな)
オリバー卿曰く、奇妙な動きを見せているという魔族の動向。もし魔神が実在し、魔族がその復活を狙っているのだとすれば……間違いなく人類は窮地に立たされるだろう。
(まぁ、それを討伐するのは勇者達の役目だ。ボクに出来る事があるとすれば、【プロメテウス】を次の段階に進める事くらいだな)
【プロメテウス】を次の段階に移せれば、魔神への対抗策に成り得るはず。もっとも、それが魔神に通用する程の力となれば、それは同時に人類に対する抑止力としても機能する訳だが。
――等と考えていたボクの隣で、ローズマリーは妖精達の戯曲に感想を零した。
「とっても素敵な劇でしたね……! 私、妖精さん達の頑張っている姿にとても感動しました……!」
両手を合わせて瞳を潤ませ、彼女は妖精達へ賛辞を述べる。
素敵な劇だったという意見も、頑張りを賞賛する気持ちも彼女と同じだ。
しかし感動したかと言われると……ツッコミ所満載だったとしか言えない。
「謎が多く、興味深い劇でしたね」
「はいっ! 機会があればまたもう一度、観劇したいと思います……!」
瞳を閉じて妖精達に想いを馳せる彼女の姿。
それはまるで、日差しを浴びて花弁を広げる迷迭香のようだった。
――そんな可憐な姿に視線を奪われていると、後ろから歩み寄って来る足音一つ。振り返るとそこに居たのは……
「ごきげんよう、レディ・キャロル。そしてレディ・ローズマリー」
白銀の髪色に、左側だけ髪をかき上げたショートカットの髪形。
左の耳で輝くのはイヤリング。それは男装した白銀の麗人。
見間違えるはずも無い。その姿はアザレア・Fi・スターライト。
ボク達が通う王立騎士学園の生徒会長その人である。
「アザレア会長……! どうして此方に?」
ローズマリーが驚きと共にアザレア会長に問い掛けた。
今月の三学年のダンジョン講習は既に終わっている。
なのでアザレア会長とここで会うのは晴天の霹靂。
(わざわざ学園を欠席してまでここに来る……何か掴んだのか?)
驚くボク達を涼しい顔で受け流し、彼女はボクの隣の席に腰を下ろした。
「前回の講習期間中にロミオとジュリエットを観劇してね。それ以来、どうしても気になる事があってまた見に来たんだ」
「学園を休んでまで、ですか?」
平常心を保ちつつ、警戒心むき出しで問い掛けるボクに対して、アザレア会長は白々しい微笑みでこう答えた。
「そうだね。どうしても一度、君と一緒に見たかったから」
笑顔の中に鋭く光る一縷の眼光。
それは明らかにボクに対する挑戦状。
探偵から悪役に贈るラブコールだった。
――ならば宿敵として、ここから逃げる訳には行かないだろう。
「私と見たところで、レディ・アザレアの疑問が晴れるとは思えませんが」
「そうでも無いさ。私の推理が正しければ、今日は君が仕掛けたサプライズを見られるはずだからね?」
表面上は穏やかに、しかしその裏には確かな対立。
ローズマリーはボクとアザレア会長の様子を察し、戸惑いを見せる。
それもそのはず。ボクは彼女に自分が偽りの英雄であると伝えていない。
故にローズマリーはボクとアザレア会長の対立関係を知らないのだ。
(ローズマリーには悪いが、共犯者だからと言って全ての秘密を共有するつもりは無い。誓約の事もあるし、秘密を知る者はなるべく少ない方が良い)
それに今回の事がバレれば国家に対する反逆を問われる。
可能な限りそういうリスクからはローズマリーを遠ざけたい。
勝手な言い分だが、彼女はキャロルにとって最後の砦だ。
ボクが消えた後の事を考えれば、彼女を失う訳には行かない。
――そう考えている間に開演のブザーが鳴り響く。
舞台の幕が上がり、切り替わったセットの中央に立つ二人の役者。
それを見て、アザレア会長が親指と中指を合わせ、指を鳴らした。
「 hit ! 学園にヒロインが不在な理由がこれだ。予想通り最高のサプライズだね」
アザレア会長の言うヒロインとは、レイナさんの事だろう。
今レイナさんはルーサー卿と共に舞台の上に立って居る。
お互いに手を取り合い、見つめ合う二人の姿。
それを見て、ローズマリーは口元を手で隠し、驚いた様子を見せた。
加えて観客席から広がるのは二種類の騒つき。一般席から広がるのは、有名人を見た時のような好意的な驚き。そして貴族席から広がるのは、侯爵家の子息が舞台に立って居るという戸惑いの驚き。
――アザレア会長はボクに問い掛ける。
「貴族が役者として、しかも大衆向けの戯曲の舞台に立つなんて波紋を呼ぶね。来週の話題は、彼等が独占するのかな?」
「前代未聞ですからね。当然でしょう」
平然と言い放つボクに対して、ニヒルに口元を歪める名探偵。
最早彼女の内心では、これがボクの次なる画策だと確信している様子。
(隠し通せるとは考えていなかったけど、バレるのが想定よりも早い……状況的には厳しいか?)
雲行きの怪しさに、流れが変わるのを感じ取る。
そんな事とはつゆ知らず、戯曲の舞台は動き出す――
惹かれ会った二人が将来を誓い合い、紆余曲折を経て障害を乗り越える。
階級と言う溝を埋める為、二人はそれぞれ親類縁者に理解を求めた。
しかし溝は想像よりも深く、二人の仲は残酷にも引き裂かれる。
――物語の中盤に差し掛かる折り、アザレア会長が再び指を鳴らした。
「 hit ! この溝を埋める為に、君は英雄と言う力を求めた」
それからボクに視線を送り、名探偵は言葉を続ける。
「飽くなき君が次に求める物は……人脈、かな?」
ここでボクが幾ら否定しようとも、彼女は考えを変えないだろう。
なぜなら彼女は答え合わせをしたいだけなのだ。
最早ボクの言葉には、意思確認程度の価値しか無いという事。
――だから、彼女に返せる言葉は決意表明くらいの物だった。
「……己の皮膚が裂けた時、貴女はそれを何で埋めますか?」
「血液だね。血を流さなければ傷は治らないから」
「組織も同じです。"システム"という皮膚が裂けた時、組織はその溝を"人"と言う血液で埋める」
「面白い例えだね。理に適ってるんじゃないかな?」
「一見すれば一理あるでしょう。ですがそこには大きな落とし穴がある」
例え両家に引き裂かれようと、心は通じ合う二人の姿。
貴族に逆らった罪により、ジュリエットは追放処分を受けてしまう。
故にロミオは、愛する者の為に覚悟を決める。
そんな彼等から視線を逸らさず、ボクはアザレア会長に断言した。
「幾ら人を注いでも、一度狂ったシステムは破綻するより他に無い」
「……作り直す必要があると?」
「何事にも限界があるというだけです。組織の代謝を良くする為には、状況に合わせて環境という名の土台を整える必要がある。組織の根幹を成すシステムも、所詮は環境の一部に過ぎません」
物語は終盤に向かって加速する。
ジュリエットは信頼していた神父に協力を頼み、追放処分を逃れる為、睡眠薬で死を偽装しようとする。しかしその直前でロミオと再会し、ロミオはジュリエットと駆け落ちする事を決意した。
駆け落ちの方法は逃走では無く、強く反対するロミオの父親との対決……貴族の作法に倣い決闘し、勝利を掴む事で自由を勝ち取る。そしてそれを持って彼等の仲に干渉させないようにする、という内容に改編した。
――それを見て三度指を鳴らしたアザレア会長は、劇を見つめながら己の額に人差し指を当てた。
「 black jack ! 君の次なる目標は、革新派の旗頭、ランドール・D・ボルドー公爵との繋がりか……!」
答えを確信した彼女は喜悦に表情を綻ばせる。
やはり名探偵とも成ればこの程度の推理はお手の物か。
凡才の隠し事など、天才に掛かれば無きに等しいのだろう。
(全く……嫌になるな)
劇も終盤、クライマックスではロミオとその父親が雌雄を決するべく決闘する。
舞台の上で繰り広げられるのは、PVに流用したボクとルーサー卿の決闘を模して、更に派手にした魔法演出。
無論、演者達が怪我をしないように、その魔法演出の大部分は無属性魔法を用いた只のホログラムである。
妖精達の協力の元、舞台の裏では複数人の妖精さんが無属性魔法を操って、演出を頑張ってくれているのだ。
しかしアザレア会長は決闘には興味が無いらしく、席から立ち上がった。
「さて、用事も済んだしそろそろ私はお暇させて貰おうかな。楽しかったよ、レディ・キャロル。そしてレディ・ローズマリー。邪魔して悪かったね」
軽快にウインク一つ残して彼女は出口に向かって歩き去る。
それを見送るボクの様子に、険しさが滲んだ所為なのか。
ローズマリーはアザレア会長を引き留めようと席から立ち上がろうとする。
――それを片手で制し、ボクはローズマリーを嗜めた。
「まだ終わっていません。最後まで観劇しましょう」
「……よろしいのですか?」
「気にする程の事ではありませんよ」
ローズマリーは心配そうにボクを見やる。
彼女にして見れば、ボクの険しい様子を見るのは初めてだろう。
故に尚の事、気持ちが逸ってしまったのだと分かる。
(見事な推理だな名探偵……だが君には、まだ見えていない事がある)
内心で燃える執念は、この程度で止まりはしない。
(君を超える天才は、既にボクの手中にある)
如何に彼女が頭脳明晰であろうとも、ボクを警戒しながら自身を超える天才を相手にする事など出来ないだろう。
(ルイス・アントワープ……彼は紛れも無い天才だ。世界を変えてしまう程の、ね……)
世界に変革を齎すのは政治家では無い。
知的探究心に駆られた研究者達だ。
(君が彼に気付いた時、既に世界は変わっているよ。名探偵君)
舞台は無事に終幕に向かい、溢れんばかりの拍手と歓声に称えられる役者達を眺めながら、ボクも彼等に拍手を送るのだった――




