第41話 需要と供給
――転生百三日目、午後三時、ライトダンジョン第一層、妖精の研究所、ロビー。
ロビーの窓から人工的な光が差し込む。
無属性の魔法で照らされた地下世界は忙しない。
しかし自然と魔法、そして科学が調和する異界の様は風光明媚。
ティラミス風テーブルの上で転がる白衣の妖精さんもまた、広義で見れば自然の一部。その和やかな光景に当てられたのか、ルイス少年もまた、子犬の妖精をテーブルの上に放流した。
「なんか増えたのだー」
「われらを、捕まえるのだっ」
子犬らしく狩猟本能が疼いたのか、転がる白衣の妖精さんを捕まえて、ご主人様の元まで連れて行きたい様子である。
――そんな和やかな様子を眺めつつ、グレイ・フィルターからルイス少年の詳細について説明を受ける。
「彼はアヴァロン王国で最も妖精に精通した無の探究者です。彼が執筆した妖精の生態系についての学術論文、そして無属性魔法についての学術論文はアカデミーから高い評価を得ています」
素直な賞賛を受けて、ルイス少年は照れくさそうに含羞んだ。
しかしその後、彼は表情を暗くしてバツが悪そうに補足を加えた。
「正直な話、無の探究者の数はとても少ないんです。なので、平民の僕が王立魔法学院やアカデミーに入れたのも、論文が高く評価されたのも、その希少性を買われた為かと……」
権威主義のこの国で、平民階級の人間が正当に評価される事は殆どない。
その為彼は世間から過小評価されているのだろう。
(しかしだからこそ、彼の優秀さがよく分かる)
世間から過小評価されて尚、ルイス少年は魔法学院とアカデミーに招かれた。
才能が本物であるからこそ、学院とアカデミーは彼を無視できなかったのだ。
(齢十七にしてその才覚……間違いなく、生まれながらの天才だな)
そんな天才が無属性魔法に興味を持ち、理解しようと努めている。
便利な魔法が溢れる世界で無属性魔法を理解しようと思う者は少ないだろう。
それ故に、彼のような希少な人材をボクは必要としている。
――その考えをルイス少年に向けて素直に伝えた。
「例えそうだったとしても、貴方の論文はアカデミーに認められている。なら、ルイスさんが私の求める人材である事実に、疑いの余地はありませんよ」
「あ、ありがとうございます……! キャロル様みたいな凄い方に認めて頂けると、嬉しくなって照れちゃいますね!」
顔を赤くしてソワソワする彼の姿は、風に揺れる花のように微笑ましい。
そのやり取りを確認して、グレイ・フィルターから問い掛けられた。
「それでは、彼で決まりという事でよろしいですか?」
「ええ、勿論。ヴィター家が支援するに適した人物です。とても助かりました」
「貴女のお力に成れたのなら幸いです」
お互いビジネススマイルで握手を交わして契約成立。
(さて、ルイス君には無属性の魔法……そして魂の転化に必要な研究をこれから頑張って貰わないとな)
ボクは学生の身である為、研究だけに時間を割いていられない。
なので代わりに研究してくれる優秀な人材を求めていた。
これからはルイス少年にここの研究室で研究を任せつつ、時間のある時に様子を見に来る形になるだろう。その為の研究費や彼の生活資金はヴィター家から提供する事になっている。
(オリバー卿の許可は既に得ているし、順調に進んでくれれば御の字だな)
無事に纏まった商談を祝うように、ルイス少年にも片手を差し出す。
「これからよろしくお願いします。貴方には期待していますよ」
「は、はいっ! こちらこそ、よろしくお願いします!」
今度こそボクの手をルイス少年は両手で握った。
という訳で、ルイス少年には新しい職場を見て貰おう。
ベイルロンドにある妖精の研究所が彼の新しい職場になる。
その事について妖精達とは既に交渉し、了承は得ている。
(研究所を自由に使わせて貰う代わりに、要求されたのが好きなスイーツ一年分という辺りが妖精さんらしいなって)
――そんな事を回想していると、グレイ・フィルターはルイス少年に研究所内を見学して回るように促した。
「アントワープ君はベイルロンドの研究所に来るのは初めてだったね? 丁度良い機会だ。好きな場所を見て回ると良い。妖精が居れば道に迷う事は無いはずだよ」
「良いんですか!? ありがとうございます!」
彼は快く答え、未だテーブルの上を転がる白衣の妖精さんを持ち上げた。
「無念だー」
捕まって潔く観念しだした白衣の妖精さんを見つめて、彼は問う。
「最初は実験室の中を見学したいな。しろさん付いて来てくれる?」
「うむっ。よかろー」
「主さんっ、われも連れてってねっ!」
彼と妖精達の会話を聞く限り、彼は妖精達の事を"しろさん"という愛称で呼んでいるようだ。そして妖精達は彼の事を"主さん"と呼んでいる様子。
彼は、両手と尻尾をふりふりしている可愛らしい子犬の妖精さんを頭に乗せ、何となく得意げな様子の白衣の妖精さんを抱きかかえた。それからボク達に向けて一時の別れを告げる。
「それでは、今日の所はこれで失礼させて頂きます」
「分かりました。楽しんで来て下さい。気を付けて」
「はい。これから、キャロル様の期待に応えられるように誠心誠意頑張ります!」
やる気に溢れるルイス少年は、居ても立っても居られない様子で足早に駆けだした。どうやらベイルロンドにある妖精の研究所に彼は心奪われた様子。
(天才ならば尚の事、好奇心には勝てないか)
ルイス・アントワープという少年の年齢はまだ十七歳。その歳で王国のアカデミーに所属している事実を見れば、明らかに彼は"生まれながらの天才"だろう。
――グレイ・フィルターは、そんな規格外の天才について所感を述べる。
「彼は王立魔法学院に特待生として入学し、そこをたった一年で卒業しています。それから学院の推薦でアカデミーに入り、現在に至るまで王都にある妖精の研究所で研究者をしていました」
平民が学院に入れた事もそうだが、アカデミーに推薦された事も驚きである。
階級制度が厳しい現状の王国で、これ程までに認められる平民などまず居ない。
階級という壁があって尚、無下には出来ない可能性が彼にはあるのだ。
「キャロル様が妖精に詳しい無の探究者を探していると伝えたところ、ベイルロンド行きを快く承諾してくれましたよ。……やはり、英雄の名は通りが良いですね」
印象操作で得た信用に後ろめたさはある。
しかしこういう時の為に手に入れた称号だ。
今更躊躇う道理も無い。
だが一つだけ、どうしても確認せねば成らない事がある。
それを問う為に、ボクはグレイ・フィルターへ報告を促した。
「今回の計画で負傷した冒険者達、それから戦死した冒険者の遺族への補償は終わりましたか?」
「はい。それは滞り無く。本人ないしその遺族に対して協力の報奨金、加えて再就職先を斡旋するという形で補償致しました」
あの計画で犠牲になった冒険者達や騎士達への補償。
騎士達に対する補償は、オリバー卿を通じてヴィター家から行われる。
無論、この程度で許される罪では無い。
(ボクはいずれこの報いを受ける。……しかし今はまだ、やらねば成らない事がある。その為にはまだ裁きを受け入れる訳には行かない)
これは私利私欲に走る自分勝手な悪人の論理だ。
非道だと分かっていても、それでも叶えたい悲願がある。
故に、今のボクに出来る償いはここまでだ。
(悲願は必ず成就させる。だからこそ、その為の障害は誰であろうと排除する)
――ボクは窓の外を眺めながら、脚を組み替えてソファーの肘掛けに身体を預け、頬杖を付いた。
そして彼に問うのは、とある名探偵の動向について。
一学年の前には三学年がダンジョン講習に来ている。アザレア会長は三学年のファーストクラスなので、アナザーゲストに接触するなら絶好の機会だろう。
「スターライト辺境伯の息女、レディ・アザレアは接触してきましたか?」
「ええ。貴女が予想した通り、私を探りに来ましたよ。前もって報せて頂き、ありがとうございました。お陰でボロを出さずに済みましたよ」
「それは何より」
やはり予感は的中していた様子。アザレア会長との邂逅の後、ビヴァリーさん経由でグレイ・フィルターに一報を入れて置いて正解だった。
(しかしアザレア会長は頭が良い。必ずどこか、小さな綻びを見つけて来る)
名探偵を前に油断は出来ない。
事が成るまで、彼女には警戒が必要だ。
次に問うのは冒険者組合の近況と、次なる計画の進捗状況について。
「アナザーゲストの調子はどうですか?」
「お陰様でかつてない程好調ですよ。ベイルロンドに関して言えば、冒険者が仕事にあぶれる事は無くなりました」
「それは重畳。次の計画を思えば、冒険者達に活気がなければ困りますからね」
次なる計画、ロミオとジュリエットでは"話題性と興行収入"が必要となる。
その支えとなるのが、生活に潤いを得た冒険者達だ。
大衆を味方に付けるには、娯楽産業を利用するのが最も効果的。
知名度と言う影響力を手中に収めれば、大衆は高みにいる政治家の言葉より、身近にいる有名人の言葉に耳を傾ける。成功者の言葉は、時に権力者の言葉より深く大衆に響くのだ。
顎に手を当てて思案する彼は、現在の好調に口元を綻ばせる。
「冒険者の懐が潤えば、娯楽に流れるお金が増えますからね。色街は勿論、ベイルロンドの劇場にも足を運ぶ冒険者の数は飛躍的に増えましたよ。この分なら、ロミオとジュリエットの戯曲が王都で話題に成るのも時間の問題でしょう」
そうなれば王都にある劇場、"オペラロード"での公演を狙える。
オペラロードは王都に住む貴族達にとって娯楽の中心。
そこでの公演を成功させれば、確実に影響力を持てるだろう。
(そして、その為には越えねば成らない壁がもう一つある)
――それは主演となるルーサー卿の父、エドワード・R・バルトフェルド侯爵の理解を得る事。
この計画は貴族達の中で影響力を持つ者を味方に付ける必要がある。
これは対立では無く懐柔、つまり貴族達の反感を買っては意味が無い。
飽くまで、貴族達を味方に付ける事に意味がある。
(最低でも、バルトフェルド家を此方側に引き込まなければ、この次の計画に支障が出てしまう)
だからこそ、まずルーサー卿を此方側に引き込んだのだ。
彼の愛が強ければ強い程、この計画の成功率が上がる。
そしてその為の布石は来週末に芽吹くだろう。
来週末、ベイルロンドの劇場でルーサー卿とレイナさんが初めての舞台に立つ。
事が成れば、バルトフェルド家はヴィター家に接触せざるを得なくなる。
(バルトフェルド侯爵を誘い出せれば、後はオリバー卿の領分だ)
この計画にはオリバー卿の協力も得ている。
というよりオリバー卿の協力が無ければこの計画は完遂しない。
オリバー卿にこの計画を話した時、彼はとても乗り気だった。
むしろ『バルトフェルドの狸親父に雪辱を晴らす好い機会だ』と笑っていた。
彼とバルトフェルド侯爵の間には、色々と因縁があるらしい。
――窓の外を眺めながら、誰にともなく呟く。
「さて、名探偵は次にどう出て来るか」
その言葉に、グレイ・フィルターは意図を察して得心する。
我々の次なる相手は彼女なのだ、と。
そんな画策に身を浸しながら、お菓子が渦巻くユニークな空間で、ビジネス共犯者と共に悪巧みに時間を費やすのだった――




