第40話 未来への布石
――転生百三日目、午後二時、ライトダンジョン第一層、妖精の研究所。
騎士学園のファーストクラスは一月に一度、ダンジョンで二週間の校外学習をする決まりになっている。一学年から三学年まで順番に、入れ替わりでダンジョン講習を受ける決まりだ。
一学年のクラスが初めてダンジョン講習を受けてから三十日後。
丁度、三学年のダンジョン講習が二日前に終わった所。
その為一学年のファーストクラスは、再びライトダンジョンにやって来た。
――そして今ボクはベイルロンドのとある研究施設に居る。
本来ならボクはクラスメイト達と共に第二層に降りている時間。
しかしキャロルを取り戻すと決めた今、先に優先するべき課題がある。
それはボクの魂をキャロルの魂に転化させる方法を探す事。
加えて魔法を行使した際に、魂に悪影響が出ないかを調べねば成らない。
その為前回の講習でオリバー卿と話し合った後、ボクはこの研究施設……"妖精の研究所"へと足を運び、妖精達に助力を願った。
その結果、妖精達もボクの魂の変容に興味があるらしく、秘密を守るという約束で快く協力を引き受けてくれた。
(お陰で魔法を使用しても魂に悪影響は無いと分かったけど……)
――研究室のイスに腰掛け、一息ついて周りを見渡す。
妖精達から借りた程よい広さの研究室。そこは妖精の宿屋と同様、お菓子やスイーツをモチーフとしたデザインで出来ていた。
おまけに研究室のみならず、研究所自体が巨大なスイーツの形をしている。妖精の作る建造物は全て、内外共にお菓子かスイーツの見た目をしていると言っても過言では無い。
(そろそろ整理整頓しないとな)
床に視線をやれば、本棚に入りきらない研究資料と本が所狭しと詰み上がる。
壁一面を占拠した黒板に記されたのは、魔法のような科学の論理。
机に詰み上がる資料に目をやれば、そこには膨大な種類の魔法陣。
(ボクにも妖精さん達のように、高度な科学を自由に扱えたらなぁ……)
ある程度、妖精達から"無属性の魔法"の使い方や仕組みを教わっているのだが、これがどうにも儘ならない。
何分、妖精達に最適化された無属性の魔法という名の科学技術は、元地球人であったとしても理解が追い付かないレベルの謎に包まれている。
妖精達も殆ど感覚で無属性の魔法を理解し、使用している様子。
人間にはその理論を理解する事は勿論、感覚を掴むだけでも一苦労だ。
(でも、この先に希望はある)
妖精達と共同研究を始めてまだ一週間程度。
期間こそ短いが、今では確かな手応えを感じている。
間違いなく、この先に魂を転化させるヒントがあるはずだ。
――両腕を組んで顎に手をやり、思案に耽る。
(キャロルはなぜあの時、自分の魂をボクの魂に転化できたのか……もしかして、深層意識の中に答えがあるのか……?)
キャロルが今まで付けていた日記、そして部屋の中にある書物に答えは無かった。という事は、キャロルは意識を深層の奥深くまで落とした事で、その方法を見つけた可能性が高い。
(そうなると、ボクの意識を一度深層まで落とす必要があるな)
しかしだからと言って眠剤を大量に飲む訳には行かない。
もしそれで命を落としてしまえば元も子もない。
(確実に意識を表層に戻せる方法を見つけないと)
加えて脳や身体に掛かる負荷を可能な限り抑えたい。
深層から戻って来た時、脳や身体に異常が出てしまっては困る。
それらを信用できる手段で解決するには、やはり妖精達の持つ無属性の魔法を理解する必要があると考えた時――研究室のドアが開いた。
「ますたー! お客さんが、来たのだっ」
ドアの方に振り向けば、そこには白衣を着た妖精さんの姿があった。
少しだけ開いたドアの隙間から、半身を覗かせる姿が可愛らしい。
近付いて妖精さんを拾い上げ、愛らしい来訪者へ冗談交じりに問い掛ける。
「君がお客さんかな?」
「われでは、無いのだっ。うぬらさんの、お客さんなのでっ」
翻訳すると、ボク当てに人間の来訪者が訪れたとの事。
今日ここで会う約束をしているのは二人しかいない。
という訳で白衣の妖精さんを胸の前で抱きかかえた。
「知らせに来てくれて嬉しいよ。それじゃ、一緒にロビーまで行こうか」
「うむっ! よかろー」
本当は妖精さんを連れて行く必要は無いのだが、相変わらず触り心地が良く、抱き心地もとても良いので手放したく無くなった。
(妖精さんを触ってると、日々のストレスが癒されるな……)
触り心地の良いものと触れ合う。自分にとってそれが一番のストレス解消だと実感しながら、妖精さんと二人で来訪者の待つロビーまで向かうのだった――
▼ ▼ ▼
――午後三時、ライトダンジョン第一層、妖精の研究所、ロビー。
ロビーに顔を出すと、既に待ち人が二人、ソファーに座って待っていた。
一人はグレイ・フィルター。そしてもう一人は初めて見る相手。
恐らくその人物が、ボクがグレイ・フィルターに要望した人材なのだろう。
――ボクの接近に気が付いた二人が立ち上がる。そしてグレイ・フィルターは気さくな感じで、ボクに片手を差し出して来た。
「ごきげんよう、レディ・キャロル。お元気そうで安心しました」
「ごきげんよう、グレイさん。そちらもお元気そうで何よりです」
軽く握手と挨拶を交わし、彼は自分の隣に立つ人物に視線を移した。
釣られてそちらに視線を向ければ、そこには不安げに佇む少女の姿。
セミロングに金色の髪色。瞳の色は透き通る程のスカイブルー。
美形な容姿を備え、小柄で優しそうな雰囲気を纏う可憐な美少女。
彼女は不安を隠すように、華奢な身体に妖精さんを抱えていた。
彼女の胸元で抱えられている、犬耳と尻尾を生やした妖精さん。
彼女とは対照的に、当の妖精さんはとても勝気な表情で安心しきっている。
どうやら彼女にとても懐いているようだ。
(彼女も妖精さんが好きなのかな?)
――何て内心、同好の士を歓迎していると、彼女を紹介するグレイ・フィルターから衝撃の事実を突き付けられた。
「彼は"ルイス・アントワープ"と言います。キャロル様からご要望頂いた条件に当てはまる、優秀な研究者ですよ」
「…………え?」
今グレイ・フィルターは、彼女の事を"彼"と述べた。
一瞬、聞き間違いかと彼等の様子を窺うも変化無し。
思わず間の抜けた声を発してしまった。
(どうみても少女にしか見えないけど、少年なのか……)
妖精さんで隠れているが、確かに言われて見れば胸部に膨らみが無い。
そんなボクの困惑には気が付かず、美少女みたいな少年は自己紹介を始めた。
「は、初めましてっ! ご紹介に預かりましたルイスです! 歳は十七で、王立魔法学院は飛び級で卒業しました! 現在は王立魔法研究所に所属しています! こうしてキャロル様にお会いできてとても光栄です……!」
まるで騎士のように直立不動で挨拶する少年は初々しい。
取り合えず気を取り直し、少年に片手を差し出す。
「初めましてルイスさん。そんなに緊張されなくても大丈夫ですよ」
「お、お気遣い頂きありがとうございます!」
ボクの差し出した手に、少年は慌てた様子で両手を差し出す。
しかし慌てた所為か、その手には妖精さんを持ったまま。
結果的に差し出される形となってしまった子犬の妖精さん。その表情は勝気なまま、とても不思議そうに頭上から『?』マークを出していた。とても可愛らしくて微笑ましい。
「あっ……」
とは言え己の失態に気が付いた少年は青ざめる。
此方としては場を和ませるには丁度好いので、そのまま妖精さんと握手した。
「妖精さんも、よろしくね?」
「うむっ! ますたーも、よろしくねっ!」
それを見ていたグレイ・フィルターは朗らかに笑う。
対照的に、ルイス少年は妖精を差し出したまま急いで頭を下げる。
そんな慌てた様子が何だか可笑しい。思わず顔が綻んでしまった。
「ご、ごめんなさい!」
「構いませんよ。さぁ、続きは座って話しましょうか」
恥ずかしそうに妖精さんを抱え直すルイス少年と、その一連の流れを楽しそうに眺めていたグレイ・フィルターを、マシュマロみたいなソファーへ座らせる。
加えてボクの腕の中で退屈そうに両手両足をふりふりさせていた白衣の妖精さんを、ソファー前のテーブルの上に放流した。
「われは、自由に、なったのだっ……!」
そう言うや否や、白衣の妖精さんはティラミスみたいなテーブルの上を何となく転がりまわる。それを見ていた子犬の妖精さんも、一緒に転がりたそうに眺めている姿が何とも可愛らしかった。
(グレイさんの言う通り、ルイス少年が要望通りの人材なら、無属性の魔法への理解が深まるのは間違いない)
ボクがアナザーゲストに要望した人材とは、無属性魔法に詳しい研究者の事。
この世界では無属性魔法を研究する者達を"無の探究者"と呼んでいるらしい。
(無の探究者の中でも特に優秀な人材……それが彼だ。彼の協力を得られれば、魂の転化……そして【プロメテウス】の更なる進化が期待できる)
二人の対面に腰を下ろし、いつもの姿勢で応対しながら、新たな研究への第一歩を踏み出す為に彼等と言葉を交えるのだった――




