第4話 無い者は偽れない
――転生八日目、午前九時、ヴィター侯爵邸、玄関ロビー。
豪邸らしく、玄関の正面を陣取る巨大な階段。
階段が二つに分かれる踊り場に、掛けられているのは肖像画。
壁一面を占拠するその肖像が魅せるのは、侯爵家の家主の姿。
(キャロルの父、"レオナルド・L・ヴィター"。……いつ見ても、貴族っていうより武人って感じの風貌だな)
未だ肖像画でしか会えない父親を、両手を後ろに組んで見上げる。
厳格そうな雰囲気を纏わせるその人物。
彼は今、ダンジョン内にある"前線基地"に居るのだろう。
――この世界のダンジョンにはモンスターの他に"魔族"と"妖精"がいる。
モンスターは殆ど野生生物と変わらないが、魔族は人間と変わらない知性を持つという。そして魔族は人間を憎悪し、人間と敵対している。
妖精はというと、他種族に対し融和的な姿勢を貫いている温厚な種族であり、争いを好まないという。
つまりダンジョンの中では魔族と人間の戦争が起きている。
ダンジョンの管理を任された侯爵家は前線基地で指揮を執り、魔族と戦わねば成らない責務を負う。その為キャロルの父、レオナルド卿は前線基地から殆ど離れる事が出来ないのだ。
とは言え、全く帰って来れない訳では無い。
今日の午後、件の入学試験が控えている。その試験結果が出る頃には父が帰ってくる予定だと、執事である"アルバート"さんから聞かされた。
……正直に言ってボクとしては余り対面したいとは思えない。
(現時点での印象だと、話が通じるかは微妙だな)
HSPにとって感情的なタイプは天敵と言っても過言じゃ無い。
しかも自分は内向的なタイプのHSPなので感情論とは相性が悪い。
内気なコミュ障に感情的な人の相手は務まらないのだ。
(キャロルには悪いけど、会話に成らない場合は諦めよう)
取り合って貰えない場合、結果を出す事でしか認めて貰えないだろう。
その時は一旦父の事はおいて置き、認めて貰う手段を模索する他無い。
――等と、レオナルド卿の事に付いて物思いに耽っていると、階下から人が集まる物音が聞こえて来た。
視線を送ると、玄関脇に数十人のメイドさん達が整列している光景が見える。
そしてアルバートさんから声を掛けられた。
「お嬢様。もうじきオリバー様がお見えになられます」
「分かりました」
今日は午前に兄であるオリバー卿と面会。
そして試験が終わった夕方頃に、再び兄と会い、会食する予定だ。
(オリバー卿との初接触。しかしボクの中に眠るキャロルは動かない。そうなると知らないものは偽れないので、ボクのままで応対する他ないな)
家族を前にキャロルを騙ったとしても無駄だろう。
そもそもコミュ障にそんな器用な真似ができるなら苦労はしない。
悩ましいところだが、こればかりはどうにもならない。
(素の自分で応対しよう。……バレて最悪の事態になったとしたら、その時は逃げるだけだ)
逃亡先に当ては無いけれど。
一応、逃走の準備だけはしておいた。
無駄になる事を切に願う。
――静寂に包まれたロビー。外から馬車の音が聞こえ、そして止まった。
複数人の足音と共に、解放された玄関扉。
「お帰りなさいませ、オリバー様」
「「「お帰りなさいませ」」」
執事であるアルバートさんが先頭で出迎え、それにメイドさん達も続く。
ボクは身体を絵画に向けているので、兄の姿はまだ見てない。
――ボクの背中から聞こえて来たのは、青年男性の凛々しい声色。
「出迎えご苦労。……キャロル。今帰った」
呼ばれた以上は対面せざるを得ない。
不安要素を目前にしてストレスが圧し掛かる。
しかし彼女の為に家族仲を取り戻すと誓ったのだ。
覚悟を決めよう。
――後ろでに両手を組んだまま振り返り、階下に居る兄と相対する。
高身長で黒髪の整った顔立ち。
瞳の色はキャロルと同じ、透き通った真紅の瞳。
スリムながらも、引き締まった体つきが武人としての矜持を思わせる。
彼の傍らには一人、秘書と思しき女性の姿も見えた。
恐らくオリバー卿の付き人兼、補佐役なのだろう。
取り合えず秘書さんはスルーして、対面した兄に挨拶を返した。
「お帰りなさい。オリバー兄様」
「ほう……?」
兄の呼び方はこれで良かったはず。日記にはそう書かれていた。
最も、口頭では何と呼んでいたか分からないので適当である。
そしてどうやら、オリバー卿は言葉では無くボクの態度に意表を突かれた様子。
彼の演技がかった声と態度が、ボクに向けられた。
「暫く見ない間に随分と、様変わりしたようだ」
「お気に召しませんでしたか?」
「いいや? 悪くない。怯えた子羊のような姿よりは、今の方が幾分……否、遥かにマシだ」
ボクを見上げるオリバー卿は、威風を感じさせる仕草で反応する。
階段を昇りボクの元まで歩み寄る、彼の姿から溢れ出るのは威圧感。
キャロルは兄に対し劣等感を感じていて、その上で大人しい性格であったのだろう。それを想えば、兄に対して怯えるキャロルの姿は想像に難くない。
「気に入って頂けたようで安心しました」
――それはボクの本心から出た言葉。
対して彼は笑顔のまま片眉をつり上げ、冗談めかして嘲るように言う。
「最も、それは今日の試験を通過できれば、の話だがな? 態度は好ましくとも実力が伴わないのであれば意味が無い。有象無象の上に立つのが、家名だけが取り柄の無能では困る」
随分と棘のあるもの言いだ。とは言えオリバー卿の言い分にも一理ある。
確かに、上に立つものが無能では組織が困るだろう。
しかし有能だからと言って必ずしも上手く行く訳では無い。
有能が無能を従えるには無能を理解する必要がある。
理解も無く人を使えば、その先に待つのは破綻だ。
……だが、それを彼に言っても無駄だろう。
妹を怯えさせる兄にそれが理解できるとは思えない。
オリバー卿からの嘲りに、ボクは視線を逸らさず答えを返す。
「ご心配には及びません。試験なら必ず通過します」
それに続けて、至近距離でボクを見下ろし、挑発的な笑顔で語りかけてくるオリバー卿に対して宣言する。
「私が無能では無いという証明を、貴方にして見せましょう」
ボクの宣言に面食らったのか、僅かに彼は驚きの表情を見せた。
それから彼は己の目頭を片手で抑え、己の感情を抑え込もうとする。
しかし抑えきれなかったのか、彼は高らかに笑い声を上げた。
「ククク……ハハハハッ!! そうかッ! お前がそこまで言い切るのなら、期待して待つとしよう!」
演技がかった仕草で彼は高価な上着を翻してボクに背を向け、歩き去ろうとする――だがその前に、オリバー卿は此方に振り返り、優し気な笑顔を垣間見せてボクに言う。
「キャロル。次も家族として相まみえよう」
そう言い残すと彼は秘書を連れ、今度こそ颯爽と歩き去って行った。
……何というか、とても押しが強そうな人である。
(もしかして今のは彼なりの優しさなのか? 難解過ぎる……)
この妹にしてこの兄あり、とでも言えば良いのだろうか。
(次も家族として、か)
ヴィター侯爵家の掟では、男子は試験に落ちれば勘当され追放、女子は政略結婚の道具として他家に嫁がされる。つまり、次もオリバー卿と家族として会うには試験に合格する以外ない。
(やれる事はやった。後は己の記憶力と天運に身を任せるのみ)
何とかオリバー卿との邂逅をやり過ごし、午後の試験に想いを馳せるのだった――