第30話 悪役令嬢マーシフル
――転生六十四日目、午後四時、ライトダンジョン第一層、妖精の宿屋、パーティーホール。
ビヴァリーさんが退出してから約二時間。
兄への手紙をしたためながらその時を待つ。
静かに時計の針に耳を澄ませ、物思いに耽る今。
静けさの中で異変を感じ取ったのか、窓辺から鳥達が飛び立った。
視線を外に向ければ、そこには群れを成して飛び立つ鳥の大群。
街に巣食った鳥達の群れは、ダンジョンの出口に向かって一斉に飛び去った。
――それから数瞬、突如として街中に崩落音が轟き鳴り響く。
恐らくそれは、ダンジョンの第二層へ続く出入口が崩落した音。
そうなる原因は一つだけ。モンスターの大群が襲撃して来たからだ。
(……抑えきれない量だと察して封鎖に踏み切ったか)
第二層の出入口が崩落したのは、モンスターの大群を抑える為に、騎士団が意図的に第二層への出入口を崩落させた為だろう。そこさえ閉じてしまえばモンスターは街に侵入出来なくなる。
騒がしくなる外に意識を払えば、僅かに聞こえて来る戦闘音。
崩落した瓦礫の向こう側で、騎士団とモンスターが戦っているのだろう。
それらの音で推測が確信に変わり、予定が順調であると把握する。
(封鎖に踏み切った騎士団の判断力は素晴らしいな)
このベイルロンドの防衛を任される、優秀な司令官による素晴らしい状況判断。
グレイ・フィルターから聞き及んでいたが、噂に違わず英傑である様子。
彼曰く、どれ程の量をぶつけても今の司令官なら一月は耐えられるという話。
(その有能さ、ありがたく使わせて貰いましょうか)
外から耳に届くのは、騒然とした戸惑いの声。
それらを制止し、市民を避難誘導している騎士達の声。
混沌として行く外周の中で、ここに迫る駆け足一つ。
恐らく待ち人の到着だろう。
――パーティーホールの扉を開けて入って来たのは、息を切らせたフロイト男爵の姿だった。
「良かった……まだここに居ましたか。さぁ、避難しましょう! 騎士団から避難命令が出ています!」
彼はボクに手を差し伸べる。
その姿は焦燥に駆られ、動揺を隠せていない。
このような事態など想定していなかったのだろう。
無論、そうでなければ困るのだが。
「避難はしません」
「冗談を言っている場合ですか!? 緊急事態です! 申し訳ありませんが、貴女の我儘を聞いていられる時間は――」
そう言って強引に手を掴もうとした彼の手は、ボクの一言で制止した。
「ご安心を。私にとって、これは想定通りの事態です」
ボクから放られた言葉に、彼の瞳は信じられないとばかりに見開いた。
荒唐無稽なボクの発言を一蹴しようと口を開いた彼は――固まる。
そしてその表情は、見る間に唖然と、険しく変わった。
「……キャロル様。四日前、貴女はどこで、何をされていたんですか……?」
震える声色と、険しさの中に映る恐怖と動揺。
敏い彼には見えたのだろう。
ボクの瞳に映る、野心的な執念の焔を。
「協力者に依頼していました。……私が英雄に成る為に、テロリズムのお願いを」
虚偽では無いと気付いたのだろう。
彼が数歩、力なく後退る。
「な、何て事を……! 貴女はっ……! 何をしたか分かっているのかっ!!」
「分からずにこんな事はしませんよ」
「正気じゃない……狂ってる……! この事は、オリバー卿に報告させて頂きます……!!」
「是非お願いします。私からも口添えしましょう」
気負いも無く、優雅に椅子から立ち上がるボクを見て、彼は狼狽える。
「そ、それはどういう意味で……」
「言葉通りです。証拠不十分ではオリバー卿は納得しないでしょう。ですから、私の口からその証拠を伝えさせて頂きます。……リード・J・フロイトという、共犯者が居たという証拠をね?」
彼が仕掛けた迷彩と盗聴の魔法カードを、懐から取り出して見せる。
無力化された二枚の魔法カードと、ボクの口から出た自分の名前。
それらを前にして、フロイト男爵は絶句する。
スパイ行為の動かぬ証拠を突き付きられればそうなるのも当然。
加えて彼にはボクの本当の共犯者が誰なのか分からない。
つまり自身の潔白をオリバー卿や騎士団に証明する手段が無いのだ。
となればオリバー卿の事だ。疑わしきは罰するだろう。
彼がオリバー卿にとって重要な手駒でないのならば尚の事。
「それは……脅迫ですか……?」
「それ以外に聞こえますか?」
微笑むボクに、彼の顔が絶望に染まる。
(盗聴や尾行は彼の本意では無かっただろうし、オリバー卿からの指示であるのも分かってる。……でも、ここは引けない)
事情が分かってしまう分、力なく両膝をつくフロイト男爵の姿に心が痛む。
見方を変えれば、彼もまたヴィター家の内輪揉めによる犠牲者でしかない。
(彼を翻意させられなければこの後に支障がでる。心苦しいが、割り切ろう)
可愛そうに思うが、ここまで来た以上此方も引き返せない。
後は彼をオリバー卿の手中から奪う為、最後の選択を推し迫る。
――魔法カードを仕舞い、絶望する彼に片手を差し伸べ悪魔の言葉で誑かす。
「私の手を取りなさい、リード・J・フロイト。私と来れば、このリスクに見合うリターンを提供しましょう。貴方に夢があるのなら、この踏み絵が貴方を更なる高見へ誘ってくれる」
惑わされ、憔悴に俯き揺れる彼の瞳。
呼吸は乱れ、頭を抱える姿に憐憫を禁じ得ない。
彼の乾いた喉から紡がれた言葉は、彼の背負う宿命か。
「私には、守らねば成らない人がいます……その為に……ヴィター家に取り入る為に、どんな理不尽な要求にだって応えて来たつもりです」
怯えながらも推し図るように、彼はボクを気丈に見上げて問い掛ける。
「レディ・キャロル……貴女は、オリバー卿を超えられますか?」
彼の悲壮な決意が心に伝う。
ここで言葉を濁せば彼は協力を拒むだろう。
騎士団に全てを打ち明け、罰を受け入れようとするのは想像に難くない。
(己の余生を牢獄で過ごす事になろうとも、大切な人を守るつもりか)
それを思えば彼を解放するべきだろう。
しかしボクにはそうできない。
――なぜならこの身は、悪役だから。
全てを救うヒーローには成り切れない。
この手で守れるのは一つだけ。
「オリバー卿は通過点です。私にとって、彼は一つの過程に過ぎません。先を見据えているからこそ、彼を超えられないはずがない」
「では、貴女の目指す場所はどこに……?」
「レオナルド・L・ヴィター。我が父の意思と主張を、翻意させる事」
レオナルド卿の名を聞き、彼が驚きに目を見開いた。
「鋼の意思と、鉄の心を持つと評されるヴィター侯爵を……ですか?」
彼の戸惑いに微笑みかけて、問い返す。
「ええ。鉄と鋼は、熱で形を変えるでしょう?」
彼の気持ちを落ち着けようと、軽く放った冗談に、彼は乾いた笑いで応えて見せた。その表情には、先程まであった鋭い感情が抜け落ちている。
「ははは……確かに、言われて見ればその通りですね……」
「気分が落ち着いたようで何より。それでは、私の申し出を受けて頂けますか? そろそろ腕も痛くなってくる頃合いでして」
差し伸ばし続けていた片手を見て、彼は慌てて立ち上がり、両手で握り返した。
「覚悟は決まりました。貴女に従います。……もっとも、こうなってしまった以上私に選択権など無いも同然ですが……」
「私も心苦しい思いですが、飽くまで自分の意思で"共犯者"になって頂く必要がありましたので。気持ちに区切りをつけ易かったでしょう?」
ボクの手を握る、彼の瞳に映る罪悪感。
それこそが"共犯者"に求める大事な要素だ。
「ははは……末恐ろしい方だ。とても十六の少女だとは思えませんよ……」
見た目はそうでも中身は違うのだから当然の事。
もっとも、時期に年相応の少女に戻る。
その時が来れば彼にも理解できるだろう。
――そして彼は頭を垂れて片手を胸に、片膝を付いて誠意と謝意を表明した。
「貴女を監視するように言われ、それを断れなかった事、心よりお詫びいたします。そして二度とこのような行為に手を染めないと固く誓います。私に償える事があれば、何なりとお申し付け下さい……」
という訳で、協力者となった彼に一つ要請を出す。
「では一つ、貴方にやって頂きたい事があります」
「私にできる事でしたら何なりと」
「この手紙を可能な限り早く、オリバー卿の元に届くよう手配して頂けますか?」
「手紙を……? まだ封がなされていないようですが……?」
「貴方にも手紙の内容を見せた方が話が早いと思いまして。確認後、封はそちらでして頂けると助かります」
「そうでしたか……畏まりました。では、失礼して――」
ボクからの手紙を確認した彼は、唸るように感嘆した。
「なるほど……これは、オリバー卿もそう動かざるを得ないでしょうね。……本当に、貴女はどこまで先を見据えておられるのやら……私では想像も付きませんよ」
「引き受けて頂けますか?」
「勿論です。信用できる伝手を頼れば、数刻後には確実に届くでしょう」
「それは何より」
――快く引き受けてくれたフロイト男爵は、まるで憑き物が落ちたような様子でボクに別れを告げ、足早に立ち去って行った。
(これで後顧の憂いは断てた。後は予定通りやり切るだけだ)
事の顛末を己の手で付ける為に。
戦場となる舞台へ足を踏み出す。
屋上では準備を終えた妖精達が、さぞ困惑している事だろう。
(妖精さん達は計画を知らないし、悪い事したな……出来得る限り、あの子達には責が及ばないように配慮しないと)
純粋な善意から協力してくれた妖精達へのお礼を用意しなければ。
無事に事が収まれば、街や国からそれ相応の評価と報奨が与えられるだろう。
それにオリバー卿へ無事に手紙が届けば、万が一の心配も無くせる。
(ボクからのお礼は何にしようか……スイーツ一年分食べ放題、とか?)
金銭よりも甘い物の方が妖精達は喜びそうだと想像しながら、ボクと妖精達の知性の結晶を受け取りに、屋上に出向いたのだった――




