第18話 悪役令嬢カタルシス
――転生五十七日目、午後四時、王立騎士学園、競技場。
此方側の誓約書の内容はオリバー卿が決めたもの。
なので彼の同意無しに此方側の誓約書の内容は変更できない。
しかし相手側の誓約書はルーサー卿が決めたもの。
なので本人の同意さえ取れれば決闘前に幾らでも変更できる。
自分に都合の良い内容が欲しいなら、相手の誓約書に追加してしまえば良い。
ボクが勝ちより負けに拘ったのはこの為だ。
――要望通り、ルーサー卿によって急遽変更された誓約書を確認し、立会人は最終通告を述べて来た。
「では両者共に、この内容で相違ありませんね?」
二枚の誓約書が示される。
ルーサー卿側の誓約書に確と記載された婚約破棄の文字。
彼が勝てば、彼の意思でキャロルとの婚約破棄が実現する。
(向こうの要求はボクとの婚約破棄と、レイナさんに悪意を向けない事。そして彼女を付き人に指名してルーサー卿の元に奉公に出す事……想定内で希望通りだな。異論無し、と)
両者共に答えは沈黙。
それが決闘における合意の証だ。
「それではこれより、決闘を開始します。両者準備を」
――立会人が離れると同時に空気が変わる。
ルーサー卿は腰のロングソードに手をかざす。
それから異質な魔力を感じ取る。
恐らくバルトフェルド家の宝剣だろう。
対するボクは特に姿勢を変える事無く相対する。
余裕を持って悠然と、敵意に溢れた彼の視線を受け止めた。
(決闘は実戦と同じだ。大事なキャロルの身体に傷が付かないように気を付けないと。治癒系の水魔法で大抵の怪我は直ぐに治せるけど、油断はできない)
立会人が立ち止まり、掲げた片手を振り下ろした――
「決闘、始めッ!!」
開始と同時に吹き荒れる風魔法。
純白の王子様が風に乗り、ボクの元まで一直線に飛翔する。
抜き放たれた宝剣は、鋭くボクの喉元まで差し迫った。
――しかしそれは届かない。
「ッ!?」
怪しく光るこの瞳。
それに彼の防衛本能が叫んだのか。
ルーサー卿は驚き目を見開いて、咄嗟に進路を変更した。
――刹那、縦横無人に屈折する光の線状。
それは彼の進行方向を阻む五本のレーザー。
さり気無く下ろした右手の指先から、放たれたのは五本の熱線。
放たれた熱線は空中を高速で逃げる王子様を追従する。
――彼に向けて両手を掲げ、不条理な理不尽へと囁き誘う。
「私と踊ろう。ルーサー卿」
両手の指から伸びる数多の熱線。
彼の行く手を阻むように展開されるそれは、光線の包囲網。
純白の王子様は苦悶の表情で熱の網をすり抜け、駆ける。
「クッ……何て数だッ……!!」
彼の卓越した風魔法による移動術はとてもレベルが高い。
だがこの物量を前にすれば、それは殆ど意味を成さない。
とは言え彼にも意地がある。彼はこの状況でも諦めず果敢に反撃を試みる。
――熱線を避け回る傍らに、ルーサー卿から贈られてくるのは鋭い突風。
風魔法による攻撃を、熱線を数本、正面から撃ち当てて消滅させる。
「私に勝ちたいのなら、人間らしく知恵を使いたまえ」
襲い来る突風には見向きもせず、堂々と構えて挑発する。
このまま行けば、増える熱線で彼の逃げ場は封殺される。
彼は徐々に追い詰められ、誘導されるように追いやられた。
「なっ……!?」
それに気付いた時にはもう遅い。
彼を取り囲むように、数多の熱線が折り重なって檻となる。
それは王子様を閉じ込めて顕現する、灼熱の牢獄。
熱を放つドーム状の包囲網は、彼の逃げ場を完全に断ち切った。
――純白の王子様は地面に宝剣を突き立てて、全力の魔力を込め、解き放つ。
「【吹き飛ばせ】ッッッ!! 【グリフォンストーム】——!!」
中級の風魔法を詠唱し、全方位に吹き荒れるのは嵐の突風。
それに対し、ボクは片手に魔力を集中させて、レーザーの砲撃をぶち当てる。
――吹き荒れた突風は、砲撃に寄ってかき消され、ボクの元には届かない。
「そんなっ……!?」
そして、灼熱の檻にも効果が無い。
幾ら熱の檻を解こうとも、此方は幾らでも熱線を追加できるのだ。
キャロルの持つ魔力量と、彼の持つ魔力量ではやはり隔たりがある。
――標的を閉じ込めた事を確認し、いつものように後ろ手に組んで歩き出す。
悪役らしく余裕を見せて、散歩でもするように鼻歌を奏でて彼に近付く。
純白の王子様は苦渋の表情で希望を探し、囲む檻を見渡していた。
彼を蝕む熱の檻。
その身体から吹き出すのは汗と焦り。
徐々に奪われる体力は、彼の絶望を際立てる。
(魔法の授業で見た限りだと……この辺、かな?)
――ボクが所定の位置で立ち止まった時、彼の表情が暗く沈み、俯いた。
どうやら打つ手なしと思い込み、諦めが来てしまった様子。
残念ながら、彼はボクの弱点を覚えていないらしい。
未熟な彼を正解へと導かねば成らないようだ。
「……困難に直面した時、人は叡智を用いて乗り越えて来た。思考を諦めた者に、困難は切り開けない」
ボクの言葉を受け取って、彼は僅かに顔を上げた。
何か引っかかる様子を見せた王子様に、正解へのヒントを贈る。
「解決への糸口は、いつも記憶の中に眠っているものだ。思考を諦めない者こそが、いかなる時も勝利への鍵を手に出来る。……例えそれが、どれほど絶望的な状況であったとしても、ね」
――記憶を探った彼の瞳に光が宿る。
正解を導いた彼の瞳に映るのはボクの足元。
そこには何も無い。……しかし彼にとっては意味がある。
なぜなら今ボクが居るこの位置は、丁度彼の魔法が届く限界地点なのだから。
――手繰り寄せるように彼が片手を引いた瞬間、この身体が宙に浮く。
宙に浮いた身体は一直線にルーサー卿の元まで接近する。
それは彼による風魔法。風を操りボクを浮かせて、自分の元まで引き寄せる。
(キャロルの特異体質、思い出せたみたいだな)
このまま行けばボクは灼熱の檻に接触する。
それではこの身が灼熱の光に焼かれてしまう。
――だから、己の魔法を消し去って檻を解いた。
その隙を見逃さず、彼はボクの懐に入り込む。
このまま負けても良いが、どうせなら悪役らしく悪あがきでもしてみよう。
最後の抵抗とばかりに、片腕を伸ばして抜き撃ちのような素早さでレーザー射撃をお見舞いすると、彼は難なくそれを躱してみせた。思った通り、彼の技術力はとても高い。
――そして片腕を伸ばしたボクの喉元に、宝剣の切っ先が付きつけられた。
「そこまでッ!! 勝負ありッ! 勝者、ルーサー・R・バルトフェルド――!!」
立会人の宣言により、決闘は幕を引く。
それと同時に客席から送られて来たのは拍手と歓声。
どうやら観客を魅せる戦いは出来たようだ。
「おめでとう。君の勝利だ。誓約は必ず果たそう」
ついでとばかりにルーサー卿に賛辞の言葉を贈ると、彼はふらついた様子で片膝を付き、宝剣を地面に突き立てて自身を支えた。
言葉を発する余裕もなさそうで、彼の呼吸は乱れている。
全身から噴き出した汗は予想以上に彼の体力を奪った様子。
(お疲れ様。後はゆっくり休むと良い)
慌ててタオルと水を持ってルーサー卿の元に駆け寄る付き人の姿を流し見ながら、ドレスを翻し、毅然と彼の元から歩み去るのだった――




