第17話 貴女へ贈る自由の為に
――転生五十七日目、午後四時、王立騎士学園、競技場。
いよいよ迎えた決闘日。
オリバー卿から提供された戦闘装束に身を包み、姿見の前に立つ。
そこにはゴシック風のミリタリードレスを身に纏うキャロルの姿。
両手にはめた黒い手袋は性能の良い軍用の物に新調され、戦闘装束に仕込まれた冷却の魔法カードも性能の高い軍用の物に変わっている。
(実戦を想定した装備だし、性能はかなり期待できるな。以前の倍以上、魔法の出力を上げても耐えられそうだ)
姿見の前で最終チェック。
戦闘用の衣装だが、可憐なキャロルに良く似合う。
(パーティードレスも素敵だったけど、ミリタリードレスも趣があって好みだな)
彼女が自我を取り戻したなら、こんな時どうするのだろう。
着飾った自分を見て、笑ったりするのだろうか。
想像しながら自然と零れる笑みを見つめて、彼女を想う。
残念ながらまだ、未来は暗く閉ざされている。
(その為に、ボクは自由を勝ち取ろう。キャロルが安心して過ごせるように……)
そんなボクの姿を眺めているのはローズマリー。
まだ付き人がいないボクの為に、彼女は自ら補佐役を買って出てくれた。
(日頃の感謝も込めて、彼女にお礼をしないと。何を喜んでくれるかな)
――内心感謝するボクへ、彼女は若干戸惑った様子で声を掛けて来た。
「本当に、それでよろしいのですか……? キャロル様がわざと負ける必要なんてどこにも……」
ローズマリーには決闘に負けるつもりだと伝えてある。
ルーサー卿側から提示された誓約内容は凡そ想定通りの物だった。
なので、あえて負けてそれを呑むつもりでいる。
勿論、その要求の中に此方の都合を混ぜさせて貰う。そこさえ上手く行けば、後は彼の株を上げるだけで良い。それでロミオとジュリエットは自由恋愛の象徴として、貴族社会に波紋を広げる存在になるだろう。
まだその思惑の全てを彼女に明かす事は出来ないが、これは意味のある事だと彼女に伝える。
「世の中の全ては等価交換で成り立っています。何かを得るなら、それ相応の物を差し出さなくては成りません。全てを都合良く手に入れようとすれば、その先に待つのは破滅でしょう」
主張を通す為に一時の雪辱を味わえというのなら、ボクは迷わず受け入れる。
キャロルには申し訳無いが、これも自由を得る為に必要な事。
一時の間だけ、どうか耐えて欲しい。
「キャロル様の仰られている事は分かります。しかし、勝って全てを手に入れる……それは本当に許されない事なのでしょうか?」
珍しく食い下がってくるローズマリー。
憧れに傷が付くのが怖いのだろう。
その気持ちは理解できる。
――だからこそ、怯える彼女を安心させる為にあえて詰め寄る。キャロルとしてでは無く、悪役であるボクとして。
その雰囲気の変化を感じ取ったのだろうか。
僅かに身体を強張らせるローズマリー。
落ち着かせるように、優しく彼女へ語り掛けた。
「勝つ為に、時には負ける事も必要だ。常勝無敗など有り得ない。負け方を知らない将に未来は無いよ。だからこそ、これは未来へ進むためのチップだ。勝つだけならいつでもできる。……私ならね」
息を呑み、揺れているのは彼女の瞳。
見つめたまま距離を詰め、彼女の綺麗な銀髪をそっと、肩の後ろへ追いやった。
そして悪魔のような甘さで、彼女に囁く。
「レディ・ローズマリー。君は私の"共犯者"だ」
可憐な花はハッとした様子で我に返る。
そして、騎士のようにボクへと忠誠を改めた。
「差し出がましい真似を致しました……どうかお許し下さい」
「構いませんよ。さぁ、行きましょうか」
「yes, your highness」
踵を返し、ローズマリーを伴って歩き出す。
"貴族たるもの品位を保ち、余裕を持って優雅たれ"。
教えに従い飽くまで優雅に、闘技の舞台へと足を踏み入れた。
▼ ▼ ▼
――転生五十七日目、午後四時、王立騎士学園、競技場。
円形の競技スペース。その二階にあるのは周辺を囲む観客席。
客席はほぼ満席状態。観戦者の殆どが貴族階級の生徒達。
見られているが、不思議と緊張は感じない。
(客席からは距離があるし、勝つ必要が無いからむしろ気楽だな)
意外とストレスフリーな環境で助かった。
衆目に晒されては居るものの、気を張る必要が無いだけで大分マシだ。
ローズマリーは補佐役なので、出入口付近で待機している。
競技場内にルーサー卿の姿は無い。まだ来ていないのだろう。
(今更急いても仕方がないし、大人しく待ちますか)
――中央付近で立ち止まり、顎を上げ、両手を後ろで組んで佇む。
瞳を閉じれば、そこにあるのは厳かな静寂。
これだけの人が居て尚、静寂さを保てる環境に心が安らぐ。
集まっているのが貴族達とあってみな規律良く、とても秩序立っていた。
(……意外と悪くないな。非日常的な状況なのに、なぜか心が落ち着く)
環境音に己の耳を澄ませれば、自然と零れる心地良さ。
――澄ませた耳に届く足音。どうやらルーサー卿が入場してきたようだ。
「随分と余裕そうじゃないか? 羨ましいな」
ボクの前で立ち止まったルーサー卿から贈られる、皮肉の羨望。
瞳を開けて睥睨すれば、そこには凛々しい顔付きの美少年。
白馬の王子様の印象違わず、純白の装備に身を包んだ彼の姿がそこにあった。
「この戦いで、私には失うものが無いからね。君と違って」
「……当て付けのつもりか?」
「まさか。それよりも、私が受ける誓約に一つ条件を追加したい」
「なに……? 僕では無く、君が受ける誓約に……?」
彼は訝しむようにボクを見やる。その反応も当然だろう。
自分から更に不利になるような条件の追加など、普通なら考えられない。
しかしそれが此方の狙いだ。
「私が負けた場合、レイナ・マスカットを私の付き人として雇いたい」
「はぁ!? 何をバカな……」
「このままでは君は彼女を守り切れない。それは分かっているだろう?」
「……彼女は僕が守る。この決闘はその為のものだ」
彼の決意は本物だ。
だからこそ、尚更都合が良い。
「素晴らしい志だと認めよう。しかし考えて見たまえ。彼女をヴィター家の庇護下に置ければ、この学園で彼女に手を出せる者は一人もいなくなる。……それが彼女に取って最良の選択だと思わないか?」
ボクの問いに彼は逡巡し、首を横に振って応えた。
「例えそうだとしても、レディ・キャロル……貴女を信用できない」
確かに、その言い分は尤もだ。
だがその程度の問題は既に算段が付いている。
彼を揺さぶる為に、もう一歩踏み込んで提示する。
「なら、彼女が私の付き人となった暁には、ルーサー卿……君の元に奉公として出そう。彼女は両家の友好の証として、その存在を許される」
「――!? いや、待て……そんな事をして、君に何の得が」
彼の意思に隙が生まれた。
ここまで来れば、後はもう落ちたも同然だろう。
「私の兄、オリバー卿は両家の友好を願っている。このような事態に陥ってしまった以上、私にはそれを修復する義務がある。これは万が一の事を考えての保険だよ。約束は必ず守る。……協力して貰えないだろうか?」
ボクの説得に、彼はようやく首を縦に振った。
「……分かった。その要求を呑もう。ただし、彼女を傷つけるような真似をしたら、この話は全て白紙だ」
「ああ、それで良い。交渉は成立だな」
上手く話しは纏まった。
後は八百長を疑われ無いように負ければ良い。
正直に言って演技には自信が無いが……まぁ、成るようになるだろう。
考えて見れば、生前ボクは嫌われ者だった。
なら下手に偽らず素を出せば、それがそのまま悪役として映る。
(まさか悩みの種が利点になる日が来るなんて……夢にも思わなかったな)
不思議な奇縁に苦笑しながら、立会人となった学園の講師が誓約書を持って近付いてくるのを待つのだった――




