最初から全てなかったと前提
例えソフィアの奴が過去に兵役から逃れようと、臆病者などと俺なんかが否定することは出来なかった。
何故なら、こいつは俺よりもずっと強いから。
こいつは1度は逃げてしまったけれど、結局はマナや自身が仕える主のためだけに、覚悟を決めては全力で俺と向かい合っている。
その覚悟と立ち振る舞いは俺の利己的な我侭よりもずっと勇敢で、美しい。
「抗え、そして見せてみろッ! お前自身の覚悟をッ!」
―—覚悟? 俺は一瞬、こいつの言葉を理解出来なかった。
覚悟とは一体なんなのだろうか。
今、この必殺の断罪へと抵抗することが覚悟と言うのか。それとも『原初の厄災』を斃すと、勝つと吼えることがか。
しかし今、どんな意志を覚悟としてもそれは建前でしかない。なにより俺に戦う理由も今は無いのだ。
マナがいない世界なら、俺はいらない。
死にたくないと今まで散々泣き喚き抗った結果、全ての不幸の元凶は俺だった。
真実を知った俺は、もうこの舞台から降りるべき存在なのであって、俺は主役にすらなれない。
挙句、ここまで胸を打つ愛に魅せられれば、それに惹かれたように未練だけが浮かび上がった。
この体とロクに働かない肉体以外に残ったのは、たった1つの未練。それはマナに対するもので、今やもう虚空に消えるべき泣き言だった。
確かにソフィアの姿を借りた『原初の災厄』の指摘は正しい。そして自身の本心に気付いて認めてしまった以上、もう否定など出来るはずもない。
そもそも俺が英雄になるなんて未来は最初から存在しなかったし、そんな未来への道は2年前に断ち切った。
だから俺の中にある未練など、たった1つでしかなく。
俺の未練——それは紛れもなく悔恨だ。
「“俺は君を見捨てて、君は俺の手の届かない場所へ逝ってしまった”」
マナへ伝えきれなかったことと伝えたかったこと、それら全てが俺にとっての悔恨。そして今、それは詠唱となる。
この嘆きの声が決して君に届くとは思わないけれど、それでも俺はこの場に及んでまた勘違いをしてしまったのだ。
マナはいつだって俺の隣にいる気がして、ときには俺に置いてかれては泣き、ときには俺が悲しむときは支えてくれたかのような錯覚が。
そう勘違いしているからこそ、今君へ本心を伝えると決めたんだ。
さぁ、ここで君へと鎮魂歌を送ろう。
「“悲しいよ、泣きそうだよ。けれどこれは俺への罰なんだ”、“だから君は悲しまなくていい、どうか安らかに眠ったままでいて”」
本来なら、死者に送るべきは花だ。けれど今の俺は花など持ち合わせていない。
だからこそ英雄に焦がれていた俺が、唯一手放さなかった剣を君へと送ろう。
無骨なのはどうか許して欲しい。いいや、君はきっとこう苦笑するだろう。
「リアムって、本当に変な人」
「——“着飾った言葉なんて必要ない”」
俺を変だと苦笑するマナを幻視して、俺は小さく自嘲する。
あのとき俺が覚醒し、『ゴースト』達を仕留めたのは俺の呪力による濁流。
それは決して温かくもなく、憎悪塗れの醜悪な産物だった。恐らく俺にはあのような薄汚いものしか生み出せない。そう確信している。
しかしマナへの想いはいつだって本物で、美しいものだと言う自負が俺にはある。
欲も驕りもそこにはなく、ただ君だけを愛していると言う単純で平坦な想い。
だからこそ、それを俺自身の力へと変え、この昏き世界を一縷の光になって欲しいと願いを込める。
「哭き報せよ、“『愛』以外は全て滅しろ”」
そう祝詞を紡いだ瞬間、この場に満ちたのは黒き濁流ではなく、白く眩い光だった。
白く眩い光は温かく、ただこの場にいる全員を包み込む。呑むことも浸食することもない。
俺はもちろん、ソフィアも光の眩さに目を細めた瞬間、ぼんやりと俺の目の前に人型の靄が現れる。
突如俺の前に現れたその靄は、俺を見てはただ微笑んでいる。
その微笑みはマナのものであり、かつあの靄は彼女だと理解出来ていたから、俺は剣どころか全てを投げ捨てて、彼女へと手を伸ばす。
「リアム」
そう、マナはいつものように微笑んで、俺をその小さな体で受け止めようしている。
今、そこに逝くから――そう言って、俺はマナの胸に飛び込む。
すると、眩く儚い光は蝋燭の火が消えるように揺らぎ、呆気なく消えた。
と同時に俺の穴だらけだった体にさらに大きな穴が開き、なにかが俺の右胸を穿った。
「——え?」
その瞬間、この空間にあったはずの氷で出来た針の山も一瞬にして消え失せ、真っ向から向き合っていたソフィアさえもこの世界から消失していた。
唯一目の前にいるマナが、現状を理解出来ない俺に優しく現実を説く。
「いくら綺麗に着飾っても無駄よ、リアム。あなたは覚醒したとき『愛』以外は全て滅しろと誓いを立ててしまったでしょう? 生まれ変わってしまった以上……いいえ、あなたが私を愛している以上、あなたは私を殺せない。例え、幻影だとしても」
突き付けられた現実は、正に反論の余地もない一言。
幻影と自らを偽ったマナは、俺の胸から自身の手を引き摺り出しては静かに微笑む。
「私の名前は『愛』だよ? だから滅しない、今こうしてあなたを貫いている」
「……ははっ」
最早、俺には苦笑しか出来なかった。
そう、そうだった。
確かに俺の能力は、ありとあらゆるものを喰い、喰えないものはないと自負していたし、それは俺にとっての驕りだった。
しかし、マナ以外滅しろと言うことはそういうこと。俺は彼女を殺せないし、喰うことなど到底出来ない。
それを今純愛だと偽っても、俺が今こうして悪食の狩人として在るのはマナへの愛があってこそのこと。
彼女の愛に包まれ、彼女と言う光を再び視たことで、俺は生まれ変わったのに。
だから俺は、彼女に勝てる術など最初からあった訳もなくて。
例え彼女に想いを伝えようが、根本的な部分で俺達には大きなすれ違いがあった現実に俺は再び号哭しては運命を悟る。
体は既に動くことなく、たった1つ俺を支えていた未練も愛の言葉も灰燼に帰す。
そう納得して、意識を手放したその瞬間——。
俺の中に潜んでいた『ゴースト』は、目の前にいるマナを喰った。
「——なんてな。最初からお前は儂の手のひらの上で踊っていたのだ」
突然、耳を劈く嘲笑。
そして喰われたマナの背後にいたのは、『原初の災厄』。
何故マナの背後にと思うが、『原初の災厄』の眼前にはマナの足が転がっている。
それを無視することなど到底出来ず、二重となって襲いかかってきた悪夢に、思わず俺は声を荒げては絶叫する。
「ああああああああああああああああああ―――ッ!!」
「言っただろう? 見せてみろ、と。挑発した甲斐があったものよ。言ったはずだぞ? 我が名は『原初の災厄』。そして今全ての智慧は我が手にあり……世界を白紙化したことで、全ての人間の意識と魂も儂の手中にある。だからあの狂信者の魂を望み通り使い潰してやったわ」
そう嗤う『原初の災厄』は、俺に現実を突きつける。
「そうだ、あのマナは幻のはずで……そう言っていただろう?」
咄嗟に俺の脳内を過った唯一の逃げ道。
しかし、否と『原初の災厄』は平然としたままである。
「いいや? あのマナ本人だ。いやぁ、苦労したなぁ……ほぼ同化していた儂の意識とあの小娘の魂を切り離すのは。そもそもあの小娘の魂はお前の傍にあったぞ? ここまで鈍いとは救いようのない男よ」
俺の中にマナの魂があった。信じがたい事実に俺の脳にはまた否定の言葉だけが並ぶ。
マナが隣にいた? 彼女は俺を恨んでいたと言うのに? それでも俺を愛していたと?
そんな収まることのない混乱に、俺は生きていることに嫌気が射す。まだ俺は苦しまなければいけないのか? ――と。
しかし、俺が最後までしていた勘違いは勘違いなどではなかった。そう断言出来る自信が、証拠があるならばどれだけ良かったことか。しかし、そんな自信は俺にはないし、証拠さえもどこにもない。
憎んでいても傍にいたいだなんて、残酷にもほどがあると絶望する中、『原初の厄災』はただ嬉々として嗤うだけ。
よくよく奴の姿を目を凝らしてみれば『原初の災厄』の姿は既に人型を保ってはいなかった。黒い霧のようなものがただ人型を成し、マナの肉体と言う傀儡を完全に脱ぎ捨てている。
黒く塗り潰された貌に白く三日月が浮かぶその有様は、まるで本物の悪魔めいていた。
「お前が霊碑街で目にして抱いた墓は、儂の趣味で建てたものだ。そしたらこの小娘はここでお前を待つと聞かないものでな。だから呆れて捨てて置いたのだが、最後の最後でこうも愉快に盛り上がるとはなァッ! 久々に心躍る残酷劇を見せてもらった!」
「嘘だ……」
まず、俺が現実を否定する。
「嘘ではないぞ? お前はとうとう喰ってしまったのだ、愛した女を。しかし、あの小娘も奇怪な存在よ。儂の触媒となって抵抗している間、自分が抱く憎悪を否定してお前を愛しているなどとほざきおったわ。そしてお前はそんな優しい女を喰い散らかした! 行儀が悪いのう!」
続いて、『原初の災厄』が俺の否定を否定する。
「嘘だ……ッ!」
さらに否定の言葉を否定する俺は、次にここ数日——いや、あの幸せだった数年間さえも否定する。
「だから全て本当なのだ。いい加減理解しろ、人間。そもそもお前は願っていたんじゃないのか? あの小娘と心中することを。永久に寄り添うことを」
否定を繰り返す俺に『原初の災厄』が投げかけた言葉は、今俺が切実に願っているもの。
でも、でも、でも――と氾濫する記憶と絶望と現状は、俺に正常な判断どころか夢と現実の区別さえつけさせない。そんな夢遊病患者が口にしたのは、最も否定したい現実だった。
「そうだとしてもだッ! 俺がマナを喰うわけがないッ、俺は『彼女』以外は滅しないッ! なら彼女は俺に喰われないッ!」
「……聞き分けの悪い。なら分かりやすいように言ってやる。滅すると言うのはあくまで結果論だが、そこには自身の意志がある」
『原初の災厄』は、いい加減理解しろと言わんばかりに眉を顰めてはこう言葉を継ぐ。
「そして、喰うと言うのも結果論で仮定したら“手段”になるかもしれん。だが、喰うと言うのは人間が生きて行くためには必然の行為だろう? 滅しろと言う殺意なんて微塵もない。自分が生き残るためだけにお前は奴を喰ったのだ」
いやー、今回は怒涛の回でしたねぇ。
いきなりソフィアが挑発したと思ったら、今度はマナが出て来て、マナを食べたと思ったら今度は原初の災厄が……ってやかましいわ。
これに関しては、全て原初の災厄によるものです。
悲しくも告白を拒否られた上、愛したヒロイン(実物)を喰わされ、リアム君は一体どれだけ甚振られれば許されるんだ……。




