真実
「『彼女』……?」
ソフィアの哄笑が凍った屋敷内に響く中、俺は1つの疑問を口にする。
既に優位に立っており、自己陶酔に酔い始めた憎らしいソフィアは、ただ真実をその口で明かしていく。
「『彼女』こそが『ゴースト』達の生みの親。そしていずれはこの国どころか、この世に蔓延る怨嗟全てを『ゴースト』へと変質させ、世界の終止符を打つ、最期の女王——それこそが『彼女』であり、我が主です」
その言葉を聞いた瞬間、俺は眩暈がした。
眩暈がしたのは、決して頭に血が上ったからではなく、単純にソフィアが口にした言葉の数々が理解出来なかったからだ。
『ゴースト』の生みの親? いずれこの世界を滅ぼす? 最期の女王? ——分からない、訳が分からない。
眩暈は俺の脳内を激しく揺らし、頭蓋骨すら砕く勢いまで達していた。その影響か俺が今思案していることさえノイズが走る。
そもそも『彼女』とは、誰なのか? 今の流れからして、まるで■■がその最期の女王とやらに聞こえるが、そんな風には考えられなかった。
なにせソフィアが■■への愛を語るときは、俺への憎悪が混ざっていた。しかしその『彼女』とやらの話をするときのソフィアの声色には、俺への憎悪なんてものは一切混ざっていない。
正に純粋無垢。この空間を支配する氷のように透き通っていて、かつ鋭く温かく自身の胸を締め付ける、愛情とはまた違うそいつへ抱く悦と忠誠心。奴の言う通り、ソフィアはその最期の女王とやらの忠実な下僕だ。
あまりにも支離滅裂な文脈の流れは違和感ばかりで、俺には到底理解出来ない。
既に忠誠と言う愛に対して悦を浸っている阿呆は、ただただ嗤うだけ。
「だから、私が『ゴースト』たちの指揮を執っていようが、背後にはあの方がおられる。つまり先日村を襲った災厄も『彼女』によるもの! それ以外に真実などどこにもありませんよ!」
先程まで成立していたはずの会話はもはやソフィアの胸中を明かすだけの舞台と化し、全く会話が成立していない。そんな劇を見せられ、俺が理解したことはただ1つ。
「……つまりは、その『彼女』とやらとお前がこの世の害悪ってことか。そんな世界を滅ぼすなんて来世でやってくれよ。俺とマナを巻き込むな」
そう、俺は強制的に見せつけられた劇の感想を吐き捨て、ソフィアのことを鼻で笑ったその瞬間。
「はぁ?」
俺が悦に浸る馬鹿ソフィアの目を覚まそうと本音を告げたのにも関わらず、対するソフィアは自ら興覚めといわんばかりに顔を歪め、俺へと侮蔑の意を示した。
そんなソフィアの顔を俺は見たことがなかったし、本当に奴は心の底から落胆していた。
お前は馬鹿か? ——と心底俺に落胆した奴の顔にはそう書いてあった。
そしてソフィアはさらに真実を噛み砕いては、親切心による説明と自身が自ら噛んでしまった不愉快を吐き捨てる。
「人の話を聞いていましたか? 私は彼女を『彼女』と言ったのですよ? 確かに事情は色々と複雑ではありますが、彼女らの存在は一貫している。ゆえにここで逃げてもいずれあなたは真実を知る。そう定められている」
嘆息と共に、ソフィアは呆れたと首を横に振る。
頭の出来が悪い劣等め。何故そこまで鈍いのかとソフィアの視線が侮蔑と共に俺へと吐き捨てた。そして侮蔑と共に告げられる真実は、あまりにも呆気なかった。
「……もうよろしい。干渉能力があるのでしょう? だったら真実は私の口からではなく、その身を以て知りなさい。それが答えです」
「分かったよ」
もはや自分から語る必要もない。それがソフィアの最後の恩情だった。既に奴は俺に興味がないと目線を逸らし、相変わらず人を馬鹿にしたまま呆れている。
俺もまたソフィアの返答にそう返すしかなく、自身の中に埋められた『ゴースト』達の残骸を手探る。
残骸の破片を拾い上げ、手のひらで握りこめば、奴らの記憶は一瞬にして俺の脳内へと流し込まれる。
そして、視えたものは、黒い仮面で顔を隠す少女の姿。
恐らくここは、アールミテ家の屋敷の一室。
黒い仮面をした少女は天井を仰ぎ、そのすぐ後ろには、膝を付いては少女に頭を垂れ、ただ少女の言葉を拝聴するソフィアの姿があった。
少女はただ、自身の言葉を待つソフィアを一瞥しては、ソフィアへこう告げる。
「貴方に頼みがあります。私は結界を自力で破って、彼女を食い潰した以上、もう自力で呪力を使うだけの余力はありません。せめて出来るのは今体内にある呪力を瘴気へと変換して、それで『ゴースト』を編むだけ」
どこかで聞き覚えのある声に俺は一瞬意識が乱れるが、すぐに「これは違う」と本能が訴える。
何故なら、少女の声はあまりにも艶やかで鋭く、重いものだったから。
こんな声など耳にした覚えはない、はずなのに――。
「なんで、君の声と重なるんだよ……」
俺の中にいる『ゴースト』共は、俺へとこう訴えかける。
お前が愛したそのマナと言う少女こそ、正真正銘の化け物。
怨嗟を纏い、憎悪の淵に溺れた畜生児。災厄の根源を呑み、我が物とした虐殺の権化。
「……マ、ナ」
瞬間、俺は意識を落としかけた。
たった2文字の名前が、脳裏に流れてきた『ゴースト』共の記憶が、信じたくなかった事実が、再び俺の心を砕いたことによって。
ただ混沌はこれで終わらない。
いや、これこそ全て始まりなのだ、と。残念ながら俺の中にいる『ゴースト』達は俺の意識をきつく縛って浮遊させたままにする。
もう、俺は現実から逃げられない。
◆
『原初の災厄』と呼ばれる超常的な呪い——その呪いをその身に同化させた少女は、目を覚ました瞬間に、自身の記憶を当時のまま構築させた。
荒唐無稽すぎる世界の物理法則に反した裏技が構築した記憶とは、少女——マナがまだ幼い頃のものだった。
これはまだマナが学校に通っている頃の記憶であり、マナは再構築した記憶の中で、同じ空間にいるとある少年へと声をかける。
「ねぇ、ソフィア」
同級生である彼——ソフィア・アールミテの名を呼ぶ。本来ならただの記憶の転写でしかない彼が反応するはずもないが、ソフィアは静かに手元に視線を落としていた本を閉じる。
「なんですか? マナ」
しかし、今この場にいるソフィア・アールミテと言う男は記憶の転写などではなく、ソフィアそのもの。ソフィアは確と自身の意志を以てこの空間に存在していた。無論、このことはマナも理解している。
今起きている摩訶不思議な現象は、マナが記憶を介して今現在を生きるソフィア・アールミテへと接触したことによって起きたのだ。
謂わばこの構築された空間は、集会所のようなもの。
2人がこの場所で落ち合えたのは、彼らが心が繋がっていたからではない。
それよりももっと深く――マナが少女だった頃から、ソフィアから感じていたある感情が、ソフィアの精神へと繋ぎコンタクトを取っているのだ。
ソフィア・アールミテと言う男が、幼き頃からマナという少女に恋慕を寄せていたのは周知の事実で、マナもそれをとうに理解している。
だからこそ、マナは彼の愛情を逆手にとって、「また会えたね」とソフィアを誘惑した。
無論、ソフィアもまた少女と繋がり、誘惑されている経緯を理解している。
そもそもこの空間は、人々の集合的無意識の底に出来たものであり、さらに奥深くまで潜った底の底。ソフィアはこの場所を介し、マナの様子を常に見守っていたのだ。
ゆえにこの空間は、元々ソフィアがベースを作って置いてあったもの。それをマナがソフィアの意識に接触して呪力を用いて記憶を媒介に空間を改変した。ようやく固定されたこの空間で2人は4年ぶりの邂逅を果たしたのだ。
またソフィアは、マナが自身の精神へ触れた今この瞬間に自身が持つ全ての呪術の知識をマナの脳内へと流し込んだ。
理由は至ってシンプル。彼が災厄へと姿を変えたマナを愛してしまったから。ただ、それだけ。
この一瞬で起きた早業から分かるように、ソフィア・アールミテと言う男とマナと言う少女は、普通の人間と比べると呪力を行使する術や呪力量や質に置いては群を抜いていた。
またそれだけでなく、この2人は呪いとは如何なるものかをよく理解していたのだ。
さらにマナはソフィアから流し込まれた知識を自身の脳へ転写させ、『原初の災厄』の呪力を一時的に開放。
すると一瞬にして自身の呪力量を跳ね上げて、まずは自身が住んでいた村の周辺と『ファフニル』へと呪いを吹き込ませる。そしてこの呪いの吹きこまれた村はいずれ呪いによって蹂躙されることが確定する。
一瞬にして、10つの村と1つの街を壊すことを成せることこそ、『原初の厄災』と呼ばれる存在が持つ特異性だった。
余談になるが『原初の厄災』が初めて地上に顕現したのは、ノアの箱舟が大洪水に呑まれたときだと言う。
なんとかノアの箱舟は『原初の厄災』による呪いを逃れたものの、『原初の厄災』は時を跨いで、人類へとその名の通り災厄をもたらし続けた。
その幾度、いや、何千回目のこと――『原初の厄災』はマナの姿を模して現世に顕現したのである。
ソフィアは、まさか自分の愛した女性がこんな化け物になるなど夢にも思っていなかった。
なにせ彼女はなによりも優しく美しい。
ゆえに災厄とは無縁の存在であるし、そんなものとはかけ離れている。
では、何故こうなってしまったのか?
一言で済ませてしまえば、それは彼女の名前に全てが込められていた。
『マナ』と言う名前が意味するもの――それは超自然的呪力の観念を基礎とするもの。ゆえに厄災たる素質は十分にあり、その素質に対し、彼女自身の人格など左右されない。
彼女は優しいから? だからなんなのだろうか。
その笑顔はまるで女神のように美しいのに? 顔は同一であるし、例え中身がすり替わったとしてもその醜悪さは、自ら明かさない限り、外に漏れ出ることなどありえない。
『原初の厄災』が『彼女』として再誕したときにソフィアが視たマナの美しさは、かつて彼が幼い頃に見たものと全く同じものだった。だから、変わらない。
例え彼女が『原初の厄災』と言う存在に成ろうと、彼女は彼女。
またソフィアには、自身の意識にマナが触れた時点でもう1つ理解したことがあった。それが今のマナの成り立ちについて。
愛情と憎しみは紙一重であり、反転することなどそう珍しくない。
ただソフィアは、かつてマナに抱いていた愛以上に、『原初の厄災』と成った彼女を愛してしまった。
だから、愛した証を忠誠へと変え、あなた様に全てを差し出しましょう。
そう言って、自身の智慧全てを渡し、災厄がより大きなものになるようにと祈ったのだ。
この一瞬の邂逅の後、後に『ゴースト』と呼ばれる存在の産みの親と、彼女の唯一の忠臣は構築された記憶と言う箱庭から現世を下る。
全ては、あの憎きリアムを殺すためだけに。
皆様こんばんは、織坂一です。
はい、この回で真相は明かされましたが怒涛すぎる回でしたね。
マナが全ての元凶だと言うのが明かされましたが、なんでマナがこんなんになってんだって話です。
挙句、なんかもう『原初の災厄』とかいう存在が出て来ててんてこまいですね。とにかく今はリアム君が試練を乗り越えられるかどうか見守るだけです。
頑張れ!苦難を乗り越えろよリアム君!その尊厳と体は全てマナのためのものだ!!……でもまぁ、こんな展開は心が死にますわい。書いてて滅茶苦茶楽しかったですけれど。
ちなみに私がソフィアを推すのはこの圧倒的マゾヒストかつ、忠誠心バリバリ強いキャラっていいよねっていうのが理由の1つです。後こいつちゃっかり浮気してないか?いや、違います、浮気じゃないんです。彼を信じてください。
後最後の一文に関してですが、連載当時は伏せていましたが、隠す意味もないなと思ったので開示しました。(by数ヶ月後の織坂)